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『ひいらぐつき〜The Holly Tree 』
鴻池柊ja1082

 『そなたのために、たとえ世界を失うことがあっても、世界のためにそなたを失いたくない。』――とある詩人の格言より――





 ふぅ、と軽くネクタイを緩め、その場所を後にした。黒いスーツの上からコートを羽織り、そのまま振り返りもせずに歩き出す。
 ちょうど訪れた連休を利用して、鴻池 柊(ja1082)が幼なじみと共に帰省したのは、つい昨日のことだ。半日を学園から京都までの移動に費やして、実家に戻るや否や待っていた――というよりは、年の瀬も近いというのにわざわざ帰省した理由の1つは、それがあるのも知っていたからなのだが――情報屋としての仕事に、休む暇もなく手をつけて。
 慣れた手際で次々と仕事を片付け、今ので何件目になるだろう。取り留めもなく考えながら、歩く柊の頭上で不意に、光が閃いたような気がした。ん、と視線を上げれば数拍遅れて、ゴロゴロゴロ……ッ! と雷鳴が鳴り響く。
 冬の嵐か、と呟き遠くの雪雲を見た。京都の冬はひどく底冷えして、積もるまで行かずとも、雪がちらつくのはさほど珍しい事ではない。とはいえ、雷となればまた別だ。

「月(ユエ)は大丈夫か……?」

 雷の嫌いな幼なじみを案じ、スーツのポケットから携帯を取り出すと同時に、マナーモードにしていたそれが、着信を示すランプを光らせながらぶるぶると震え出す。画面に映し出された着信相手は案の定、当の常塚 咲月(ja0156)だった。
 直ぐに出ると、柊が何か言う前に、電話の向こうの咲月の怯えた、切羽詰まった声が飛び出して来る。

「ひ、ひーちゃん……ッ、雷……ッ」
「ちょうど仕事が終ったから今から行く」
「ひーちゃん……ッ、ひーちゃん……ッ」
「月。すぐだから、ちょっとだけ待ってろ」

 こちらの声も聞こえない様子で、ひたすら柊を呼ぶ怯え切った咲月に、あやす様に語りかけながら、ここから最短で彼女の実家まで向かうルートを計算する。そうしてついに何も言わなくなった咲月に、もう一度「待ってろ」と告げてから、柊は通話を切って携帯をポケットに放り込んだ。
 ここからなら、下手に回り込まずにまっすぐ最短ルートを取った方が、結果として早く着くだろう。そう考え、柊はすぐさま動き出したのだった。





 咲月の部屋は、彼女の実家の離れにある。勝手知ったるなんとやら、迷いもせずにまっすぐ、急いで咲月の住んでいる離れに向かう間にも、不意の雷雲は威力を衰えさせる様子もない。
 これは間違いなく、咲月は怯え切っているだろう。そう思いながら離れに上がり込み、咲月の部屋の襖をがらりと開けると、けれどもそこには幼馴染の姿は影も形も見当たらず。
 畳の上には、恐らくは咲月が直前まで読んでいたのだろう本が乱雑に放り出され、ページが折れてしまっていた。同じく放り出された膝掛けやストールも、状況を知らなければ誰かに襲われたのか、と思ってしまいそうなほど乱れている。
 だが、柊は慌てる事無くまっすぐに、それらを無視して部屋の奥まで歩いていくと、押入れの前で立ち止まった。そうして慣れた仕草で落ち着いて、ガラリ、押入れの襖を開く。
 ――果たして案の定、そこに咲月は居た。ぎゅっと目を瞑ってカタカタ震え、雷鳴が轟く度にびくりと肩を跳ね上げる様子は、咲月の身につけているフード付パーカーとショートパンツという服装も手伝ってか、酷く幼い子供のように見える。
 そんな咲月の前に膝をつき、月、と柊は呼びかけた。笑顔で、あやすような声色で。

「月、出て来い。その状態で誕生日迎えるつもりか?」
「ひ……ちゃ……?」

 その声に弾かれたように、固く瞑られていた目が開かれた。と思った次の瞬間には、転がるような勢いで飛び出してくると、まっしぐらに柊に抱きついてくる。
 そんな咲月を、柊は揺らぐ事無く受け止め、抱き締めた。ぎゅうッ、と背中に回された腕にこめられた力は、驚くほど強い。

