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『夏祭りの夜。〜始める日 』
タカラ・ルフェルバート(ib3236)

 三火祭(ミホマツリ)、という祭が、ある。夏に行われるそれは、句倶理の里の夏の風物詩として例年、里の民に親しまれているものだ。
 それはタカラ・ルフェルバート(ib3236)にとってもそう、大きく変わるものではなかった。彼自身は句倶理で生まれ育ったとは言い難く、また長い間句倶理そのものを離れても居たのでそこまで馴染みはないけれども、幼かった頃には従妹たちと一緒に楽しんだ記憶は、ある。
 とはいえそれはどちらかと言えば、大切な、そうして今では主であり、愛する婚約者でもある玖堂 真影(ia0490)と過ごした思い出だから、というものであって。タカラにとっての三火祭は句倶理に戻ってきてからの、仕事として差配をするようになってからの印象が、強かった――去年までは。
 今年は、違う。それを思いながら歩いていたら、ふと傍らを行く真影がため息を吐いたような気がして、姫、と微笑みかけた。

「お疲れになられましたか?」
「大丈夫よ。それに、急がなきゃ今日中に、句倶理まで戻れないじゃない」
「畏まりました」

 タカラの言葉に真っ直ぐ前を見つめ、歩きながらそう返した真影にちょっと笑ってしまったのは、彼女の様子がどこか子供のように拗ねて感じられたからだ。とはいえ安雲の往来では、どこに既知がいるとも知れず、それ以上の言葉を紡ぐ事はない。
 婚約者なんだから良いんじゃないのかと、何も知らぬ句倶理の家人には言われたりする事も、あるけれども。句倶理という場所は、そうしてその頂点に今や立った真影の立場は、そう容易いものではない。
 ――三火祭。去年まではただ、夏の風物詩という意味合いを持っていたそれは、今年は真影の当主就任式の場でも、ある。
 だから、どこで見られているかも解らない場所で、隙は見せられないし。今宵、行われる三火祭に遅れるわけにも行かない、と――改めて前を見据えて考えながら歩いていたタカラは、真影が不意に足を止めたのに気付き、姫? と声をかけた。
 だが、どうやらタカラの声は聞こえていないらしい。彼女はきょとん、とした顔で前を、前からやってきていた旅人をじっと、見つめていて――

「木原、さん? しじまちゃんに‥‥珊瑚ちゃんも‥‥?」
「――ん?」

 突然、彼らにそう呼びかけた真影に、呼びかけられた木原高晃は不思議そうに振り返った。そうして真影と目が合って、驚いたように軽く目を見張った後、をぉ、と気さくに相好を崩す。
 一緒に歩いていた清月しじまと、清月珊瑚が高晃の声に振り返り、同じく真影を見て軽く驚きを表すと、ぺこりと頭を下げた。前者はおずおずと、後者は礼儀正しく。
 そんな3人と、真影を見比べてタカラはもう一度、姫? と声をかけた。それに「友達よ」と簡単に紹介した真影は、ひどく嬉しそうな足取りで彼らに近付いていく。
 どうやら間違いなく、彼らは真影の知人らしい。真影に親しげに笑いかける高晃を見ながら、タカラはそう判断し、ようやく胸のうちに沸いた警戒を解いた。
 ひょい、と肩を竦めた高晃は、どうやら気さくな人物らしい。

「久し振りだな。その格好だと、依頼って事はなさそうだが」
「ええ、違います。ちょっと所用があって、安雲の別邸まで来たんですけれど‥‥木原さんは?」
「ん? 俺は里帰りって奴だな。ついでに御師に、しじまと珊瑚も物見遊山させてやれ、って言われてな」
「す、すみません‥‥あの、私が御師に、石鏡について伺ったら、ちょうど良い機会だ、って‥‥」
「しじまさんが気にする事はないわ。二胡兄は帰られる所だったんだし、御師はきっと、いつも頑張ってるしじまさんに、息抜きをさせてあげようとお考えなんだと思う」

