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『〜ともしび〜 』
来生・一義3179)&来生・億人(5850)&(登場しない)


 黒いゲル状の化け物が、身体をうごめかせ、一部を手のように伸ばしながら、予想以上の速い動きでこちらに迫って来る。
 来生一義(きすぎ・かずよし)は、あと一歩というところで何度もその「手」をくぐり抜けながら、必死で狭い家の中を逃げ回っていた。
 物がない分、狭いながらも逃げる場所はあるのだ。
(何とか…! 何とかならないのか…?!)
 視界の端にかつて「弟」だったモノを映しながら、一義は焦燥に駆られながら必死で次の手段を考えていた。
 最近見かけない、昔よく見たテレビ番組の芸能人の名前が思い出せないときのように、もどかしいばかりでどうにもならない思いに支配されながら、一義はその思いを何とか形にしようとしていた。
 それは、忘れてしまっているけれども、確かに大事なことだったはずだ。
 つかめそうでつかめないいらだちが、心臓を力いっぱい絞り上げる。
 あせる、逃げる――そのふたつしか許されないこの現実の中、一義の思考も精神も限界寸前まで追いつめられていた。
 だからといって、投げ出すわけにもいかない。
(あいつを…あいつを救えるのは、家族の私だけなんだからな…!)
 家族という言葉を胸の中で叫んだとき、少しだけ周囲の景色が明るくなったような気がした。
 キーワードはまちがいなく自分の中にある。
 全然思い当たらず、あせりばかりが募る中、それでもわずかな光明を見出して、一義はまた間一髪で、生き物の「手」からすり抜けた。



 来生億人(きすぎ・おくと)は大あくびをかましながら、目の前で起きている出来事をながめていた。
 元々ボロボロのアパートだが、さらに壁やら畳やらに被害が広がり、しまいにはここに住むことができなくなりそうなほど、「彼ら」は手に負えなかった。
 人間の方は単に聞き分けと往生際が悪いだけだが、あの生き物の方は既に意思と呼べるものは持っていないから、本能のみで暴れ回っているのだった。
 億人は、いつまで続くかもわからないような堂々めぐりの中、退屈そうにまたあくびする。
「なぁ、そろそろ諦めたらどないや。俺等の作ったモンをどないかできるて、本気で思とんのか」
 悪魔の力と狂気に満ちた天才科学者の才能が結実したのが、そこにいるあの黒い生き物なのだ。
 いくら既に一度は死を体験しているからといっても、ただの人間にどうこうできるようなものでもない。
 何しろ「あれ」はこの世界のものではないのだから。
 かったるそうに部屋の隅に座り込む億人に、一義の怒号がたたきつけられた。
「黙れ! どうにか『できる』じゃない、どうにか『する』んだ!」
 億人は「またか」と言いたそうにため息をつくと、やれやれと肩をすくめた。
「さよか、ほな気ぃ済むまで遊んだらええ」
 億人も一義も、ついでにあの生き物も、幸か不幸か「時間」に縛られない存在だ。
 もうかなりの年月待ち続けたのだから、回収が1日や2日先延ばしになったところで、地獄の上の者たちも文句は言わないだろう。
 欠片もこうして手の届く範囲にあることだし、心配は不要だ。
 億人は壁にもたれて、もう一度あくびをした。
「なんや、眠なってきたわ」
 難しい本を読むよりもたやすく、億人はこっくりこっくりと舟をこぎ始める。
 そこからほんの数十センチのところでくり広げられている修羅場など、とんと意に介していない間抜け顔で、億人はひとり昼寝としゃれこんだ。
 
 
 
 2時間くらいは眠ったかと思いつつ、億人が目覚めたとき、目と鼻の先くらいのところで、一義の表情が能面のように凍り付いていた。
 口は悲鳴をあげかけたところで止まっていて、目は極限まで見開いていた。
「んー…?」
 ねぼけ眼をこすりながら、億人が状況を確認する。
「あーなるほどなぁ…」
 逃げ損ねた一義のつま先が、ゲル状の生き物の黒い手の中にじわりじわりと飲み込まれて行く。
 恐怖と悪寒と絶望とがないまぜになった、それこそ地獄に落ちて来た瞬間の人間を思わせるような負の感情一色の一義の顔に、億人は「よいしょ」と言って立ち上がった。
 何もできない一義の横を、億人の手が行き過ぎる。
 億人が何をしようとしているのか、瞬時に察した一義は、悲鳴に近い声で彼を制止した。
「弟に触るな!」
 すんでのところで手を止め、億人は心底うんざりした顔になって一義を振り返った。
「しつこいやっちゃな。ゲームオーバー、自分の負けや」
「まだだ!」
 語尾にかぶせるように、一義が叫ぶ。
 あきれ果て、その次に襲って来たいらだちに、声を多少荒げて億人は一義に言った。
「ホンマええ加減にせぇよ、時間の無駄や」
 ついさっきまで、2、3日くらい待ってやろうと思ったことはすっかり忘れて、億人は遠慮せずに黒い物体にさらに手を伸ばす。
 その瞬間、
「うっわぁ!」
 億人の身体が畳の上に派手に転がった。
 弟に触れさせまいと、一義はとっさに力いっぱい億人を突き飛ばしたのだった。
「何しくさるんじゃ、幽霊風情が!」
 凄味を帯びた口調で、億人が怒鳴った。
 しかし、一義は億人の方など見ていなかった。
 億人を突き飛ばした手の、そのもっと先にある「何か」を凝視している。
 少々驚きながら、尻もちをついた状態で億人は一義を見上げた。
 一義の目に何かが広がっていく。
 それがいったい何なのか、億人にはわからなかったが、今までの彼が醸し出していたものとは正反対の何かであることは理解した。
 ためらいを見せたすぐ後、一義は億人を見ずにこうつぶやいた。
「私の勝ちだ」
 その口元に、静かな笑みが広がっていく。
 億人はわずかに眉をしかめ、彼の変わりゆく表情を見つめていた。
 
〜END〜
 
 
〜ライターより〜
 
 いつもご依頼、誠にありがとうございます!
 ライターの藤沢麗です。
 
 一義さんの見つけた「何か」、
 そして、彼らの向かう先がいったいどうなるのか、
 次回までひそかな楽しみにしております…!
 
 それではまた未来のお話を綴る機会がありましたら、
 とても光栄です!
 この度はご依頼、
 本当にありがとうございました!
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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東京怪談
2013年07月04日

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