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『素数蝉 』
フェイト・−8636)&(登場しない)


 IO2エージェント、コードネーム「フェイト」は、4年間のアメリカ研修でさまざまな体験をした。
 誰かが休みだとほぼ確実に行われるホームパーティー、上司や同僚の口から発せられるアメリカンジョーク……それは日本人であるフェイトにとって、カルチャーショックでしかない。
 しかし、日本の夏に決まって思い出すのは、ある日の奇妙な事件のこと。それは今も耳の奥に、そして脳裏に焼きついている。
「また……この季節か」
 フェイトは恨めしそうに街路樹を見上げた。今の東京に、そいつらの姿はない。
 だからこそ思い出す。鮮明に、あの日のことを。


 フェイトがニューヨークに本部を置くIO2に在籍していた頃から、ただの研修生とは思えぬ大器であった。その凄腕エージェントに困難な依頼が用意されるのは当然。いわば宿命であり、運命といえよう。覚悟はいつも胸の奥に……フェイトは上司の前に立った。
 ところが、彼の受け取った書類は、説明不足の状況と意味不明な単語が並ぶばかり。上司もその書類から抜け出したかのごとく能天気で、彼の覚悟なんて察しもせず、極めて緊張感のない雰囲気で話す。
「今、アメリカでは『素数蝉』という生物が大量発生しているっていうんだ、フェイト。それをなんとかしてほしいんだ!」
 課内に響く声で笑う上司に対し、フェイトは「はぁ」と相槌を打ちながら、とりあえず内容の把握に努める。
「ああ、それ読んでも意味わからないだろ? 大丈夫、俺はおろか上層部だって意味わかんなかったから。HAHAHA!」
「だったら、チームを組んで事件を解決すべきではないのですか?」
「でも、被害届は公園のママさんとか、庭の芝刈りしてるファーザーばかりだから。とりあえず仕事したっていうアピールだけしてくれればOKだぜ!」
 通常の任務と同様、武器の所持などは認められているが、調査を真剣に行う必要はなく、「休暇を利用した旅行気分で望んでもらって構わない」と伝えられ、フェイトはいよいよ眉をひそめる。
「で、被害が一番大きいコネティカット州に旅行、ですか。わかりました。ただ、何か大事になっても知りませんからね」
 フェイトは上のやり方に不満があるのか、機嫌が悪そうだった。
 だが、相手はこんなことを言う始末。
「OH! どうしても無理だったら連絡してくれよ。相手が蝉だけに、シカーダない‥‥しかだない、仕方ない、ってこともあり得るからな。HAHAHAHAHA!」
 微妙なアメリカンジョークが炸裂すると同時に、フェイトはもちろん、椅子に座っていた同僚もその場で派手に転んだ。

 そんな寒いジョークに見送られて、フェイトはコネティカット州へと赴く。ここはニューヨークから近く、彼もちょっとした旅気分を味わえた。
 しかし、楽しい気持ちもここまで。車を降りると、蝉の声がすぐに聞こえた。フェイトはいつもの黒スーツにサングラス姿のまま、再び被害届を内容に目を通す。
「さすがに蝉の鳴き声がうるさいな。一般市民からの苦情が多数あるという点は、なんとなく納得できる」
 少し聞き込みをしようかと、近所の公園に赴くフェイトだが、その音量は上がるばかり。まさにボリュームのつまみが壊れたスピーカーさながらである。彼は課内で見せた、あの表情をもう一度浮かべた。
 フェイトはあの時、意味不明な依頼を嫌ったわけではない。実は「虫が嫌い」なのだ。でもそんなことで依頼を蹴るのは、プロフェッショナルではないと、彼は自分なりにがんばっているのだ。今もかろうじてプライドが自我を保っている、そんな状態だった。
 公園に差し掛かった頃、大音響に少しずつ異音が混じり始める。それは羽音……素数蝉が移動する時に発生する羽音だ。虫嫌いのフェイトにとっては苦痛以外の何物でもない。彼は何気なく街路樹に目を向けた瞬間、信じられない光景を目にした。
「う、う、うわぁっ! な、なんだ、この数っ!!」
 1匹見たら30匹……という例えを実感できるほど、すさまじい数の素数蝉が木々を覆い尽くしている。青々とした葉っぱなど、見えやしない。それだけの数が彼の近くに迫っていた。この蝉、困ったことに殺意や殺気がまったくなく、フェイトが事前に察知できなかったのも災いした。
 これで卒倒しない虫嫌いがいるだろうか、いやいない。フェイトは今も増え続ける蝉を見て、思わず「ぎゃーっ!」と一声叫んで、ついには気絶してしまった。