「ひーちゃん……ッ、ひーちゃんッ……柊……ッ」
「はいはい、ちゃんと此処に居るだろ」

 確かめるように、すがるように、何度も彼の名を呼ぶ咲月に、柊は何度も耳元でそう囁きながら胡坐をかき、膝の上に咲月を抱き上げる。そうすればさらにぴったりと、わずかの隙間もないほどに抱き付いてくる咲月を、しっかりと抱き締め直した。
 布越しに伝わる、お互いの体温が交じり合う。心臓の音が重なり合うような錯覚、まるで互いの境が溶けて消えてしまうかのような――
 それでも柊の腕の中、咲月の震えはなかなか収まらない。窓の外から聞こえる雷鳴は、わずかに遠く、小さくなってきてはいたけれども、まだまだしばらくは去る気配もなかった。
 筋金入りの雷嫌いの咲月だから、これはしばらくおさまるまい。思いながらわずかに障子の開いた窓の向こうに見える空を見やった柊は、その拍子に、目に入った壁掛け時計に目を細める。
 雷雲で覆い隠された空からは解らないが、そろそろ夕刻の頃合だった。仕事が終わった時に遠くの空に見えた雪雲を思い出し、今夜は珍しく積もるかもな、と考えて。
 ――ふと、呟くように尋ねた。それは咲月の気を逸らす意味もあったが、どちらかと言えば『あの日』も夕方だったなという、ふいにこみ上げてきた懐かしさの方が強い。

「――月。俺が教えて……与えた日で……あの約束の日……覚えてるか?」
「覚えてる……。――忘れたりしないよ…?」

 柊の腕の中、こうなってから初めて身じろいだ咲月が、彼の顔を見上げる眼差しを感じた。見下ろせば真っ青な顔色の咲月が、けれどもわずかに不満げな色を浮かべて、柊をじっと見つめている。
 そんな咲月に少し、笑った。笑って柊は、あの日の夕方に思いを馳せたのだった。





 それは柊がまだ中1だった頃のことだ。雪のちらつく寒い日で――果たして自分が何を買い求めに、家を出たのだったかは覚えて居ない。
 自分の物だったのか、それともお使いを頼まれたのだったか。覚えているのはただ、夕刻になっても降り止まない雪に明日は積もるだろうかと思った事と、早く行かなければますます冷えてしまう、と思った事。
 マフラーを巻き、上着を来て玄関を出た。そうして駆け出そうとして――そこに居た咲月に、思わず息を呑んで立ち止まる。
 ――それまでも咲月は、寂しくなれば柊の家にやってきて、柊や座敷に上がる前の舞妓や芸子の姐さん達と、過ごして帰って行く事が多かった。咲月は、端から見れば思わず目を見張るほどに仲の良い家族から与えられるだけでは足りないほど、愛情や人との触れ合いに飢えた子供だったから。
 だから、彼女が来ている事自体は決して、珍しくなかった。ならばなぜ柊が驚いたのかと言えば、咲月はただそこに立っていただけではなく――ぽろぽろと、目を大きく見開いたまま涙を流していたのだ。

「咲月……?」

 その頃はまだ『月』とは呼んで居なかった柊は、半ば呆然と彼女を呼ぶ。呼んで、今でこそ高1のGWに脅威の成長期を遂げたものの、当時は自分とまったく同じ高さにあった咲月の、瞬きすらせず涙を流し続ける瞳をじっと、見る。
 咲月は、そこに立っているのが柊だという事すら、良く解っては居ないようだった。けれども自分を呼ぶ声に反応して、前を見据えては居るものの『見て』は居なかった瞳を、ようやく柊へと向けて。
 彼を、認識したのが判った。途端、くしゃりと咲月の顔が歪み、ひく、と喉を引きつらせる。
 何かを、言った。けれどもその声は掠れてひどく小さく、とても聞き取れない。
 柊は「え?」と首を傾げながら、咲月の口元へと耳を近付けた。そんな柊へと、咲月は喉を嗚咽で鳴らしながら必死に、押し殺した声で訴える。

