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『狼女と吸血男 』
春塵 観音ja2042
いつの間にか早足になっていることに気が付いた春塵 観音(シュンジン カノン)は立ち止まり、スーツの胸ポケットから懐中時計を取り出した。
気取って懐中時計の蓋を開き、時間を確認した春塵は思わずつぶやく。
「まだ30分もあるじゃないか」
この角を曲がれば待ち合わせ場所に着く。朝の準備がうまくいったことと、何よりデートということに浮かれて早く家を出すぎたようだ。
とはいえコスプレ姿で一人喫茶店に入るよりは待ち合わせ場所で待っている方がまだましか、と思い直した春塵は懐中時計をポケットに戻し、歩き出す。角を曲がると、 大狗 のとう(オオイヌ ノトウ)の姿が目に飛び込んできた。

のとうは春塵の姿を見つけると笑顔で駆け寄ってくる。ふわふわした狼の付け耳に、ふさふさの付け狼尻尾。大きな尻尾が揺れて、大型犬が大喜びで尻尾を振っているように見える。
のとうは春塵を見上げながら言う。
「いっしし! 音(おと)、もう着いてんのな!」
春塵はそんなのとうの頭をくしゃくしゃに撫で回したい衝動を抑えながら突っ込みを入れる。
「いや、先に着いてたのは、のとうだよね?」
のとうは笑いながら言い返す。
「そうだぜ! 女の子を待たせるなんて、駄目だな音は!」
「勝手に先に来といてそんなこと言う? おっぱい揉むぞ!」
春塵は大げさに両手を握ったり開いたりして見せる。春塵にとって、いや春塵とのとうにとって「おっぱい揉むぞ」は「やあ」くらいの意味しか持たない。のとうは気にせず、今日の目的地の方向へ足を向ける。
「ハロウィンのお祭りだって! 素敵だな! 音、ほら、早く行こうぜっ」
跳ねるように駆け出したのとうに釣られて春塵も早足になる。のとうの付け耳も付け尻尾も楽しそうに揺れている。
(ハッピー! ハロウィーン! あと、おっぱい揉ませろ!)
春塵はそんなことを思いながらイベント会場の門をくぐった。

会場内は仮装した人たちでごったがえしていた。乳母車に乗せられたジャック・オー・ランタン、ここぞとばかりに着飾った見るからにオネエな女王様。シーツを被った子供たちが走り回っては笑い声を上げている。
少し地味だったかな、とリボンタイに手をやった春塵にのとうが言う。
「いっしし! 音の吸血鬼、ハマってるな!」
「そうかな?」
のとうは笑顔で言葉を続ける。
「音の痩せこけたところとか、顔色の悪さとか、あと調子の悪そうな歩き方とかもマジで本物っぽいぜ!」
「……それは、褒めてるってことでいいんだよね……?」
のとうは笑顔で断言する。
「多分な!」
「あんまり大人をからかうと、おっぱい揉むぞ!」
のとうは春塵の返事を聞かず、気になったワゴンに走り寄る。たくさんの大型ガラス瓶が並び、それぞれの瓶に様々なハロウィン限定のお菓子が入っている。
のとうは顔を近づけ、瓶の中をひとつずつ眺める。毒々しい色がついた型抜きマシュマロ、カボチャ色のバブルガム、おばけの形のグミ、
アイシングで蜘蛛の巣の模様を入れたクッキー、その他いろいろ。
「どれが欲しい?」
後ろから春塵が声を掛ける。
のとうは瓶を見つめたまま答える。
「全部!」
「食べ切る前に悪くなるよ!」
春塵が間髪入れず突っ込みを入れる。のとうは不満げにええー、という声を上げる。
「でも、少しくらいなら」
妥協案を口にする春塵。
それを聞き、のとうはクッキーを販売用の袋に詰め始める。
「少しぐらいなら、たくさん買ってもいいよな!」
いしし、と春塵に笑いかける。
「少しなのかたくさんなのか、どっちなんだ」
「いっしし、どっちでもいいよ。どっかでわけっこしようぜ! 音も食うだろ?」
クッキーだけが詰め込まれた袋を精算してもらいながらのとうは言う。春塵はうなづき、自分も空の袋を手に取る。
「お? 音も買うのか?」
「クッキーだけじゃ、飽きないか? あと気になるやつもあるからな」
「おお? 気になるっていうなら全部だぜ? どうせならこのクッキー以外、全部買ってくれ!」
「食べ切る前に悪くなるだろって」
音はいろいろなお菓子を少しずつ袋に入れながら言う。会計を済ませたのとうは、どっかいいとこ探してくると言い残して駆け出す。
上下に揺れる尻尾を見送りながら春塵は思う。
(あの尻尾とか、マジで反則だよな! あと、おっぱい揉ませろ!!)