 恐縮したしじまに、珊瑚が笑いながらも真面目な口調でそう諭す様は、どうかすれば姉妹にも見えた。だが会話を聞く限りでは、そうではなくて――恐らくは何か、共通の師を持つ弟子同士、なのか。
 そんな事を考えていたら、真影が柔らかく頬を綻ばせ、ねぇ、と言った。

「うちの里でちょうど、今日から祭をやるんです。せっかくだから遊びに来ませんか? 良かったら、うちの屋敷に泊まって行って下さい」
「をぉ? そりゃ助かるが、迷惑じゃないか?」
「とんでもない。弟達も喜びます――良いでしょ、タカラ?」
「もちろん、姫のお知り合いの方でしたら、喜んでお持て成しさせて頂きます」

 真影の言葉に、タカラはいつもの涼しい笑みで頷いて、3人に丁寧に頭を下げる。真影の客人ならば、それはタカラが真影の次に仕えなければならない相手といっても過言ではない。
 タカラの答えに、真影がほっと息を吐いて彼らを促すと、再び句倶理の里へと帰るべく、足を動かし始めた。その表情が先程よりも、遥かに明るく浮き立つようだったので、タカラは心の中でこの客人達に感謝した。





 タカラ達が句倶理の里へと帰りついたのは、そろそろ夕方にさしかかろうかという頃だった。予定外の出来事はあったが、予定通りに辿り着けた、とタカラは日の加減を見ながら考える。
 出迎えた使用人が、真影の弟・玖堂 羽郁(ia0862)の婚約者がすでに到着している事を告げた。そう、と頷いた真影がタカラと、高晃達を振り返る。

「タカラ、木原さん達を案内してあげて。あたしは着替えてから行くわ」
「畏まりました、姫。――二ノ君のお部屋へご案内します。こちらへ」
「ん。悪いな」

 タカラの言葉に当たり前に頷いたのは高晃だけで、その後ろに続く珊瑚としじまはと言えば、ぽかんと屋敷をあちこち見回しながら、互いに手を取り合っている状態だった。恐らく、高晃がこういった屋敷に慣れている――というよりは、あまり考えていないのかもしれない、とタカラは道中の高晃の様子を思い出しながら、考える。
 そんな彼らを連れて本邸の回廊を抜け、羽郁と真影が住まう対屋までの道のりを、タカラはこの客人達が景色を楽しめるよう、心持ちゆっくりと足を進めた。

「後ほど改めてご案内しますが、皆様のお部屋はあちらの棟に用意させて頂きます。ごゆるりと寛がれますよう。何か在りましたら女房にお申し付け下さい」
「をぉ、解った。いや、それにしても‥‥なんか、凄い家だな」
「二胡兄‥‥」
「今やっと、ですか‥‥?」

 歩きながら説明するタカラの言葉に、しみじみと呟いた高晃を、両側から珊瑚としじまが些か冷たい眼差しで見上げる。それに居心地悪そうに頭をかいて、視線を泳がせる様が微笑ましくて、客人には失礼と思いながらもタカラはつい、くすりと笑ってしまった。
 そうして辿りついた羽郁の部屋で、中から羽郁と、その婚約者である佐伯 柚李葉(ia0859)の話し声が聞こえるのを確かめてから、入り口の所ですっと座って中に声をかける。

「二ノ君。一ノ姫のお客人を案内して参りました」
「え、姉ちゃんの‥‥?」

 タカラの口調から、公式な客人ではないと判断したのだろう。些か砕けた口調でそういった羽郁は、不思議そうな顔を覗かせると、タカラの後ろに居る客人を見て「あ」と驚きの表情になった。

