『必要なもの -３- 』

海原・みなも（1252）＆リリィ（NPC0367）

　微睡みの中で水の跳ねる音が聞こえた。
　海原みなもはぼんやりとその音を探す。耳元で聞こえる水音。懐かしくてとても愛おしさを感じる音と水の匂い。
　次の瞬間、みなもの体は冷たいが心地よい水に包まれた。しかし不思議と息苦しさはない。
　意識していたわけではないが、みなもは夢の中に居た。
「あたし、夢の中なのに水中にいます」
　みなもは肌に纏わり付く水を掻き、光の差し込む場所から深海に向かって泳ぎ出す。それは無意識の行動だった。
　潜って行くにつれ色を無くしていく視界。しかしみなもはその暗闇すら気にせずに、意のままに海を泳いだ。
　水を蹴る感触もすべてが現実のように感じる。みなもは水の感触を楽しみながら夢の海を泳いだ。
　そしてしばらくその海を堪能したみなもだったが、光の見える場所へと戻ろうと水を蹴る。その時、突然自分の名前を呼ばれたような気がして振り返ったみなもは何者かに足を引きずられ、深海へと引きずり込まれていった。


　悲鳴を上げてみなもは飛び起きる。
　暗闇の中、窓ガラスを強く雨が叩いている音が響いていた。その音のおかげで夢の中に海が出てきたのかもしれない、とみなもは恐怖に震える体を抱きしめながら思う。
　体の震えが収まる頃、みなもは冷静な心で夢を思い返した。
　楽しかった夢の海。それが恐怖に変わる瞬間、暗闇に響いた声。それには聞き覚えがあった。
『ふふっ、キミはどんどん面白いことをするから楽しくなっちゃう』
「……あの声は確かにリリィさんでした」
　また夢でね、という声を最後に夢の中でみなもは意識を手放したのだった。
「夢の中で……今日の夜もまた会えるのでしょうか」
　みなもは雨の音が響く室内で小さく呟き溜息を吐くと、再びベッドに身を横たえたのだった。


