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『『あさき夢見し、酔いもせず』 』
蒼柳・凪2303)&(登場しない)


 風向きが変わったからだ。そうでなければ彼はそれを見過ごすところだった。
 おもむろに立ち上がった彼をそれまで囲んで談笑していた喜劇団の人間達が不思議そうな顔をして眺めやる。
 彼、蒼柳凪は彼らに穏やかな笑みを浮かべながら決してここから、この町の片隅に設けられた喜劇団のキャンプスペースから動かないようにと言うと、風上に向かって全速力で町を駆け抜けた。
 この町は聖都エルザードから遠く離れているとはいえ、それでも近隣の大きな街と街とを結ぶ街道の宿場町として重宝され、潤ってもいないが決して貧しくもないいたって普通の町なのだ。その町で、しかし、血臭が香っていた。しかもおびただしい密度の。
 町に常駐している王国軍はその数は少ないとはいえ、この町と街道、町の人間と旅人の安全を守るためにかなりの強者が派遣されているはずだった。少なくとも凪は彼が護衛役として雇われている喜劇団の長からそう説明され、この町の中ではその任を解かれている。だが、
「これはまぎれもなく争いのにおいだ」
 血臭と炎が爆ぜる臭い、そして、人と人とが争い憎しみ合う感情の臭い。それらが凪の鼻腔を突いている。少なくとも今行われている争いで人死が出ている事は明らかだった。そう。経験上、それは断言できた。
 凪は町の門の前に走り出た。
 それまで数えていたあらぶる気の数と目視できる盗賊風情の人間の数をすばやく数えて照らし合わせる。
 数があった。全部で10人だ。
 濃密な血臭を含んだ空気を胸いっぱいに吸い、凪は叫び声をあげる。
「そこまでだ。盗賊ども」
 ぎらりと殺意に満ちた視線がいっせいに凪に向けられる。
 彼らの足元には派遣されていた王国兵の骸が沈んでいる。それを認めて凪はぎりっと歯軋りをした。
「なんだ、坊主。気が早いな。自分から死にに来たのか?」
「あら、残念ね。せっかくいい男になれそうな顔をしているのに。ざんねーん。せめてお姉さんが、殺・し・て・あ・げ・る」
「そうそう。この町の人間どもは皆殺しよ」
「俺達、盗賊団はこの町に先刻入った商隊が持っている荷と、この町の人間が持っている金目の物全てを奪わせてもらう。まずは小僧。貴様が町民の犠牲者、第一号か?」
 獲物を舐めて、その切っ先を凪に向けた盗賊に向かい、凪はゆっくりと肩をすくめて見せた。まるで先ほどまで一緒に居た喜劇団の道化が舞台上でやるようなおどけたっぷりの大仰な仕草でだ。
 その凪の仕草を見た盗賊団の顔色が全員変わるが、しかし、当の凪はそんな事、知った事ではないという顔で、続ける。
「それでも、随分と乱暴じゃないか? そんな急ぎ仕事は盗賊ギルドではご法度なはずだ。それは聖都から遠く離れたこの偏狭の地でも同じなはず。あなたたちは王国軍だけではなく、盗賊ギルドをも敵に回すというのか?」
 王国軍と盗賊ギルドとは実は裏では協定を結んでいる。最低限の倫理という名の協定を。そしてその協定、盗賊ギルドの矜持を汚し、貶める者には盗賊ギルドによって死の制裁が与えられる事になっている。
 ――つまり、それにも関わらずに協定を無視したこんな急ぎ仕事をするという事は、
「はっ。盗賊ギルドの名前を出せば俺達が臆すとでも思ったか、小僧が。残念だったな。俺達は、その盗賊ギルドに反旗を翻すべくこの町を襲うのだよ」
「そう。そういう訳だ」
「というわけで、死ねやー」
 10人の盗賊たちが我先にと門から町の中になだれ込んでくる。先頭の男がバトルアックスを振り上げる。それで凪を一刀両断にするつもりなのだろう。他の者達はその脇を駆け抜けて我先にと町の人間達を殺しにかかるつもりだ。その動きに迷いは無い。
 凪は、それを認め、小さくため息を吐き、そしてその転瞬、その口元に不敵な笑みを浮かべた。
 次いで彼の唇が動く。
 紡がれた言葉は、彼の攻撃魔法名だった。
「ウィンドスラッシュ!」
 ――仮にも強者の王国軍兵士を殺った盗賊団の面々だ。そして、彼らは殺人を行い興に乗っている。故にその一撃は手加減抜きの一撃であった。
 悲鳴が、迸った。



