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『『be calm』 』
水嶋・琴美8036)&(登場しない)

 視界はひどく狭く、赤々としていた。その中で水嶋琴美が屈み込み、彫刻のような微笑を寄せてこちらを覗き込んでいる。月光を吸った肌が真っ白に浮かび上がっており、それは彼女の表情の中心たる唇と、脚の間にあるサテン地の紫を映えさせた。
 さあ、と促しながら、琴美は男の顔に貼り付いた髪の毛を丁寧にのけてやった。優しい指先、繊細なその動きが、むしろ返事を誤ればすぐにでも命を奪うという意志と、それが与える残酷な猶予を思われた。彼は舌打ちをして、不機嫌そうに口を開けた。
「あんたらは、どこまで知ってる?」
「それが全然。だから凄く興味がありますわ」
「俺だって大して知らん」
 笑みのまま、目が据わったように彼には見えた。そして彼女は黙ったまま言葉を待っている。
「本当だ。馬鹿げた話だけどな」
「その身体は?」
「記憶がない。気付いたらこんな身体になっていて、誰かも分からん奴らから逃げていた。どこでこうなったのかも覚えていない。ひょっとすると、元からこんな身体だったのかもしれない」
「でも人間のそれじゃあありませんわね」
「ナノマシンという言葉だけは聞いた。だがこの通り、血を見ても特におかしなところはない。ただ、強い力が出る。それと傷の治りが早い」
「そして誰かの手によって消せる。跡形もなくね」
「ああ……。それ以外は何も。飯も食うし、人と変わらないはずだ」
「摂食方法や排泄等に何か異なった点はありませんの? あなたを見つけたがっている方々が、ゴミ捨て場をよく調べているみたいですけれど」
 今度は男の態度が険しくなる番だった。
「内緒はなしですわよ? どうして都内から離れないのかだって、私気になって仕方ないんですもの」
「東京を出ないのは、あいつが出たがらないからだ! 連中の事は本当に知らない! 大体奴ら、やろうと思えば俺を簡単に消せるはずだ。なのに何故今も無事なのか、それだって分からないんだ! ナノマシンが機能不全を起こしたのか、何かのために泳がされているのか、それとも本当の俺はとっくに死んでしまっていて、これは単なる夢の続きか何かなのか……俺はそれすら知らないんだ」
 溜まっていたものを吐き出したように息をつく彼へ、琴美は怪訝そうに片眉を下げた。
「彼らが気にしているのは、彼女のお腹の赤ちゃんじゃなくて?」
「……赤ちゃん?」
「あら、知らなかったの」
 憐れむでも嘲るでもなく、一欠片の感情もない響きである。それが男の胸中を静かにした。彼はしばし琴美との会話を忘れ、女の事を思い起こした。辺りには遙か上空を飛ぶ飛行機の音がゴウゴウと鳴っていて、その耳鳴りがいつまでも離れなかった。程なくして彼は、そうかとぽつんと言って、立ち上がった琴美に目を向けた。それは喜びや悲しみ、戸惑いや幸福というあらゆる色が混ざり合った、透明な瞳だった。
「彼女とはどこで?」
「どうだっていいだろう。つまらない、普通の女だ」
「でもお腹の中は違いますわ」
「……どういうつもりだ」
「違う、というだけですわ。ただそれが厄介でしょう? 人は違いを恐れますもの。今までも、これからも……。人によっては自分に出来る事が出来ないというだけで怒り、出来ない事が出来るというだけで憎みますわ」
「あいつは関係ない」
「何も知らないあなたが判断出来て? もし体液中でもナノマシンが機能していれば……」
 言いながら、琴美は拳を受け止めた。そしてその向こうに歯を食いしばりながら殺意を放つ男の姿を見た。彼女は彼の拳を掴んだまま撫で回すように手の痺れを確かめ、にこりと口角を上げた。
「頑丈で良かった。それじゃあその娘のために、もう一頑張りですわ」
 周囲を囲む人の気配に、男はそこで気が付いた。彼の肉体はもう再生しつつあった。

