▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『暁天に導のふる 』
久遠 栄ja2400

廻る歳月は眼に見えず、けれど確かにこの身を過ぎ去っていく。
変わらぬ問いに浮かぶ答えは、切り取られた節目によって、万別に色を変え。
昇る光は変わらないまま、密やかに、移ろう流れを見守るのみ。

――貴方の選択を、初日はどう照らすのだろう?




強さとは何だろう。
忙しなく行き交う人混みの片隅、こじんまりと構える喫茶店の、窓際の席。
往年の名曲が流れる中、そんな益体も無い事が、ぼんやりとした脳裏に閃く。
答えを探る心に浮かぶのは、今年の出来事。
道の向かい、ガラス越しに流れる電気屋のTVが、一年を振り返っている所為だろうか。
煌く記憶の数々、沢山の馬鹿騒ぎ。笑い声と共に語られる、愛すべき思い出達。
愉しげに瞬く数多の追想の影から、ずるり、仄暗い腕を伸ばしてくるのは。
過った照準、逃した標的、何よりも――救えなかった、あの。
不意に、遠のく旋律。視界が、闇に覆われる。遥か奥底、蓋をして封印していた筈の凝り。
意思を持ち手招く腕に、絡め捕られる、その寸前に。
ダンッ、と、咄嗟に握り締めた拳を、膝に叩きつける。
鈍く響く痛みは、堕ちかけていた思考を引き戻し。
何時の間にか固く引き結ばれていた唇は、呻き声であれ、僅か綻んだ。
アップテンポに変わっていたナンバーに、癖の強い暴れ髪をワシワシと掻き回すと。
栄は徐に立ち上がり、負けじと叫んだ。
「ええい、修行だっ!」
――カウンターの向こうからの大仰な咳払いに、身を竦める羽目になったのは、ご愛嬌。

家に帰り、適当に引っ掴んだ荷物をバックパックに入れて。
善は急げとばかりに、飛び乗った電車に揺られること数時間。
幾度も乗り継ぎ辿り着いたその場所は、秘境と呼ぶに相応しい深い渓谷。
鴉天狗の飛び交うような、まさに、修行に打って付けの。
「雰囲気って、大事だと思わないかい?」
背負ったバックパックを抱え直しながら、誰にとも無く呟き、満足げに頷く。
本格的な山篭りなどしたことは無いが、学生の身とはいえ撃退士だ、何とかなるだろう。
躊躇いも無く、むしろ鼻歌交じりに、道無き道へと一歩を踏み出す。
己の楽観的思考を、後で深く悔いることになるとは、思いもせずに。



「…アウルがあるからって、山をなめてたよ」
見上げる先は、鬱蒼と重なり茂る常緑樹の梢。空腹に霞む視界には、木漏れ日の光さえ届かない。
切なく鳴り響く空っぽの胃の音だけが、確かに感じられる唯一のリアル。
此処に来てから、どのくらい経ったのだろう。一週間を越えた辺りから、時間感覚は曖昧になって。
バックパック一杯に用意した食料は、とうに胃袋の中。
現地調達の目論みは、峻険な自然を生き抜く聡い獣達には通用せず。
逃げない植物を糧に―それすらも探し出すのは容易では無いが―何とか毎日を凌いできた。
しかし標準の男子学生が、それだけで足りるはずもなく。
獲物を探しふらふらと覚束ない足取りで彷徨いながら、軽率だった己を詰る。
強さを悟るどころじゃない、このままでは餓死してしまう。
なけなしの精神力を総動員し、何度目かの索敵を展開する。
仕留められるかは賭だが、そも姿が見えなければ話にならない。
が、何故か今日は、一匹たりともその気配すら掴めなくて。
途切れそうになる集中を必死に保っていると、ふいに遠く、索敵範囲ぎりぎりに引っ掛かる巨大な陰影。
見失わないように、足を縺れさせながら、気持ちだけは飛ぶように山中を駆ける。
幾重にも重なる茂みを掻き分けた先、泰然と午睡を貪る巨牛の姿を見るや否や。
見つけた、と逸る心のままに襲い掛かった。彼我の実力差を、確かめもせずに。



ぽきり。
軽い音と共に、圧し折れる首。命の終わりは、こんなにも呆気無いのか。
手の中で冷たくなっていく野兎を手早く処理しながら、感慨にふける。
あれから――何が起こったか理解できないままに転がる己の横を、一瞥すら寄越さず悠然と去っていった巨牛との邂逅から、また幾許かの時が経った。
後から知ったことだが、どうやら彼の巨牛は、この山の主であるらしい。
このままで終われるものか、との決意を胸に、最初は草や茸を目に付く端から。
次いで逃げられてばかりだった魚や小動物にも、果敢に挑戦しては捕獲率を上げていった。
枯れた枝葉を集め火を起こすといった、アウトドアというよりはサバイバルな行程にも、今や手馴れたもので。
程好い焼き加減もお手の物、芳ばしく香る兎肉を、一口ひとくち噛み締め味わいながら考える。
強さとは何か。此処に来た当初の目的は、いまだ答えの出ぬまま。
けれど、あの主に勝てたら、何かが掴めそうな気がする。
「ごちそうさま、っと」
丁寧に手を合わせ黙祷を捧げると、皮や骨は木の根元に埋める。
骨の一欠片さえも、余す所無く還元されるように。奪った命へ、最大の感謝を込めて、輪廻へと返す。
命で満たされた腹は、普段であれば、居眠りのひとつもしていただろう。
だが、此処は秘境。弱肉強食の世界。隙を見せた者から次の糧となっていく。
俊敏に樹上に登ると、眼を閉じる。意識を保ったままの休息。
野性の嗜みとでもいうべき諸々を、栄は短期間で習得していた。

