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『*梅雨の晴れ間に 』
冷泉院・蓮生3626)&さくら(NPC4940)


 訪れた町中のあちらこちらで、アスファルトから生えてきた小さな可愛らしいたんぽぽや、季節外れの桜の花弁が落ちているのが見えたので、蓮生は微かに口元を緩めた。
 梅雨の晴れ間は、天上へ還る雨の匂いと日差しとが織り交ざって心地よい。長く続いた雨の合間に外を出歩いていた蓮生は、奇妙な痕跡を数えるようにして歩みを進めていく。
 公園のクローバーの茂みには、一か所だけ妙に四葉のクローバーが多い場所があった。
 鮮やかな若葉を揺らす桜並木は、たまの晴れ間に張り切っているだけとも思えないほどキラキラと光を零している。
 アスファルトや石壁に小さな草花が姿を見せ、背を伸ばしている。
 「痕跡」をなぞる様に蓮生がそんな草花に軽く触れると、雨の露を纏っていたそれらが喜ぶようにふるりと震えた。


 縁あって一度訪れたことのある神社に、蓮生が様子うかがいに顔を見せたのが先程のこと。その神社を任されている神主見習いの少年に拝み倒される格好で頼まれごとをしたのもついさっきのことだ。
「頼むよー、さくらの奴、多分町のどこかに居るんだと思うんだけどさ、全然帰ってこないんだよ。探してきてくれない?」
 俺も手が放せないし、神様が見えるヒトなんてそう居ないし、と困った顔で言われれば、蓮生には否やを返すことなど出来よう筈も無く、結果として今こうして、傍から見るとふらふらと――蓮生にしてみれば、相手の残した痕跡を追いかけているだけなのだが――町を歩いている訳である。
 痕跡は追いかけてみると、どうも町を隈なく歩き回っているようだった。商店街を抜け、住宅街の蜘蛛の巣みたいに張り巡らされた細い路地を抜ける。シャッターの降りたままの寂れた空き店舗の前では、子供を産んだばかりらしい母猫がせっせと仔猫を舐めていた。見れば一匹は怪我を負っていたようだが、それを「誰か」がついさっき癒したばかり、という気配が残っている。
<あら。今日は随分と不思議な気配の方ばかり通られる>
 顔を上げた母猫にそう言われ、蓮生はじっと彼女を見遣った。それから、彼女が大事そうに抱えた仔猫の一匹を指して問う。
「怪我をしていたのか?」
<ええ。さくら様が癒してくださいましたよ。全く、自分だってフラフラの癖にねぇ>
 そうか、と相槌を打ちながら蓮生は母猫をそっと撫でる。彼女はゴロゴロと咽喉を鳴らし、こう教えてくれた。
<さくら様をお探し? 多分そろそろ、小学校の方じゃないかしら。下校時間はいつもそうなのよ>
「そうか、行ってみるとしよう。助かる」
 この礼はいずれ、と生真面目に告げる蓮生に、可笑しそうに母猫は笑い声を挙げてその姿を見送った。変わった方ねぇ、と言われたが蓮生の方にはそんな自覚は無いので、首を傾げるばかりである。そうしながら小学校の方、と尻尾で示された方角を見遣ると、視線の先には転々と、アスファルトに草花の痕跡が残り、近付けば微かに陽だまりの独特の柔らかな匂いが漂っていた。梅雨の晴れ間はキモチイイねぇ、なんて、通りすがりの近所の老夫婦が語らうのが聞こえてくるもので、緩む口元を押さえられず、蓮生はまた歩き出した。


