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『「幸せはあなたとともに」 』
猫宮 京香(ib0927)

●2人の時間
「はい、雫くん。お弁当ですよ〜」
 いつもより早く起きて作ったお弁当を差し出して、猫宮京香(ib0927)は傍らに座る真亡雫(ia0432)へと笑いかけた。
 その笑顔に眩しげに目を細め、手渡された弁当箱を丁寧に解く。中から現れた料理に、雫は口元を緩めた。
「ちょっと見た目は悪いですけど、とっても美味しいですよ〜」
「ええ、美味しそうです」
 煮物を口元へと運ぶ雫の様子をじっと見つめていた京香が、詰めていた息を吐き出す。
 ふわりと綻んだその表情に目を奪われて、雫は口に入れた煮物を嚥下するのも忘れて見入った。
「雫くん? どうかしましたか? お、美味しくないとか‥‥?」
「え? ああ、違いますよ」
 今度は不安げに瞳を揺らす。
 のんびりおっとり、いつも微笑んでいるような印象があるけれど、京香の表情はよく変わる。そんな彼女を一番近くで見ているのは自分なのだと思うと、優越感にも似た感情が雫の中に芽生える。くすぐったくて、嬉しくて、でもほんの少し不安が混ざった感情。
「雫くん?」
 眉を下げて覗き込んでくる京香に悪戯心を起こして、ついと視線を逸らす。
「雫くん? 本当に何か‥‥きゃ!」
 急に腕を掴まれて、京香は短く声を上げた。
 どうしたのかと問うよりも先に、何かが唇に押し当てられる。驚いて雫を見れば、彼は笑いを堪えながら京香を見下ろしていた。彼が持った箸には、京香の作った煮物。
「美味しいでしょう?」
 俯いてもぐもぐと口を動かしながら、京香は唇を尖らせる。
「‥‥雫くん、ずるいです〜」
「そう、ですか?」
 こくんと頷いた京香に、雫はしばし考え込む素振りを見せた。
「それなら、これで許して下さい」
「え?」
 京香の目の前に差し出されたのは、上品な塗りの重箱だ。
「その、京香さんに喜んで貰えるように‥‥僕も作って来たんです。お弁当‥‥」
 照れているのか、少し頬が赤い雫と重箱を見比べて、京香はその蓋を開けた。
「わ‥‥」
 思わず感嘆の声が漏れる。
 彩りよく詰められた弁当は、どれも手の込んだ品であると一目で分かる。野菜には飾り包丁が入れられ、魚の切り身は食べやすい大きさで。ちょこんと脇を飾るのは季節の山菜だ。
 落とした視線は雫が持つ自分の弁当に。
 美味しいものが出来たとは思っている。けれど、雫の繊細な弁当と比べると、野菜の切り方も盛りつけ方も全然違う。
(自分で言うのもなんだけど、漢の弁当! って感じでしょうか〜?)
 ほんの少し落ち込みかけた京香に気付いているのかいないのか、雫は京香の弁当を抱えてぽつりぽつりと語る。
「散策に誘って貰って、凄く嬉しくて‥‥お弁当、作ってくれるのも楽しみで、僕も何かお返ししたいと思ったんです。それで、京香さんが僕の為にお弁当を作ってくれるなら、僕も京香さんの為に、って」
 だから、と雫は続けた。
「食べて貰えますか?」
 そのまっすぐな眼差しに、沈みかけた京香の心も浮き上がる。
「ほんと、雫くんはずるいですね〜」
「? そうですか?」
 互いに顔を見合わせて同時に噴き出した。
「さっきも言いましたね」
「ですね〜」
 一頻り笑い合うと、京香はあーんと口を開ける。
「え?」
 これには雫も予想外だったようで、何度か目を瞬かせた。
「雫くんが食べさせて下さいね〜。雫くんが、私の為に作ってくれたお弁当」
 はい、あ〜ん。
 再び口を開けた京香に、真っ赤になった雫がほぐした魚の身をそっと含ませる。
「美味しいです〜」
「‥‥そう」
 素っ気ない物言いも、雫が照れていると分かるから気にならない。
「じゃあ、今度は私が雫くんに食べさせてあげますね〜」
