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『夜闇の中で奮う心 』
久遠 仁刀ja2464)&桐原 雅ja1822




 夜の訪れと共に、冥魔の世界はその暴威を顕わにする。
 光は潰えたのだ。
 時間はなく、開らかれた悪魔のゲートを潰すだけの戦力はもう撃退士に残っていなかった。
 幾ら獅子奮迅とその武を奮おうとも、最早決まった敗北だ。孤軍奮闘に奮起しても、それは己の死を意味する。
 名誉などない。誇りなど欠片もない。
 生き残る為の惨めな敗走。その事実が胸に刻まれていた。
 けれど、鼓動は跳ねる。激痛を伴いながらも久遠 仁刀(ja2464)の身体を突き動かす。
「此処で……」
 故に痛みは後悔。屈辱と劣等感、己を苛むそれらを噛み締める。
「……此処で、終れるか!」
 自分の無力さは知っている。だが、だからと認められない。
 この膝を折る訳にはいかないのだ。負けてはいない。終わってはいないと、久遠は己の心を奮い立たせる。
 手にした斬馬刀の柄を強く握り締め、踏み込むと共に横薙ぎに放つ神速の斬撃。
 白雪の如き剣気を散らし、自分達を追いかけていた鬼武者の胴を両断する。だが、その刀身も酷く刃毀れしており、ディアボロを斬った際に付着した血と脂で切れ味は鈍っている。
 先程の一閃も、その鋭さは半分以下だろう。増えていく身体の傷は、久遠の速さも力も、技の冴えさえ奪っていく。
 加え、群がるディアボロはその一体のみではない。
 首なし騎士が突進し、その長剣を突き出す。風切りの音は聞こえたし、その姿は捉えている。だが、脚を負傷している久遠の反応は遅れている。
「仁刀先輩……!」
 故に助けたのは共に戦っていた桐原 雅(ja1822)。高速の踏み込みと同時に繰り出した胴回し蹴りの衝撃は騎士鎧を貫通し、後方へとデュラハンを吹き飛ばす。
 共に無二の存在を失わぬ為、冥魔の結界の中で戦い続けている二人。光輝を展開し、逃げ遅れが出ないように殿を務めながら本陣へと後退を続けていた。
 誰かが努めなければ、無防備な仲間の背が襲われる。
 その時、どうして自分達は仲間を助けなかったのだと、久遠も桐原も後悔したくないのだ。
 だが、その中でも久遠の負傷は激しい。動く度に傷口から血が零れて、道路に滴り落ちる。
「……仁刀先輩、まだ動ける?」
「この程度、どうと、いう事はないさ」
 よろめく身体を支えるように、桐原と久遠が背中合わせの形を取る。そして、その二人を取り囲むディアボロの群れ。身を引き摺るようにして立ち上がるデュラハン以外、既に追撃隊には強力な個体は殆ど存在しないが、二人で相手するには数が多すぎる。
 出来れば、正面から肩を支えたい。そして、本音を告げるならば、そのまま逃げたいと桐原は思ってしまう。
 背に感じる熱と温もり。唯一無二の恋人である久遠を失いたくないのだ。何時も傷だらけになってまで戦い、どんなに深手を負っても前のめりに駆け抜ける姿。
 心配にならない筈がない。
 そして、流れる血潮の熱さを感じて、一瞬だけ泣きそうになった。

――ねぇ、どうしてボクをそこまで庇うの?

 最前線で剣を振い続けた久遠の身体は傷だらけ。だが、共に肩を並べていた桐原は久遠程の大きな傷を負っていないのだ。
 その理由は考える必要もなかった。久遠が桐原を庇いながら戦っているのだ。
 
――そんなにボクは頼りない?

 そうではないと桐原も解っている。
 ただ互いに守りたいだけ。傷ついて欲しくないだけ。その想いは同じなのに、擦れ違ってしまっている。
 傷つくなら共にで良い。戦っているのだ。大切だから傷ついて欲しくない気持ちは解るけれど、それで久遠の傷が増えるのは耐え切れない。
 悲しくて、やりきれなくて。服に付いた久遠の血液の熱さに、桐原は願いを込めた。
 こんなにも傷ついている彼の前で、弱音なんて吐きたくないのだと。
 そして願わくば、久遠を護る力が欲しい。その為の力がないのが、どうしても嫌だった。
 一瞬だけ表情をくしゃりと歪ませて、けれど、弱音なんて吐けないと桐原は眼前の敵を見据えた。
 声は続く。久遠が喋る限り、涙で擦れた言葉なんて返せない。
 信頼を以て掛けられる声に、信頼以外で返したくない。
 今出来る事はただ一つ。群がるディアボロの爪牙を全て砕き、久遠にこれ以上、傷を負わせない。
 決意を瞳に。燃え上がる想いは胸に。振り絞り、全力で放たれた闘気は翼の形となって桐原の背に顕れる。
 