「木原さん!? しじまちゃんに、珊瑚ちゃんも‥‥え、何でタカラと、っていうか姉ちゃんと?」
「え、木原さん達が?」

 そうして響いた驚きの声に、中から柚李葉もひょいと顔を出して、驚きの眼差しで客人たちを見つめている。それに、どこか居心地の悪そうに苦笑いをした客人達に、ほんの少し同情を覚えた。
 とはいえここは往来だ。基本的には双子しか使わない対屋とはいえ、行き来する家人もいるし、中庭ごしに他の棟から見ることも出来る。
 こほん、と咳払いをすると、幸い、羽郁はそれに気付いたようで、「とりあえず、入って下さい」と高晃達を招き入れた。それに深々と頭を下げてから、タカラは慌しい主殿の方へと足を向ける。
 不在の間に恐らく、仕事は増えている事だろう。それに、せっかくの懐かしい客人達や、真影にとっては親友でもある柚李葉と少しでもゆっくり過ごさせてやる為にも、ある程度はタカラが処理をしておく必要がある。
 そのために自分は彼女の傍らに居るのだと、思う。長としての険しい道のりを選んだ彼女だけれども、だからこそ、彼女が彼女らしく過ごせる時間を守るのは、自分の役割なのだ、と。
 だからある程度の雑事をこなし、儀式の手順を確かめて、もうそろそろ真影が居なければ後の処理が進まない、というところまで来た頃、再びタカラは羽郁の部屋を訪れた。そうして中から聞こえてくる、真影の弾んだ声にほっと、細く息を吐き。

「御主殿、そろそろ――」
「――もうそんな時間? ごめんなさい、あたしそろそろ、行かなくちゃ」
「気にしないで、真影さん。お仕事、頑張ってね」
「木原さんも、しじまちゃんや珊瑚ちゃんも、ゆっくりしていってね。羽郁、頼んだわよ」

 部屋の外から呼びかけると、真影がそう言いながら慌ただしく部屋から出て来た。そうしてタカラの姿をちらりと見て、そのまま主殿へと向かって歩き出す。
 部屋の外で頭を下げたまま、真影が出てくるのを待っていたタカラは、流れるような所作でその後ろに従った。そうして真影が不在の間に処理をした事柄を、彼女の手間を取らせないよう簡潔に報告する。
 それに幾つか質問が来たのに答え、新たに出された指示に頷き、またタカラは真影を離れて本邸中を動き回った。
 実質上の長である真影の役割は、彼女自身が何かを為すと言うよりは、何を為すべきかを的確に先読みし、判断し、指示を出し、その責を負う――といった部分が多い。そうしてその側近であるタカラの役割は、そんな彼女の先をさらに読み、彼女を支え、従う事だ。
 道すがらに家人達が、やれ宴の料理がだの、そろそろ里に触れを出した方がだの、様々に声をかけてくる。それに答えを返しながら真影に出された指示を必要な箇所に告げ、そうして新たに指示を出し、指示を仰ぎに祭事神殿に行き――

「――タカラが居て良かったわ」
「突然ですね、御主殿」

 それらの煩雑な用事をすべて片付け、後は儀式が始まるのを待つばかりとなった頃、そばに人が居ないのを見計らってぽつり、呟いた真影にタカラは小さく苦笑した。そうして「王理姫の為ですから」と誰にも聞こえないように、耳元で小さく、囁く。
 これが先の当主であった伯父の為ならば、ここまで動けたかは怪しかった。伯父の側近で居た頃のタカラは、もちろん今と同じ位に優秀な家臣であったけれども、それはただひとえに真影の傍らに立つ為の力を手に入れようとしていたからだ。
 そう思えば、今も昔も、タカラが動くのはただ真影のためだけだ。そんな意味を込めた囁きに、うん、と頷いた真影は一度だけ、軽く目を閉じて。
 そうして目を開いた時、そこに居るのは『真影』ではなかった。その表現は適切ではないかもしれないが、だがそれ以外の表現方法があるかと言われれば恐らく、ない。
 立ち上がった真影を、だからタカラは眩しそうに見上げてから、軽く頭を下げて先に立った。そうして儀式の場へと、独特の足取りで先導する彼の後ろを、真影がゆっくりついてくる。
 祭事神殿にはすでに、多くの人々が顔を揃えていた。そこには、羽郁や柚李葉の姿もある。リラックスした様子の羽郁の傍らで、緊張した様子でぎゅっとお守りのように横笛を握り締めている柚李葉の衣装は、儀式に相応しいものをと羽郁と真影で用意したものだ。
 誰もが出席できる、という儀式ではないから、それでも顔ぶれは少ない。多くの里人は神殿の外で、儀式の様子を伺うように見つめているだけだ。
 真影の到着を待って、その儀式は始まった。何度も練習していた口上を述べ、堂々とした所作で儀式を進める真影に伴って、タカラを含む周りの人間も、要所要所で己に割り当てられた役割を、果たす。
 柚李葉の横笛が、夏の夜空に澄んだ音色を響かせた。それに合わせて舞を踏むのは、舞衣装に身を包んだ羽郁だ。
 まさに一対の絵のようだと、どこか他所事のように考える。公に出来ないとはいえ従弟に向けるにしては、些か他人事過ぎたかもしれないと、己でも苦笑するくらいにそれは、現実感のない光景で。
 笛の音が途切れ、舞が終わる。それと同時に真影が、儀式神殿の前に据えられた三本の大きな柱のてっぺんの篝火に、同時に火が灯した。――三火祭の語源でもある、煌々と燃え立つ三つの炎。
 一気に、里の方から賑やかな気配が押し寄せた。里の住人にとってはここからが、祭の本番だ。
 姫、とタカラはすべてを終え、ほっとした様子の真影に呼びかけた。

