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『●我告志 為我進 』
慄罹(ia3634)

「ただいま。あなたは最期まで先生だったんだな……」

 吐き出した言葉は、冬独特の鉛色の空に消えた。
 目の前に在る小さな墓石は、慄罹(ia3634)の育ての親である薬師のものだ。
 侘びしい色合いの花を墓前に捧げ、何を言う事も無く口を開きかけては閉じ、また開く……。
 その単純作業を繰り返す彼の表情は、この侘びしい光景に合わせたかのような複雑さだ。
 ゆっくり、目を閉じる。
 冬の太陽は、ただぼんやりと光を投げかけている――それを瞼越しに感じた。

 ――俺の手が、紅く……紅く、染まったらどう思うだろう。

 最初にそんな疑問が浮かんだのは、何時のことだったか――。
 ただ一心に、育ての親である薬師を手にかけた暗殺者……その命を奪う。
 一点の曇りもない筈の、心に陰が生じたのは。
 変わったのかもしれない――その思いを『抱いてしまった』ことに戸惑い、固く握りしめた拳で自分の頬を殴りつけた。
 言い知れぬ罪悪感、そして自分への失望……。

(「今更、罪人になる事を恐れているのか――? あの人に出来る事は、もう、仇を討つ事だけだ」)

 酷い表情をしている、と心配そうに顔を覗き込む相棒の無邪気な瞳。
 嗚呼、確かにその時の自分は酷い顔をしていた――。
 首を振る、ぎこちない笑みを浮かべる、拳に力を入れる、三つ編みに触れる……戒めだと。

 ……此れが、俺のやるべき事だ。

 地の果てでも追いかけ、相手の首を掻き切り――討ち滅ぼす。
 無念さを噛みしめた過去を思い返し、刻みつける日々が続く中、現在と言う鮮やかな世界は慄罹自身に沁み入ってくる。
 師匠を筆頭に、開拓者仲間や、相棒達との出会い……依頼先で出会った人々。
 悔いた事もあれば、憤った事もある――反面、喜びや楽しさ、ふと立ち返った時、手放せないものが増えていた。
 何度も何度も繰り返した、復讐劇……血濡れで仇の骸を見下ろす自分に、仲間がいた。

 ――怖い。

 それは赤く染まる己の手なのか、それともその己を見る仲間の目か――。
 それとも、その己を見つめる己自身か。



 それでも止められない、最早、修正は利かない。
 良心の呵責、変わってしまうであろう、仲間の眼差し。
 だが、幼い時に刻まれた生々しい傷痕は、憎悪を孕んで膿み爛れていた。
 憎む事で己を保ち、生きてきた慄罹にとって、復讐を放棄する事は存在理由の放棄に等しい。
 戸惑い、波打つ感情とは裏腹に理性は冷静かつ、冷酷だった。
 齢六つの子供が背負った不条理は、やがて原因である一人の男を突きとめる。

 初冬――。
 木枯らしは容赦なく吹き荒れ、慄罹の心をも乱していった。
 手にした鉄扇、それを棍のように握りしめる――それを握っていれば、不安など無いと幼子が信じる様なひたむきさで。
 忍ばせた暗器、何度も確かめる……今更逃げる事は許さない、自分を追い詰めるように。
 目的は明確に、殺意は鮮やかに。
 一点の曇りもない筈の心、そこに、巣食う陰があった。

「……あの人を、覚えているか」

 低く絞り出した慄罹の言葉に、目の前に立つ暗殺者の男は瞠目した。
 命乞い、そのようなものを聞く耳などない――懺悔の涙、そんなものを見る瞳など無い……。
 膝を付いた暗殺者は、何度か口を開きかけ、口を真一文字に結ぶ。
 立ったままの慄罹、跪いた暗殺者……言い訳をするつもりはない、と前置きしてから慄罹の知らぬ事を語り始めた。

 決定的な失敗を犯した事、何時まで続くかもしれぬ逃亡の最中。
 傷だらけの自分に差し伸べられた、薬師の手の温かさ。
 患者を守り、そして生きて欲しいと託された言葉の――重さ、冷たくなる肉体。

「彼が守ってくれたお陰で、私は一命を取り留めたんです」

 追手を殺し、暗殺者が仕事を終えた頃、全てが終わっていた。
 広まった謂われの無い噂は、慄罹の心に沁み込み、そして彼は師匠である開拓者と共に旅だっていた。
 それを機に、辞職したのだと言った暗殺者――否、元暗殺者の男は地面に頭を擦りつける。
 自分勝手な言い訳……そう、笑い飛ばそうとして口元がひきつった。
 鉄扇を握る手に、力が籠もる……一撃で済む、何度も繰り返した復讐劇。