「……に、兄さん、が……要らないって……。要らないのやだ………やだ……ッ」

 そう、言葉を搾り出すや否や、咲月はそれまで堪えていたものがぷっつりと切れたように、くしゃくしゃに顔を歪めてぼろぼろ、ぼろぼろ、大泣きをし始めた。そうして、全身を震わせるような悲痛な声で、やだ、と何度も何度も訴える。
 後で聞けば咲月はその時、1番懐いていた4つ離れた兄に遊んで欲しいとねだったのを、『――ッ! お前なんか嫌いや……! 要らへん……!!』と怒鳴られたらしい。というのもその時、彼は友達を家に連れて来て一緒にゲームをしようとしていたからで、今でもその頃の事を言われて弄られる度に『思春期やったからや……ッ!』と凹みながらも必死に主張するような、そんな年頃だったのだ。
 けれども咲月にとっては、大好きな兄に拒絶されたことに変わりはなかった。それは咲月にとって、世界に拒絶されたも同然の出来事で。
 故に嗚咽し、やだ、やだ、と泣き続ける咲月の涙に、柊は目を奪われる。それは彼女と幼なじみとして今日まで過ごして、生まれて初めて見る涙だった――咲月が柊の前で泣いたのは、その日が初めてだったから。
 目を奪われ、驚き、同時に動揺した。このまま永遠に泣き続けて、咲月が消えてなくなってしまうのではないかと、思った。そうして、ただそれだけの言葉でこれ程に泣く咲月は、なんて脆いのだろうと、思った。
 あまりにも、あまりにも脆い心。こんなにもあっけなく、容易く崩れてしまう――壊れてしまいそうな、咲月。
 どうにかしなければと、思った。どうにかして咲月を繋ぎ留めなければと、必死で頭を巡らせながら「咲月、大丈夫だ……咲月……ッ!」と呼ぶが、彼女の心は還ってこない。
 これでは、駄目なのだ。ただ彼女を呼ぶだけでは――ただの名前では、駄目なのだ。

「……ッ! 俺が!」

 そう、閃いた瞬間に柊は、泣き続ける咲月の肩を強く掴んで、叫んでいた。その衝撃に、驚いた彼女が一瞬だけ泣き止んだのにほっとして、この隙に咲月の心に滑り込ませるように言葉を、紡ぐ。

「俺が、新しい名前をやる。咲月は満月。月は中国語で『ユエ』だ。特別な字として使え」
「ユエ……?」

 突然の柊の申し出に、咲月は不思議そうに涙で濡れた眼差しを瞬かせた。けれども何とか気を逸らす事には成功したのだろう、咲月は「ユエ、ユエ……」と何度も柊の与えた名前を、口の中で転がしている。
 ほっと、息をついた。それでも、安心は出来なかった。
 名前だけで、咲月を『此処』に繋ぎ留められるはずもない。きっと、同じ事になっても柊が『月』と呼べば、戻ってきてはくれるだろう。けれどもそれでは、充分ではない。
 ならば。それだったら。

「咲月が俺達以外に心から必要だと思える人を見つけるまで、俺が『居場所』でいる」
「居場所……ひーちゃんが、一緒に居てくれるの……?」
「ああ。――だから、それまでは俺は咲月の『所有物』だ」

 必死で紡いだ『約束』に、今度こそ咲月は目を見開き、不安と喜びのない混ぜになったような声色で、柊の言葉を繰り返した。それに、頷き柊は己の全てを明け渡す。
 咲月を『此処』に繋ぎ留めるための、ならば自分が頸木になれば良い。いつでも、どんな時でも、自分は咲月の物で居よう。それで彼女が『此処』に居てくれるのなら、消え去ってしまわないのなら、いつでも自分だけは彼女の『居場所』になろう。
 柊の言葉に、咲月がゆっくりと落ち着きを取り戻していくのが、解った。それで改めて、自分の選択が少なくとも、間違っては居なかった事を、悟る。
 咲月には、縋れる居場所が必要なのだ。いつでもそこに居て良い場所。いつでも甘えて良い人。いつでも求めた時に、求めただけの愛情を注いでくれる人が――
 ならば彼女が自分でそれを見つけられるまでは、自分がその存在になろうと、息をするよりも当たり前に、思った。そんな柊に手を伸ばし、咲月はゆっくりと、嬉しそうな笑顔になる。

「――ひーちゃん……」
「ああ」
「ひーちゃん……」
「ああ、月」
「ふふ……ひーちゃん……」

 嬉しそうに、確かめるように、柊に抱き付いて何度も、何度も彼の名を呼ぶ、咲月の細く冷え切った身体に柊は腕を回し、何度でも頷き、何度でも彼女に与えた新しい名前を呼んだ。その様を、静かに降り続ける雪だけが見つめていた。





 思い返せば咲月との関係が徐々に変わって行ったのは、あの頃からだ。まずは目に見えて、件の兄ではなく柊の傍に居るようになった。
 それはさながら、雛鳥が母を求めるように。片翼の鳥が、対の翼を求めるように――
 ふと腕の中の咲月が静かになった事に気付き、柊は回想から我にかえって見下ろした。そうして小さく、柔らかな苦笑を浮かべる。