「雅。無理するな。……戦えなくなったら一度下がれ」
「ボクは仁刀先輩より先には倒れないよ。下がるなら仁刀先輩と一緒」


 その凛々しさに久遠は笑った。
 それは自嘲と信頼と安堵を掻き混ぜて一つにした、奇妙な微笑み。
 桐原の存在が、背に感じる温もりが愛おしくも心強い。同時に、自分の弱さに自己嫌悪を抱かずにいられない。
「負けられるか。退けるか」
 自分達の背後には負傷した撃退士だけではなく、一般人を積んだトラックがある。
 命を一つとて、これ以上失いたくないのだ。誰一人、死なせたくない。死者に渡せる生命など、一つとてあるものか。
「……何も背負ってない、天魔の眷属如きに敗れる剣じゃない」
 こんな所で倒れていたら――目指す剣敵には到底、刃は届かない。構え直した斬馬刀に、全身の気を注ぎ込む。
 アウルは最早尽きたも同然。身体を癒す術も最早ない。
 気力を振り絞って立ち、視界は霞んでいる。身体を巡る血も足りていないのだろう、脚の感覚が鈍い。だが、握り締める剣は確かに此処にある。
「俺の剣を壊し、砕けるというのなら、砕いてみろ。お前達一匹残らず、斬り伏せる!」
 喪失と敗北を飲み込み、けれど誓うように久遠は吼える。
 自分は無力だ。でも、何も出来ない訳じゃない。足掻くように、掻き毟るように、胸に刻み込む。
 そして雪崩れ込むディアボロの群れを迎え撃つよう、久遠と桐原も走り出す。