 驚いた雫に有無を言わさず、デコボコもそのままな芋をその鼻先に突きつける。観念して口を開く雫に、どうしようもない程に愛しさがこみ上げて来て、自然と笑みが浮かんだ。
「幸せですね〜」
「‥‥そうですね。山でお弁当を食べているだけなのに、どうしてこんなに幸せなのでしょうか」
 言いながら空を見上げた雫の表情は穏やかだ。
「どこにでもある山なのに」
 2人で手を繋いで山道を歩き、時折顔を出す小動物達に歓声をあげ、道端に咲く小さな花を愛しむ。少し恥ずかしくて、気の利いた言葉なんて言えなかった。
 彼女はつまらなかったんじゃないか。
 そんな雫の不安を一蹴するように、京香が呟く。
「あはは〜、そうですね〜。でも、私は雫くんと一緒なら、何処でも楽しいですし、幸せですよ〜」
 頷き、満ち足りた気持ちのまま雫は空を見上げた。
「‥‥雲」
 突然、眉根を寄せた雫に、京香が首を傾げる。
「雲?」
 雫の視線を追った京香の目に、青い空の一角から灰色の染みがみるみると拡がっていく様子が飛び込んで来た。
「思ったより早い‥‥。京香さん」
 振り向いた雫に京香は手にしていた弁当箱を手早く片付ける。
 幸せな時間が終わりを告げるのは寂しいが、今がどんな状況かを考えずに駄々をこねるような無知ではない。
 急ぎ足で山を下る2人の上に、ぽつりぽつりと雨が落ちて来たのは、それからしばらくしてからの事であった。
「京香さん、ひとまずあの木の下で雨宿りをしましょう!」
 あっという間に雨脚が強くなり、視界が悪くなる。足下もぬかるみ、このままでは危険だと判断した雫は、京香の手を取り、大きく枝を広げる木の下に走り込んだ。葉の間から滴は落ちてくるが、雨に打たれ続けるより幾分ましである。
「すぐに止むと思いますが‥‥」
 言いかけた雫が言葉を止める。
 髪から滴る水を搾っていた京香は、どこか呆然としている雫の姿に慌てたように声を上げた。
「雫くん、びしょ濡れですよ〜」
 荷物の中から手拭いを取り出して、京香は雫の頭へと手を伸ばす。
「っ!」
 咄嗟に、雫はその細い手首を掴んだ。
「? 雫くん?」
 見上げた雫の瞳が熱を孕んでいる。
「ちゃんと拭かないと風邪‥‥」
 続く言葉は雫の唇に吸い込まれた。
 永遠にも思える一瞬の触れ合い。
 そっと離れていく唇に、京香は頬を上気させながら尋ねた。
「な‥‥んで、いきなり‥‥」
「すみません。でも、今の京香さんが‥‥とても綺麗で‥‥」
 つっと雫の指先が濡れて張り付く着物の襟元を辿る。
「こんな綺麗な京香さん、誰にも見せないで」
 いつにない雫の行動。吐息混じりに落とされた囁きはあまりに小さくて、それでも京香の心と体を熱くした。
 繰り返し落とされる雫の激情を受け止めながら、京香は彼の背に腕を回したのだった。

●ずっと一緒に
「すっかり遅くなってしまいましたね〜」
 激しい通り雨が過ぎた空を見上げて京香が笑った。
「ええ。でも、夜風が気持ちいいです」
 応える雫はいつもと変わらない。
「今日はとても楽しかった‥‥」
 伸ばされた手が京香の手を包んだ。
「私もとても楽しかったですよ〜」
 また、こんな風に過ごしたい。
 特別な事なんてなくていい。
 ただ、2人で同じ景色を見て、笑い合う。それだけで心は満たされる。
「帰りましょう、僕達の家に」
「はい、帰りましょう〜。戻ったら、一緒にお風呂で温まりましょうね〜」
 そして、同じ場所に帰り、共に眠る。
 何気ない日常こそが、この世の何よりも幸せで、得難いものなのだと2人は知っていた。
「ねぇ、雫くん。ずっと一緒に‥‥」
 いましょうね。
 そんな願いを込めて、京香は雫の手をきゅっと握り返した。
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舵天照 -DTS-
2013年07月04日

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