　その夜、再び雨が降っていた。昨夜ほどではないが雨樋から水の滴る音が聞こえている。
「また、夢の海を泳ぐ事が出来るでしょうか」
　今度はリリィさんも一緒に、とみなもは柔らかな笑みを浮かべると、ゆっくりと夢の中へと落ちていく。
　体の感覚が消え、一瞬意識が途切れたように思えたみなもだったが、次の瞬間には天地のない場所にみなもは存在していた。しかしみなもは昨夜の感覚を思い出し、必死に今まで鍛えた精神力を投入しながらその感覚を辿る。
　肌に触れた水の感触と懐かしく自分の周りに満ちる心地よい海水の音を。
　夢の中でも人魚の力を使える、と強く念じ懐かしく思える海を思い出す。冷たさも温かさも持ち合わせた柔らかな揺りかご、豊かな生命に溢れる海を。
「あたしは海に還りたい」
　強く願った時、ふっ、とふいに体が浮く感覚をみなもは感じた。
　ゆっくりと瞳を開ければ目の前には銀色に輝く魚たちの群れや、悠々と泳ぐ亀の姿がある。思い描いた海の中に、みなもは一人存在していた。しかしどこか違和感があった。自分以外の気配を感じる。
　それはみなもの背後から現れた。楽しそうな笑い声と拍手が聞こえ、その音はゆったりと近づいてきていたが、振り返ったみなもの目に飛び込んでくるのはピンク色の波。
「うん、昨日も今日もバッチリね。ただし、リリィの感覚までは奪えなかったみたいだけど」
　ここは海でもリリィ息が出来てるし自由に動けるし、とピンクのツインテールを揺らしながら急激に距離を縮めたリリィはみなもに抱きついた。みなもがピンク色の波と見たのはリリィの髪の毛だった。そっとリリィの手を取ったみなもは、リリィと視線を合わせながら言う。
「はい、それはとても残念です。悪夢のレッスンの時は出来ましたけど……」
「ああ、あの時の水圧にはリリィもビックリ。多分ね、あの時はリリィの周りだけの変化だったから出来たんだと思うの。今は夢という世界全体を海に変えてるからそこまで手が回ってないんだよ」
「まだまだ駄目ですね」
　落ち込んだ様子のみなもにリリィは首を大きく振り否定した。
「そんなことないよ。だってね、夢全体を海に変えちゃうなんてとっても大変な事なんだから。大抵は夢に見たってそれ自体を変える事なんて出来ないの。それにそれだけのことをして、キミは普通にここに存在してる。それってとっても凄い事なんだよ」
「そう…ですか？」
「うんっ。だからね、キミにはもっと可能性があるってリリィ思ってるんだよ。だって夢魔じゃないのに、夢の中で色々出来るようになってきてるんだもん。このまま終わらせるなんて勿体ないし、レベルアップしてみるのもいいと思うの」
「具体的にはどんな事をしてみたら良いんでしょう」
「んー、まずは人魚になってみたらどうかな？」
　リリィは、こんな感じ、と言いながら夢魔の姿から人魚の姿に変身してみせる。夢魔にとって夢の中での変化はお手の物だ。
「そうですね。ただ、あたし結構疲れてきてるのでうまくいくかどうか……」
　みなもはほんの少し疲れた表情で不安そうに告げる。想像以上に夢に変化をもたらす事は精神力を使うのだ。しかしリリィはそれを笑って蹴散らした。
「では、リリィがとっておきの方法を伝授しちゃうから」
　よく聞いててね、とリリィは人魚の姿から元に戻ると告げる。
「人魚ってとーっても強い生命力を持っているでしょ？　その生命力を精神力の補助として使えるかどうかの実験だけど、やってみる価値はあると思うの」
「なるほど。確かにやってみる価値はあると思います」
「でしょ！　じゃ、話を進めるね。その豊かな生命力を維持しているのはなーあに？　じゃーん、それは海でーす！　そしてここはキミの作った海の中。だったら、それをフル活用できたりするんじゃないかとリリィは思うの。それでね、なにごともまずは形からってことでキミも人魚に還ればいいんじゃない？」
「人魚に還る？」
「そう。夢の中ではそれが可能だってことは分かってるでしょ？　まあ、人魚姫は代償として声を失っちゃうけど……うーん、人魚の誘惑使えないのは痛いね。ま、そこは追々克服すれば良いと思うし。だって声が出なくなってるのは精神力不足なわけだし。今後鍛えれば問題なし。だから今日はこのまま人魚になってみて」
　本当はリリィが人魚にしてあげるのは簡単なんだけど、それじゃあ意味がないでしょ？、というリリィの言葉にみなもは頷く。
「はい。あたしが自分で人魚になって制御できないと駄目ですよね」
「そういうこと。まあ死んじゃう事がないようにリリィもサポートするから大丈夫」
　その言葉に安堵したのか、みなもは頷くと前回と同様に自分が人魚へと変化するようイメージする。