「――月? 寝たのか……?」
「起きてるよ……?」

 柊の言葉に、咲月は気持ち良さそうに閉じていた目を開けて、不満そうに呟いた。けれどもその口調も、とろんとした眼差しもやっぱり眠たそうだ。
 はいはい、とあやすように背を叩くと、すり、と猫の子のように擦り寄ってくる。いつでも相手のぬくもりを求めている咲月は、時々は『極度に』寒がってそれ以上のぬくもりを柊に求めることすら、あった。
 歪んだ、危うい、だからこそ居心地の良い関係。一緒に居るのが当たり前、という言葉ですら表現できない程に、こうして触れ合っているのが最初から自然な有り様であったかのように。
 咲月の全ての初めてすら、求められるままに身体を差し出し、奪ったのは柊だ。それとも――奪われたと、表現するべきなのか。
 そんな己の思考に、苦笑する。柊は咲月の所有物だと約束した、あの日の言葉に偽りはない。それどころか時が経つごとに、その約束はより確かなものとして柊の中に根付いている。
 ならば、咲月の求めるままに。与えられる全てを与え、必要とされる限りは永遠にだって彼女の物で在り続けよう。
 ――ふいに咲月がうっすらと目を開け、呟いた。

「雪の音……」
「ん? ――雪、降り始めたのか……」
「――ずっと5人は、一緒だって……思ってたのに……」
「月……?」

 寝息のように呟いた、咲月の言葉をとっさに聞き取る事が出来ず、柊はあの日のように咲月の口元へと耳を寄せながら尋ねる。だがその言葉に返事はなく、代わりに返って来たのは「……すぅ……」という寝息だった。
 小さなため息と共に、暖かな苦笑を、漏らす。腕の中の咲月が眠りやすいよう、しっかりと抱き直してやると「んー……」と寝ぼけた声が聞こえた。
 また小さく笑って、そのまま窓の外へと耳を澄ませる。雷鳴はとっくの昔に過ぎ去って、静かに、ただ静かに降り続ける雪が、辺りの音すら吸収して世界に沈黙を積もらせる。
 しばしそうして雪の音を聞き、あの日と一緒だな、と呟いた。咲月を抱く腕に力を込めて、窓の外へと眼差しを向けた。

「――俺が咲月達を守る。誰かを裏切り、切捨てる事になっても。『ひいらぐ』の意味を持つ俺が――」

 そうして紡いだのは、誓いの言葉。思い出すのは久遠ヶ原学園に来る前に在籍していた大学で、咲月を庇った折に背中についた裂傷痕。
 それは柊の誓いを体現するものであって、彼が彼の誓いを守れた証であって、そうして誇りだ。例え他のどんな誰かを裏切っても、傷つけても、見捨てても、切り捨てたとしても、柊が咲月達を守るのだという。
 『ひいらぐ』者、柊が。彼女達を、何があっても――守る。
 そう、改めて強い思いを胸に、柊は腕の中のぬくもりを大切に抱き締めた。これは恋ではない。愛ですら、ない。そんな陳腐な言葉では表現出来ない程に、柊は咲月を強く、強く想っているのだから。
 ――そんな離れに降り続ける、雪はまだしばらくの間、止む気配は見えそうになかった。





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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 /  PC名  / 性別 / 年齢 /     職業     】
 ja0156  / 常塚 咲月 / 女  / 18  / インフィルトレイター
 ja1082  / 鴻池 柊  / 男  / 20  / アストラルヴァンガード

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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いつもお世話になっております、蓮華・水無月と申します。
この度はご発注頂きましてありがとうございました。
また、お届けがたいへん遅くなってしまいまして、本当に申し訳ございません(土下座

息子さんの、想いと誓いを振り返る物語、如何でしたでしょうか。
うん、えっと、うん……はい……お嬢様とはそういう、ご関係……で……(何となく正座(((
というか殿方は割合、身長はお気になさるものなのでしょうか?
身長に限らず、己にはどうしようも出来ない過去の事を言われたりすると、確かにぐっさりと刺さる物がございますが;

息子さんのイメージ通りの、さやかな雪のノベルになっていれば良いのですけれども。

それでは、これにて失礼致します(深々
N.Y.E煌きのドリームノベル -
蓮華・水無月 クリエイターズルームへ
エリュシオン
2013年01月10日

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