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『『tungsten carbide』 』
水嶋・琴美8036)&(登場しない)

 水嶋琴美の戦力的価値を、明確に表現するのは難しい。
 それは、琴美が武器としてクナイを好んで使うからである。時代遅れと言うのも憚られるこの得物は、彼女の驚異的な戦闘技術を存分に引き立てたが、同時に現代戦においての取り回しを難しくさせた。
 決して輝かず、ただ鈍い黒色にひっそりと身を潜める短い刃。彼女がそれを矜恃として振るっているのか、それとも本当に実用性を重んじて使用しているのか、それは誰にも分からなかった。少なくとも周りが知っているのは、彼女が好きでそうしているという事だけだった。彼女の行動は全て、その絶対の自信の中で、奔放に行われている。だからいつも楽しげだった。血なまぐさい仕事も、他者には鳥肌が立つような華麗さに錯覚させた。
 琴美の能力が最も有効に機能するのは、情報収集か単体目標の暗殺だろう。しかし、彼女は投入する現場の条件さえ整えてやれば、短時間で小隊規模を壊滅させる事も可能だった。それは例えば、暗く狭い屋内で待ち伏せていた者達が、続々と連絡を絶つ味方に焦って、迎撃の体勢を崩し見えない襲撃者を捜し回る、ちょうどこんなような形だった。
 後ろから口を塞ぎ喉を掻き切った対象を引きずり込み、琴美は密かに戸を閉めた。事切れたその顔を覗くと、白人である。黒い頭髪で、東欧系のように見える。彼女は血でブーツが汚れぬよう注意しながら立ち上がり、室内に目をこらした。雑然とした気配は何かの作業途中であったと伝えている。壁際の棚に近付いてみれば、それは最近も使われているらしく、中には薬瓶が大量に並べられていた。内容物を示す難解な文字列はとても彼女の手には負えそうもなかったが、少し面倒な話になりそうだとは理解出来た。

 二階建て、大きなL字型の建物の内、既に一階部分は制圧しつつある。琴美は部屋と部屋を音もなく行き交い、あたかも自分一人しかいないかのように調査を行っていた。そして標的を見つけると即座に沈黙させるで、通信機への報告越しには、鼻歌を歌いながら探検でもしているかのような光景を思い浮かばせた。しかしその実、彼女は獲物を逃げ場のない上へと丹念に追い詰めている、純粋な狩人だった。
 扉越しに、通路から靴音が近付いてきている。琴美は聡く気が付くと、必死に音を立てないよう努力している男の姿を想像し無邪気に笑った。そうしてちょっとした悪戯心から、彼女はそれが目の前まで来た時に、コンコンとノックをした。
 瞬間、ショットガンが四連続で火を噴き、引き戸だったドアがひしゃげて後方へ吹き飛んでいた。粘っこく漂う煙と残響に包まれ、屈強な戦士が荒々しく呼吸をし続けている。慎重に中へ入り忙しなく周囲を確認するその目には、殺気と恐怖が充ち満ちていた。
 後ろに誰かいる。そう意識が働く直前、彼の右腕を刃物が突き刺し、もう片方は背中で固められて目一杯締め上げられた。銃は床に落ち、身動き一つ出来ない。両腕に激しい痛みが走って、男は上を仰ぎ目をむいた。喉奥が動物のようにガッガッと啼いた。
「随分せっかちですのね」
 この場に相応しくない、上品な調子だ。この苦しみを、この殺戮をもたらした人間が本当に発しているのか、非常に疑わしいものだった。だが男は首を曲げるのが精一杯で、何も見えない。その上彼は日本語も分からず、ただ穏やかな声だけを感じていた。
 徐々に痛苦から他の感覚が解放されていく中で、彼はまずかぐわしい香り、ぼうっとするような甘い体臭に困惑した。次いで背中にぴったりと寄り添った柔らかな肉体を知った。温かい大きな膨らみが強引に肉欲を揺り起こして、今背後に潜む死の存在が全く甘美なものであると教えてきた。男はそのあまりに不合理な世界観に錯乱しかけたが、その度に激痛が彼を現実へと引き戻すのだった。
「まあ、こんなに震えて。怖いの?」
 言葉の響きには、慈しみがある。それは何と残忍な優しさなのかと、彼は絶望した。彼女は、今にも自分を連れ去ろうとしているこのうら若い死の女神は、母に似た心持ちでこちらを見つめているのだ。そのサディスティックな情愛は、相手にとっての救いや許しを、当たり前のように彼女自身が規定してしまうのだろう。彼女はその美しい性質を、生まれながらに獲得していたに違いない。それは欠片の躊躇もなく発せられた次の言、その語気からだって分かった。
「もう大丈夫。今、楽にして差し上げますわ」

 奇妙な話かもしれないが、敵が一流であればその行動にはある種の信頼を置ける。そうでない者を相手にするのは、楽ではあるが面倒だ。階段で待ち受けていた者達が轟音に反応し降りてきたのを知って、琴美は呆れ、もう隠れる事もしなかった。
 三丁のライフルが口火を切った。通路先十五メートル程離れた女に、並んだ男達がフルオートで銃撃を浴びせていた。しかし薄闇の中を、彼女は急速に近付いてくる。信じがたい事に、跳びながら、壁を蹴り、螺旋を描くように駆けている。人は銃の照準を左右に振る事はあっても、上下に動かすのには慣れていない。ばらまかれた弾丸は全てが虚しく通り過ぎ、彼女はもう間近に迫っていた。
 ふわとスカートが揺れたかと思うと、中央の男の顎に強烈な蹴りが見舞われた。流れる長髪が落ち着く間もなく、彼女は回転し、クナイを振るう。横の一人の首筋から鮮血が吹き出して、追って味方の銃弾が全身を貫き壁に叩き付けられた。女は視界から消えていた。ライフルの弾倉は空になったらしい。すると着地した彼女の瑞々しい唇が微笑んで、残った男の意識もそこで途切れた。