 ―――『あさき夢見し、酔いもせず』―――


「やれやれ。困ったものじゃのう」
 商隊の中でも一番の古株であるという葡萄酒の商人が顔を両手で覆い嘆いている。
 この街道はモンスターや天災に遭わぬ限り、自らが戒めを持って旅の安全に注意を払ってさえいれば安全な街道であったという。
「しかし、かの盗賊ギルドでも一の義侠心を持つ盗賊が縄張りとしているこの街道にあのような危険な奴らが現れるとは。あれは闇ギルドの者達じゃよ。つい先日、王国に認められていた正規の盗賊ギルドと闇ギルドとの闘争があった。その報復じゃろうな」
 まったく。イカレタ奴らは何から何までイカレテおるわい。商人のため息混じりの独白に凪はふむと頷いて、改めて訊く。
「ですが、正規であろうと盗賊は盗賊。なら、この機に街道から盗賊を一掃してしまえば」
 だが、商人は凪に呆れ返ったような表情を浮かべた。
「おまえさんは、正義は正しき者の手でのみ行われると思っている口じゃな。なぜ、王国が盗賊免許状を限られた者にだけ発行し盗賊ギルドを認めているか。それは盗賊という家業に身を置いている者たちだけが見えるモノがあるからだ。この街道にだってわしやおまえさんでは気づかない、盗賊の者だけが気づく危険な場所という物が数多く存在する。たとえそれを王国軍が見つけて対処しても、またそうなれば盗賊は新たなそういう場所を見つける。イタチごっこなのじゃよ。ならばと、王国は王が認めた盗賊の頭たちに王国公認の盗賊免許状を与えて、街道を行く旅人たちへのある程度の盗賊行為は黙認する代わりに彼らに王国軍では対処できぬモンスター討伐並びに災害が起きそうな場所の報告、そして今回、この町を襲ったような連中の粛清の任を彼らに負わせた。確かにわしら商人はこの街道を通るたびに奴ら盗賊ギルドの者達に積荷を奪われて痛い思いをするが、しかし、命の保障はされておる。わかるか? わしらは王に認められた盗賊免許状を持つ盗賊ギルドに襲われて積荷を奪われても命までは絶対に奪われないのじゃ。そして、わしら商人は生きてさえいればまた、己の才覚で商いをし、損失した分を取り戻す事ができる。そう。生きてさえいれば必ず何とかなるのだ。今に絶望し、未来まで自分で潰さぬ限り、今をちゃんと生きさえすれば今日という点と点は繋がり、それが過去となり明日へと繋がる道になるのじゃ。わかるかな」
 商人は一言、一言、大切に、諭すように、道を教えるように凪に語る。
 凪は、生きてさえいれば、その言葉を心の中で呟く。
 そう。彼の信念である、【不殺】、それは人に甘いと言われる。けれども、凪にはそれはどうしても守りたい己との約束であるのだ。それが守れなかった時、とても大切なモノを無くし、彼はきっと、彼ではいられなくなる、そんな大切な、誓約であり、制約なのだ。
 凪は息を吸い、そして、自分を孫でも見るような優しい目で見守ってくれている商人に微笑んだ。
 商人は嬉しそうにほっほっほと笑った。
 が、それをあざ笑う声がふたりに向けられた。
「甘い。甘いですな。あなたは甘すぎますな。あなたがそんな事だから、他の商隊の方々が不安に思い、我らを雇ったのです。そして、我らも傭兵ギルドの矜持にかけて、あなた方の命と荷は守りぬかねばなりません。そう。この街道を縄張りとする盗賊ギルドを皆殺しにしてでもね」
 商人は眉をひそめたが、しかし、他の商人たちは傭兵ギルドの面々が浮かべる表情に嫌そうな表情を浮かべながらもそれを表立って責める気はないようだった。そう。他の商人たちは自分達の荷を一つも盗賊ギルドにくれてやりたくはないのだ。葡萄酒の商人は大きくため息を吐いた。