警戒を怠らぬまま、夢現の境を、意識はたゆたう。
強くなりたい、いや、強くならなければならない――それは、何故?
そんなの、決まってる。強くならなければ、また、掌から零してしまうから。
以前、掬い切れなかったのは、救えなかったのは、関わりの薄い他人だった。
それなのに、あんなにも、心は軋み悲鳴をあげて。

――次は、大切な誰か、だったら?

仄暗い奈落が再び、口を開けて引き摺り込もうとする。
飲み込まれそうになる意識を、奥歯を噛み締めて繋ぎ止め。
「そんな次は、認めない…っ!」
暗く淀む意識の中、独り虚空を睨みつけ吼える。
何となく久遠ヶ原学園を受験したこと、思いがけずアウル適性が発覚したこと、掛け替えの無い日常を得たこと、苦く苛む深い傷跡が刻み込まれたこと。
全ては、大切な誰かを守るための、必然的な布石。
そう、強さとは、即ち――

そっと眼を開き、視線を投げ遣る。絡み合う視線、認め合う存在。
視線の彼方、低く唸り声を上げ、こちらを威嚇する山の主。
ふ、と口の端で笑い、するり、音も無く地上へ降り立つ。
高低差のイニシアチブを放棄してまでの、言い訳もやり直しもきかない真っ向勝負。
待ち構えていたかのように、鋭く太い角で貫かんと突進してくる巨牛。
彼我の距離は数十メートル。数秒ともたないであろう、その刹那に。
殊更にゆっくりと、構える栄の両の手に顕現する、朱く塗られた和弓。
矢を番え、狙い定める心は、静かに澄み切って。
放つ、会心の一撃。
放物線を描き飛ぶ、矢の行方を見届ける暇も無く。
ぶれる視界。空高く舞った身体は、受身も取れないまま地面に叩きつけられる。
此処で死ぬのだろうか、詰まる呼吸に咽ながら、霞む思考でぼんやりと思う。
全力を尽くした心は、不思議なほど凪いでいて――勿論、死にたくはないけれど。
と、思考が浮き沈みする間に、呼吸が整う。
死を告げる足音が響いてこない事に首を傾げながら、素早く身を起こす。
廻らせた視線の先に、蹲る巨体。警戒を崩さないままに近付いていくと。
「…ははっ、やった、俺はやったんだ!」

――主の額に深く突き立った矢羽が、日の光を受けて煌いた。



――あれから、幾月が過ぎただろう。
迫り出した崖の上に佇み、ぼんやりと夜空を見上げ思い耽る。
長い歳月が過ぎたような、ついこの間のことのような。
しっとりと照らす月光が何だか眩しくて、被った巨牛の頭蓋骨を目深に引き下げる。
亡き前主の毛皮を身に纏い、その座を継いで山の調和を守る日々。
日が昇る前に山をくるりと見回る生活にも、ようやっと慣れてきたところ。
チチチ、と肩にじゃれ付いてくる小鳥の存在に、夜明けの到来を知る。

強さとは、何だろう。
あの時、明確な形にし損ねた問いが、白く染まりゆく暁闇に掘り起こされる。
同時に、己の心の深い処から浮かび上がってきた答え――強さとは、即ち。
『大切に思う存在を守るために、どんな敵に襲われても負けないこと』
その解答が、正しいのかはわからない。
唯一つ言えるのは、己は弱いということ――まだ強くなれる、可能性を秘めているということ。

それでも、少しは強くなれただろうか…小鳥をあやしながら、眼裏の巨牛に問いかける。
今日はやけに日の出が綺麗だ、鮮やかな手触りの追想が、後から後から湧き出る程に。
ただ一つ、まだ思い出せていない、大事なことがあった気がする。
そう、とても大事な――

「あ!初日の出じゃん!何してんの俺っ!帰るー!」


慌てふためいて下山する背を、空高く放り投げられた骨が、からからと笑い声を立てて見送った。




━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
【ja2400 / 久遠 栄 / 男 / 20歳 / インフィルトレイター】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
ご縁を、有難うございました。
深き渓谷で見つけた答えは、始まりの導の一欠片になれましたでしょうか。

悩み惑う青春の山篭り、彷徨いながらも手探りで少しずつ前へ。
成長しようともがく若者の軌跡、というイメージで執筆させて頂きました。

素晴らしい参照画像の、シリアスな背景を無事に描けていましたら僥倖です。
N.Y.E新春のドリームノベル -
日方架音 クリエイターズルームへ
エリュシオン
2013年01月08日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.