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『夏祭りの夜。〜目覚める日 』
玖堂 真影(ia0490)

 三火祭(ミホマツリ)、という祭が、ある。夏に行われるそれは、句倶理の里の夏の風物詩として例年、里の民に親しまれているものだ。
 それはもちろん、玖堂 真影(ia0490)とて変わらなかった。句倶理で生まれ育った彼女にとっても、三火祭は降り注ぐ陽射しに夏の気配を感じるたびに思い出さずには居られないものであり、そうして長の一族、娘としての簡単な役割も果たしながら、概ねは里の民達と交わって祭を楽しむものでも、あった――昨年までは。
 今年は、違う。それを夏の陽射しに思い、真影は見上げた夏の青空から眼差しを行く手へと戻した。
 傍らを行くタカラ・ルフェルバート(ib3236)が、それに気づいて真影を振り返り、姫、と微笑み声をかける。

「お疲れになられましたか?」
「大丈夫よ。それに、急がなきゃ今日中に、句倶理まで戻れないじゃない」

 タカラの言葉に真っ直ぐ前を見つめ、歩きながらそう返すと、畏まりました、と涼やかに返って来るのは或いは、内心にほんの少し湧き上がった、子供のような反発心だとか、案じてもらえた喜びだとか、そんなものに気付いたからなのか。とはいえ安雲の往来では、どこに真影の顔を見知っている人が居るか知れないし、気安い所はあまり見せたくはなかった。
 とはいえタカラは真影の側近であると同時に、婚約者でもあり、幼い頃は親しく遊んだ従兄でもあり、そうして何より恋人でもあるのだから、何も知らない者ならば「気にしすぎだ」と笑うかもしれない。けれども、今現在真影が立ち、そうしてこれから正式に里の民へとそれを知らしめようとしている立場にあるものとして、不用意にタカラへと親しみを向ける事は己の立場を危うくしかねないものであった、から。
 ――三火祭。去年まではただ、夏の風物詩という意味合いを持っていたそれは、今年は真影の当主就任式の場でも、ある。
 だから、どこで見られているかも解らない場所で、隙は見せられないし。今宵、行われる三火祭に遅れるわけにも行かない、と――きゅっと唇を引き締めて、歩き出そうとした真影はふと、行く手に見知った顔があるのに気付いてきょとん、と目を瞬かせた。
 里の人間ではなく、真影の開拓者としての既知。だがかつて出会ったのはこの石鏡ではなく、一応国境は接するとはいえ、遥か離れた五行での事で――

「木原、さん? しじまちゃんに‥‥珊瑚ちゃんも‥‥?」
「――ん?」

 だから俄かに、本当にそこに居るのが既知に違いないのかが信じられず、呼びかけた真影に、呼びかけられた木原高晃は不思議そうに振り返った。そうして真影と目が合って、驚いたように軽く目を見張った後、をぉ、と気さくに相好を崩す。
 一緒に歩いていた清月しじまと、清月珊瑚が高晃の声に振り返り、同じく真影を見て軽く驚きを表すと、ぺこりと頭を下げた。前者はおずおずと、後者は礼儀正しく。
 そんな3人と、真影を見比べたタカラが、姫? と声をかけたのに「友達よ」と簡単に紹介した。そうして彼らに近付いていった、真影の小袿を見て高晃が笑う。

「久し振りだな。その格好だと、依頼って事はなさそうだが」
「ええ、違います。ちょっと所用があって、安雲の別邸まで来たんですけれど‥‥木原さんは?」
「ん? 俺は里帰りって奴だな。ついでに御師に、しじまと珊瑚も物見遊山させてやれ、って言われてな」
「す、すみません‥‥あの、私が御師に、石鏡について伺ったら、ちょうど良い機会だ、って‥‥」
「しじまさんが気にする事はないわ。二胡兄は帰られる所だったんだし、御師はきっと、いつも頑張ってるしじまさんに、息抜きをさせてあげようとお考えなんだと思う」

