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『シュールの世界 』
クレアクレイン・クレメンタイン8447)&(登場しない)

 ――俺は肉食系の『男』でなくていいじゃないか。ワイルドな『女』ってありだろ。
 鶴橋亀造にとって、朝目覚めるとそう考えてテンションを上げるのが日課になっていた。クレアクレイン・クレメンタインの肉体に宿っている以上、女としての立ち振る舞いを周囲から強要される。けれど、せめて人目につかない場所では、自分の素で生活しても罰は当たらないだろう。たとえば、この自宅とか。
 開いた窓からは、オランダの海からの潮風が爽やかに流れ込んでレースのカーテンを揺らす。シント・マールテン島は、今日も快晴だ。フリルをふんだんにあしらった寝間着を脱ぎ、浴室へ向かう。
 あたたかいシャワーが、ワンレングスの美髪や肌を濡らしていく。
 ――これも女子力ってやつか? テヘ☆
 翼を洗っていると、あっ、と通りかかった若妻が亀造の背後で声を上げた。
「また翼を雑に洗ってる!」
「いいだろ、べつに。もともと大して汚れてないんだし」
「全然よくない!」
 見かねたらしい彼女は、腕まくりをして夫の背中を流し始めた。翼はスポンジで労わるように丁寧に撫で、肌はごしごしと程好い力加減で擦る。身体くらい自分で洗えるのに、と思わなくもないが、妻の愛と洗われる心地よさに身を任せた。
 浴室から出て、髪と翼を拭かれつつ仁王立ちする。妻はエルフ女子の嗜みにうるさい。まったくもう、と小言を言われながら、ビキニを着て翼をレオタードの中にしまってもらう。艶やかな髪も、ドライヤーで乾かしつつ梳かされた。やはり女はこういうことに手慣れているのだと実感する。クレアクレイン本人も日々こうして美しさを磨いていたのだろうか、と感心さえした。今日は、学者たちとの社交パーティーもない休暇だというのに。
 ダイニングに移動すると、食卓には亀造の商売道具の一眼レフ一式、経済新聞や時事週刊誌が置いてある。その上に菓子パンの皿が載っていた。黄色いマグカップからはコーヒーの香りが漂い、緑色の器にはスクランブルエッグ付きのサラダが入っている。赤い冷蔵庫に張ってあるメモ紙の丸文字も、毎日見ていた。
『油断大敵・体重厳守☆』
『こらあ亀造、クレアを太らせちゃダメよ(愛妻より)』
『うるへい! 食い気は色気♪』
 そんな夫婦の応酬は、口頭だけでなく紙面にまで及ぶ。朝食の匂いにそそられて木製の椅子に座ろうとしたが、だーめ、と妻に腕を引っ張られる。
「ちょ、なんだよ」
「まだメイクも着替えも終わってないでしょ。ほら、こっち来て」
「いてっ、そんな引っ張んなって!」
 腹減ってんのにな、と内心ふてくされつつもソファに座らされ、顔にペタペタと化粧を施される。化粧水にクリーム、ファンデーションと丹念に重ねて塗られ、こそばゆさに思わずくしゃみが出た。
「こらあ! そんなふうにくしゃみしない、じっとして!」
「無茶言うなッ」
 男はこんなふうに念入りに化粧なんてしない。慣れないものは仕方ないのだ。そう主張しても、妻はいつもお構いなしにメイクを続けるのだが。
 唇にリップグロス、睫毛にマスカラも塗られてやっと解放されたかと思いきや、妻はにこやかにスーツ一式を差し出した。しかも、スカート系だ。
「じゃあ、これ着てねっ」
「えー……」
 せめて、パンツ系ならまだ精神的にも楽なのだが。
 渋ればギロリと睨まれて嘆息をこぼす。着るまでは朝食もお預けなのだろう。
 ――ええい、ままよ! これも女子力、女子力。
 そう自分に言い聞かせて立ち上がり、ワイシャツとスーツジャケット、そしてタイトスカートを纏っていく。四苦八苦しながらどうにかストッキングもはいて眼鏡をかけると、黙っていれば美しい才女になる。妻は満足気に笑んだ。
「うん、かわいい。あっ、スカートに皺……あんた〜!」
 天使とも呼べそうな笑顔は、しかしすぐに鬼じみた形相に変わった。妻の性格をわかりきっていても、亀造は多少たじろいでしまう。
 ――なんで女はこう豹変するんだよ。
 辟易するものの、仕方なくスカートの皺を手で伸ばして直す。気づけば、もう小一時間は経っていた。コーヒーは、とっくに冷めてしまったかもしれない。
 ――女の身支度は大変だな。
 漸く椅子に腰を下ろすと同時に、亀造の腹が盛大に鳴った。

  ▼

「今日はハーリング食べるのよ」
 朝食を済ませると、妻は亀造の腕を引っ張って外へ連れ出した。一見女同士にしか見えない夫婦は、陽気に街へ繰り出す。
 ――所有物かよ、俺? つまり愛されてる?
 彼女の愛情は嬉しいが、身体がクレアクレインのものだということを考えるとやはり少し複雑だ。もっと自然にデートを楽しみたいと思わなくもない。
 シント・マールテン島の市場は、平日でも多くの人々でにぎわっていた。燦々と降り注ぐ陽の光にも負けていない盛況ぶりだ。妻の宣言通り、露店でハーリングを買ってふたりでベンチに腰を下ろす。亀造はつい癖で足を開いて座りそうになり、べしりと太腿をはたかれた。
「もう、そんな座り方しちゃダメでしょ。パンツ見えるわよ」
「へいへい。それにしても、鰊旨ぇ」
「女子はがっつかない!」
「はぁい☆」
 ぶりっ子としかいえない喋り方も、板についてきた。妻の教育の賜物だ。我に返ると、やや情けなくもあるが。さすがに、外では口調も含めて極力クレアクレインとして振る舞わなければまずい。
 発泡スチロール製の皿には、酢漬けマリネの若い鰊が横たわっている。キュウリのピクルスが添えられているのは、オランダ流だ。妻いわく、イギリスやカナダではロールキャベツのように巻いたかたちで売られることもあるのだという。フリーカメラマンの亀造としては、世界の食文化の差も興味深いものだった。
「なんか、こうしてると女子の休日っていうのも悪くないものね」
「でしょー? ちょっとは楽しさがわかってきた?」
「メイクとかはめんどくさいけど。クレアも、たまにはこんなふうに羽を伸ばしてたのかしら」
「そりゃあ、学会とかで忙しかっただろうしね。のんびり息抜きもしたくなるでしょ」
 クレアクレイン自身は、ハーリングは好きだったのだろうか。味わいながら、そんなことをぼんやりと考える。
 この身体に魂だけが宿ってしまったときこそ迷惑でしかなかったが、よく考えれば、彼女のことをまだほとんど知らないのだ。元に戻る方法を見つけるには、クレアクレインに関しても調べる必要がある。彼女の魂がどこへ行ったのか――それも気になるところだ。
 和やかに談笑しながらハーリングを食べ終えると、妻はすっくと立ち上がって朗らかに笑う。
「次はね〜、フランス側に渡ってお菓子食べましょ」
「スイーツか!」
 どうやら、今日は食べ歩きツアーになりそうだ。
 女ふたりのきゃっきゃとした嬌声が、明るい市場に響き渡った。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
蒼樹 里緒 クリエイターズルームへ
東京怪談
2012年11月15日

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