 薙ぎ払われたスケルトンの長剣に冴えなどない。
 それはタイミングを合わせる事を知らずに突き出された別の骸骨の穂先も同じく。 
 心なく、繋がりなど皆無。そんな骸の軍勢、桐原にとって脅威でもなければ、恐れる筈もない。
 紙一重で迫る刃を避け、繰り出す上段足刀。軌跡に戦気で紡がれた白い羽根を散らし、スケルトンの警部を破砕。そのまま止まらずに回転すると、槍を突き出した腕を掌底で撃ち砕く。
 アウルの残量は微量だが、だからといって止まらない。何処までも加速していく桐原の武。
 いや、焦っているのか。
 自分でも胸の鼓動が煩いと感じている。高揚ではなく、むしろ不安を抱いている桐原。
「……させない……」
 呟いた声は擦れている。
 追撃で放たれる蹴撃で砕かれる骸骨。それを一顧だにせず、更に速く、速くと桐原は動いた。
「仁刀先輩を、これ以上傷つけさせない……!」
 視界に入るディアボロが何体か、数える暇もない。群がるそれらを武を持って打ち砕き、一秒でも早く殲滅しようと縦横無尽に駆け回る。
 そんな桐原と共に駆けるは久遠。傷ついて欲しくないと思うのは彼もそうだ。
 いや、こんな危険な目に桐原を合わせている自分への苛立ちを覚えている。己がもっと強ければと、奥歯を噛み締めた。そんな後悔をしている暇も、資格もないというのに。
「邪魔だ!」
 桐原を護る為に繰り出した剛の一閃。横薙ぎに放った刃は纏めて三体のグールを両断して突き抜ける。いや、最後の一体はもはや破砕。技のキレがなくなっている。
 重なり続けた負傷と疲労は限界寸前。剣士としてかなりの域にある筈の久遠の体捌きも鈍っている。
 思い通りに動かない身体。まるで鈍の刀になったかのようで、胸に痛みが走る。もっと強ければ。そう思い、願わずにはいられないのだ。
「けど、止まっていられる程、俺は……」
 だがこれが現実。目の前に突き付けられた無慈悲。
 負けたという事実を呑む事など、出来ない。
「……まだ、負けていない!」
 故に燃える闘志は潰えない。吼え猛る精神の向かう儘、不条理な戦場へと前のめりに駆け抜ける。
 旋回する身体に合わせて、踊る刃。翻る剣閃光。衰えと鈍りを見せても、決して低級のディアボロに見切れるものではないと斬り捨てて行く。
 剣舞は血飛沫の赤を伴って久遠の周囲を煌めく。周囲の血が敵手のものか、久遠の身体から零れたものかも解らない程に激しく。
 けれど、その合間を縫って長剣が降り下ろされた。残る上位のディアボロ、デュラハンが両手で降り下ろした一閃。肉を斬り、骨を断つ重厚なる刃。
「させないよ!」
 だが、久遠の周囲を踊るのは振う斬馬刀のみではない。信頼し、互いに心と魂を預け合う久遠と桐原は互いの間合いを熟知していた。故に刃が触れるようなギリギリの場所で共に立ち、久遠にもはや傷一つ付けぬと脚を奮う。
 変幻自在の蹴撃は瞬きの間に三度放たれていた。腕を蹴り上げて剣の軌道を狂わせ、脚に一打を二得て動きを止めて脚部を蹴り砕く。
 動きの止まったデュラハンへ繰り出されたのは久遠の唐竹割りの一撃だ。頭部はなくとも首元から腹部までを縦に斬り裂かれては倒れる他にない。
 大技を繰り出した久遠へと迫る亡者の刃と爪牙。それらを悉く撃ち返し、撃ち落としていく桐原の拳と脚。純白の閃光が躍り、鮮血が舞う事を許さない。
 剣と武の舞、繚乱の花と化す。
 高速で奮う桐原の武芸が久遠を護り、全身全霊を以て攻め懸る久遠の刃が道を斬り拓いていく。
 死地に光明を見出す為。二人は全身全霊を以て戦い続ける。
「まだ、まだ……っ…!」
 だが、ディアボロの全ての攻撃を捌ける訳ではない。
 元より、攻めを得意とするが守りを不得意とするのが桐原だ。高速の連撃、変幻自在の体術は戦場を駆け抜け、共に走る久遠を守ろうとするが、全ての剣を砕くのは不可能だ。
 久遠の肩口を掠めた切っ先。しかも酸性の毒を帯びていたのか、一気に傷口が溶けて白煙を噴き上げる。
「……っ…!?」
 感情の起伏が乏しい桐原でも、心がない訳ではない。恋人の苦鳴に、意識が途切れる。
 動きの止まった桐原へと繰り出される大鎌の一閃。咄嗟に半身を引いて、脇腹を斬り裂かれるに留めるが、その鎌刃も毒を帯びていた。
 激痛に顏が歪み、身体が止まる。身体と心の二重の激痛は、武を奮い、強さを競う戦乙女の身体さえ縫い止める。
 いや――護れない力が、口惜しかったのだ。
 倒す事のみに特化したばかりでは、助けたいという想いを実現できない。その事実を噛み締めて、桐原の脚を固まらせた。
 もしも、自分が守護の力を奮うものであれば、きっとこんな時、何か出来た筈。
 この翼がもしも庇護の翼であったのなら、大切な恋人で戦友である久遠を守れただろうか。
「お前……!」
 だが、それに対して突貫する久遠。己の負傷の方が大きい筈だが、桐原を傷つけられた事に意識の全てが向いていた。
 元より精神を擦り減らし、削っていく撤退戦。元より狭窄していた視野は、負け戦の中で更に狭まっている。久遠が桐原の危険に対して全力を以て対応するのは当然の事だったかもしれない。
 故に振り翳されたのは後の事など考えない全力の一閃。身体を旋回させた勢いを乗せ、袈裟に斬り裂く斬馬刀に全ての力を注ぎ込んでいる。
 冴え冴えと奔る剣閃の煌めき。身体の残った力の全てを込めた一刀。音すら置き去りにした刀身は流れるように大鎌を持ったディアボロを両断し、轟音を立ててアスファルトに切っ先を食い込ませる。
「……ぐっ……!」
 だが、それを放った久遠の身体は死に体だ。全てを攻撃へと力を振り絞った直後では、回避も防御も出来はしない。
 故に両断されたディアボロの背後から更なる二体のディアボロが躍り出ても反応出来ない。大鎌が、左右から降り下ろされる。
 言葉を発する暇もない。両肩を斬り裂かれて、久遠が膝を付く。決して強敵ではない相手……ディアボロの中でも下位とすら言えるファウストだが、衰弱しきった久遠にはその刃ですら脅威となる。
 久遠が膝を付き、倒れかける。桐原はその光景に精神が爆発するのを感じた。
 いや、感覚すら置き去りだった。風よりも早く駆け抜け、白光と化した飛び膝蹴りで一体目のファウストの首を砕く。地面へ着地する前に身体を捻り、二体目へと放つ蹴撃。
「――――っ――」
 何と口にしたのか覚えていない。だが、当れば鋼をも砕くだろう剛撃は、けれどファウストの肩を掠めるに留める。無茶な態勢からの攻撃は届かない。そもそも、意識して放った一撃ではない。
 守りたくて走り、繰り出した一撃。身を挺するかのような攻めに対し、大鎌が翻って地へと着地した桐原へと横薙ぎに振われた。
 久遠が何かを言った気がする。だが、避ける訳にはいかない。桐原の背後には久遠がいるのだ。横へとステップを踏んで鎌刃から逃れれば、久遠にその刃は届く。
 守る力が欲しいと、切に願い祈る。でも、此処は悪魔の世界。聞き届けるものは居ない。
「だったら、悪魔だろうと倒すだけ」
 全て承知の上だ。自分の胸にある護りたいという意志も、大切なダレカも。
 故に桐原の脚が選んだのはカウンター。大鎌にまともに切り裂かれると解りながら、上へと昇る蹴撃。
 当るより早く、大鎌の刃が二の肩を斬り裂いた。骨に食い込んで止まる。肩甲骨は堅い。だから、そこで受ければ両断はされないから……。
「……まるで仁刀先輩の戦い方が移ったみたい」
 感じる筈の激痛はなかった。前のめり駆ける彼がどうして無茶ばかりするのか、少しだけ理解出来て、笑ってしまう。護りたくて、けれどその為の力が足りない。だから身を削り、傷を負うようにして戦うのだろうか?
 少しだけ解る。
 そしてもう少しだけ解ってあげたい。
 そうすれば、心配する必要なんてなくなるし――護る意志を武に変えられれば、久遠を助けられるのだから。
「だよね……」
 淡々とした声は、けれど決意の鋭さを帯びている。
 すらりと最上段まで振り上げられた脚が撓り、ファウストの頭頂へと向けて落ちる。一撃で屠るのだと、込められた闘気。落とす踵が頭蓋を砕く音を響かせた。
 ずるりと鎌の刃が肉から抜ける。痛みが一気に走り、倒れ掛かる所へと伸ばされる腕。
 それも血で染まっている。だが、暖かくて、熱くて、桐原はやるべき事をやれたのだと信じた。
「無茶を、するな……!」
 息を絶え絶えに、恐らく意志の力のみで気絶を防いでいる久遠が叫ぶように口にする。
 冥魔の結界。その中は恐ろしい程に静かで、久遠の声を酷く響かせた。空虚な場所に何処までも想いの声が満ちて行く。
 他者を思い遣るものこそ、魂の存在なればこそ。
 その胸、この胸。何もない訳ではない。血と肉と骨ばかりが詰まっている訳じゃない。
「雅が倒れたら、俺は……っ……!?」
 涙より熱い血が久遠の頬から落ちる。後ろから抱き締められる形で、自分より背の低い恋人の声を上から聞く桐原。ああ、もう立っていられなくて、膝を付いてしまっているのかと。
 心配かけてしまう。この儘だと、きっと久遠は無茶をし過ぎる。でも、それが少しだけ嬉しい。
 そう思うと、気絶したフリをしたくなる。もっと心配してくれるかもしれないと、頬が緩んだ。でも、それは恋人への誠意ではないから――



