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『槿花の揺れた夏。 』
銀鏡(ic0007)

 夏の盛りと言えども、朝はまだ涼しい風が吹く。庭へと向かう縁側に腰を下ろして、銀鏡(ic0007)は髪を揺らす風に目を細め、そう考えて空を見上げた。
 すでに昼間に訪れるだろう茹だる暑さを予感させる、目眩がするほど青く高い空。それでいて吹き抜ける風は奇妙に清しく、爽やかなものを感じさせる。

「今日も暑くなるんじゃろうか」

 1人呟きながら銀鏡は、縁側に置いた鉢へと水を垂らした。先日そぞろ歩いた祭りの折に、友人からもらった変わり朝顔だ。
 夏になればそこらの家の垣根を彩り、人々の目を楽しませる朝顔はと言えば、大きく丸い花の色や模様を眺め楽しむものだけれども、変わり朝顔はそうではない。よく見る朝顔とは異なる不思議な形の花や葉を眺めて楽しみ――けれども多くは世代を繋ぐことのない、花。
 さて、この鉢はどれほど花を楽しめるかと、思いを巡らせた銀鏡の耳に届くのは、表の道を駆ける子供の声。その向こうから聞こえてくるのは、子等を呼ぶ親の声だろうか。
 それは――あまりにも当たり前な、平和な光景。恐らく神楽の町を歩けば、そこかしこで目にする事の出来る、珍しくもない日常。
 けれども時々銀鏡には、それが今でも現実のものとは思われない時があった。もしかしたら本当の自分はまだ、あの薄暗い場所にいて、こうして『当たり前』の日々を過ごす夢を見ているだけに過ぎないのではないか――そんな不可思議な感覚に、捕らわれる時がある。
 『あの頃』何よりも望んでいた日々のはずだった。けれども自分には永遠にこんな日々はやってこないのだと、一生あのままで居るのだろうと、心のどこかでは諦め、世界の不変を信じてすらいたのかも知れない。
 唇の端に微かな笑みを引っかけて、銀鏡は変わり朝顔の鉢を見つめた。――かつて恐ろしいほど鮮やかに、華やかに、どこかよそよそしく朝顔が咲き誇っていた処を思い出す。
 ――遥か昔に捨て去った、けれども確かに銀鏡の生まれ育った故郷での日々を。





 銀鏡が生まれた家は、古くから続く巫女の家系だった。代々の当主を巫女が勤め、その血を継ぐものが新たな巫女となり、そうして世代を繋いできた家柄。
 故に、一族の中で大切にされていたのは巫女で――あの家ではその資格があるのは、ただ女子のみで。そうしてそれ以外の存在には、ある意味では生きている価値すら見出されない、そんな家だったから。
 当たり前に女尊男卑がまかり通る家の中で銀鏡は、当主の子という正統な血筋でありながら、薄暗い離れに住まわされていた。そうして姉妹達と同列に扱われる事など無論なく、どころか身内だとすら扱われないまま、下男のように働かされていて。
 男であるという、ただそれだけで何もかもを否定される、否定され続ける日々。お前には価値がないのだと、何の意味もないのだと、息をする度に思い知らされるような気がして、いつしかそれを信じ込んでしまいそうな自分が、居て。
 だが、そんな日々にまったく救いがなかったのかと言えば、違う。あの家の中にあって唯一、まだ幼かったが故に家のしきたりには疎かった妹だけは、銀鏡に懐いてくれたのだ。
 表立ってやって来ては、あのような者と関わってはいけませんと怒られるから、いつもお目付け役の目を忍んでこっそりやって来た妹。そうして銀鏡の住まう薄暗い離れで、醜いものなど何も知らぬような無邪気な笑顔で、まっすぐに銀鏡を見つめて他愛のない事柄を語っていく。
 そんな妹を、銀鏡もまた可愛がっていた。あの家の中で、妹だけが銀鏡を1人の対等な存在として扱ってくれたから、自分は最後の正気を失わずに済んだのかも知れない。
 自分には全く価値がないのだと、自分自身で認めてしまうこと。銀鏡自身がそれを受け止め、信じてしまう事。
 あの妹が笑いかけてくれる限り、銀鏡と呼んでくれる限り、銀鏡は銀鏡で居られた。自分には価値があるのだと、向けられる笑顔に信じる事が出来た。
 ――けれども。