「これから、どうなさいますか? 木原さん達にはお部屋でお待ち頂いてますが」
「もちろん、夜店に繰り出すわよ! 急いで着替えるのよ、タカラ」
「畏まりました、姫」

 それに拳を握らんばかりの勢いで力強く言い切った真影に、タカラはつい破顔して頷く。ここに居るのは『真影』だと、当たり前の事を考え、少し嬉しくなったのが自分でも不思議だ。
 当然一緒に行くもの、という態度の彼女に従って、タカラも急いで儀式用の衣装から簡素な狩衣へと着替えたタカラは、同じく着替えた真影や羽郁、柚李葉、高晃達とともに、里へと下りていったのだった。





 夜祭は盛況だった。里に近付くにつれて、ぽつり、ともる灯りが一つ、二つと増えていき、耳を澄ませば賑やかな祭囃子が聞こえてくる。それにつれて自然、祭へと向かう皆の足取りもうきうきと楽しげなものになっていくのを、タカラは眩しいような気持ちで見つめた。
 夜店はいろいろな種類があって、金魚すくいにりんご飴、氷菓子、射的に冷やし胡瓜。タカラ自身も1つ1つの屋台を覗きながら、真影が嬉しそうにはしゃいでいるのを眩しく、見つめる。
 先を行く羽郁と柚李葉もまた、仲良く手を繋いで、そんな1つ1つをじっくりと眺め、楽しんでいるようだった。ふわぁ、と珊瑚としじまが顔を見合わせて、ほんのちょっとくすぐったそうにそんな様子を見つめているのに気がつくと、ぱっと顔を赤らめてわたわたする柚李葉が、微笑ましい。
 それに何を思ったのだろうか、真影が不意にからかうような口調で、珊瑚としじまを振り返って問いかけた。

「しじまちゃんと珊瑚ちゃんは、誰か、好きな人は居ないの?」
「私はこの春、御師から1人立ちを許されましたけど、まだまだ至らない事ばかりで、とても他の事は考えられません」
「わ、私は、その‥‥清月には御師しか、いらっしゃいませんし‥‥その、早く、1人前の陰陽師に、なりたくて‥‥」
「ふぅん‥‥じゃあ、木原さんはどうなんですか?」
「ん? 俺はまぁ、のんびりと、だな」

 それに少女達は顔を見合わせた後、揃ってふるると首を振る。だがちらりとしじまが高晃を覗ったのに気づいたのだろう、ひょい、と高晃に話題を振った真影に、振られた当の高晃はといえばひょいと肩を竦めると、顔を顰めて「大体、御師の世話が忙しくてそれどころじゃないしな」と妹弟子と似たようなことを嘯いた。
 何となく、この人は決定的にどこかが鈍いのかもしれない、という気が、する。とはいえ親しくもないタカラが、客人でもある彼に言うことではないのは、確かだが。
 微妙に気まずくなった空気を払拭するように、柚李葉が「しじまさん、珊瑚さん」と少女達に声をかけた。