 恐縮したしじまに、珊瑚が笑いながらも真面目な口調でそう諭す様は、かつて依頼で出会った時そのままだった。それに懐かしさを覚え、真影は知らず、柔らかく頬を綻ばせる。
 ねぇ、とだから、誘ってみた。

「うちの里でちょうど、今日から祭をやるんです。せっかくだから遊びに来ませんか? 良かったら、うちの屋敷に泊まって行って下さい」
「をぉ? そりゃ助かるが、迷惑じゃないか?」
「とんでもない。弟達も喜びます――良いでしょ、タカラ?」
「もちろん、姫のお知り合いの方でしたら、喜んでお持て成しさせて頂きます」

 真影の言葉に、タカラはいつもの涼しい笑みで頷いて、3人に丁寧に頭を下げる。もちろん真影自身も気を配るつもりだが、恐らく当主就任式に追われて忙しいだろうし、タカラに任せておけば安心だろう。
 真影はそう考え、ほっと息を吐いて彼らを促すと、再び句倶理の里へと帰るべく、足を動かし始めた。どこか、肩に入っていた力が抜けて、浮き立つ心地がした。





 真影達が句倶理の里へと帰りついたのは、そろそろ夕方にさしかかろうかという頃だった。どうにか祭には遅れずに済んだと、真影はほっと胸を撫で下ろす。
 出迎えた使用人が、弟の婚約者がすでに到着している事を告げた。そう、と頷き真影はタカラと、高晃達を振り返る。

「タカラ、木原さん達を案内してあげて。あたしは着替えてから行くわ」
「畏まりました、姫。――二ノ君のお部屋へご案内します。こちらへ」
「ん。悪いな」

 タカラの言葉に当たり前に頷いたのは高晃だけで、その後ろに続く珊瑚としじまはと言えば、ぽかんと屋敷をあちこち見回しながら、互いに手を取り合っている状態だった。恐らく、高晃がこういった屋敷に慣れている――というよりは、どこかのんびりしているというか、感覚の違う彼だから、あまり気にしていないのだろう。
 それにくすりと笑いながら、真影は彼らを見送って、自室へと向かう。小袿は見た目は華やかだけれども、日頃着慣れないものだし、何よりいざという時に動きにくい。
 だから手早く小袿を脱ぎ捨て、巫女服に着替えようとして、少し考え真影はそれより簡素な、すぐに着替えられる狩衣に腕を通した。どうせこれもまたすぐに、祭の為の衣装に着替える事になるのだし、気持ち的には身内ばかりに会うのだから大丈夫だろう。
 そうして再び部屋を出た真影は、そこから程遠くない、弟の部屋へと真っ直ぐ向かった。弟の玖堂 羽郁(ia0862)は、婚約者である佐伯 柚李葉(ia0859)を祭に招いたのだ。
 弟の婚約者であると同時に、柚李葉は真影の大親友でもあって、好きな気持ちなら羽郁には負けない、といつでも思っているくらい大好きな仲良しだった。だから真影もまた、彼女が句倶理へやってくるのを、楽しみに待っていたのである。
 今宵からの祭の為に、屋敷の中はざわついている。その気配が双子の住む場所まで伝わってくるのを感じながら、真影は目指す部屋へと飛び込んだ。

「柚李葉ちゃん! いらっしゃい」
「真影さん。お招きありがとう」

 そうしてそこに居た、柚李葉に満面の笑みでそう言うと、羽郁の傍らに腰を下ろしていた柚李葉は、はにかんだ笑顔で真影を見上げる。それにふる、と首を振って、真影はぎゅっと彼女に抱きついた。
 どうやら彼女達は、久し振りに顔を合わせた懐かしさにあれこれ、思い出語りをしていたらしい。真影もそれに加わってしばし、懐かしい依頼の話や、共通の既知でもある彼らの師匠、高晃の友人であるサムライの話題などに花を咲かせた。
 安雲からの道中にも色々と話は聞いたけれども、顔ぶれが変わればまた出てくる話も、流れも違う。羽郁の手作りのお菓子を摘みながらお茶を飲み、そんな話に興じていたら、思いの外、時間が過ぎ去っていたようだった。