 小学校に、鐘の音が響く。学校から解放された子供達が走ったり、笑ったりしながら校門を出て来るのを、小学校の向かい側、電柱の上で、下校する子らを眺めるとなしに眺めて頬杖をついているその人影に、蓮生は笑みと一緒にため息を零した。ようやく、探し相手を見つけることが出来たようだ。
 あの神主の少年が心配していたぞ――そう告げようとしたところで、ふと、蓮生の視線は一点に向けられる。よくよく見てみれば、少し難しい表情をした電柱の上の人物、否、正確に言うと「ひと」ではないが、とにもかくにも彼も「それ」を見ていたようだ。無論、己も人ならざる蓮生にも「それ」は容易に見て取れる。
 帰り道を行く子供達を恨めしげに、羨ましそうに、複雑に入り混じった負の感情を抱えて見つめる小さな黒い影。不穏なものを感じて一歩近付こうとする蓮生を、電柱の上の人影がそっと諌めた。
<ちょっと待って、蓮生君>
 声と同時、ひらりと電柱から飛び降りて来る。薄紅色をした女物の着物がふわりと広がって花が咲いたようにも見えた。狐面から覗く金茶の瞳は少しばかりの緊張をはらんでいる。
 ――先の神社で蓮生が探すことを頼まれた相手、つまり神社の祭神の一柱であるところの町の守り神がそこに居た。名前は、確か人間相手には「さくら」とだけ呼ばせていた筈だ。
<少し様子見ててくれない?>
 そのさくらが、首を傾げながらそう告げる。
「…? 町の守り神の貴方が言うなら、そうするが」
<ふふ、私の顔を立ててくれるのか。ありがとう>
 狐面の下の口元を緩めて、それからまた、さくらは道向うの子供達へと視線を移す。黒い小さな「それ」は、しばらくの間恨めしそうに影に淀んでいたが、やがてその手を一人の子供へと伸ばした。長い髪をポニーテールにした少女の髪を引っ張ろうとしているようだ。
(不味いんじゃないか?)
 アレは多分、幽霊か、怪異の類であろう。蓮生の眼にすら輪郭も定かではないから、まだ力は弱いのだろうが、何がしかの恨みを帯びて生まれたモノには違いない。そういう「モノ」が、霊的な感受性の強い――それはつまり、影響を受けやすい、ということだ――子供に触れるのは、およそ良い影響が無いことは容易に想像できる。さすがにそろそろ止め時ではないか、と身を乗り出しかけた蓮生だが、肩越しに振り返ると、さくらはまだ何かを堪えるようにぐっと眉根を寄せて、腕を組んで立ち尽くしていて、蓮生の視線を受けると首を横に振った。まだ、駄目。まだ我慢。そう言っているようにも見え、蓮生も自然と眉根を寄せてしまう。