「あっちに細工飴がありますよッ。一緒に食べましょうッ」
「細工、飴‥‥?」
「飴を好きな形に細工してくれる屋台よ。しじまさんは初めて?」
「その、村には、あまり来なかったから‥‥」

 柚李葉の言葉に、きょとん、と首をかしげたしじまを引っ張って、珊瑚がぱっと顔を輝かせて柚李葉と一緒に、細工飴の屋台へと歩いていく。どうやら珊瑚の方は、この年頃の少女に多いように、甘いものが大好きらしい。
 それを見送った真影が、ちら、とタカラを見上げてきた。人前では手を繋ぐ事は愚か、恋人らしい雰囲気の欠片も見せないように努めているけれども、こういうのは嬉しいものだとつい、くすりと笑う。

「姫も何か、召し上がりますか? 何でもお好きなものを奢って差し上げますよ」
「‥‥ほんと?」
「えぇ。儀式を頑張られたご褒美です」

 それはいつぞやの繰り返しのような言葉だと、思ったのは言ってからだ。きっと同じことを思い出したのだろう、真影は笑って頷くと、柚李葉達の背中を追って、細工飴の屋台へと近付いていく。
 長の屋敷の一ノ姫のことは誰もが知っているから、真影様、姫様、と周りから声がかけられる。それに、笑って愛想を振りまきながら、飴細工を笑顔で頬張る真影は、まるで儀式の時の彼女とは別人の、年相応の女の子のようにも、見えた。
 ――賑やかな祭りの喧騒は、翌日になるといや増した。昼間ということもあってだろうか、前夜に増して見渡す限りの屋台が立ち並び、ちょっと進むのにも人混みに困るくらいで。
 せっかくだから今日は浴衣で楽しもうと、言った真影に従って、今日のタカラは白地に紫で刺繍を施した、淡い色使いの浴衣だ。傍らで人混みに辟易としているらしい真影は、紺地に紅椿の刺繍をぱっと咲かせた、華やかな浴衣。
 はぐれないよう、しっかり袖を掴んでくる真影が大きな息を吐いた。と、思えばねぇ、とタカラの袖を引いて尋ねてくる。

「柚李葉ちゃん達、無事かしら?」
「二ノ君様がご一緒ですから、大丈夫でしょう」

 それを案じていたのかと、タカラは笑って請け負った。この人混みのせいで、柚李葉と羽郁、しじま、珊瑚とはいつの間にか離れ離れになってしまったのだ。
 とはいえ広い里ではないのだからいずれどこかで会えるだろうし、屋敷に戻れば会えるに決まっている。この句倶理でそうそう、羽郁に手を出して無事で済むものはいないだろうし。
 だが客人には不親切だったかもしれないと、思い直してタカラは高晃に声をかけた。

「木原さんもご心配でしょうけれども、句倶理で決して危険な目には合わせませんので」
「ん、俺は心配してないから大丈夫だ。ああ見えて、珊瑚もしじまもしっかりしてるからな」

 それに、高晃はいつもの調子でひょい、と肩を竦めて、乱れた浴衣を少し引っ張って直す。彼が来ている浴衣も、せっかくだからと屋敷で用意したものだが、もみくちゃになったお陰でさっきからひっきりなしに、袂の辺りが緩んでしまうようだ。
 この人混みでは、仕方のない事だった。と、気になったのか自分の袂を見下ろした真影に気付き、タカラは苦笑する。

「姫は大丈夫ですよ――万が一の事があったら、僕以外の男にそんなお姿を見させるわけには行きませんから、浚って逃げます」
「その方が恥ずかしいわよ! あたしだって、その‥‥見られたいわけじゃ、ないし!」
「そうですか? なら、安心ですね」

 顔を真っ赤にして、真剣にそう訴えて来る真影がつい愛おしくて、涼やかな笑顔を崩さないまま言葉を重ねるタカラに、聞いていた高晃が「あんた達、仲が良いな」と微笑ましそうな眼差しで何度も頷いた。木原高晃、根本的なところでどこか、鈍いというか、感覚がズレている男であった。