「御主殿、そろそろ――」
「――もうそんな時間? ごめんなさい、あたしそろそろ、行かなくちゃ」
「気にしないで、真影さん。お仕事、頑張ってね」
「木原さんも、しじまちゃんや珊瑚ちゃんも、ゆっくりしていってね。羽郁、頼んだわよ」

 タカラが部屋の外から呼びかける声に、はっと気付いた真影は腰を上げながら皆に頭を下げ、最後に弟に釘を刺すと、慌ただしく部屋を後にする。夜の儀式のために、真影には当主としてやらねばならない事が、実のところ山のように待っているのだ。
 部屋の外で頭を下げたまま、出てくるのを待っていたタカラが真影の姿に軽く頭を下げ、流れるような所作で歩き出した真影の後ろに従った。そうして真影が不在の間に処理をした事柄を、簡潔に報告するのに幾つか質問を返し、新たに幾つかの指示を出す。
 実質上の長である真影の役割は、己自身が何かを為すと言うよりは、何を為すべきかを的確に先読みし、判断し、指示を出し、その責を負う――といった部分が多いように、思う。それはまだ長としての日が浅いからかもしれないし、或いは初代の姫長の時代から、そういうものだったのかも知れない。
 道すがらに家人達が、やれ衣装の最終合わせだの、そろそろ沐浴をなさいませんとだの、様々に声をかけてくる。それに答えを返しながら祭事神殿に辿り着くと、今度は何度も飽きるほどに頭に叩き込んだ、今夜の儀式の手順のおさらいが待っていて。

「――タカラが居て良かったわ」
「突然ですね、御主殿」

 それらの煩雑な用事をすべて片付け、後は儀式が始まるのを待つばかりとなった頃、そばに人が居ないのを見計らってぽつり、弱音を吐いたらタカラが小さく苦笑した。そうして「王理姫の為ですから」と誰にも聞こえないように、耳元で小さく、囁く。
 うん、とそれに頷き返して、真影は一度だけ、軽く目を閉じた。そうして目を開いた時には、そこに居るのは『真影』ではない――それを、自分の中で強く思い浮かべる。
 それは陰陽術を使う時の感覚にも、どこか似ていた。己の上に、己ではない己を重ね合わせるのは、術を唱えて己の意図をもっとも効率よく果たす姿の式を呼び出し、使役するのと全く異なる行為なのにどこか、それを想起させられる。
 立ち上がった真影を、眩しそうに見たタカラが軽く頭を下げて、真影の先に立った。そうして儀式の場へと、独特の足取りで先導する彼の後ろを、同じような足取りでゆっくり、歩く。
 祭事神殿にはすでに、多くの人々が顔を揃えていた。そこには、羽郁や柚李葉の姿もある。リラックスした様子の羽郁の傍らで、緊張した様子でぎゅっとお守りのように横笛を握り締めている柚李葉の衣装は、儀式に相応しいものをと羽郁と真影で用意したものだ。
 誰もが出席できる、という儀式ではないから、それでも顔ぶれは少ない。多くの里人は神殿の外で、儀式の様子を伺うように見つめているだけだ。
 真影の到着を待って、その儀式は始まった。何度も、うんざりするほど習い覚えた口上を述べ、もはや身体に染み着いた所作で儀式を進める。それに伴ってタカラを含む周りの人間も、要所要所で己に割り当てられた役割を、果たす。
 柚李葉の横笛が、夏の夜空に澄んだ音色を響かせた。あれほど緊張の色を見せていた彼女は、けれども笛に息を通した瞬間、するりと緊張を脱ぎ落としたように柔らかな表情になり、まさしく精霊に使える巫女のように清らかに、清らかに楽を奏でる。
 それに合わせて舞を踏むのは、舞衣装に身を包んだ羽郁だ。真影もそれなりに舞えるけれども、羽郁の舞は格別だと、姉馬鹿にも似たことを考える。
 それはきっと、何よりその笛を奏でているのが、羽郁が愛してやまない婚約者だから、なのだろう。それが自分のことのように嬉しく、誇らしい。
 笛の音が途切れ、舞が終わる。それと同時に真影は、儀式神殿の前に据えられた三本の大きな柱のてっぺんの篝火に、同時に火が灯した。――三火祭の語源でもある、煌々と燃え立つ三つの炎。
 一気に、里の方から賑やかな気配が押し寄せた。里の住人にとってはここからが、祭の本番だ。
 姫、とタカラが呼びかけた。