ぞくりと、震える大気。


 


 
 冷たく、おぞましい剣気だった。
 妖魔とはこれ。鬼気とはこれ。それが形を成して、向かってくる。
 動かなくなったディアボロを踏み潰し、漆黒の鬼が久遠と桐原へと迫っていた。
「……大将が出て来た、か」
 唇を歪ませ、斬馬刀を肩に担いで呟く。
 満身創痍。意識は朦朧としていて、全力で放てる剣はよくて後三撃だろう。
「倒せば終わりだ」
「……ボク達の負けじゃないね」
 気付けば周囲を取り囲んでいた追撃のディアボロはもうなかった。
 残るは一体。将たる黒鬼のみ。奮戦虚しく、敗北する。ああ、そんなものは認められなくて。
「剣を奮った事に意味はない。力のない剣に意味はないと、俺は思いたくない」
「…………」
 歩み寄る黒鬼ではなく、黙して言葉を聞く恋人へと久遠は囁く。
 一人ではない。大事な人が傍にいる。
 無様は晒せない。共に歩き続けたい。言葉は何よりも胸の中で輝いている。
 最初から決まっていた。負ける筈がない。奮起する志は、より輝きを求めている。
 久遠の右手は斬馬刀の柄を握っていた。だが、左手に絡まる。桐原の指。
 言葉は要らない。その熱と動きだけで、全てが通じる。