 フェイトは救急車で病院に運ばれ、1時間ほどでさっそうと退院。すぐ任務に戻ったが、「無茶はできない」と冷静に分析した。
 まず、数が多すぎる。この時点で、ほとんどの異能力が封じられた。また、拳銃でも対応は無理。最後に残された手段は、己という肉体を武器にした体術だが、それを披露したら確実に救急車を呼ぶハメになるだろう。これはさすがに恥ずかしいし、1日で2度となると普通に怒られてカッコ悪い。正直、こんなこと凄腕エージェントのやるこっちゃない。
 ということで、上司の指示に従う形で、今回は徹底的に篭城することにした。昼間はカフェでアイスコーヒー1杯で何時間も粘り、夜はモーテルで耳栓をして寝る生活を繰り返す。しかし時間が経つに連れ、蝉の声は気にならなくなったが、逆にテレパシーで念が聞こえるようになってしまった。こうなると耳栓も無駄。昼も夜もなく、蝉の世間話がダイレクトに飛んでくる。
『冬眠ってすることなくて暇なんだよなぁー』
『おっ、あの子かわいくね?』
『あいつ、この季節に黒スーツかよ。人間って大変だな』
 フェイトが「うるさい!」と叫んでも、全員に伝わるはずもなく、声は収まらない。しかも蝉は総じて能天気で、彼の苦情を意に介さない。極めつけは、テレパシーが通じることさえ疑問に感じないのだ。地獄のような滞在が、淡々と過ぎていく。

 コネティカット州にやってきて4日目の夜。
 この日もサングラスの上にアイマスクをしてベッドに入ったフェイトだが、今日もまた蝉の大合唱と感度十分のテレパシーに苦しんでいた。蝉のパーティーは、この日が最高潮。被害の大きい地域では、行政が持つスピーカーから負けじと音楽を流したりして対抗するが、もはや人間たちの限界も近い。ノーガードの殴り合いはいつまで続くのか……
 しかし、蝉の話す内容は、この日だけはなぜかほぼ同一だった。それを知り得たのは、無論フェイトのみだが。
『もう最期だから、たくさん鳴こ鳴こ』
 その言葉を聞いた彼は、ある推論を立てたが……ひとまず寝ることに専念した。もちろん寝れるはずもなかったが。

 早朝、目の下にクマを作ったフェイトは、恐るべき光景を目にする。
 あの素数蝉が一斉に死んで、地面を覆い尽くしていたのだ。そう、蝉の寿命は短い。彼らもまた例に漏れず、長くは生きられなかったというわけだ。
 これで事件は解決したのだが、なんとも腑に落ちないというか、どこか物悲しいというか……フェイトは何ともいえない気持ちになった。
「蝉だけにシカーダない、か……」
 まさか上司のジョークを口にするとは思わず、彼は苦笑いを浮かべた。

 その後、「街は蝉を集めて墓を作った」と、フェイトは報告書に記している。その数が素数であったかは明らかにされていないが、素数だとしてもとんでもない数だろうから、もう名前については気にしないことにした。
 そういう謎多き蝉とアメリカの研修時代に出会い、救急車で運ばれた。フェイトにとっては、その記憶だけで十分である。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
市川智彦 クリエイターズルームへ
東京怪談
2013年06月25日

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