「これから、どうなさいますか? 木原さん達にはお部屋でお待ち頂いてますが」
「もちろん、夜店に繰り出すわよ! 急いで着替えるのよ、タカラ」

 すべての儀式を終えたら、今日の真影の役割はおしまいだ。後は遊んでも罰は当たるまい、と力強く言い切った真影に、タカラが破顔して「畏まりました、姫」と頷く。
 実のところ、真影がこうしておとなしく、粛々と儀式を恙無く終えた一つの理由は、一刻も早く終わらせて皆で夜店に遊びに行きたい! という欲求の為だったのだ。だからほとんど脱ぎ捨てるような勢いで、儀式用の衣装から簡素な巫女服へと着替えた真影は、同じく着替えた羽郁や柚李葉、タカラ、高晃達とともに、いそいそと里へと下りていったのだった。





 夜祭は盛況だった。里に近付くにつれて、ぽつり、ともる灯りが一つ、二つと増えていき、耳を澄ませば賑やかな祭囃子が聞こえてくる。それにつれて自然、祭へと向かう足取りもうきうきと楽しげなものになってくるのが、自分でも解る。
 だから真影はもちろんの事、みんな、目いっぱい夜祭を楽しんだ。金魚すくいにりんご飴、氷菓子、射的に冷やし胡瓜。
 目の前を行く羽郁と柚李葉は、仲良く手を繋いで、そんな1つ1つをじっくりと眺め、楽しんでいるようだった。ふわぁ、と珊瑚としじまが顔を見合わせて、ほんのちょっとくすぐったそうにそんな様子を見つめているのに気がつくと、ぱっと顔を赤らめてわたわたする柚李葉が、可愛いと思う。

「しじまちゃんと珊瑚ちゃんは、誰か、好きな人は居ないの?」

 だからつい、からかう気持ちも込めてそう尋ねたら、少女達は顔を見合わせた後、揃ってふるると首を振った。

「私はこの春、御師から1人立ちを許されましたけど、まだまだ至らない事ばかりで、とても他の事は考えられません」
「わ、私は、その‥‥清月には御師しか、いらっしゃいませんし‥‥その、早く、1人前の陰陽師に、なりたくて‥‥」
「ふぅん‥‥じゃあ、木原さんはどうなんですか?」
「ん? 俺はまぁ、のんびりと、だな」

 少女達の言葉を聞いて、ひょい、と高晃に話題を振ったのは、しじまの眼差しがちらりと伺うように彼へと向けられていたからで。その当の高晃はといえば、真影の言葉にそう肩を竦めると、顔を顰めて「大体、御師の世話が忙しくてそれどころじゃないしな」と妹弟子と似たようなことを嘯いた。そんな高晃、実はたまーに依頼先で一方的に一目惚れされては断ったりしてるのだが、本人にあまり自覚はない。
 微妙に気まずくなった空気を払拭するように、柚李葉が「しじまさん、珊瑚さん」と少女達に声をかけた。

「あっちに細工飴がありますよッ。一緒に食べましょうッ」
「細工、飴‥‥?」
「飴を好きな形に細工してくれる屋台よ。しじまさんは初めて?」
「その、村には、あまり来なかったから‥‥」

 柚李葉の言葉に、きょとん、と首をかしげたしじまを引っ張って、珊瑚がぱっと顔を輝かせて柚李葉と一緒に、細工飴の屋台へと歩いていく。どうやら珊瑚の方は、この年頃の少女に多いように、甘いものが大好きらしい。
 ちら、とタカラを見上げると、もちろん人前では手を繋ぐ事は愚か、恋人らしい雰囲気の欠片も見せない婚約者は、くすりと笑った。

