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『誰かがいる街へ 』
工藤・勇太1122)&羅意・−(8630)&留意・−(8631)&阿部・ヒミコ(NPCA020)


 瓦礫と化した高層ビルの窓から、小魚の大群がのんびりと出入りしている。
 ひび割れたアスファルトからは、海藻が伸び放題に生えてゆらめき、タコやヒトデや甲殻類の蠢く様を見え隠れさせている。
 巨大なホオジロザメが、傍らを通過した。
 食われるか、と勇太は思ったが、水死体の如く漂う少年など眼中にない様子で、鮫はゆったりと巨体を揺らし、折れ曲がった信号機をかすめ、泳ぎ去って行った。
 東京の街並が、海の底に沈んでいた。
 その海の中を工藤勇太は今、漂っている。
 息は苦しくない。だが勇太は、自分が今、きちんと呼吸をしているのか、そもそも生きているのかどうかすら、わからずにいた。
(街……誰もいない、街……)
 勇太はふと、そんな事を思った。
 海に沈んだ街。そこには、人間が1人もいない。いるのは、物言わぬ水棲生物たちだけだ。
「綺麗でしょう? 人間のいない街って」
 水の中なのに、声が聞こえる。
「人間なんていない方が、世の中とっても綺麗だって事……わかるわよね?」
 水没し、漁礁となったビルの屋上に、その少女は佇んでいた。
 まるで入院患者のような、パジャマ姿の少女。顔立ちは美しい、だが暗い。
「人間は、世の中を汚くするもの。こんなふうに綺麗な海の底に沈めてあげるのが、せめてもの優しさよ」
「あんたは……」
 勇太は声を発した。
 本当に声が出たのかどうかは不明だが、訊きたい事を少女に伝える事は出来た。
「そんなに、人間が嫌いなのか? 何で?」
「……説明が、必要?」
 長い黒髪を、海藻の如く揺らめかせながら、少女は微笑んだ。
「貴方は知っているはずよ。人間という生き物が、どれほど……生かしておくに値しない存在であるか」
 勇太の脳裏に、何かが浮かんだ。
 大勢の、人間の顔だった。
 皆、にこやかな表情を浮かべている。有望な実験動物を見る目を、あらゆる方向から勇太に向けている。
「やめろ……」
 勇太は顔をそむけた。が、脳裏にいる者たちから目を逸らせる事など、出来はしない。
 白衣を着た男たち女たちが、にこやかな笑みを浮かべながら、一斉に手を伸ばして来る。
「やめろ……! やめろ! やめろぉおおおおおおお!」
 怒り、と言うより恐怖心が、勇太の中で爆ぜた。
 爆ぜたものが、溢れ出した。
 しばらく忘れられていたものを、勇太は解放してしまっていた。
 にこやかな顔が、全て砕け散った。頭蓋骨の内容物が、まるで花火のように噴出・飛散し、勇太の全身を汚す。
「ああぁ……ぁああぁあぁ……」
 呻き、座り込んだ勇太を、無数の人々が取り囲んでいる。
 皆、怯えていた。化け物を見る目を、あらゆる方向から勇太に向けていた。
 その中に、叔父がいる。
 他の人々が、彼1人を責めなじっている。
 あんた、自分の親戚だろ。ちゃんと引き取って面倒見なさいよ、あの化け物を。
 責任持ちなさいよ。親戚でしょうが?
 そんな事を言う人々に押され、叔父がこちらに近付いて来る。
 勇太を見るその目には、怯えがあった。苛立ちが、嫌悪があった。
 親戚という言葉が、世間体が、これ以上ない重荷となって叔父を苛んでいる。
「やめろ……やめてよ、叔父さん……」
 勇太は目を閉じ、頭を抱えてうずくまった。
「そんな顔するなら、俺の事なんか放っといてよぉ……っ」
 全員、消えた。叔父も、彼を責めなじる人々も。
 風景が、水没した街に戻った。
 ビルの窓から、小魚の群れが溢れ出す。
 海亀が、のんびりと泳いでいる。割れたコンクリートから、タコが這い出して来る。
 誰もいない。実験動物や化け物を見る目を、自分に向ける人間が、1人もいない街。
 その中を漂いながら、勇太は呟いた。
「誰も……いない街……」