　海に差し込む光を浴びて、銀色の鱗が輝きながら両足を覆っていくのをリリィはうっとりと見つめていた。
　前回と違うのは水の羽衣が生き物の様に意志を持って動いているところだろう。それは水で出来た海蛇の様な姿で、みなもに纏わり付いている。腕に何重にも巻き付いたそれはリリィに向かって鎌首をもたげ威嚇した。
「うわぁ、可愛いのが出てきてる」
　リリィは臆することなく海蛇のようなものへ手を伸ばし触れる。噛みつこうと口を開けたのを無視し、指でその口を挟み込んでおとなしくさせた。水で出来た蛇だと思われるが、触れる事は出来るようだ。他人が触れても霧散することはない。
「これは……」
「キミの海だから、多分キミの力が溶け込んでるんだと思うの。この海蛇ちゃんはキミを守る盾になるんじゃない？　何かしらの力が具現化してるんだと思うんだけど」
「この子は毎回出てくるんでしょうか」
「さあ、それは分からないけど。でも、その時に応じて色んな子が出てきたらそれはそれで楽しいと思うな、リリィ」
　臨機応変って大事だし、とリリィが笑えばみなもも笑顔で海蛇の頭を撫でながら頷いた。撫でられた海蛇は擦り寄るようにみなもの手に頭を押しつける。
「さて、そろそろ声が出なくなる頃だと思うけど、その前に言いたい事は言っちゃってね」
「は、はい。あたしはこの自分で作った海を利用して、この夢の中に入り込んできた人の深層意識などを感じ取る事が出来るか、そしてその人の意識に潜ったり、現実世界に自由自在に浮上したりすることが出来るのかが知りたいです」
　みなもの問いにリリィは考えるように首を傾げた。
「現実世界に浮上っていうのは普段してるから出来るよ、って事ではなくて、夢の中から現実世界に干渉できるかってことでいいのかしらん？　んー、リリィはできるけどキミはどうかなあ。まだ難しいかもしれないけど、この海蛇ちゃんみたいな例もあるしもしかしたら可能かもしれないよ。ひょっとしてこの子が鍵になったりする可能性もあるし」
　キミの力は未知数だからリリィもよく分かんないの、と舌をペロリと出してリリィは告げた。
「あと深層意識の方だけど出来ると思うよ。ここは夢の中だけどキミのフィールドになってるから、入り込んできた人がいたら分かるし、リリィがそこに入ったのにも気付いたでしょ？　あとその人の感情も探る事が出来ると思う。ただし探る事が出来てもそれに対して反応できるかどうかはまた別の問題かな」
「そうで……」
　うっ、と喉を詰まらせるような音を鳴らし、みなもの声は途切れた。何度か声を出そうと試みるが、みなもの言葉は音にならない。
「はい、タイムリミット」
　残念、とリリィはくすくすと笑う。
「キミの場合、声が出なくなったら夢の世界に留まる事は難しいみたいね。その証拠に、ほら」
　リリィが指さしたのは、みなもの腕に絡みついていた透明な海蛇だった。すでに半分以上姿が消え、微かに輪郭が残っているだけだ。
「キミを守る盾も消えちゃう。あとね、この世界も終わりを告げ始めたよ」
　指し示したリリィの指先を辿りみなもが先ほど魚たちが泳いでいた辺りを眺めれば、そこにはただの暗闇が広がっていた。そこにあった海面から差し込む光も魚たちも存在していなかった。あるのはただの闇。ぷっつりとそこから先が嘘のように消えている。
「も……すこ…し……」
　硬く目を瞑り歯を食いしばったみなもは、ほとんど息のような声で言葉を発する。それにはリリィも目を見開いた。
「うっわ、すごーい。リリィ、びっくりしちゃった」
　みなもが力を振り絞って声を上げた瞬間、ほんの少しだけ海蛇の姿も形を成す。しかしそれはあっという間に消えてしまった。
「無理矢理絞り出せるんだ……ふぅん、やっぱり面白い」
　動く力も使い切ってしまったみなもは、ぐったりとその場に座り込んでしまっていたが、リリィはその腕をとって立ち上がらせた。リリィがひとたび指を鳴らせばみなもの作り出した世界は闇へと変わる。完全に夢魔の支配する夢の闇へと変化した。
「今日はその心意気に免じてリリィが送っていってあげるね。キミって本当に楽しくて可愛らしい」
　頬に軽くキスをして親愛の情を示すと、しっかりとみなもと手を繋いだリリィは漆黒の闇に身を委ねた。
　天地の区別のない闇は二人を包み込み、その姿をゆっくりと飲み込んでいく。
「おやすみなさい、素敵な夢を」
　リリィの声はみなもの脳裏にこだまする。
　指一本動かす事すら出来ずに、みなもの意識は闇に沈んだのだった。

PCシチュエーションノベル（シングル）

紫月サクヤ

東京怪談

2012年10月01日