「姫も何か、召し上がりますか? 何でもお好きなものを奢って差し上げますよ」
「‥‥ほんと?」
「えぇ。儀式を頑張られたご褒美です」

 それはいつぞやの繰り返しのような言葉で、思い出して真影はちょっと、懐かしくて、嬉しくなる。あの頃自分は、長としての修行に疲れ果てて、単身、屋敷を抜け出し甘味屋へと向かったのだ――
 今の自分は長となり、その義務を果たすべく動いているのだから、ご褒美と子供扱いされるのはちょっと、違う気もする。けれどもこんな時だからこそあえて子供扱いをするのが、タカラの自分への気遣いなのだろう。
 だから真影は笑って頷くと、柚李葉達の背中を追って、細工飴の屋台へと近付いていった。長の屋敷の一ノ姫のことは誰もが知っているから、真影様、姫様、と周りから声がかけられるのに、笑って愛想を振りまきながら、飴細工を笑顔で頬張る。
 ――賑やかな祭りの喧騒は、翌日になるといや増した。昼間ということもあってだろうか、前夜に増して見渡す限りの屋台が立ち並び、ちょっと進むのにも人混みに困るくらいで。
 せっかくだから今日の真影は、紺地に紅椿の刺繍をぱっと咲かせた、華やかな浴衣でその人ごみの中に、居た。傍らを歩くタカラはと言えば、白地に紫で刺繍を施した、彼らしい淡い色使いの浴衣だ。
 そんなタカラとはぐれないよう、しっかり袖を掴みながら、真影は知らず、大きな息を吐いた。この人混みのせいで、柚李葉と羽郁、しじま、珊瑚とはいつの間にか離れ離れになってしまったのだ。
 せっかくのお祭なのに、と思わないでもないけれど、これもまた祭の醍醐味と言えばそんなもので。広い里ではないのだからいずれどこかで会えるだろうし、屋敷に戻れば会えるに決まっているのだけれども。
 この、何もかもを飲み込んでしまいそうな、人混み。彼女が受け継ぎ、支え、繁栄させていくべき人々。里の営み。彼女が、自ら選んで背負った、もの。
 このどこかに羽郁達が居るのだと、思いながら知らず、タカラに問いかけた。

「柚李葉ちゃん達、無事かしら?」
「二ノ君様がご一緒ですから、大丈夫でしょう。木原さんもご心配でしょうけれども、句倶理で決して危険な目には合わせませんので」
「ん、俺は心配してないから大丈夫だ。ああ見えて、珊瑚もしじまもしっかりしてるからな」

 タカラにそう言われて、高晃はいつもの調子でひょい、と肩を竦めて、乱れた浴衣を少し引っ張って直す。彼が来ている浴衣も、せっかくだからと屋敷で用意したものだが、もみくちゃになったお陰でさっきからひっきりなしに、袂の辺りが緩んでしまうようだ。
 ふ、と気になって自分の袂を見下ろすと、察したタカラが苦笑する。

「姫は大丈夫ですよ――万が一の事があったら、僕以外の男にそんなお姿を見させるわけには行きませんから、浚って逃げます」
「その方が恥ずかしいわよ! あたしだって、その‥‥見られたいわけじゃ、ないし!」
「そうですか? なら、安心ですね」

 どこまでが本気でどこまでが冗談なのか、涼やかな笑顔を崩さないタカラの言葉に、いきなり何を言い出すのかと真っ赤になって反論したら、聞いていた高晃が「あんた達、仲が良いな」と微笑ましそうな眼差しで何度も頷いた。木原高晃、根本的なところでどこか、鈍いというか、感覚がズレている男であった。