 二階にはほとんど人がおらず、琴美が無造作に動き回っても、ただしんとしている。その静けさを破ったのは、彼女が大きな部屋の扉を開けた際の微細な音、手榴弾のピンが引き抜かれた音だった。
 空気が弾け、更に発砲音が荒れ狂った。
 室内には机や棚で意図的にいくつかの遮蔽物が形成され、それぞれ離れた位置に身を隠した三人が入り口に向かってアサルトライフルを構えていた。数秒してから無音が帰ってきたが、粉塵の他は何一つ動く気配がない。琴美は、誰も微動だにしないその様子から、少しは頭の良い人間がいた事実と、中の一人が首領であるという推測を見て取った。
 爆発で吹き飛んだ付近には、レーザーサイトの赤い光が蠢いている。その光の道筋を辿るように、小さな影が通り過ぎたのを、二人が見た。ドンと鈍い音がして急いでそちらへ銃口を向けると、入り口正面に立つ男の喉元に黒いナイフのようなものが突き刺さっていた。
 影がまた走った。今度は大きな影だった。それは咄嗟に撃たれた銃弾をくぐり抜け、あっという間に殺された者の場所へと潜り込んでしまった。一瞬で、遮蔽物は彼ら自身に牙を剥いたのである。その事実をいち早く察したスキンヘッドの大男は、開けた場所に自ら身を晒した。すると反対側で射撃を続けていた仲間の声が僅かに上がり、三度静寂が訪れた。
「……またお前達が暗幕を覆うつもりか」
 マガジンを交換しながら大男が口にしたのは、流暢な日本語だった。
「この国の人間は、いつまですぐそこにある武力や暴力に目を瞑るつもりだ? 様々な境界から漏出する戦争を、そうやって隠し続けてどうなる? お前達自身も、このまま公に存在を否定され、無様に死んでいくだけだろう!」
 言葉尻は銃声で消えた。彼女が高い天井を活かす大跳躍で急接近している。そして逆手に持ったクナイをもう一方の手で支え真上から打ち下ろすと、男もたまらず銃身でそれを受け止めた。乾いた衝突音。刃がめり込んだ銃を力一杯放り捨て、彼は腰からナイフを抜いた。
 左右、突きを織り交ぜた素早い動作が数撃繰り広げられ、素手となった琴美は避けながら間合いを離した。安全圏まで退き、僅かに落ち着いた空気が流れた時だ。カチと男の手元で何かが鳴った。突如、ナイフの刀身が射出され真っ直ぐ飛んでいったかと思うと、彼女がどっと後ろへ倒れていた。
 スペツナズナイフである。
 大男は細い息を吐いて、柄を脇へ投げた。そしてその場でぐっと重心を低くする。
「まったく、こんなオモチャまで使って」
 緩やかに、琴美は起き上がった。黒々としたラバースーツの前面がぱっくり割れて、白い肌が顕わになっている。胸を押さえ付ける力が急に弱まり、彼女の豊満な曲線が暗闇にほどけた。
 その絹のような素肌を中指で撫で上げ、琴美は構えた。左手の手刀を前に出し、右手は拳を握る、妙な型だった。それを見て、男も両手をリラックスさせて顔の前に置いた。立ち技の先に本番がある、そんな様相だ。もとよりこの体格差、組み合えば彼女に勝ち目はないだろう。
 琴美が先に動いた。彼女の駆ける姿勢は極端な程、低い。低姿勢で寄る相手に対し当然の対処として、男は膝で出迎えた。途端、彼女が更に低くなり、かわしたその膝を持ち上げる。男の天地が簡単にひっくり返ると、顔面にすぐさま踵が振り下ろされたが、彼は横転して間一髪でそれを免れた。床に響いた金属音からは、琴美の洒落たブーツに何か細工が施してあるのが知れた。
 素早く起き上がって、大男は恵まれたリーチからコンビネーションを打った。徹底して腹から下を狙ってくる。最後にローキックを振り彼女が片足を上げてそれをいなすと、彼はそこから反転し、後ろ回し蹴りを頭部めがけて放った。
 足が止まり、ステップは踏めない。琴美はその場で左手の手刀を傾けて、迫る脚部に向かって差し出した。綺麗な掌が彼の脚をほんの少し押し上げ、前のめりに首をかがめた彼女の上を、風が過ぎた。がら空きになった男の正面が、遅れて現れる。その鼻下を鋭い拳が一撃して、戦いは終わった。
「そんな大技、当たる訳ないでしょう? あなたには聞きたい事が山程ありますわ」
 琴美は小型通信機に手を伸ばした。
「済んだか」
「課長、連中どうやら私達の事を知っていたみたい」
 特務統合機動課の存在は、自衛隊内でも一部にしか認知されていない。
「薬品をどんなルートで手に入れたのかもあるし、ちょっと背中に気を付けた方がいいかもね」
「すぐ人を向かわせる。詳しい話は戻ってから聞こう」
 任務達成。少し忙しくなりそうですわね、と彼女は笑みを覗かせた。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
JOEmasa クリエイターズルームへ
東京怪談
2012年12月28日

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