 ――それでも尚、躊躇ったのは。

 ひっそりと建てられた、薬師の名前の刻まれた墓。
 墓前で揺れる、野の花の鮮やかさ――其れがくっきりと、瞼の裏に浮かびあがった。
 何故、悪し様に言われた薬師の墓が――ひっそりとは言え――存在しているのか。
 涙がこぼれそうになる……哀惜と共に噴き上がった憎悪、それを上回る虚しさ。
 叩きつけようとして――気配に振り向いた。

「とうさん!」

 利発そうな少年だった、元暗殺者の男に似通った部分がある。
 見比べた慄罹の瞳から逃れるように、元暗殺者の男は瞼を伏せた。

 ――この子だけは。
 ……勝手な願いとは、解っているけれども。

 理不尽だと理解していて、尚も願わずにはいられない、我が子の生。
 幼い頃、いつも見上げていた薬師の瞳と重なる……奪うのか、と心が軋んだ。
 奪われたのだ、と言い返す――その為に、生きてきたのだと。

「悪いやつ、かかってこいよ!」

 歯をむき出しにして敵意を表し、少年は父を守るのだと慄罹を睨みつける。
 今、此処で凶刃を振りおろせば――二度と元には戻らない、幸せの形。
 無邪気に父と慕っていた背中、優しい手のぬくもり。
 そして、その全てが消えてしまった喪失感……。
 口さがない人々は噂をし、何があったのか感じ取ってはいても、理解する前に逃げ出した。
 優しい薬草の香りのする、森へと。

「――っ!」

 自分が、失った自分が――誰かの愛する人を、奪うのか。
 己の意志で、明確な悪意と殺意を抱いて……。
 失う可能性など考えず、真っ直ぐに見上げる少年の瞳――耐えきれず、慄罹は父子を置いてその場を後にした。 



 失うのが怖かった、失いたくないものが増えていた。
 手放せないもの、やりたい事、思い描くだけで顔の綻ぶような、大切な夢が。

「……店をやりたいんだ」

 目を開ける……目の前の墓石は、ぼんやりと涙の膜にかすんでいた。
 音も無く、涙が頬を伝う――笑おうとして失敗し、唇が震えた。

 ――自分の為に、生きる。

 目の前に育ての親を失い、放心している子供がいた――。
 いきなり奪われた日常……昨日まで、笑顔を向けていた人が、そっぽを向く。
 声が、視線が、空気が、全てが自分を拒絶する……失った理由を求め、報いを与えんと歯を食いしばった。
 触れあう仲間の温かさが、音も無く沁み込み、迷い、躊躇い、悩んだ。
 ……そして今、必死になって足掻いてきた人生の結果、それが、自分の為に生きる。

「陰徳陽報。あなたの自慢の、息子だろうか――?」

 決して見えぬ糸がある、それを絆とも縁とも呼ぶ。
 自分の意志で、自分の考えで、此処から先は……薬師の息子、ではなく、開拓者の慄罹と言う人間の生きる道。

「また来る、だが――何時になるかはわからない」

 指先が戒めの三つ編みをなぞる、決して忘れないようにと絡ませた鎖。
 所在なく、指先が宙を掻く――が、慄罹はその戒めを、解く事はせず、墓を後にする。
 ゆっくりと、確かめるように、大地を踏みしめながら。
 ただでさえ、おぼろな陽光がいきなり翳った。
 何事か、と空を見上げる……金色に煌くその影、その上にしがみ付く小さな影、思わず苦笑を浮かべる。
 旋回する相棒達に、慄罹はその影に手を上げるのだった。



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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ia3634 / 慄罹 / 男性 / 29 / 志士】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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慄罹様。
発注ありがとうございました、白銀 紅夜です。

迷い、葛藤、答え……季節を交え、自然と寄りそいながら表現してみました。
題名の『我告志 為我進』は、私は志を告げる、私は私の為に進む、と言う漢文です。
漢文は本来門外漢なのですが、和歌よりも此方の方がしっくりくる為、使用しました。

では、太陽と月、巡る縁に感謝して、良い夢を。
ラブリー&スイートノベル -
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舵天照 -DTS-
2013年03月12日

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