 夜の星見櫓からは、その名に相応しく、満天の星が見渡せる。それはまさしく降るような、手を伸ばせば掬い取れそうなほどの、数え切れない小さな輝き。
 空から地上へと視線を移せば、今もなお賑やかに盛り上がる夜店の灯り。それもまた地上に散らばる数多の星のように見えて、真影は僅かに目を細め、愛おしそうにその輝きを見つめた。
 きし、と階の鳴る音が聞こえて、ちらり、視線を向ける。そこに待ち人の姿を認めて、真影はくるりと半身で振り返り、ほんの少し唇を尖らせた。

「遅いじゃない」
「すみません。少し、処理しなければならない案件が立て込みまして」

 そんな真影の言葉に、タカラは涼やかな笑みを浮かべて階を登りきると、真影の元へと近付いてくる。それは子供を宥めるような響きを持っていて、けれどもそれが本当の事だとも解っているから、真影はそれ以上は何も言わず、ただ少し眼差しを逸らした。
 真影が出来る限り今までと変わらず動けるように、タカラは叶う限りに心を砕いて、彼で処理出来る案件は片付けようとしてくれている。もちろん真影でなければ処理できない事もあるし、ある程度は『これは姫のお仕事ですから』と涼やかな笑顔で手渡してきたりもするのだけれども、気付けばそれよりはるかに膨大な量を、タカラが密かに処理してくれていた、何てこともあるくらいだ。
 いつだったか、それを尋ねたらタカラは当たり前の顔で、これが僕の仕事ですから、と返したものだ。それが彼の仕事で――彼がここに、真影の傍らに側近として立つ意義だから、と。
 真影は、そんな事を彼に求めているわけではないけれども。それも含めて、彼が彼の存在理由として、それを定めてしまっているのだから、それはもはや真影が口を出すようなことでも、なく。
 だから真影はそう、とただ頷いて、タカラが近づいてくるのを見守った。そうして、事前に人払いをしてあるからこそ安心して寄り添ってくる、タカラにそっと身を寄せる。
 夏の夜空に、涼しい風が吹きぬけた。思えば去年の今頃は、やはりこうして星見櫓で、これからの事を2人で話し合っていたのだ。
 それからひどく、長い時間が過ぎたように、思う。それでいてまるで、瞬きするほどあっという間に過ぎ去ってしまったようにも、思え。

「――来年はどうしてると、思う?」
「少なくとも、王理姫のお側にいる事は確かですよ」

 戯れのように問いかけたら、同じことを思っていたのだろう、くすりと笑ったタカラがそう返した。それがなんだかくすぐったくて、真影もまたくすくす笑う。‥‥ゆっくりと、胸の中を暖かなものが、満たしていく。
 寄り添い触れ合った場所から伝わる温もりと、タカラの言葉から、眼差しから、向けられる感情の全てから伝わる、温もり。そっと、彼の手が真影の頬に添えられて。

「‥‥愛してますよ、我が君」
「うん‥‥愛してる、多嘉良」

 吐息のように囁かれた言葉に、囁き返した唇を、タカラのそれが優しく覆った。それを見ていたのはただ、夜空の星達だけ、だった――





 翌日は、朝から目の回るような忙しさだった。三火祭に併せて、真影の当主就任式も一緒に行う事になっているからだ。

「姫様、こちらはどうすれば――」
「それはタカラに任せてあるわ」
「真影様、お衣装が」
「後で行くわ。会場の準備は抜かりない?」
「はい、滞りなく」

 とにかく神殿と本邸を行ったり来たりしては、あちらで沐浴潔斎をして、こちらで式典の準備を確かめて、そちらで家人に指示を出して。真影ももちろん忙しかったけれども、今日は朝から殆ど顔を見ないタカラもまた、就任式の全体的な進行を確認したりと、仕事に忙殺されているはずだった。
 それでも、その合間を縫ってさらに真影のサポートや、客人の持て成しをしているのだから、たいした物だ。何とか午後の隙間を見て、やっと羽郁の部屋に顔を出してそれを聞いた真影は、我が恋人ながら一体どんな働き方をしているのかと、正直、心配になってしまった。
 後で何か、労った方が良いのかも知れない。どこかに遊びに行くとか、美味しいものを食べに行くとか――けれども今日を終えて正式に当主となってしまえば、そもそも真影にそんな余裕は残されているだろうか――?