 凪がその商隊の後をついていったのは彼を雇っていた喜劇団があと一ヶ月はあの町で滞在する事が決まっていたからだ。彼が商隊の後をついていくのはその場に居た誰もが望まなかった事であるが、しかし、凪はそれを意にも介さなかった。
 そして、結果、それが良い方向へと繋がった事をこの後、商隊の商人達は知る事になる。
 商人たちは、街道を縄張りとする盗賊ギルドによって捕まえられてしまった。
 傭兵ギルドの面々は口先だけであったのだろうか?
 そう。彼らは誰も盗賊ギルドの剣技や魔法の前に手も足も出ず捕らえられてしまったのだ。
 しかし、商人たちの中でただひとり、難を逃れた者が居た。
 その商人は、盗賊たちが美味そうにがぶ飲みしている葡萄酒の空樽を眺めやってたいそう憂鬱げなため息を吐いた。
「まったく、あやつらめ、あの酒樽の中の葡萄酒はとても貴重な葡萄酒だと言うのに。あ〜、あ〜、あ〜、あんなにがぶ飲みしおって。飲むならもっと、上品に……おのれ、口惜しや」
 隣で嘆いている商人を横目に凪は思わず悪いと思いながら笑ってしまう。
 商人にじと目で見られながら凪は肩を竦めると、だんだんと橙色に染まりかけてきた空を眺めながら大きく深呼吸をする。
 商人が思わずはっと息を詰めたのは、そうする凪の横顔がはっとするぐらいに綺麗だったからだ。いや、神々しいと形容したほうが正しいかもしれない。
 空を見つめる凪の瞳は透き通り、澄んでいた。その瞳はまるでそこに何かを探しているようだ。
 そして、凪は何かを見つけたのか、さ迷わせていた目を一点に見据え、何かを囁きだす。
 転瞬、周りの空気がざわめきだした。ひそひそと何かを囁き交わし、そして、次いで、凪を取り囲む草木の気配が、動物の気配が、精霊達が、息を詰める。これから起こる奇跡の邪魔をしないようにするように。
 商人の目が見開かれた。彼の半開きの口からは驚嘆とも憧れともつかぬため息が零された。
 まばゆい光が凪から発せられた。そう思われた瞬間、しごく艶かしいつややかな動きで凪はしなやかな指で髪を触れ、頬を撫で、唇をなぞり、胸を揉み、足を触り、服を叩いた。転瞬、黒の短髪は艶やかな、腰まで伸びる黒髪になり、顔は美しい妙齢の女の顔に、唇はあでやかな紅に染まり、胸は豊かな双丘となり、腰は蜂のようにくびれ、その腰から下の尻のラインは優雅な曲線を描く。足も長い美しい足となった。
 そこには15歳の少年ではなく、妙齢の美しい女性が居た。
 商人は感嘆のため息を吐く。
「これは見事に化けたものじゃな」
「化けた、などと下品な言い方はおよしになって。今の私は霊魂系の力を使い、舞の女神をこの身に光臨させて、この姿になっているのですから。すなわち、今の私は舞の女神。化けたというのは失礼よ」
 商人はふむと頷く。
「それでこれからあなたはどうなさるおつもりで?」
「私の舞によって奴らを懲らしめるまでよ」
 ふわりと凪に光臨した舞の女神は地を蹴り、宙を舞う。
 そして、そのまま空を飛び、凪は盗賊たちの宴の真ん中に降り立った。
 美しき女神の光臨に盗賊たちは驚き、そして、歓喜の声をあげる。
 盗賊の頭領が杯を持つ手をあげ、凪は微笑み、舞を踊り始める。


 それは遠き異界の地。
 そこで語り継がれる一片の歌。
 その歌に合わせて、舞の女神は踊る。


 
 秋風に   たなびく雲の   絶え間より   もれ出づる月の   影のさやけさ
 (秋風が吹いて 横にたなびいている雲の切れ間から もれ出てくる月の光は なんと明るく澄みきっていることか)



