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『止まない雨 』
庭名・紫8544)&鳥井・糺(8548)&(登場しない)

 雨が降っている。
 止まない雨はないものだけれど、今日は朝からずっと降り続いていた。重く立ち込めた雲から、しとしとと地面を叩く雨。気分まで重くなるようだと、小さく溜息を吐いた。
 いったいいつ止むのだろうかと――鳥井(とりい)・糺(ただす)は、任された席に座りながら、じっと雨を見つめる。










 庭名(にわな)・紫(ゆかり)は、庭名会の部下の運転する車に乗っていた。車は葬儀場の敷地に入り、静かに駐車される。黒塗りのこの車で移動することには、まだ慣れたとは言い切れない。
 今日、紫が葬儀場を訪れたのは、鳥井会若頭の葬式に参列するためである。車を降り、会場に近付いていくにつれて刺すような視線が増えるように感じてしまう。
 だがそれは、紫の気のせいばかりではないだろう。――鳥井の若頭を殺したのは、庭名の者である。おそらく鳥井はまだその事実に気付きはしていないだろうが、若頭を殺した相手を血眼になって探しているはずだ。葬儀場を訪れる者ひとりひとりを、疑わしく見ているかもしれない。
 押し潰されそうになる気持ちを奮い立たせ、紫は幹部の男の前に立ち、受付へと向かう。だがそこで、紫は大きく動揺することになった。
「――っ」
 息を呑む。受付を担当するその若い者は、紫の知っている男性だった。
 鳥井・糺。紫が入院していた頃、頻繁に見舞いに来てくれた。
 紫を見て、糺が少しだけ目を見開く。だが、何事も無かったかのように目を伏せた。
―――『鳥井』……そう、だったんですね。
 同じ苗字に『まさか』と思わなかった訳ではない。けれど、無関係であってほしいと、心の何処かで願ってしまっていたのだろう。兄がいたらこんな感じだろうか、と思うほど優しい存在が、同じ極道に――更に、違う組に身を置く者だなんて。
―――大丈夫。
 前に立って歩く紫の表情は、幹部の者には見えていないはず。ここで、糺と紫に縁があるとは知られない方がいいだろう。紫は平静を装い、深く頭を下げる。
「このたびは、ご愁傷様でございました」
「ご丁寧に、恐れ入ります」
 糺もまた、軽く頭を下げて返した。その眼差しが交差することはない。紫は、記帳するためにペンを手に取った。
―――書けない……。
 手が震えてしまう。たった三文字、名まえを書くだけなのに。そんな紫の手に、糺の手が重なった。
 紫が目線を上げる。糺は、記名帳に視線を落としたまま。
『落ち着け』
 言外に、そんな想いが伝わってくるようだった。周りに気取られぬよう、紫を気遣ってくれている。――見舞いに来てくれていた頃と変わらず、糺はやはり優しい。紫はペンを握り直し、名まえを書いた。
『庭名 紫』
 庭名、という自分の名を改めて目にして、紫は苦々しく目を細める。
 やがて葬儀はつつがなく終わり、紫は外に出て空を仰いだ。雨が降っている。帰路に着く人々が傘をさし、黒や白の花が咲く。モノクロの光景は、いっそう心を沈ませるようだった。
 紫は葬儀に同席した幹部の者と共に、迎えの車を待っていた。ここに送ってくれた者は、時間を潰しながら葬儀が終わるまでこの近辺にいる手はずになっていた。葬儀が終わったという連絡はすぐに入れたが、車はなかなかやって来ない。
「あいつ、遅いですね……少し様子を見てきます」
 傍らにいた幹部の者は、そう言うと傘もささずに小走りで通りの方に向かった。その背中を見送って、紫はまた空を見上げる。ぼんやりと、降ってくる雨粒を見つめ続けた。
「紫」
 ひとりになった紫に、そんな声がかかる。紫は微かに肩を震わせ、振り返った。










 紫に声をかけたのは、糺だった。紫がひとりになったのを見て、今なら話せるかもしれないと意を決し、近付いた。驚いた顔で振り返る紫に、黒い傘をさしてやる。――これで、周りにも顔などがわかりにくくなるだろう。
「身体は大丈夫か」
「……はい」
 糺の問いかけに、紫は控えめに頷いた。あまり元気の無いその答えに、本当に大丈夫なのか、と問い質したくなる。が、そんな立場でもないと、喉の奥で言葉を飲み込んだ。
「あまり無理はするなよ。また入院なんてしたら大変だ」
「そう、ですね。気をつけます」
「だから、そんな風に思い詰めるな」
 心配するあまり、少しだけ乱暴な物言いになってしまう。しまった、と思うが、上手いフォローも浮かばなかった。紫の方を見ることが出来ず、目を逸らす。
「糺さん」
 しばらくしてかけられた声に、糺が顔を上げた。そんな風に、紫から名まえを呼ばれるのも久し振りだ。何を言われるかと思いながら振り向くが、紫は意外なほどに穏やかな表情をしていた。
「……心配してくださって、ありがとうございます」
 さらり、と黒髪が揺れる。
「私は、大丈夫ですから」
 紫は笑って、そう言った。そして、糺のさす傘から一歩身を退く。背後から走ってくる足音が聞こえて、紫は糺に会釈するとその脇を通り過ぎていった。振り向いて確認こそしないが、迎えの者が到着したのだろう。間を置いて、糺は傘を閉じて建物の中へと戻る。
『大丈夫ですから』
 そう言った紫は、以前、糺が病院へ見舞いに行っていた頃と同じような笑顔だった。見る者まで優しい気持ちにさせるような、あたたかい表情。今日はじめて、紫のそんな笑顔を見た。
 その笑顔が見たかった。硬い表情を浮かべる紫は、色々なものを必死に抱えようとしているようで――病院で会った紫とは、別人のような気さえしてしまって。やはり紫は紫なのだと、糺は小さく息を吐く。
 それでも、彼女は確かに庭名の者である。しかも、会長だ。何も知らなかったあの頃ならともかく、知ってしまった以上、気軽に接することは許されまい。
「……あんな奴が、こんな世界に足を踏み入れちまってるなんてな」
 胸を痛めながら呟く糺の声は、紫には届かない。










 帰りの車の中、紫は窓の外を見ていた。相変わらず、雨は止まない。降りしきる雨を、飽きもせずにただじっと見つめる。
 庭名と鳥井。両家の間にあったはずの平な地面は、おそらく割れてしまう。ヒビを入れたのは庭名。
 雨が降り続けてヒビ割れた地面が固まるように、両家も繋がることが出来ればいいのに。――そう思っても、それは容易なことではない。むしろ、これから抗争になる可能性こそ高いのだ。
―――糺さんにまた会えたことは、嬉しい……のに。
 庭名は、なんてことをしてしまったのだろう。極道の世界ではよくあること――そんなことでは割り切れない。紫は今後のことを思い、人知れず静かに息を吐いた。










《了》



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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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PC
【8544 / 庭名・紫 / 女性 / 16歳 / 庭名会・七代目会長】
【8548 / 鳥井・糺 / 男性 / 20歳 / 鳥井組・幹部】
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
緋川 鈴 クリエイターズルームへ
東京怪談
2013年07月04日

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