のとうが見つけてきた場所は、屋外メインステージから少し離れた木陰にあるテーブルつきのベンチだった。ステージでは裏方スタッフがコンテストの準備を行っている。
「なあ、音?」
向かい合わせの場所に腰掛け、のとうに背を向けて見るともなしにステージの様子を眺めている春塵にのとうが声を掛ける。振り向いた春塵がテーブルの上を見て吹き出す。
さっき二人が買ったお菓子が紙ナプキンの上できっちり半分ずつに分けられ、並べられていたからだ。
「わけっこするって言ったろ?」
のとうはなぜか得意げだ。春塵は肩を震わせながらテーブルの上を指差す。
「こっちも、こっちも、全部のとうでいいよ」
のとうはそれを聞いて頬を膨らます。
「何でだよ? 平等に分けるの、手間だったんだぜ?」
こっちはクッキーが少し欠けてるから代わりに、などといかに平等にするかに力を注いだことを力説するのとうに、春塵はできるだけ真面目な顔をして言う。
「音はあんまり食べられないからね」
それを聞いたのとうがしまった、という表情を浮かべ、俯く。
春塵は言葉を続ける。
「だから、気持ちだけありがとう。全部のとうが食べていいよ」
のとうは俯いたままぼそぼそと言う。
「ごめん。俺、お菓子なら音も大丈夫かと思って。俺、音といっしょにって思って、ごめん」
春塵は優しく言葉を返す。
「別に悪くないよ」
「俺、ばかだな。音と楽しく過ごしたかったのに。いやな思いさせて」
のとうはますます俯く。頭がテーブルに付きそうになる。付け耳の裏とうなじが春塵の視界に入ってくる。
春塵はそっとのとうの頭に触れ、優しく撫でる。のとうはされるがままになっている。
「じゃあさ、のとう」
「うん」
春塵はのとうの耳元に顔を近づける。小声でそっと囁く。
「おっぱい揉ませて」
「!!! なんですとー!!!」
のとうは勢いよく立ち上がる。春塵はベンチに腰掛けたままそんなのとうをニヤニヤと眺める。
「お、音!? おまえってば!」
春塵は肘を着き、のとうを見上げながら真面目くさって言う。
「トリック・オア・トリート」
そのまま二人は見つめ合う。
二人の横をシーツを被った子供の一群が笑いながら通り過ぎる。
ちらちらと二人を見ながら、若いカップルが通り過ぎる。
二人は固まったまま動かない。

先に吹き出したのはどっちだったか。
ゲラゲラと笑いあう二人。通行人たちは怪訝な顔をして通り過ぎる。
笑い疲れたのとうは、ふにゃりとベンチに座り込む。のとうは息を切らせながら抗議する。
「ひどいな、音は」
春塵はぼりぼりとクッキーを噛み砕きながら答える。
「音はひどくないよ。そんないかにも襲ってくださいなんていう格好して来る方がよっぽどひどいよ」
のとうはテーブルをバンバンと叩く。
「狼は襲うほうなんだぞ!」
「じゃ、襲ってくれる?」
のとうはきょとんとした顔になる。
「ふえ?」
春塵はのとうに指導する。
「『トリック・オア・トリート』、だよ」
のとうは小さく何度か頷き、両手を耳の横まであげ、精一杯の悪人顔で春塵に言う。
「ふっふっふっ、トリック・オア・トリート!」
がおー、と噛み付く真似をするのとうに春塵はラッピングされた小さな袋を手渡す。
のとうはその袋と春塵を交互に眺める。
「音が作った特製ボーロ。早起きして作ったんだよ」
のとうの顔に笑顔が広がる。
「ありがとな! 音! 大好きだよ!」
のとうが紙袋を丁寧にポーチに仕舞う。春塵はそれを笑顔で眺める。
ステージからはご機嫌な音楽が流れてきた。

<了>
ハロウィントリッキーノベル -
稲庭ちぐら クリエイターズルームへ
エリュシオン
2012年10月26日

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