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『いつまでも、君と…… 』
ヴァレリー・クルーゼ(ib6023)

 どんよりとした雲が立ち込めている。
 その空を見上げ、ヴァレリー・クルーゼ(ib6023)は「ふ」と、白い息を吐き出した。
 幾重にも灰色の絵の具を塗り重ねたような空。その隙間からヒラリと白い何かが落ちてくる。
「……もう、そんな季節か」
 思えば天儀ももう冬。
 故郷のジルベリアに到っては冬の真っ最中で雪が降り積もる最中だろう。
「早いものだな。だが、これが過ぎればまた……」
 そう呟き、ヴァレリーは止めていた足を動かす。その手には古い果実酒の瓶が、1つ握られていた。

 ***

 今からかれこれ3年程前の事だろうか。
 今と同じようにどんよりとした雲が立ち込める、寒い日だった。
 この日のヴァレリーは、外ではなく室内からこの空を目にしていた。
「まだ、冬は終わらんか……」
 零した息が白い。
 そろそろ暖炉にくべた薪が切れる頃だろうか。そんな事を思い、床についていた足を上げる。
 そうして動き出した足は、其処彼処に置かれた荷物を避けながら歩いてゆく。この荷物の殆どは紐で括られており、いつでも動かせるように準備がされていた。
 そう、彼は近い内に此処を出る。
 長年住み慣れた我が家。其処を手放して向かうのは、遠く離れた天儀の地だ。
「……薪がないな。おい、新しい薪は何処――」
 暖炉の様子を確認し、声を上げた所でハッとした。
 振り返った先に置かれた古い椅子。其処に人の気配はない。勿論、その横に置かれたベッドも同じだ。
 人の使った形跡はおろか、シーツの名残すらない。
「そう、だったな……」
 落胆。そんな声が零れ、彼の目が暖炉に落ちた。
 ベッドも椅子も、ヴァレリーの妻が使用していた物。振り返ればいつも妻が居て、彼の問いに笑顔で答えてくれていた。
 だがその妻はもういない。
「……この家は酷だ。君との思い出があまりに多過ぎる」
 どれだけの時を共に過ごしてきただろう。
 それこそ生きてきた半分以上の時間を彼女と過ごして来たのではないだろうか。
「長いようで、短かったな」
 悠久の時を過ごしたとしても同じことを思うかもしれない。
 言葉で妻に愛を囁く事は無かった。態度で語る事も、殆ど無かっただろう。
 それは決して彼女を愛おしく思っていなかった訳ではない。単純に、そう出来ない男だっただけだ。
 だからかもしれない。
 ヴァレリーは妻が亡くなり、悲しみの底に突き落とされたように意気消沈した。
 彼女が生きていた頃には思いもしなかった感情が、次から次へと溢れ出してくる。
 それは彼が、この住み慣れたジルベリアの家を手放すと思う程に深く、強く。
「君との思い出が嫌なわけではないのだよ。寧ろ、その逆だ」
 触れたベッドが冷たい。
 それもその筈。彼女が寝ていたのはつい先日であったとしても、今ではないのだから。
「……愚かだな」
 思わず漏れた声と自嘲の笑み。
 だがそれを拭うように、元気な声が響いてきた。
「先生、何処にいるんですか!」
 ヴァレリーの弟子の1人だ。
 騎士としての仕事をこなしながら、今でも彼に師事を仰ぎに来る子が、ヴァレリーの姿を見付けて駆け寄ってくる。その表情は心配そうな大人の顔――否、まだ子供か。
「あまり走るな。君はもう小さくないのだからな」
 縋るような目は子供の頃と変わらない。
 だが成人男性と言うだけあって体は大人だ。そんな彼が古い家を走れば如何なるか。それは容易に想像がつくだろう。
「いえ、部屋に先生の姿がなかったので、つい」
 照れたように笑う弟子のその声はヴァレリーを心配する物だ。
 妻が亡くなって以降、彼を含めたもう1人の弟子も良く顔を出す。