「どう? 美味しい?」
 係員の若い女性が、微笑みかけてくる。
 ぺろぺろとソフトクリームを舐めながら、羅意と留意は至福の笑みを浮かべた。
「うまし! アイスうまし」
「われらにアイスをおそなえしたので、おまえにはごりやくがあるのだー」
「本当? 嬉しいなー。じゃ、さっそく御利益をもらっちゃおうかな」
 若い女係員は、辛抱強く微笑みを保って言った。
「らい君にるい君、だったよね。君たち、お父さんお母さんと一緒に来たの?」
「我らは、勇太と一緒に来てやったのだぞ」
 羅意が答えた。
「なのに、あの馬鹿者は勝手にどこかへ消えてしまった。お前、さっさと捜しに行くと良いのだぞ」
「そ、そうね。捜してあげる。その勇太さんの苗字……ええと上のお名前、教えてくれるかなー?」
 水族館の入口近辺で、この2人の迷子を発見したのだ。
 兄弟であろう。片方は赤毛、片方は金髪で、お揃いの白い和装に身を包んでいる。なおかつ、犬の耳と尻尾など付けられている。
 幼い子供にこんなコスプレをさせた挙げ句、放置してどこかへ言ってしまう。その勇太とかいう名前の保護者が父親なのか兄なのかは不明だが、ろくな人間でないのは間違いなかろう。
(とんでもないDQN親ね、きっと……気をつけて対応しないと、すっごいクレーム騒ぎになりそう)
 女係員のそんな思いなど知る由もなく、羅意と留意は、ソフトクリームを舐めながら空を見上げていた。
 こんな、ただ高いだけの塔の、一体何をありがたがって人間たちは集まって来るのか。羅意にも留意にも、さっぱり理解出来なかった。
 先程の水族館の方が、ずっと面白い。
 その水族館を出た瞬間、勇太の姿はいきなり消え失せてしまったのだ。
 留意は、じっと見上げた。
 塔の頂上付近で、黒雲が渦巻いている。
 勇太が一体どこへ行ってしまったのか、留意には何となくわかった。黒雲の中から、勇太の気が漂い出している。
 その漂い方が、次第に濃密になってゆくのを留意は感じた。
 黒雲が、塔の頂上から、空全体へと広がってゆく。
 ぽつり、と水滴が顔に当たって来た。
 雨。それも塩辛い雨だった。海水が、降って来ているかのようだ。
「おお雨だ。いかんいかん、アイスが台無しになってしまうのだ」
 羅意と留意が、ソフトクリームを慌ててバリバリと口に詰め込んでいる間。
 雨が、一気に激しさを増し、叩き付けるような豪雨となった。
 女係員、だけでなく電波塔周辺の観光客たちが、悲鳴を上げて逃げ惑う。
「あに者あに者、ずぶぬれだよー」
「わわわわわ、雨がしょっぱい雨がしょっぱい」
 まるで海が降って来ているかのような豪雨の中、羅意と留意はおたおたと走り回った。
 その足元で、水が激流と化してゆく。
 凄まじい速度で水位が増し、小さな兄弟の身体はたちまち激流に運ばれた。
「流されるぅー!」
「あに者あに者、あの塔のてっぺんなのだ! あそこで、よくない力がうずまいてる!」
 流されながら、留意は叫んだ。
「ゆう太もきっと、あそこにいるよー!」
「よ、よし! あの馬鹿を、助けに行くぞー!」
 激流を蹴るようにして、羅意が跳躍した。
 獣の耳と尻尾を生やした、小さな男の子の姿。それが、本来の獣の姿へと戻りながら、水飛沫を蹴立てて空へと舞い上がる。
 留意も、それに続いた。
 叩き付ける海水の豪雨の中、ふっさりと尻尾をなびかせて天翔る、2匹の狼。
 その姿が、塔の頂上付近で滞空した。空中に着地したような格好である。
 黒雲は、空全体に広がっている。が、その中核を成すものの気配は、塔の頂上で渦巻くように留まっている。
「ここか! 勇太の馬鹿はここにいるのだな! よーし!」
 羅意が、全身の獣毛を逆立てて咆哮を発した。天翔る狼の姿が、雷の如く光を発する。
 その光が、渦巻く黒雲の中核を、激しく包み込んだ。
 悪しき力を封じ込める、結界。
 海水の豪雨が、急速に弱まってゆく。そして小雨になった。
 地上は、洪水寸前の有り様だ。人々が、溺れかけた者を助けながら、逃げ惑っている。
 ここに再び今のような豪雨が叩き付けられれば、間違いなく水死者が出る。羅意が力尽きた瞬間、そうなる。
「留意! お前は勇太を助けに行け!」
 早くも力尽きそうな、辛そうな声で、羅意は叫んだ。
 それは留意にとって、死刑の宣告にも等しかった。
 兄と離れて、1人で行動する。留意にとって、それは死にも等しい苦行であった。
「や……やだ……」
 声が、震えた。
「あ、あに者といっしょじゃなきゃ、やだ……」
「ばか留意! 我らは『かみのつかわしめ』なのだぞ!」
 羅意の怒声が、雷鳴の如く轟いた。
「人間を助けなければいかんのだ! 馬鹿勇太も、ついでに助けてやらねばいかんのだ! 両方出来なければ駄目なのだ!」
「あに者……わ、わかったよう……」
 勇太からは、大量のアイスクリームを供物として捧げられた。
 ここで何か御利益を返してやれぬようでは、神としての面目が立たない。
 泣きじゃくりながらも留意は覚悟を決め、結界の中へと飛び込んで行った。


