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『予報通りに雨は降る 』
綾鷹・郁8646)&(登場しない)



 雨が降っている。
 綾鷹郁は壁に寄りかかりながら窓を眺めていた。
 どうせなら、晴れの日が良かった。その方が暗い気持ちにならなくて済んだ筈だ。
「予報でも雨だったから、仕方ないわね」
 自分に言い聞かせるように呟いた。涙が溢れそうだった。


 時代は流れて、今や太陽は老いてしまった。黄昏の国の科学者は長年培って来た知恵を絞り策を立てたが、失敗が続き、財政難にあえいでいた。
 そんな中、黄昏の国の老科学者がTCの旗艦を訪ねて来た。一国では厳しくとも、TCと共同で太陽のカンフル爆弾を開発出来ればあるいは、とのことだった。
 今年六十になる老科学者は、目に力があった。笑うと目の横に笑い皺が出来て、白い歯が見えた。普段は老けていたが、笑ったときだけ若く見えた。

 イイ。
 郁は思った。最近のチャラ男ばっかりの世界には、もーうんざりしていたのだ。
 研究第一の男。硬派な男。うん、彼に決めた。
 
「好きになりました! あたしと付き合ってください!」
「………………ハぃ?」
「年の差は気にしませんから、大丈夫!」
「私は気にするのだが。それに君、妻は亡くなったとは言え……私の娘は君より年上なんだよ」
「あたし年上の娘が欲しいと思ってました! 偶然ですね☆」
「年上の娘て」
「お弁当作ります! タコさんウインナー作れるんですよ!」
「私でも作れるよ……」
「得意料理は冷ややっこです!」
「弁当に入れる気か」
「あたしって結構尽くすタイプなんです。お買い得!」
 郁は思ったことを心の中にしまっておけないタチである。
 このせいで少しでも良いと思った男には即座に告白し、いらぬことまで喋ってしまう。そして結局、相手に逃げられてしまうのだ。

 だがこの老科学者は逃げ出さなかった。
 郁のストレートさに呆れたものの、彼女の恋心を利用しようとしなかった。
 そこがまた郁の恋心に火をつけた。

 研究の合間を見つけては、郁は老科学者の元を訪ねていった。アイサイ弁当を持って。
 実際、郁の料理の腕は上手く、老科学者を感心させた。
「何だ、美味いじゃないか」
「えへへっ。よく考えたらあたしって器用なんですよね、あたしの作る武器って最低でも百人は殺せるんですよ」
 にっこりとほほ笑む郁。勿論、器用さのアピールのつもりで言ったのである。
「どうしました? 顔が青ざめてますけど」
「い、いや……。…………。まあ、いいさ。それが君の個性なんだろう」
「? 身体には気をつけないと駄目ですよ。三か月後には試射があるでしょう?」
「――そうだなァ」
 珍しくのんびりと返事をした老科学者だったが、数秒の沈黙の後、吐き捨てるように笑った。
「身体に気を付ける、か。そりゃあいい」
「?」
 首をかしげる郁に、老科学者は言った。
「もう敬語は使わなくていい。君らしく振るまえばいいさ」
「ほんと? それって両想いになったってことー?!」
 嬉しさのあまり、声が裏返りそうになるのを堪えながら、郁は可愛らしく微笑んだ。
 郁の頭の中ではパレードが始まり、まるで世界中が自分の恋愛成就を祝福してくれている気分だった。
 老科学者の吐き捨てるような笑いのことなど、もう忘れていたのである。


 カンフル爆弾試射の日、郁は甲板に立ち固唾を飲んで見守っていた。
(大丈夫、きっと上手くいく。彼はあんなに頑張っていたんだから)
 だが無情にも試射は失敗に終わった。ターゲットとした星は一度強く輝いたものの、爆発してしまったのだ。
「でももうちょっとで成功しそうだったね。当日には上手くいきそうじゃない!」
 郁は明るい声を出して老科学者を励ました。
 しかし彼の表情は暗い――、
「これで終わりさ。私にはもう少しの時間もない」
「何を言ってるの?」
「明後日は私の誕生日なんだ。聞いたことがないかい? 決別の儀式のことを」
 老科学者は呻くように言った。

 決別の儀式――、
 成人は満六十歳になったとき、家族立会いの元で自殺すること。
 黄昏の国で千年前から続く風習だ。

 郁もこの風習は耳にしたことがあった。
 だが気に留めていなかった。TCという仕事上、知識として記憶されただけの、ごくつまらない情報――……の筈だった。何故なら郁にとって、あまりにも遠く、馬鹿げた風習だったからだ。

「くだらない! そんな風習が何なの? 無視しちゃえばいいじゃない!」
「ふざけるな! 先祖の知恵が生み出した、大事な儀式だ。誰も破ることは許されないんだ!」
「三日後は実験当日なのに!」
「それでも駄目なんだ! どうして分からないんだ!」
「分からんもん! 野蛮な風習やか!」
 郁の目からは大粒の涙が零れていった。真っ赤な瞳で老科学者を睨みつけると、立ち去った。

