▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『夜抱く花に眠る。 』
ジョハル(ib9784)

 夜の帳がすっかり辺りを包み込み、多くの人々が寝静まった頃、妓楼はもっとも賑やかで華やかな時間を迎える。それは天儀でも、ジルベリアでも、アル=カマルでも変わらない。
 賑やかで、華やかで。秘めやかで、背徳に満ちた。
 そんな妓楼の1軒に、ジョハル(ib9784)が懇意にしている花魁は居た。その瞳の色にあやかり翡翠石の名で呼ばれる、彼女の真の名はジョハルの知る所ではないけれども。
 花街に暮らす女達の多くは、ろくな事情でやって来てはいない。だがそんな中にあってもなお女達は、たおやかに、しなやかに、誇り高く生きていた――もっとも、多くが檻に捕らわれたまま、二度と外の世界へ踏み出すことはない。
 鮮やかな緑の宝玉の名を持つ彼女も、そんな花魁の1人だった。そうしてただ馴染みの知己としてひと時を過ごすことができる、相手。
 かつて冤罪によって半身に火を掛けられ、男性としての機能を喪失したジョハルには、花魁と夜を共にしたとて男女の関係を持つことは出来ない。彼女もそれが解っていて、それでも変わらずジョハルを迎えてくれ、居心地の良いひとときを提供してくれるから、こんな夜にはつい、訪ねて妓楼に足を向けてしまうのだ。
 賑やかな夜、そこだけは静かな妓楼の一室で、ジョハルは小さな酒盃をとつ、とつ、重ねていく。酒盃が空になったのを見計らって、ごく自然な調子で花魁が杯を満たすのに、礼を言うとふる、と簪を鳴らして彼女は首を振り、翡翠の瞳に笑みを浮かべた。
 その笑みは、かつてジョハルが大切に想った人のそれとは、どこか違う。けれども同じ色合いの翡翠の瞳に、かの人の面影をつい重ねてしまうのも、事実。

(――5年)

 もう、と言うべきなのか、まだ、と言うべきなのか。海沿いにあったジョハルの、小さな、小さな故郷――その故郷が擁した豊富な水を狙って、蛮族が侵略をしてきてから――その最中に愛おしい婚約者を失ってから、そろそろ5年。
 ジョハルの右半身を覆う醜い火傷も、それゆえに光を宿さなくなった右の瞳も、永遠に子を成す事のない身体も、その最中に冤罪をかけられた結果の事だった。あの混乱の中で、ジョハルはあまりにも多くの物を失って、――もしかしたら感情すらも、失ってしまって。
 その日々は今もまだ、確かにこの胸の中にあるのに。

「恐ろしいんだ」
「――恐ろしい‥‥?」

 くい、と酒を飲み干して、ぽつり漏らしたジョハルに、花魁が翡翠の瞳に不思議そうな、思わしげな色を浮かべて首を傾げた。それに、小さく頷いて胸元に揺れる、ピンクサファイアのネックレスを意識する。
 あの日、失った愛しい人。大切な婚約者。ジョハルの胸を締め付けて止まない、大切な面影。
 そのはずなのに、けれども失った彼女の面影は、日々、ジョハルの中から薄れて行く。彼女が、ジョハルの中から少しずつ消えて行く。
 それに初めて気づいた時の、身体の芯が凍るような、身が震えるような恐怖をジョハルは、今でも鮮明に覚えている。婚約者の面影が失われるほどに、笑顔を思い出せなくなるほどに、その恐怖はより一層鮮やかに、ジョハルの胸に刻み込まれて。
 胸元に揺れる、ピンクサファイアのネックレスを、想う。原石をあしらったそれは、かつてジョハルが婚約者へと贈ったもので――無惨に失われた彼女が遺した、もの。

(戒め、なのだろうか)

 形見のネックレスの重みを感じながら、ジョハルは取りとめもなくそう考える。酒盃を重ね、僅かに酩酊する思考がそれに、拍車をかける。
 このネックレスを肌身離さず身に着け続けているのは、もしかしたら彼女を悼んでいるのではなくて、彼女を忘れまいと己を縛っているに過ぎないのかもしれなかった。だからこそ、彼女の笑顔が、声が、雰囲気が、仕種が、ジョハルに向けられた1つ1つが思い出せなくなる事に、これほどに恐怖を感じるのかもしれない。
 いっその事、これ以上彼女の面影がジョハルの中から薄れてしまう前に、彼女の面影を抱いたまま死んでしまえたら幸いだと、本気で思う。いつか彼女の事をすっかり忘れてしまって、顔も何もかもを思い出せなくなってしまうなんて、想像しただけでジョハルには耐え難かった。
 ならば、その前にいっそ。この命を絶って、永遠に彼女の面影を抱いて、眠りに就く事が出来たら。
 そう――思うのに。