「銀鏡は、いなくなるの」

 いつものように人目を忍んで離れにやってきた、その妹がそんな言葉を口にしたのは、銀鏡が14歳だったとある日のことだった。そうして、一瞬意味が分からず目を見張った銀鏡を、いつものようにまっすぐにじっと見上げてきた。
 悲しそうに――寂しそうに。けれども、例えて言うなら『もうすぐ日が昇るの』と空を見上げて言うような、どうしようもない事柄のように。
 ――その日が銀鏡の家に伝わる、銀鏡の家が取り仕切る祭の日だと思い出したのは、その一瞬後の事だ。儀式の詳しい知識など、下男同然の銀鏡に与えられては居なかったが、それがどういうものなのかという事ぐらいは、準備の為にこき使われていた銀鏡でも知っていた。
 今日は、祭の日。神を祀り、生贄を捧げる日。そんな日に、銀鏡はいなくなるの、と悲しそうに告げに来た妹――

(……そうか)

 それらを結びつけていけば、導き出される答えなど知れた。ついに、と思った。
 ついに自分は廃棄されるのだ――そう、悟ってしまった。

(この日のため、じゃったのか?)

 不要とされながら、それでも生かしておかれたのは。下男のように扱われながらも、今日まで命を繋ぐことを許されたのは――いずれ神への生け贄に捧げるためだったのかと。
 そう悟ってしまった瞬間、何とも言えない感情が嵐のように身の内を吹き荒れて、目眩にも似た感覚に襲われた。それを堪えるようにぐっと歯を食いしばり、目を見開いた銀鏡を、妹はただ無言で、悲しそうに見つめる。
 この妹が、銀鏡が居なくなる、と己自身で紡いだ言葉の本当の意味を、果たして理解しているのかどうかは解らなかった。だが少なくとも、妹が自分との別離を本気で悲しみ、惜しんでくれているのは事実だと、その表情から伝わってくる。

「――さようなら」
「ああ」

 だから悲しそうな表情のまま、けれども素直に別れを告げて去る妹に、頷いて見送った。見送り、その背中が誰にも見つからぬまま、無事に小さくなって母屋へと消えていくのを見届けて――胸の中で、決意を固める。
 此処から、この牢獄から出て行く事を。神に捧げられる前に、逃げ出してこの手で自分自身の生を掴むのだと。
 そうと決めたら一刻も猶予はないと、すぐさま銀鏡は離れを抜け出した。祭が始まってしまったら、逃げ出す機会はもはや永遠に訪れはしないと、経験から知っていた。
 元より銀鏡に、与えられた私物など存在はしないから、荷造りの必要もない。だから着のみ着のままで、見つからないよう慎重に庭木の茂みや朝顔の垣に身を隠し、そろそろと屋敷のウチとソトを隔てる塀の側まで移動する。
 それは、いっそ呆気ないほど簡単だった。こんなに簡単で良いのかと、銀鏡はいささか拍子抜けをして、それから眉を寄せていぶかしむ。
 先ほどまで以上に慎重に辺りを見回しても、誰かが銀鏡に気付いた様子はなかった。だが油断は出来ないと、朝顔の蔓の陰により深く身を沈め、木立を縫うようにして人目を忍び、ぐるりと家を囲む塀へと辿り着く。
 塀に取り付けられた木戸が、銀鏡を出迎えるようにキィ、と鳴った。僅かに細く開いた扉の向こうから、ソトの世界が覗いている。
 この木戸を、潜り抜ければソトだった。実のところ、銀鏡はあまりよく知らない――けれどもこの向こうには銀鏡を知る者も、ましてこの家の者達のように下男のように働かせる者も居ない、そのはずの場所。
 わずかな吐息が、唇を突いて出た。そこに籠もった感情がいったい何だったのか、解らないまま何となく、銀鏡は背後を振り返る。
 生まれ育った場所。それでも、銀鏡の家だったところ。
 これが見納めになるのだと、惜しむとも喜ぶとも、どうとも判らない気持ちのまま振り返った銀鏡は、そこに当主――母の姿を見つけてぎくり、身を強張らせた。