 同じ色調のジャケットとパンツ、そして同じような顔の男が六人。琴美達はそれを目の前にゆっくりと構えた。彼女のクナイの他に、武装と呼べそうなものは見当たらない。
 敵の一人が耳の通信機に向かってぶつぶつ何か言い始めた瞬間に、彼が踏み込んで蹴りを浴びせた。が、派手な音とは裏腹にその脚は受け止められ、脇に抱えられていた。しかし彼はそのまま身を浮かせ、もう片方で相手の後頭部を捉えると、体勢が崩れた相手を下から打ち上げ、そのままハイキックで地面へ叩き伏せて首を取った。
 それへ周りの仲間が群がろうとしたところを、琴美の刃が間を縫うように舞った。傷は浅い。それでも首筋や関節の腱等、この者達にしても気になる程度の要所から血が噴き出し、ほんの少しの時は稼いだ。その隙に彼は極めていた首をへし折り、彼女は狙いを定めた一人に躍りかかる。空中で横へ高速に回転し、その勢いをぶつける一閃。それは防御のために上げられた腕のみならず、顔面の一部を削り取り、敵を吹き飛ばしていた。
 着地直後、横から振り抜かれた腕を避けて一本背負いを繰り出した彼女は、更にその肩関節を損傷させクナイでえぐり取った。が、深手を負わす前にまた寄ってきた者を相手にせねばならず、やられはしないものの、どの敵にも致命傷を与えられないでいた。琴美の実力を持ってしてもこんな具合で、一方の彼は当然苦戦を強いられた。
 まだ治りきっていない片目側から下を攻められ、そのために意識を下げると顔をめちゃくちゃに殴られた。それでも動ければ十分とばかりに打撃を返し、目の前の一人だけに集中して彼も力任せに押していった。血まみれで顔は腫れ上がり、それでも進んでいく様はまるで亡霊のようだった。やがて彼はその一人を倒すと、それから馬乗りになってひたすら拳を振り下ろした。横からどんなに殴られ蹴られようとも、攻撃をし続けた。
 琴美がやっと三人目の全身の腱を切り刻んだ時、彼はぼろ雑巾のように身体を掴まれ、地面に何度も叩き付けられていた。彼女は跳び、一人残ったその敵の脊椎に二本のクナイを突き立てた。そして虫のようにもがくのを見下ろし、首を裂いた。
 敵は制圧された。しかし彼は既に口がきける状態にはなかった。痛みを感じているかは分からないが、もはやその機能が破壊されていた。琴美が手を差し伸べようとすると、彼はただアパートの方を指さした。そしてじっと彼女を見つめ口を動かそうとしていたが、いつかそれも諦め、目を閉じて休んだ。

「あいつは?」
「残念ですけれど」
「そう……」
 部屋の奥、あの窓枠の上に腰掛けながら彼女は呟いた。
「外にいる自衛隊の人間が後で来ますから、必要なものを纏めておいてもらえるかしら?」
「は? 何であたしが?」
「今まで泳がせていたのに、連中は彼を消した。誰かの手に渡るよりは処分を選ぶという単純な行動ですわ。今、あなたが一人で安全に暮らせる場所はどこにもないの」
「冗談でしょ……。あんたのせいなの? あんたが来たから!」
「いずれこうなったわ。もしあなたが何も知らなかったとしても」
「ちょっと、勘弁してよ……。あたしは関係ない」
 頭を抱える彼女に、琴美は密かに眉根を寄せた。
「でも子供には血が流れているでしょう。その子を守るためよ」
「子供? 何で知ってるのよ? これが問題なの?」
 腹に添えられた手には力が入り、小刻みに震えている。
「これ、誰の子か分からないのよ。ねえ、あいつの子供じゃなかったら、行かなくていいの? もう変な奴に狙われない? ねえ!」
 彼女の浮かべたその他者からの安楽と保証をねだる笑みに、琴美は何も言えなかった。
「最悪堕ろせば何とかならない? ねえ? まだ大丈夫だから」
「……それじゃあ、私では判断出来ないから、ちょっと確かめてきますわ」
「本当? ありがとう!」
 琴美は、正義感に突き動かされるような理想主義者ではない。強い現実主義者だ。だが今の彼女には、どんな主義主張も浮かび上がれない、じっとりとした疲れがこびりついていた。扉を後ろ手に閉め、琴美は通信機に向かってあの女を適当に言って保護するようにと伝えた。そしてこれ以上の事を考えるのは自分の仕事ではないと言い聞かせるように決着を付けると、それまでの思考を全て断ち切り、さっさと意識を明日へ向けてしまった。その行為は、長年培った彼女の特技とも言えた。
 だから、こうして歩く水嶋琴美は颯爽として綺麗だった。そこには血の生臭さや生暖かさは一切なく、ただただ冷たく美しかった。彼女は今日も、一つの任務を完璧に終えたのだった。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
JOEmasa クリエイターズルームへ
東京怪談
2013年05月27日

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