(父様くらい余裕でこなせるようになるのは、まだまだ先だろうし‥‥)

 前当主でもあった実の父の、当主としての手腕も遺憾なく発揮しながら、同時に時には開拓者としての依頼を受けたり、余暇を楽しむ素振りすらあった姿を思い出して、遠い眼差しになる。あの頃も父は化け物だと思っていたけれど、今は別の意味でもやっぱり、化け物だと思うようになった。
 そんな真影を、柚李葉と珊瑚、しじまが心配そうに覗き込んだ。それに気付いて真影はぱたぱた、顔の前で両手を振る。

「あ、ごめん。なんでもないの。――そうだ、珊瑚ちゃんとしじまちゃんにこれをあげようと思って、持ってきたのよ」
「これは‥‥?」
「あたしの、陰陽術の独学時代の教本。前に言ったでしょ? あたしは誰かに術を習ったり、出来なかったから」

 巫女を多く産出する石鏡にあって、巫女の一族である句倶理に生まれた真影は、陰陽術を誰かに学ぶ事が出来なかった。だから代わりにこうして教本を読み、自ら術を学び、習得しようとしたのだ。
 それが、これから1人前の陰陽師として活躍しようとする珊瑚と、陰陽師を目指して修行を続けるしじまの、役に立てば。偶然こうして共に過ごす時間を得られたのも良い機会だと、真影は昔使っていた小折を引っくり返して、準備の合間を縫っては教本を探していたのだった。
 そう、言いながら2人に手渡した教本は、古びて、所々汚れたり、折れ曲がったりしている。真影が読み込んで学び、実践してはまた読み込み、としているうちについてしまった、言うなれば真影と共に歩んできた本だった。

「‥‥あの、ありがとう、ございます‥‥大切に、します‥‥!」
「新たな修行の指針にさせて頂きます。ありがとうございます」
「良かった」

 ぎゅっ、と大切に胸に抱き締めて、ぺこりと頭を下げたしじまと、そうっと両手に捧げるように持って真っ直ぐ礼を言った珊瑚に、にっこり笑う。そうして幾らもしないうちに、また慌しく部屋を出た真影は、再び神殿と本邸を行ったり来たりしては、就任式の準備に努め。
 気付けば夜になっていた、というのが正しいくらいの目まぐるしさで、沐浴潔斎を終え、全ての衣装を調えて、真影は特設櫓の控えの間で、その時を待っていた。その時――儀式が始まり、句倶理の民全ての前で、自らが長であると宣言する時。
 知らず、緊張が胸の奥から湧き上がってくるのを、意識してゆっくり息を吸って、吐いて、抑える。そうして、控えの間に誰かが入ってきた気配にちらり、眼差しを向けてそれがタカラだと悟った真影は、けれども彼の様子がどこかおかしいのに気付いてこくり、小さく首をかしげた。