 誰もいない街に、誰かがいる。
 勇太は突然、それに気付いた。我に返ったような気分だった。
 小さな生き物が、水中でじたばたと暴れている。白い和装に身を包んだ、仔犬のような男の子。
 そこに、鮫が向かって行く。
「ゆう太ゆう太、はやくたすけるのだ!」
「……留意……!?」
 勇太は、とっさに念じた。しばらく封印していた力を、解放した。
 その力が、留意の小さな身体を引き寄せる。
 一瞬前まで留意がいた辺りで、鮫が大口を閉じた。牙の空振り。
 引き寄せられて来た留意を、勇太は両腕で抱き止めた。
 鮫が、舌打ちでもしそうな表情をこちらに向けつつ、泳ぎ去って行く。
 見送りながら勇太は、腕の中の留意に問いかけた。
「留意……何で、こんなとこに……?」
「バカゆう太! それはこっちのせりふなのだ!」
 留意が泣き出した。
「こんなとこで、なにをやってるのだ!」
「何を……やってるんだろうなぁ、俺……」
 留意の頭を撫で、獣の耳を弄りながら、勇太は呟いた。
 誰もが自分を、実験動物としてしか見ない。化け物としてしか、見ようとしない。
 そんな事があるものか、と勇太は思い直した。
 少なくとも2人、いるではないか。工藤勇太を、工藤勇太として扱ってくれる、小さな兄弟が。
「……何よ……その子は……」
 少女の声が聞こえる。怒りで、憎しみで、震える声。
「私には、誰もいないのに……何で貴方には、そんな……そんなぁああああああ!」
 震える絶叫に合わせて、水が激しく渦を巻いた。
 留意の小さな身体を抱いたまま、勇太は渦に飲まれた。
「くっ……ぅ……ッ」
 まるで、巨大な洗濯機に放り込まれたかのようである。
 もぎ取られそうになる留意の身体を、両腕でしっかりと保持しながら、勇太は念を解放しようとした。戦闘のための念。だが。
「たたかっては、だめなのだ!」
 留意の叫びが、それを妨げた。
「そとで、あに者ががんばってるのだ!」
 ここで戦ったら、外に衝撃が流れ出る。恐らく結界を張っているのであろう羅意の負担が、大きくなる。
 留意は、そう言っているのだ。
 少女の攻撃の念は、さらに高まってゆく。
「誰もいないのに! 私には、誰もいてくれないのに!」
「……そんな事、ないと思うな」
 勇太は言った。
「あんたと俺は同じ……とか言ってたよな。俺もそう思うよ。あんたにだって俺と同じ……誰かが、いると思う。あんたはそれを、自分で見ようとしていないだけだ」
 少女に、ではなく自分に、勇太は言い聞かせていた。
 叔父は本当に自分を、世間体のためだけの荷物としか見ていないのか。
(俺……叔父さんと、ちゃんと話した事もない……叔父さんを、ちゃんと見てもいない……なのに、勝手に決めつけて……)
「誰かがいる」
 勇太は言った。少女は、何も言わなくなった。
 彼女の感情が、揺らいでいる。
 海に沈む、誰もいない街の風景も、揺らいでいる。
「だから……誰もいない街からは、とりあえず出てみようぜ?」


 突然、東京を襲った局地的な豪雨による被害が、全くない事はなかった。
 幸いにして、人死には出なかった。
「お前のおかげだな……神様らしい事、したじゃないか」
 右腕で抱いた仔犬に、勇太は語りかけた。
「ふふん、これが我らの御利益なのだ」
 仔犬が、偉そうな日本語を発した。
「今日はそんなに暑くないから、アイスではなくチョコレートケーキをお供えすると良いのだぞ」
「プリンパフェでも、よいのだぞ」
 勇太の左腕で、もう1匹の仔犬が言う。
 2匹の、日本犬の仔犬。羅意と留意である。消耗した力が回復するまで、しばらくこの姿でいなければならないらしい。
「ああ、何でも頼むといい……叔父さんが、おごってくれるってさ」
 勇太の方から、叔父に電話をしてみた。そして会う事になったのだ。
 会って、話をしなければ、人間の事など何もわかりはしないのだ。
 ふと、勇太は立ち止まった。
 高校生、であろうか。制服姿の少女と、擦れ違ったのだ。
 どこかで見たような女の子だ、と勇太が思っているうちに、その少女はすたすたと歩き去ってしまった。
 会って話をしなければ、人間の事などなにもわからない。
 とは言え、女の子を呼び止めて話をする勇気など、今の勇太にはなかった。   
PCシチュエーションノベル(グループ3) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2013年09月04日

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