 それは天儀に転居を決めた以降も同じ。彼等は荷造りを手伝うと言っては此処に来た。
「……そんなにも今の私は心配かね」
 溜息交じりに零しながらも理解している。
 問いかける本人がそう思っているのだから、彼等はもっとそうなのだろう。
 だが弟子は言う。
「そういう訳では……」
「いや、いい」
 弁解は不要。
 そう遮って妻のベッドから離れる。
「私が君と同じ立場でも、同じ事を思う筈だ」
 だが……。
 そう言葉を切り、部屋の中を見回す。
 ガラリと何もなくなった部屋はあまりに寂しい。そしてそんな寂しい部屋に居るのは、弟子と自分の2人だけ。
 少し前までは妻もこの場に居たと言うのに……。
「だが、私の場合は君を探しはしないだろう」
「放っておくんですか?」
「ああ」
 短く答え、当初の目的だった暖炉に近付く。
 完全に薪が足りていない。
 もう冬も終わりだと言うのにジルベリアの寒さは異常だ。新しい薪を足して火を絶やさないようにしないと凍えてしまう。
「新しい薪を持ってくる。君は荷造りの続きを……如何したのかね?」
 続きをしていてくれ。
 そう言おうとしたヴァレリーの目が瞬かれた。
「先生は俺が心配じゃないんですか?」
 体は大きくてもまだ子供。そんな印象を受ける言葉に、ヴァレリーはやれやれと息を吐く。
 だがその表情に厭味さはない。
「君は私とは違う。必要になれば君の方から私の所に来るだろう。だが私はそうではない」
 妻に大した愛情表現も出せずにいた自分とは違う。
 若さと希望に溢れた彼は、前へ進む強さを持っている。そして時には、引き返す勇気もあるだろう。
 誰かに感謝の言葉を告げる勇気も、心も、彼にはある筈だ。
「……私は、この家のように、空っぽだからな」
 片付けをする度に思っていた。
 徐々に物が消えて行く部屋。寂しく感じる空間。それらは大事な物が失せた事による喪失が生み出す。
 それは自身の心と相違ないのではないか、と。
「先生は空っぽじゃないですよ」
「何?」
「はい、コレ」
 差し出された瓶にヴァレリーの目が見開かれた。
 それは生前、ヴァレリーの妻が彼の為に浸けていた果実酒だ。冷え性で体力のない彼の為にと。
「……そうか。まだ残っていたか」
 どうやら台所で片付けをしていて見つけたらしい。てっきりもう無いと思っていたが、まさか残っているとは。
「先生、薪は俺が取ってきます。先生は続きをしていて下さい」
 言って、弟子はまだ寒い外に出て行った。
 その姿を見送り、ふと零す。
「空っぽではない、か」
 手に握った果実酒の瓶。
 ずっしりと重いそれが、妻の想いを反映しているようで更に重く感じる。けれど、嫌な思い出はない。
 寧ろ、この想いと先の弟子の言葉が、何もないと思っていた心に光を灯しているようにすら感じる。
「そうだな……今の私に何もないわけではない。勝手に、そう思っていただけか」
 振り返ったベッドに妻の姿はない。
 けれど其処に居た彼女の記憶は今でも残っている。それこそ笑顔や声、言葉までも思い出せる程に。
 そして思い返せば溢れて来るのは、暖かで優しい感情ばかりだ。
「君も、共に行くのだな」
 1人ではない。
 そう感じ呟いた時、出て行った弟子が戻って来た。
「先生、陽です。明日の出立は晴れですよ!」
 弟子が開け放った扉から見える空。
 其処に広がる重い雲の隙間から、暖かで優しげな光が零れ落ちているのが見えた。
 まもなく冬が終わり、春が来る。
「春、か……まるで、君のようだな」
 ヴァレリーは眼鏡の縁を押し上げ、広がって行く柔らかな光に目を細め、呟いた。


……――END.
■WTアナザーストーリーノベル(特別編)■ -
朝臣あむ クリエイターズルームへ
舵天照 -DTS-
2012年11月26日

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