「それでさ、先生がねー?」
「あ、ね、ちょっと待って」

 そんな彼らの見守る先。影がちょっかいをかけようとしていた少女達の一団は賑やかにお喋りを交わしていたのだが、やがて一人が足を止める。背中のランドセルを前に回して蓋を開き、手探りで中をまさぐっていたが、やがてそこから折り紙で作られたらしい造花が出てきた。端に少し皺のよったそれを丁寧に伸ばしてから、彼女は道端の小さな小さな、気を付けなければ見落としてしまいそうな地蔵尊にそれを供える。
「みかちゃん、何してるの?」
「この間、お供え物のお花、倒しちゃったでしょ?」
「えー、何それ」
「ママがね、ちゃんとお詫びをしないと駄目だよって言うから。バチが当たるんだって」
「ある訳ないじゃんそんなの、みかちゃんのママ変なの」
「だってママ、昔、ここでユーレイ見たことあるって言ってたよ。女の子のユーレイ」
「あ、それ、私聞いたことあるよ。ここで事故にあって死んじゃった子が居るんでしょ?」
 馬鹿みたい、と一人はそっぽを向いたが、残る二人は生真面目に地蔵尊に花を供えて手を合わせた。その様子を見て、そっぽを向いていた一人も渋々、という様子で手を合わせる。
 黒い影はその様子を後ろからしばらく見守っていたが、やがて、仕方が無い、というように干渉をしようとしていた手を引っ込めたようだった。恨めしそうな表情には変わりはないが、我慢してやろうと、そう思っているようにも見える。
 蓮生はほ、っと息をつき、背後を見遣った。
「こうなることを見越していたのか」
<まさか。ただ、まぁ、何ていうのかな…自力で何とかしてくれるんじゃないかなと。信頼してみた、と言うところかなぁ>
 それから彼は笑って、黒い影に向けてふわりと歩み寄った。そうやって歩くたびに足元に花弁が落ちたり、アスファルトに萎れていたツユクサが青い花を綻ばせていくので、彼の痕跡は、ことに蓮生のように感覚の鋭いモノには大層分かりやすい。蓮生も彼と一緒に道路を渡って、地蔵尊の前で項垂れている黒い影の傍に立った。
<よく我慢したね、えらいえらい>
 さくらはそんなことを言って、黒い影を撫でまわしていた。不服そうに黒い影は項垂れるばかりで、そんなさくらにも無反応だ。さくらが困ったように眉尻を下げた。止む無く、蓮生も黒い影に声をかけてみることにする。
「長くここに居るのか?」
 問いかけながら、すい、と手を伸ばし、触れる。わだかまる小さな闇は、しかし触れれば、決して薄暗い感情ばかりではないことが知れた。蓮生は、淡く微笑み、彼女の――そう、触れれば分かったことだが、それは幼い少女の幽霊のようであった――心の微かな光に力を添えた。
「恨みも悲しみもあるだろうに、先程は堪えてくれたのだろう。有難う」
 幽霊の少女が、口を開く。微かな、本当に微かな力の無い声。
 ――あの子達がお地蔵さまに花を供えてくれたから。
「あの地蔵は、君のためのものなのか?」
 問いに答えたのは、背後で立っていたさくらの方だった。
<ん、そうだよ。この子が死んだ後、この道路に幽霊が出る、ってちょっとした騒ぎになってね。憐れんだ町の人が、彼女の為に建てたものなんだ。…まぁ、彼女は結局成仏せず、ここに残ってる訳なんだけど。とりあえずあのお地蔵様は、彼女の為のもの、で間違ってない>
 そうか、と蓮生は頷いて、もう一度黒い影の頭を撫でた。蓮生自身も見目は少年なのだが、その蓮生よりも、輪郭の甘い影は頭一つ分は小さい。幼いまま、訳も分からず死んでしまい、そのままここで自分と同じ年頃の少年少女が賑やかに過ごすさまを見ているのだろうか。
「辛かったろう」
 ――…平気。
 幼い子供に特有の強がりなのだろう、と容易に知れる口調だった。輪郭さえ曖昧な存在なのに、口を尖らせてそっぽを向く姿さえ想像できてしまい、蓮生は苦笑する。それから彼は視線を合わせる為に屈めていた膝を伸ばし、黒い影の後ろにある小さな小さな地蔵尊の祠を覗き込んだ。先程の小学生たちが置いて行った折り紙の造花の他にも、小さな花や駄菓子の類がそっと供えられている。社自体も小奇麗にしていて、誰かがまめに掃除をしているのに違いなかった。
「大事にされているんだな…」
 思わずそう零すと、黒い影は困惑したようであった。少し恨みがましい調子で、応えて曰く。
 ――あなたも、私に、早く成仏しろって、言うの。
「? そんなことを言われたのか」
 ――うん。私が見える、人に。そう言われた。ここに居るべきじゃないから、居なくなるべきだって。
「まだ、『ここ』に居たいのか」
 逆にそう問いかけてみると、それこそ困った様子で、途方に暮れた迷子のように彼女は呟いた。
 ――分からない。
 そうか、と生真面目に蓮生は頷いた。さくらを振り返ると、さくらの方はにこにこ笑っているばかりだ。成仏させようだとか、道を示そうという様子は見受けられず、蓮生は少しばかり呆れた。
「…存外、町の者に対して厳しい方針なんだな?」
<私は瀕死なんだよ。いつ消えるかも知れない。私抜きでもやっていけるようになって貰わないと、困るからね>
 成程。そういう考え方もあるか。
 さくらは、自身でも言う通りだが、既に本体であるご神木を喪って久しい「瀕死」の神だ。蓮生から見ても存在自体が儚く、いつ消えてもおかしくは無い。それでも町の人間の素朴な信仰心が生きているので、何とか命を繋いでいるという状態なのだ。だからこその厳しさなのだろう、と考え、それからふいに今日ぐるりと見てきた町の様子を思い起こして、今度は苦笑してしまった。
<え、何?>
「いや。…その割には、事故にあいそうになった子供を助けたり、枯れそうな畑の作物を甦らせたり、仔猫の怪我を癒したり、妙な所で甘いな、と」
<…だって放っておけなかったんだもん>
「その割には迷う幽霊には厳しい。…妙な神も居たものだ」
<一応、ホントに危ないことをしでかしそうなら止める積りではあったよ>
 言いながら、さくらは面の下でむくれて見せる。だからこそ、見守っていたのだろうと蓮生にも今になれば理解できたので、それについてはこれ以上は触れないことにした。それよりも、今は、背後の小さな存在の方だ。
 ――私、どうしたらいいのかな。
 今は恨みさえ鳴りを潜めて、本当に途方に暮れたような様子の幼子に、蓮生は再度視線を合わせる。言うべき言葉、伝えたい言葉はいくらでもあったが、少し思案して蓮生はこう返すことにした。
「自分で決めるといい。もし、『ここ』から去りたいと、あるべき場所に向かいたいと思えたら…そうだな。俺を呼んでくれたら、いつでもあるべき場所へ還してやれる。呼ぶといい」
 それくらいの助力は良いだろう、と目くばせすると、さくらは笑って、悪いね、と口元だけで呟いたようだった。