 夜の星見櫓からは、その名に相応しく、満天の星が見渡せる。それはまさしく降るような、手を伸ばせば掬い取れそうなほどの、数え切れない小さな輝き。
 出口の外に広がるその光景に目を細めながら、きし、と階を鳴らして昇っていたタカラは、待ち合わせていた真陰の姿を認め、微笑んだ。くるりと半身で振り返った彼女が、ほんの少し唇を尖らせる。

「遅いじゃない」
「すみません。少し、処理しなければならない案件が立て込みまして」

 そんな真影の言葉に、タカラは涼やかな笑みを浮かべて階を登りきると、真影の元へと近付きながら弁解した。それは彼女の怒りを宥める為の言葉であり、同時に掛け値のない真実でも、あって。
 真影はそれ以上は何も言わず、ただ少し眼差しを逸らした。そう、と頷いてまたタカラへと眼差しを戻した、彼女に静かに近付き、寄り添う。
 今夜、こうして真影と2人で過ごしたかったから、星見櫓からは事前に人払いをしてある。そうでなければ安心して、寄り添うことも出来はしない。
 真影がそんなタカラに、自分からもそっと身を寄せてきた。夏の夜空に、涼しい風が吹きぬける。思えば去年の今頃は、やはりこうして星見櫓で、これからの事を2人で話し合っていたのだ。
 それからひどく、長い時間が過ぎたように、思う。それでいてまるで、瞬きするほどあっという間に過ぎ去ってしまったようにも、思え。

「――来年はどうしてると、思う?」
「少なくとも、王理姫のお側にいる事は確かですよ」

 戯れのような問いかけに、同じことを思っていたとしり、くすりと笑ってタカラはそう返した。それに真影がくすくす笑う。‥‥ゆっくりと、胸の中を暖かなものが、満たしていく。
 寄り添い触れ合った場所から伝わる温もりと、真影の言葉から、眼差しから、向けられる感情の全てから伝わる、温もり。そっと、真影の頬に手を添えると、彼女は静かに見上げてきて。

「‥‥愛してますよ、我が君」
「うん‥‥愛してる、多嘉良」

 吐息のように囁いた言葉に、囁き返した愛しい人の唇を、タカラは自らの唇で優しく覆った。それを見ていたのはただ、夜空の星達だけ、だった――





 翌日は、朝から目の回るような忙しさだった。三火祭に併せて、真影の当主就任式も一緒に行う事になっているからだ。

「タカラ様、こちらはどうすれば――」
「それは御主殿の裁可が必要ですので、少し待っていてください」
「タカラ様、お衣装が」
「それは後で。進行の手順は大丈夫ですか?」
「はい、滞りなく」

 とにかく神殿と本邸を行ったり来たりしては、あちらで式典の準備を確かめて、こちらで家人に指示を出して、そちらで真影の補佐をして。とはいえ殆ど真影の顔を見る事もないほど、就任式の全体的な進行やら何やらで、タカラは忙殺されていた。
 それでも、その合間を縫って客人の持て成しも、忘れない。食事の手配にお茶の手配、時折は合間を見て不都合がないか確かめに部屋を訪れたりと、やって居たら高晃がしみじみ「あんた、大変じゃないか?」と自分達は放っておいてくれて構わないと申し出るほどだった。
 とはいえ、客人は客人。それを涼やかな笑顔で当たり障りなく辞退しながら、すべての手配を滞りなく済ませているうちに、いつしか時間はすっかり夜になっていた。
 すでに真影は先に、就任式のために作られた特設櫓へと向かい、控えの間で女房達によって着飾られているはずだ。急いで向かわなければと、薄紫の束帯姿に着替えて本邸を出た所で少し先を行く羽郁に気付き、タカラは「二ノ君」と声をかけた。

