▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『始まりの雨 』
徒紫野 獅琅(ic0392)&神室 時人(ic0256)


 しとしとと雨が降る。
 音もなく、それは静かに体の表面を濡らし、柔らかな髪の先から雫となって落ちてゆく。
(あっけない)
 足元に転がる骸へと、徒紫野 獅琅は膝をついては持ち上げる。
 奪い尽くし、打ち捨てられた残骸。
 何一つ身を飾るものを持たぬ『それ』を、無造作に着物で拭ってやる。
 青碧色の瞳には、何の感情も浮かんではいなかった。
 あっけない。
 命とは、たった一振りの刃でこんなにも無残な姿に成り果てる。
 己へ戦い方を――奪い方を教えた存在は、うつろな記憶の向こうだった。
 物心ついた時には『便利な志体持ち』として使われる生活。
 自分が身を寄せる集団が『盗賊』と称されるものだということを知るにも時間がかかったし、知った時にはどうしようもない状況だった。

 今は、ひとり。

 何が転げてひとりに成ったか、それすらも曖昧だ。そしてどうでもいい。
「……どうするんだっけ」
 弔い、という言葉を獅琅は知らない。
 綺麗になった顔を、何かを訴えようとする顔を、獅琅は、じ、と見つめる。

 死者は何も語らない。

「祟りに来い」
 言葉とともに、獅琅は『それ』を風葬の野へと放り投げた。
(誰も彼も――俺、も。等しく儚い)
 振り返ることなく、獅琅は来た道を引き返す。
 繰り返してきた言葉だが、あいにく、今まで誰一人として祟りに来た者はいなかった。

 あっけない。はかない。命など。意思など。

 濡れた体が小さく震えるが、その奥に潜む感情を、獅琅は知らない。




 人に殺される時は案外と早く来た。

 空はカラリと晴れていて、吹く風は穏やかで、昨日と同じ今日、今日と同じ明日が退屈に続いていくように思える、そんな日のことだった。
 息が詰まって声が出ない。
 背中が熱い。
 振り返る。
 嗚呼。
 その後ろに、広く広く青い空もあるというのに――最後に見るのが、下衆な男の顔だとは。
(……あっけない、な)
 頭に浮かんだ言葉も淡白で、なんだか可笑しかった。
 目を閉じる。体に力が入らない。
 世界は暗転した。




「それじゃあ、またしばらくは来れないけれど…… 皆さん、お元気で」
 山村への訪問診療を終え、神室 時人は村人へ人好きのする笑みを差し向ける。
 遭都のとある名門貴族の時人であるが、こうして足を延ばし、できる限りのことをしていた。
 立ち去り際に、呼び止められて振り返る。
 今は天気がいいけれど、きっと昼から崩れると声を掛けられる。
「ありがとう。……急いで帰るとするよ」


 山の気候は変わりやすい。
 手土産をも受け取り、時人は近道を使って家路を急ぐ。
 獣道も慣れたもの。
 木々の上、空が灰色の雲で覆われはじめ、足を早める―― その先で。
「……うん?」
 少年が、倒れている。
 病か……賊にでも遭ったか。
「大丈夫かい?」
 駆け寄り、助け起こす。
 背へ差し入れた手が体温を感じ取り、浅く上下する胸に安堵するのも束の間、ところどころ破れた衣にべったりと血が滲んでいることに気づく。
「!!」
 目を見開き、時人は応急処置の道具を広げた。

 ――ぽつり

 天から雫が落ちてくる。
(まずいな)
 雨は、体力を消耗させる。早いうちに帰宅をして、充分な手当てをしなければ……。
 血で汚れた上衣を剥ぐと、鍛えられた体に無数の刺し傷があった。
 あどけない少年の顔に、あまりにも似合わない。
「……大丈夫だから」
 意識のない少年へ言葉を掛け、時人は傷口を洗い薬を擦り込む。包帯を巻きつける。
 穢れのない雨水は、かえって良いのかもしれなかった。
 陽の光に焼かれるより、恐らくは優しい。
 少年を背負い、時人は山を下り始める。




(あったかい……)
 柔らかな何かに包まれる感触。それが何であるか、獅琅はわからない。
 ふわふわと柔らかく、あたたかく……
 耳に響くのは雨音。
(……あめ)
 雨。
 記憶の最後は青空で、つまりここは―― ここは?