「――タカラ? どうしたの?」
「いえ――なんでもありません。それより、お似合いですよ、姫」
「これ? 頭が重いけど、就任式の間だけだし、仕方ないわよね」

 真影の衣装に目を細めたタカラの言葉に、何かを隠しているような違和感を感じながらも、真影はくすりと苦笑して己の全身をゆっくり、見回した。それはひどく煌びやかで、艶やかな――鮮やかな、衣装。
 髪は鬘で結い上げて、大振りの金と鼈甲の簪や、様々の金銀細工の簪で何本も留め、見るからに華やかな装いとなっていた。とはいえ鬘の分だけでも重いのに、そこにさらに幾つもの装飾品が加わるのだから、思いとぼやくぐらいは許して欲しいものだ。
 そうですか、とタカラは目を細めたまま、その姿を目に焼き付けようとするかのように、ただじっと見つめていた。それにそろそろ居心地が悪くなってきた頃、控えの間の外から「そろそろ」と声がかかる。
 ふ、とタカラがいつもの表情に戻って、解った、と頷いた。それに呪縛が解かれたように、真影も寛いでいた椅子から立ち上がり、櫓舞台へとゆっくり、進み。
 タカラが、己の在るべき場所に戻っていくのを見送って、真影はもう一度、深呼吸をした。吸って、吐いて。また吸って。
 そうして合図と同時に一歩、踏み出すと集まった里人達が、シーン、と静まり返るのが解った。恐らくこの衣装に目を奪われているのだろうと、真影は意識して堂々とした足取りで前へ進みながら、考える。
 伝えられるところによれば、真影が今身に纏っているこの衣装は、初代の姫長が正装としていた、といわれているものだ。鮮やかな紅と黄金色、そうして輝く夜闇を思わせる漆黒が品良くあしらわれた、長い年月を経たとは思えないほど美しい衣装。
 高貴で、艶やか。清楚で、華やか。
 そんな衣装を目の当たりにして、目を奪われる事は無理のない話だった。そう思いながら櫓舞台の中央に立つと、一拍を置いた後、羽郁が舞台の脇から力強く宣言する。

「我らの新たな句倶理王・真影姫である!」

 句倶理の武人の正装である、蒼と銀と黒基調の直垂と略式具足に身を包んだ羽郁は、それでも血を分けた双子だからか、他の兵士達よりもはっきりと際立って見えた。それを眼差しの端で確かめながら、すぅ、と真影は息を吸い。
 腹の底から響き渡るような声で、宣言する。

「我は第13代句倶理王である!」

 ――その宣言に、一瞬の静寂の後、歓声が響き渡った。新たな王の誕生を寿ぎ、祝う民達の声。句倶理の新たな時代の幕開けを喜ぶ、人々の喜びの声。
 これが、自分がこれから背負い、守り、繁栄させるべき民なのだ――先日も思ったことを、真影はまた、思う。その事実を噛み締めて、その重みを深く胸に刻み込む。
 ポーン、と鼓の音が響いた。タカラが叩く、鼓の音だ。
 薄紫の束帯に身を包み、舞台の脇に控えたタカラが真っ直ぐに真影を見ながら、語りかけるように一つ、二つ、鼓を打つ。それに応えるように真影は、ゆっくりと滑るように滑らかに舞い始めた。
 それは昔から定められた、長の舞。句倶理の奉じる精霊に捧げる舞であり、句倶理の民に新たな長を披露目る、舞。
 緩急をつけて、鼓が響く。それに併せて、真影が舞う。ひらり、ひらり。艶やかに。鮮やかに。華やかに――

(今日から、あたしが長に、なる――)

 身体が最早覚えてしまった舞をなぞりながら、真影は改めてその事実を噛み締めていた。体中に響き渡る民の歓声を、一身に受け止めながら。



 今年の句倶理の三火祭は、こうして更けていったのだった。





━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
【整理番号 /     PC名     / 性別 / 年齢 /  職業 】
 ia0859  /    佐伯 柚李葉   / 女  / 17  / 巫女
 ia0490  /    玖堂 真影    / 女  / 19  / 陰陽師
 ia0862  /    玖堂 羽郁    / 男  / 19  / サムライ
 ib3236  / タカラ・ルフェルバート / 男  / 29  / 陰陽師

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛

いつもお世話になっております、蓮華・水無月でございます。
この度はご発注頂きましてありがとうございました。
そうしていつもながら、お届けが遅くなってしまって、申し訳ございません‥‥orz

お嬢様の新たな始まりを告げる祭りの物語、如何でしたでしょうか。
なんというか、想像とか、アレンジの部分がやや、多くなってしまったやも知れません、が‥‥ッ(汗
何か、イメージしていたものと違う、というようなところが在られましたら、いつでもお気軽にリテイク頂ければ幸いです(かくり

お嬢様のイメージ通りの、新たな責務を噛み締めるノベルになっていれば良いのですけれども。

それでは、これにて失礼致します(深々と
常夏のドリームノベル -
蓮華・水無月 クリエイターズルームへ
舵天照 -DTS-
2012年09月28日

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