「宜しければ、途中までご一緒しませんか」
「――ああ」

 そう頷いた羽郁もまた、就任式用の句倶理の武人の正装である蒼と銀と黒基調の直垂と略式具足に身を包んでいる。柚李葉はもう少し着替えに時間がかかるようで、先に行ってほしいと頼まれたのだとか。
 そうですか、とそんな言葉に頷きながら、タカラは不意に、自分達が2人きりだという事に気がついた。ならば――ずっと気になっていた事実を、彼に確かめる良い機会かも、知れない。
 だからふと足を止めた、タカラに気付いて二、三歩先に進んでいた羽郁が立ち止まり、振り返った。そんな従弟を真っ直ぐ見つめ、胸に秘めていた言葉を紡ぎだす。

「‥‥ニノ君は、姫と共に父君と戦われると思っていました」

 それは、あの夜の事だ。真影が父に謀反を企み、実行に移した夜――けれどもあの日、すべてにおいて一対であるはずの彼は真影の傍らになく、そこに居たのはタカラだった。
 それはタカラに選ばれた誇らしさをもたらすと同時に、羽郁への疑念を抱かせる。それを、羽郁は明確に感じ取ったようだった。
 或いは、いつか聞かれると思ってすら居たのかも、知れない。ほんの少し息を吐いた彼は、あれは、と淀みない言葉を、吐いた。

「姉ちゃんの指示だったんだ。いざという時には姉ちゃんの代役を努める為に、オレは待機してろ、って」
「――代役? 二ノ君が?」

 その言葉に、つい、タカラは頓狂な声を上げてしまう。だが、タカラでなくともそれを聞けば、誰もが同じ反応を見せるはずだった。
 一対とはいえ、真影と違ってそも、羽郁は句倶理の通力が微弱だ。そんな彼が真影の代役など務まるはずもないのに――そう、言外に告げたも同然のタカラに、さらりと羽郁は当たり前に、当たり前ではない言葉を、続ける。

「万一の時は、姉ちゃんの心臓を喰らって通力を高めて、例の禁術を実行する予定だった」
「‥‥!」
「タカラなら、解るだろう?」

 複雑な笑みの従弟に、自分が果たして頷いたのかどうか、解らない。それほどに、羽郁の告げた言葉はひどく、衝撃的だった。
 禁術『心喰い』。相手の心臓を食す事でその力を吸収する、氏族でも迷信じみた術――だが、一対たるこの双子ならば、確かに発動するのかも、知れない。
 それほどに、と知らず、タカラは呻いた。先の謀反の折にも、自分にすら隠して準備を進めていた真影に嫉妬にも似た感情を覚えたが、羽郁の話はそれ以上の衝撃をタカラに与えたのだ。
 それほどの、覚悟。それを抱けるこの双子を、主を頂く事の出来る誇らしさと、彼らへの敬意と――どうあってもタカラには入り込めない絆を持つ双子への、確かに存在する僅かな、嫉妬。
 どんなに愛を囁いても、真影と羽郁の間に結ばれた絆に勝る事はないのかもしれない。それを比べる事も間違っているのは解っているが、それでも自分と真影の間にあるもの以上に強固なものがあるのだと、まざまざと見せ付けられた敗北感。
 そんな複雑な気持ちに打ちのめされながら、タカラは再び羽郁と並んで特設櫓へと向かった。己の立ち居地へと向かう彼とそこで別れて、真影が居る控えの間へと足を向ける。
 そうして控えの間に足を踏み入れると、ちらり、真影が眼差しを向けた。それからこくり、小さく首をかしげる。