「起きたかい?」

 柔らかく、低い声。
 知らない。誰だ。
「私は神室 時人、医者だよ。山道で、君が倒れていたところを勝手ながら手当させてもらった。君の名前は?」
「……あだしの、しろう」
 徒紫野 獅琅。
 音にして、ようやく実感がわいてきた。
(生きてる)
 生きてる。
「どこか、痛むところはないかい? 刺し傷ばかりで傷口の回復自体は早かったけれどね」
 黒髪の獣人は、そういって獅琅の顔を覗きこむ。自身と対照的な赤い瞳に、獅琅の不安そうな表情が映り込んでいた。
「刺し……」
(そうだ、俺、刺され…… ……)
 記憶の最後は青空、それから靄のかかったように思い出せない男の顔。
 恐らくは、その男に刺されたのだろうが、それがどこなのかも思い出せず、無数というからには一人によるものでもないのだろうが、途切れた記憶を辿ることはできない。
「あのまま、捨て置いてくれて……良かったのに」
 自分が、そうしたように。

「投げ捨てて良い命などないよ」

「え?」
 予想に反する言葉に、獅琅は弾かれたように顔を上げた。
 視線を交わす時人は一瞬だけ、厳しい表情をしていたように思える――が、すぐにそれは解かれた。
「痛くないなら、それでいいよ。けど、しばらくはこの家でゆっくりしていくといい」
 戻る場所はあるのか―― 口にしそうになり、時人は飲み込む。
 外見年齢の割に醒めた印象の少年に違和感を抱くも、今は深入りすべきではないだろう。
 それより、養生が大事だ。
「歩けるのかい?」
「え うぐ」
 獅琅が腹に力を入れると、途端に全身がバラバラになりそうな痛みに襲われる。
「怪我による傷もそうだけれど、しばらく体を動かしていなかった反動もあるだろう」
 わかった上での時人だった。
「お世話に……なります」
 そうと知らぬ獅琅は、顔を真っ赤にして小さくなる。
 ようやく年相応の表情を覗かせ、時人は目を細めた。




 神室の家で過ごすようになり、随分と時が経った。
「先生」
「ああ、獅琅君。探していたんだ」
 お医者の先生だから『先生』。無意識に呼び始めたことを、時人も抵抗なく受け入れていた。
 街へ出かけたという時人の帰宅、出迎えようとしたところで入れ違いになったらしく、互いに廊下を小走りしていた。
 ようやく顔を合わせたところで……どちらともなく、笑いが生じる。
 何をやっているんだか。
(先生は、俺とは違う)
 優しくされる度に、獅琅の心の中で溝は深まるばかりだった。
 育ちが良くて、性善を信じる、誠実な人柄。それが時人。
 今まで、そんな存在があるなんて考えても見なかった。
 いつかどこかで騙されていたと発覚するのかとも危ぶんでいたが、一つ屋根で過ごすうちにそうでないと知れる。
(俺は……違う)
 命を奪い、投げ捨ててきた。
 時人との出会いで自覚してしまった己の罪の重さを、告げることはできなかった。
「獅琅君は、真面目だねえ」
 時人は、獅琅の過去に触れることはしない。
 必要であれば、獅琅自身から語ることもあろう。
「真面目…… ですか?」
 自分の、どこがだろう。
 だって、俺は
「怪我からの体慣らしだって、根を詰めすぎて傷口開いてたじゃないか。もう少し、肩の力を抜いて気楽にするといいよ」
「気楽…… 俺が」
 許されるのだろうか、そんなこと。
「獅琅君、菓子は好きかい?」
 キラキラの金平糖が入った包みを手渡す。
 時人が外出していた理由は、それだった。
「菓子……」
 餅や饅頭なら食べたことはあるが、こんな綺麗なものは初めてだ。
「他にも、たくさん買い込んできたからね。お茶にしよう」
「あ、はい――」
 踵を返す時人を、獅琅は追いかける。
 踏み出す足に、もう痛みがないことを伝えそびれたままだ。
「朝は晴れていたのにね。急に崩れてきたから慌てたよ」
「……本当ですね」
 言われてみれば、室内にも雨の前特有の匂いが広がっている。


 先生。先生。
 再び歩ける体としてくれた時人へ、報いたい気持ちはある。
 しかし血塗れたこの手で何が出来るかわからない。
 血塗れた身の上を語ることもできない。


 過去を語らぬ少年へ。
 出会った頃に比べ、表情は明るくなったが――瞳の奥に時折のぞく、暗いものの理由は知れない。
 怪我や病気ならば治してあげられるだろうけれど……負った心の傷は、そうもいかない。
 自分を慕ってくれる存在へ、できることなどないのだろうか。



 言葉にできない互いの重いが零れだすように、鈍色の空からはパタリパタリと雨粒が落ちていた。
 いつかその雨が、心に燻るものを洗い流す日が来るのであろうか。
 ――それはまた、別のお話。




【始まりの雨 了】


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
【ic0392 / 徒紫野 獅琅/ 男 / 14歳 / 志士】
【ic0256 / 神室 時人 / 男 / 28歳 / 巫女】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
ご依頼ありがとうございました。
初めての舵天照ということで、緊張しながら取り組ませて頂きました。
お二人の雰囲気、想い、表現できていれば幸いです。

■WTアナザーストーリーノベル(特別編)■ -
佐嶋 ちよみ クリエイターズルームへ
舵天照 -DTS-
2013年06月07日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.