「縁が、生まれて」
「――‥‥縁」
「そう。――失くしたくないと、思ってしまう」

 花魁の翡翠の瞳に映る、自身の姿を見ながらジョハルは笑みを零した。苦々しい気持ちなのに、花魁の瞳の中の自分はいつもと変わらぬ、穏やかな笑みを浮かべているのが今は、皮肉に感じられる。
 開拓者として様々な依頼に赴いて、同じ開拓者や、他の様々な人に出会って。その中で、色んな縁が生まれて。それらがいつしか自分の中で、失い難い、大切なものになっているのに気がついて。
 そんな自分にどこか、困惑する。彼女よりもそれらの現実の方が大事だと言うつもりかと、その程度の想いだったのかと、覚悟だったのかと、思う自分が居る一方で、目の前の現実を失くさないよう守りたいと、願う自分も確かに居るのが、ジョハルには理解出来ない。
 困惑を、混乱を飲み込むように、酒盃を干す。干した酒盃に花魁がそっと注ぐ、酒が揺れるのをじっと見つめる。

(もうどの位、『彼女』を見ていないのだろう)

 『彼女』を――『彼女』の遺体を。あの日、無惨に散らされた姿を。――もうどの位、思い出していないのだろう。思い出していなかった、のだろう。
 果たして彼女は本当にあの日、死んだのだろうか。あれはジョハルの見間違いで、ただ恐ろしい悪夢に取り付かれていただけであって、本当の彼女はまだあの海辺の町で、ジョハル達の故郷で微笑んで待っているのではないのだろうか。
 そんな事を半ば本気で考えて、けれども胸元に揺れるピンクサファイアがそれを否定する。あの日の光景を思い出せと、あの痛みを思い出せと、あの悲しみを、虚無を、絶望を思い出せとジョハルに訴える。
 その、矛盾。現実と夢の境すら判らなくなりそうな、危ういバランスの中に立つ、皮肉。

「俺は、彼女が死んでいた方が良いとでも、思ってるのかな」

 一体自分の気持ちはどこにあるのだろうと、ジョハルは酒盃を干して思う。己の心の中にある、2つの気持ちに訝しさすら覚えて、困惑する。
 もし彼女を心底大切に思っているのなら、彼女の死を否定し、夢の世界に逃げ込んででも、彼女に生きていて欲しいと願うのではないのだろうか。けれども自分がやっている事はといえば、そうした夢に逃げ込もうとする自分を叱咤し、彼女の死を忘れるなと非情に突きつけるだけ。
 一体、何がしたいのか。――何を、信じたいのか。自分の本当の気持ちは果たして、どこにあると言うのか。
 ジョハルには、解らなかった。正しさなどどうでも良い。この胸の内にある、不可解な気持ちに真実など求めては居ない。
 けれども、嗚呼、ならば自分は一体、何を求めているのだろう――?
 それを思う、ジョハルの微笑みはいつもと変わらず穏やかで、けれどもほんの少し翳りを帯びているように、花魁には思われた。それに胸を痛めながら、ジョハル様、と彼を呼ぶ。
 ゆらりと揺れた眼差しを、翡翠の瞳で覗き込んだ。

「もう‥‥夜も遅うありんす‥‥」
「あぁ‥‥そうだね。いつの間にか、すっかり更けてしまった」

 その言葉に微笑んで、ジョハルはかたりと酒盃を置いた。――この胸につかえる、辛い思いのままに杯を重ねるうちに、思わぬほどの時間が過ぎていたようだ。
 それをありがたいと、素直に思う。こんな夜を1人で過ごすのは、想像するだに耐え難い。
 だからジョハルは花魁の、彼女と同じ――その筈の翡翠の瞳に別れを告げて、束の間の眠りの世界へと滑り込む。こうしてただ酒を飲んで、花魁を相手に言葉を重ねて、そうすれば1人で眠るよりもほんの少しだけ、深い眠りに就けるから。
 ただその為だけの、逢瀬。その為だけの、夜。
 それでもこの人が、僅かなりと救われるのならそれでも良いと、眠るジョハルを見下ろし花魁は、とろりと揺れる想いを翡翠の瞳に静かに浮かべる。けれどもそれは籠の中の鳥にはきっと、過ぎたる想いに相違ない。
 だから大切に胸の奥底に想いを沈めて、ジョハルの眠りを妨げぬよう、花魁はそっと瞳を閉じた。果たしてどちらが束の間の夢なのだろうと、答の見えない問いを胸に抱きながら。





━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
【整理番号 / PC名  / 性別 / 年齢 / 職業  】
 ib9784  / ジョハル / 男  / 25  / 砂迅騎

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛

いつもお世話になっております、蓮華・水無月でございます。
この度はご発注頂きまして、本当にありがとうございました。

息子さんの、絶え難き想いに沈む夜半の物語、如何でしたでしょうか。
辛い過去を大切に抱いて歩まれるのは、とても苦しく、叫び出したい事もあるのではないかと思います。
ちなみに個人的には何と言うか、花魁が可愛らしい感じで大好きです(何告白
色々とイメージに合わないとか、そんな過去じゃないとか、口調が違うよとか、ございましたらいつでもお気軽にリテイクくださいますと幸いです。

息子さんのイメージ通りの、夜を越える為のさやかなひと時のノベルになっていれば良いのですけれども。

それでは、これにて失礼致します(深々と
■WTアナザーストーリーノベル(特別編)■ -
蓮華・水無月 クリエイターズルームへ
舵天照 -DTS-
2013年07月09日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.