 その夜、郁は甲板に寝転がり、ぼんやりと夜空を眺めていた。
 思い出すのは老科学者のこと。郁が顔を出す度に、彼は研究の手を止めて郁を見た。そしてすぐに目を落とす。郁と向き合って話をしてくれるのは食事中くらいのものだった。
 そんな短い時間でしか一緒にいられなかったのに、悠久の時のように色濃く思い出として残っている。
(彼にとって研究は全てだったんだ)
(それなのに、こんなことで……)
 もう一度彼と話してみようと郁は思った。さっきは感情的になり過ぎていた。冷静に話せば、きっと――。


 翌日の朝、郁は老科学者へ会いに行った。
 昨日の非礼を詫び、自分たちの話をした。ダウナーレイスは水着姿で飛翔する。かつて女性の露出は破廉恥とされたが、服を着たままでは上手く空を飛べない。時代は変わっていくものなのだと。
 老科学者は郁の手を取った。研究を完成させるために、彼は亡命することを決意したのだ。

 だが政府の対応の方が早かった。儀式を執り行わないなら老科学者を国賊とすると脅し、彼の娘を向かわせた。説得させるためである。

「私は国のために生き残ることにしたんだ。私がいればもう少しで研究は完成する」
「研究なら若い人に引き継げばいいのよ。それより儀式を大事にして……」
「それでは間に合わないかもしれないじゃないか!」

 応接室のドアの外で、郁は複雑な表情を浮かべていた。
 郁には彼らのやり取りが理解しきれなかった。黄昏の国と無関係に育った郁にとって、彼らの考え方は頭では想像出来ても、それは一種の区別でしかなかったからだ。自分たちとは異なる国で育った、異なる価値観の人たち……。
 どうして娘は折れないのか。自殺を親に勧めることが出来るのか……。
 言いたいことは山ほどあった。
 けれど、郁は応接室へ入ることはしなかった。娘の声が上ずる度に、何度もドアに手をかけたが踏み留まった。それはTCとして様々な時代を駆け巡って来た経験からだろうか――二人の間に踏み込んではいけない気がしたのだ。
(娘と話し合って、彼が決めなきゃいけない。彼自身が決めなくちゃ意味がない)
 そう思っていた。

 やがて、娘の泣きじゃくる声が聞こえてきた。それは途切れ途切れに、低く響いていた。
「国賊の娘として生きていかなきゃいけない……。それがどんなことだかお父さんは考えたことがあるの……? 私一人残されて……どう生きていけば……」
 やや間があって、老科学者が何か呟いた。
 聞き取れない程の小さな声だが、呻くような話し方だった。
 その声を聞いて、郁は昨日のことを思い出した。
「明後日は私の誕生日なんだ。聞いたことがないかい? 決別の儀式のことを」
 彼が呻くようにそう言ったとき、もうこの未来は決まっていたのだ。
(ううん、そうじゃない)
 もっと前から決まっていたのだろう。千年も前から、決定されていたことだったのだ。

 ドアが開いて、老科学者が姿を現した。
 彼はまっすぐに郁を見た。
 視線は揺らいでいなかった。強い眼差しが郁を捉えていた。郁に恋をさせた目だった。
「分かってる」
 郁はポツリと言った。老科学者の言葉を聞く前に、自分の気持ちを伝えてしまいたかった。
「聞きたくないし、納得しきれてないけど。大好きだから、分かってる」
 郁は俯いた。顔を上げる気になれなかった。


 翌日は雨が降っていた。
 一週間も前から予報で言われていたことだった。今日は雨、明日は快晴。予定は覆らなかったのだ。少なくとも今日は。
「雨なんて嫌だったの」
 長い廊下を歩きながら、郁は呟いた。俯いた唇から言葉がポロポロと零れ落ちていくようだった。
 対して、老科学者の声は晴れ晴れとしていた。
「仕方ないさ」
 老科学者は更に言った。仕方ないさ、そういうものなんだと。
 大きなドアの前で二人は立ち止った。
 儀式のための部屋。ただそれだけの部屋。だがこれ以上の重みを持った部屋が、この世にいくつあると言うのか?
「娘が中にいる。君も一緒に来るかい」
 長い沈黙。
 その末に、郁は顔を上げた。老科学者の目を見て、今までで一番美しく微笑んで見せた。
「辞めておくね。大好きだから、踏み込みたくない」
「……そうか」
 老科学者は微笑んだ。目じりに笑い皺が広がった。二人が一緒にいる中で、初めて彼が心から微笑んだ瞬間だと郁は思った。


 壁に寄りかかりながら、郁は窓を眺めている。
 雨は止みそうになく、ますます強く窓を打ちつけている。
「予報でも雨だったから、仕方ないわね」
 顔を上げながら呟く。そうしないと、涙が零れていきそうだった。
 ――ドン!
 無感情な音が、低く低く、響き渡っていった。



終。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
佐野麻雪 クリエイターズルームへ
東京怪談
2013年07月08日

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