「行こう、仁刀先輩」
 久遠の抱え込む暗闇を晴らす為に羽ばたこう。光翼のアウルは、きっとその為にそのカタチを作ったのだ。
 不の感情は分け合えば軽くなるものじゃない。だったら、共有するのではなく、それを払う暁になりたい。
「敗北の雪辱を晴らしに」
――私の声は、仁刀先輩の光になれるかな?
 不安に思うからこそ、決意を込めて。
 


「一瞬、一撃だ」
 抱え込んだ感情は澱のように濁っている。だが、それを抱えて沈む訳にはいかない。
 捨身に見える突撃。生傷の絶えない身体。でも仕方がないじゃないか。
 久遠は足りないし、弱いのだ。届きたい場所が高すぎて、何度でも落ちてしまう。
「全てを懸けて」
――だからって諦められるかよ。
 己は無力ではない。何れ届く理想の為に、この剣と、桐原の手を離さない。



――隣にいる人の為、強くありたい。






 疾走は何よりも早く。
 相手の一閃より鋭くある為に。
 血の飛沫が駆け抜ける久遠の跡を追い、桜花の如く散る。
 もう戦える筈のない身体から全身全霊を振り絞った結果として、走るだけで傷口が広がっていく。
「だから何だ」
 身を屈め、黒鬼の太刀の間合いへと踏み込んだ久遠。斬馬刀を下段に構え、切っ先は地面を掠めて火花を散らす。
「俺が傷つくだけで済むなら、幾らでも傷ついてやる」
 纏うのは静謐なる剣気。
 黒鬼の剣を前にして、久遠の瞳は水鏡の如く微塵も揺れない。
 故に黒鬼がその気迫に押された。全力での剛剣を上段から降り下ろす。轟音の響かせる太刀は、久遠に一振りとてさせてはならぬと。
 直撃する黒鬼の太刀。肩から右胸までを斬り裂かれ、吐血しながら両膝を付く久遠。
 受ける余力などない。交差法で放っても、負傷した久遠の太刀の方が遅い。だからこれは当然。
「――そうだ」
 久遠は地を這っている。だが、その程度で諦める筈がない。
「――俺が倒れても、お前を倒す」
 一刀を受け、地に両膝を付きながらも横薙ぎに繰り出す刃の冴えは脅威の一言。意識など当然のように失っている。ただ執念の意志のみで久遠が放った無の太刀。鬼の片脚を切断し、姿勢を崩す。
 一対一なら相打ちにすらならず、続く黒鬼の剣が首を跳ねただろう。だが、久遠の背を飛び越え、威烈伴う白光が奔る。
「二度と、そんな無茶はさせないから」
 僅かな時間差を以て、突き出された桐原の貫手。久遠が一撃目を受け、反撃で脚を止める。そして、トドメと桐原の一撃。言葉もなく、僅かな擦れ違いもみせずに成された連携。
 裂帛の闘気は光に似て、黒鬼の左胸を貫き、心臓を破壊する。文字通りの迅雷、一瞬の電光石火。
 共に信頼したからこその戦術だった。
 久遠が斬馬刀で受ければ桐原の貫手は機を逃すし、久遠が黒鬼の脚を止めなければ急所に直撃しなかっただろう。
 薄れていく意識。だが、その中で大切な人の声が聞こえる。
 耳朶を打つ、何より愛おしい音色。
「二度と、こんな無茶はさせないって誓うよ。護るから……仁刀先輩を」
 守りたいのは、久遠の方。だから先んじて黒鬼の一刀を受けるという無茶な役をやったのだ。
 男である久遠にそれは任せて欲しい。だって、桐原が傷つく姿なんて見たくないから。
 譲れないのだ。カッコ悪いかもしれないけれど。
 ああ、でもと。
 負けていない。終わってはいない。誓おう。この地を取り戻す為、二人で歩むと。
 この戦いが始まった時の二人ではない。
――だから、次こそは……。
 その胸の輝き、闇の呑まれぬ限り。
■WTアナザーストーリーノベル(特別編)■ -
燕乃 クリエイターズルームへ
エリュシオン
2013年06月03日

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