 秋風の温度が心地よい。それは凪の舞を眺める盗賊たちの粗野な心さえも落ち着かせる優しい温度だった。
 たなびく雲の切れ間から漏れ出る月明かりは青白くて、その月明かりに照らされていると、心は澄みきっていくようで、自分がとても神々しい存在になれるようなそんな上機嫌になれる。
 盗賊たちはいつの間にか凪と共に舞を踊っていた。
 凪のような上品な舞ではない。
 盗賊たちの舞はどれも下卑た舞であった。
 しかし、その誰もが楽しそうに舞に興じていた。
 そして、その内に彼らは気づく。自分達の身体が思い通りに動かないと。舞を踊り続けていると。
 彼らは悲鳴を上げる。
 それを凪はとても澄んだ目で見ていた。
「盗賊たちよ、その舞は汝らが心より盗賊行為を反省せぬ限りとめられない。故に」
「はっ。反省? 馬鹿言うんじゃねーよ。反省はあの世でやりな。貴様らは我らが殺す。そしてここは我らの縄張りにするぜー」
 その声は商人たちの間から、否、その背後、鎖で縛られていたはずの傭兵ギルドたちから上げられた。彼らは鎖を魔法で破壊し、そして、舞をやめられない盗賊ギルドの面々に踊りかかる。
 血と悲鳴に飢える白刃が盗賊ギルドに振り下ろされる。しかし、
「ふっ」凪が口だけで笑った瞬間、傭兵ギルドの者達が悲鳴を上げた。そう。彼らも、傭兵ギルドの者達も舞を踊りだしたのだ。
 傭兵ギルドの頭領が凪を睨む。
「貴様、どうしてー!」
 凪は肩をすくめる。
「あなたたちが怪しいと思ったのは、あの町の門番をしていた王国の駐留軍が殺されてから門が開けられて、件の盗賊たちが町に押し入ったからだ。あの町で王国駐留軍を殺せる余所者など俺を除けばあなたたちしかいない。そうでしょう?」
「そう。その通り。だからまあ、王様からこの地を縄張りにしてもいいがその代わり王様の愛する民達の命を守れと命じられている俺様たちは、ちゃーんとそいつらにお灸をすえてやらねーといけねーんだよ」
 そうぎらつく声で言ったのは、ただひとり、剣を構える盗賊ギルドの頭領だった。
 凪は目を見開く。
「どうして?」
「なーに、おめえさんが蒼柳凪だと知っていれば、たとえどれほど神格の高い神様の舞だろうが、魂を守る術を取る事は、この盗賊免許状を頂く盗賊ギルドの頭領様には可能という事よ」
 彼は剣を振り上げ、傭兵ギルドの者に踊りかかる。
 凪は舌打ちをし、傭兵ギルドたちの舞を操り、この場から逃げさせる。面々、恐ろしい文句を口にしながらその場から舞を踊り逃げる。が、それはなんともかっこ悪い光景だった。
 盗賊ギルドたちはげらげらと笑うが、彼らも舞を踊っているという……。
 しかし、商人ギルドの面々は笑えぬ。
 盗賊ギルドの頭領と凪は睨み合っていたからだ。
 が、盗賊ギルドの頭領は肩をすくめて、剣を腰の鞘に収めた。
「まあ、いいさ。今回は俺様もそれなりに楽しめた。あいつらの命はおまえに預けてやるさ。もちろん、可愛い俺様の部下達は連れ帰るがなー」
 商人たちの間からぶーいんぐが上がるが、
 凪も肩をすくめて、ふっと笑った。了承の証だった。



 傭兵ギルドたちが逃げ込んだアジトを王国軍はつきとめ、町に押し入った闇ギルドと傭兵ギルドの人間達は王国軍に逮捕された。



 それを街道の次の町で知り、凪は苦笑を浮かべながら隣の葡萄酒の商人を眺めた。
「こうなる事も全部知ってて、葡萄酒の商人さんは俺が舞を踊っていた事を盗賊ギルドの頭領に話したのかい?」
 商人は悪戯っぽい表情を浮かべながら、凪に向かい、肩をすくめてみせるのだった。


 fin



 **ライターより**

 こんにちは、蒼柳凪さま。
 はじめまして。
 ライターの草磨一護です。
 この度はご依頼、ありがとうございました。

 お題に出された女装して、敵を倒すという逸話は私も昔、本で読んだ事があって、彼のその勇ましい武勇伝に憧れたものでした。
 ですから、今回、この女装して敵を倒すというお題でノベルを書いている時にその本の内容や、その本を読んでいた当時の事を色々と思い出して、とても楽しかったです。

 あと、不殺、という事にも少し焦点を当ててみました。


 それでは本当にご依頼、ありがとうございました。
 失礼します。
 
 草磨一護
PCシチュエーションノベル(シングル) -
草摩一護 クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2012年09月14日

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