「‥‥‥ッ」

 母と言ってもその人は、銀鏡にとってひどく縁の遠い人ではあった。名を呼ばれた事もなければ、褒められた事もなく――母という名の他人であり、仕える事を強要されている主であり。
 だが、銀鏡にとっての母という人は、今やそれ以上でもそれ以下でもなかった。そうして母にとっては銀鏡以上に、自分は我が子と呼ぶにも値しない、ただ生け贄とするのに生かしておいただけの存在で――そのはずで。
 けれども。

(この木戸は‥‥いつも閉まってるはずじゃ)

 ふと、その事実に思い当たって銀鏡は、弾かれように細く開いている木戸を振り返った。ソトとウチを隔てるために、ソトからウチへ異物を忍び込ませぬように、そうしてウチからソトへと何者も逃さぬように、この木戸は銀鏡の知る限りいつだって、厳重に閉じられていた筈なのだ。
 そういえば、いつもは必ずどこを見ても1人は目に入る、見張りも今はどこにもいない。それを偶然の幸運だと深く考えずに来たけれども、よく考えてみればそんな事は、やっぱり銀鏡が知る限り1度だってなかった事、なのだ。
 まさか、と思う。まさか、そんな筈はない。すべては偶然の筈で、今とっさに銀鏡が思いついたような、そんな事は絶対にあり得ないはずで。
 でも――

(‥‥まさか?)

 疑惑と、困惑の入り交じった眼差しで再び振り返った母の表情は、ここからはよく見えなかった。けれども、銀鏡の姿を捉えているに違いない母は、何をするでもなくただじっとこちらを見ているだけだ。
 それが、何を意味するのか。そもそもなぜ、まさに今日という日にあの妹が銀鏡の元を訪れて、彼が生け贄に捧げられるのだと判るような言葉を口にしたのか――否、すべては銀鏡の考え過ぎなのだろうか――?
 物思いを振り切るように、銀鏡は細く開いた木戸へと身を翻した。自分は、ここから逃げる。ソトの世界へと逃れるのだ。
 ――その、刹那。目の端に留まった母の口が、確かに『逃げろ』と動いた気がした。けれどもそれを確かめる事はせず、銀鏡はするりと木戸の向こうへ身をねじ込ませたのだった。





━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 /  PC名 / 性別 / 年齢 / 職業 】
 ic0007  /  銀鏡  / 男  / 28  / 巫女
ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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いつもお世話になっております、蓮華・水無月でございます。
この度はご発注頂きまして、本当にありがとうございました。

息子さんの、今は遠い過去を振り返る物語、如何でしたでしょうか。
辛い過去の中の、それでも幸いだったであろうほんの小さな、そしてとてつもなく大切なエピソードなのだろうなぁ、と思いながら書かせて頂きました。
個人的にはいずれ、妹様やお母様のご事情も伺えたら良いなぁとか(帰れ
何か、イメージ等々違う所がございましたら、いつでもお気軽にリテイク頂けますと本当にいつも済みません(ずさーッ(ぁ

息子さんのイメージ通りの、暗い過去に射し込む一筋の光のようなノベルになっていれば良いのですけれども。

それでは、これにて失礼致します(深々と
流星の夏ノベル -
蓮華・水無月 クリエイターズルームへ
舵天照 -DTS-
2013年09月19日

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