 神主見習いが心配していたぞ、とやっと探していた目的を蓮生がさくらへ伝えると、さくらは苦い顔をしたようだった。
<あの子はどーも過保護というか、心配性で困る…>
「心配させるようなことをしているんじゃないのか?」
<うーん>
 どうだったかなぁ、と、町の守り神は呑気に空を見上げた。つられて蓮生も空を見遣る。そろそろ夕暮れも近い。どこかの家から出汁の香りが漂っていた――煮物だろうか。そんなことを考えていたら、視界からふ、と、さくらの存在が消えた。さすがにいきなり消えたわけではないだろうが、元々今にも消えそうな存在なのである。驚いて足を止めてしまった蓮生は、自らの足元を見て嘆息した。――どういう理屈なのか分からないが、実体を持たぬはずのさくらは、路上に倒れ伏していたのだ。
「どうした?」
<……ちょっと力、使いすぎた…>
 眠い。と唸るように主張されたが、どうしろと言うのか。仕方が無いので、蓮生は彼の身体に触れ、自らの力を少しばかり分け与えることにした。既に死んでしまった本体ばかりはいかな蓮生と言えどもどうしようもないが――少し時間をかければ往時と同じように満開に割かせることは出来ても、「甦らせる」まではさすがに至らない――、一時的に「元気に」するくらいであれば助力は出来る。よろよろと立ち上がる町の守り神の姿を見やりながら、しかし、と蓮生は嘆息した。
(…あの神主見習いが心配する訳だ)
 恐らく普段からこうして町中で倒れているのだろう。道理で勢い込んで蓮生に探すよう頼む訳である。
「…あまり無理も無茶もすべきではないと、思うぞ」
<でもほら。あの幽霊の子は、もしかしたら、だけどさ。ウチの妹神みたいに、守護霊の類になるかもしれないよ。そしたら私も楽が出来る>
 考えてない訳じゃないぞ、と言わんばかりに胸を張るさくらに、蓮生は再度嘆息した。今度は苦笑も交えて。
「だからと言って無茶をして良い、という道理にもならないだろう」
<むう。そう言われちゃうと返す言葉が無いなぁ…>
「程々に、な」
 だが、彼が町を想う心も。蓮生には分からないでもないのだ。彼が町の守り神だから、と言うだけでなく、今日一日ずっと痕跡を追っていて感じた事だ。彼はこの町を、好きで好きで仕方が無いのだろう、と。だって彼の痕跡は、ひとつひとつが、溢れるような祝福に満ちていた。――大好きなものの為に時には無理も押してしまうのは、きっと人も神様も、同じことだ。
 きっと彼はまた無茶をするのだろうし、そして、とも蓮生は思う。
 さくらを好いているらしいあの人間達は、そんなさくらを慌てふためいたり、心配したりしながら、やっぱり支えていくのだろう、と。
 それがいつまで続くこの町の風景なのかは分からない。だが、少しでも長く続けばいいと、そうも思う。
(…彼らに幸いがあるといい)
 ほんの少し、そう願うくらいは。
 既に死を眼前にしている彼の運命は変えられないが、それくらいはきっと許されるだろう。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
夜狐 クリエイターズルームへ
東京怪談
2013年06月04日

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