「――タカラ? どうしたの?」
「いえ――なんでもありません。それより、お似合いですよ、姫」
「これ? 頭が重いけど、就任式の間だけだし、仕方ないわよね」

 まだ動揺が隠しきれて居なかったかと、ため息を吐きたくなるのを笑顔で覆い隠しながら、タカラは真影の衣装に目を細めた。それに真影はくすりと苦笑して己の全身をゆっくり見回す。
 それはひどく煌びやかで、艶やかな――鮮やかな、衣装。髪は鬘で結い上げて、大振りの金と鼈甲の簪や、様々の金銀細工の簪で何本も留め、見るからに華やかな装いとなっている。
 そうですか、とタカラは目を細めて真影の艶姿をじっと、見つめた。自分でも不思議なほど、ただひたむきに――その姿を目に焼き付けようとするかのように。
 ふいに控えの間の外から「そろそろ」と声がかかった。それにふ、とタカラは瞬きして、解った、と頷く。
 真影が寛いでいた椅子から立ち上がり、櫓舞台へとゆっくり、進み始めたのを見つめてから、タカラもまた本来の居場所である、櫓舞台の脇へと向かった。ちょうど席に滑り込んだ頃、櫓舞台の上に変化が、現れる。
 一歩、踏み出してきた真影の姿に、里人達がシーン、と静まり返った。恐らくあの華やかな衣装に、そうしてそれを見事に纏った真影の美しさに、誰もが見惚れているのだろう。
 伝えられるところによれば、真影が今身に纏っているこの衣装は、初代の姫長が正装としていた、といわれているものだ。鮮やかな紅と黄金色、そうして輝く夜闇を思わせる漆黒が品良くあしらわれた、長い年月を経たとは思えないほど美しい衣装。
 高貴で、艶やか。清楚で、華やか。
 そんな衣装を目の当たりにして、しかもまるで昔から我が物であったかのようにしっくりと馴染む真影に目を奪われるのは、無理のない話だった。改めてその美しさに見惚れながら、そう思うタカラの前で真影が櫓舞台の中央に立ち。
 一拍を置いた後、羽郁が舞台の脇から力強く宣言した。

「我らの新たな句倶理王・真影姫である!」

 それに呼応するように、真影が大きな声で宣言する。

「我は第13代句倶理王である!」

 ――その宣言に、一瞬の静寂の後、歓声が響き渡った。新たな王の誕生を寿ぎ、祝う民達の声。句倶理の新たな時代の幕開けを喜ぶ、人々の喜びの声。
 ようやく本当の意味で新たな時代が始まったのだと、タカラは誇らしい気持ちでその言葉を聞いた。先代の時代は終わった。ここからが、新たな長の時代の、本当の意味での始まりなのだ。
 感慨深く真影を見上げながら、タカラは席の前にあらかじめ置いておいた、鼓をすっと手に取った。肩にのせ、ポーン、と軽く、高く響かせる。
 真っ直ぐに真影を見ながら、語りかけるように一つ、二つ。それに応えるように真影が、ゆっくりと滑るように滑らかに舞い始めた。
 それは昔から定められた、長の舞。句倶理の奉じる精霊に捧げる舞であり、句倶理の民に新たな長を披露目る、舞。
 緩急をつけて、鼓が響く。それに併せて、真影が舞う。ひらり、ひらり。艶やかに。鮮やかに。華やかに――

(――いつか、必ず超えて見せますよ)

 幾度も目にした舞を見つめながら、タカラはそう、胸の中で呟いた。使えるべき一対の双子。だが、それでもタカラはいつか、真影との絆で、彼らの間のそれを、超えてみせる、と。



 今年の句倶理の三火祭は、こうして更けていったのだった。





━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
【整理番号 /     PC名     / 性別 / 年齢 /  職業 】
 ia0859  /    佐伯 柚李葉   / 女  / 17  / 巫女
 ia0490  /    玖堂 真影    / 女  / 19  / 陰陽師
 ia0862  /    玖堂 羽郁    / 男  / 19  / サムライ
 ib3236  / タカラ・ルフェルバート / 男  / 29  / 陰陽師

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛

いつもお世話になっております、蓮華・水無月でございます。
この度はご発注頂きましてありがとうございました。
そうしていつもながら、お届けが遅くなってしまって、申し訳ございません‥‥orz

息子さんの新たな始まりを告げる祭りの物語、如何でしたでしょうか。
なんというか、想像とか、アレンジの部分がやや、多くなってしまったやも知れません、が‥‥ッ(汗
何か、イメージしていたものと違う、というようなところが在られましたら、いつでもお気軽にリテイク頂ければ幸いです(かくり

息子さんのイメージ通りの、新たな目標を見据える野望に燃えたノベルになっていれば良いのですけれども。

それでは、これにて失礼致します(深々と
常夏のドリームノベル -
蓮華・水無月 クリエイターズルームへ
舵天照 -DTS-
2012年09月28日

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