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『ハッピー・ハッピー・バースデー! 』
栗原 ひなこja3001




 まだ夜も明けきらない早朝、路面に足音が響く。
「わわっ、すみません!」
 大きな荷物を抱えた栗原 ひなこは、ポニーテールを揺らしてジョギングやウォーキングの人々とすれ違う。
 荷物が余りに大きいので、思ったように避けきれないのだ。
「うう……朝早いのに、人が結構いるんだね」
 よいしょ、と荷物を揺すり上げ、ひなこは先を急ぐ。

 ようやくたどり着いたパティオ『ドラグーン』のドアを、そっと押し開くひなこ。
「お邪魔しまーっす。……って、あ、静かにしないとだった!」
 慌てて口元を押さえる。
 なるべく音を立てないようにそっとドアを閉め、きょろきょろと中を見回す。
 しん、と静まり返った店は、何だか見慣れない場所のようだった。
 何度も来ているお店なのだから、そんなはずはない。他のお客さんがいないお店に来るのだって、初めてではないのに。
 そんなよそよそしさの理由はすぐにわかった。
 ――いつもそこで出迎えてくれるはずの笑顔がないからだ。
 ひなこは大きな瞳を輝かせて、腕まくり。
「うん、よし。そのかわりに今日は、あたしが頑張るからね!」


 その頃。
 『ドラグーン』に併設された寮の自室で、如月 敦志は眠ることもできないままベッドに寝転がっていた。
 ドアの開く気配、いやそれよりずっと前、近付いて来る足音までこうして聞いていたのだ。
「本当に大丈夫かね、ひなこ……」
 厨房の気配を探ろうと、全神経を集めて耳を澄ます。
 今日は敦志の誕生日なのだ。
 敦志が厨房を任されているこの店を一日貸し切りにして、二人だけの誕生パーティーをしようという話になった時。ひなこが眼を輝かせて言った。
『じゃあ、あたし、敦志くんのためにお料理作るねっ!』
 そのときの自分が上手く笑えたのかどうか、敦志はイマイチ自信がない。
 いや、その気持ちはとても嬉しかった。それは事実だ。
 だが……

――ガラン、ガラン、ガシャーン!!

 激しい物音が響き渡った。間違いなく厨房からだ。
「見に来ちゃ駄目、って言ってたしなあ……」
 料理を味で評価するならば、ひなこは決して下手ではない。
 ただ残念なことに、余り器用な方ではないのだ。
 その為、過程に色々と問題が生じる。
 引き続き何かが落ちる音に、敦志がまるで自分の事のようにびくっと肩を震わせた。
「とにかく、指は落ちてませんように……!」
 まさか誕生日に、心労でこんなに寿命を擦り減らすことになるとは。
 敦志は祈るような気持ちで、ベッドの上で顔を覆う。




 野菜を切ろうとした包丁が、ひなこの指を掠める。
「うわわっ!!」
 慌てて引っ込めた手が傍のボウルに当たり、派手な物音を立てて床に転がった。
「うわぁぁぁぁ〜ん、どうして静かに出来ないのぉー!!」
 ひなこは思わず声にならない声で嘆く。
 拾いあげようと慌ててしゃがみこんだ頭上に、不安定な場所に置いていたホイッパーが容赦なく落下。
「はうっ!?」
 頭を押さえた手をそのままに、暫くどんよりと座りこんでしまう。
「もう、どうしてこうなっちゃうのかなあ」

 付き合い始めて半年。
 初めて一緒に過ごす、大事な人のお誕生日に、自分の精一杯の気持ちを受け取って欲しい。
 そしてとびきりの笑顔を見せて欲しい。
 そう思ったから、ケーキを焼いて、敦志くんの好物のカレーを朝から煮込んで。
 これを片付けまで全部一人でやろうと決めたのだ。
「ちょっと悔しいけど、敦志くんほど手際よくはできないもん」
 調理の作業自体は、時間をかければ何とかなるはず。
 だからたっぷりの余裕を見て、まだ暗いうちから厨房に乗りこんだ。
 こういうときは、でき上がった所を『どうだ!』と見せて、びっくりさせたいのが人情というものだ。
 だから呼ぶまで絶対に厨房には来ないでと、約束を取り付けた。
 それに普段忙しくしている分、お誕生日ぐらいゆっくり眠っていて欲しいという気持ちもある。
「うん、落ち込んでてもしょうがない! 時間がもったいないだけだよねっ」
 ひなこは気を取り直し、傷を手当てすると、勢いよく立ち上がった。


 使いなれないキッチンというのは動き難いものだ。
 それがプロ仕様の厨房となれば、なおのこと。包丁ひとつとっても、家庭用の物とは全く勝手が違う。
 敦志はそれが判っているだけに心配でならない。
 じりじりする様な思いの中、時間だけが刻々と過ぎて行った。
「……いやに静かだな」
 敦志は思わず自室の床に這いつくばり、耳をつけて、階下の物音に耳を澄ます。
「まさか倒れてるんじゃないだろうな……」
 細心の注意を払い、敦志は忍び足で部屋を出た。
 そろり、そろり。厨房へ続く裏口の扉を細く開くと、隙間から良い匂いが漂ってくる。
 中の光景に一瞬ぎょっとした敦志は、浮かんだ笑いを必死に抑え込んだ。
「全く……張り切り過ぎなんだよ」
 静かな店内のテーブルに突っ伏して、ひなこがすやすやと寝息を立てて眠っていた。
 指は傷だらけだが、ちゃんとある。
 敦志は備え付けのブランケットを運んで来ると、そうっとひなこの肩にかけてやった。
「別にお前が居れば、特別なもんはいらねぇのにな」
 もちろん、ひなこにだってそれは判っているはずだ。
 それでも何かをしてあげたい。そう思ってくれる気持ちが、何よりいじらしい。
「さて、俺は何も見てませんよっ、と」
 敦志は細心の注意を払い、裏口から退出した。




 テーブルの上で、ひなこの手がぴくっと動いた。
 ややあって、眼をこすりながら顔を上げる。
「うーん……あれ? ここどこ……って、……ええええっ!?」
 肩のブランケットが落ちたことにも気付かない程、ひなこは驚いた。
「いつの間にかまっくら!? 嘘! なんで!?」
 ほぼ準備が整ったところで、ちょっとだけ休憩しようと椅子にかけたのは覚えている。
 だが、その後の記憶がない。
 とりあえず外がもう暗いのは確かだった。
「うぅ……ほとんどできてるからって油断しちゃったあ」
 ひなこは慌てて立ち上がり、厨房へと駆け込んだ。


 メールの着信音が鳴り響き、敦志がはじかれたように起き上がる。
『用意ができました♪ 降りて来ていいよ!』
 敦志は知らんふりをしながら、今度は堂々と店に入った。
 そこで、思わず眼を見張る。
「おー……凄い頑張ったな……」
 真新しいクロスがかかったテーブルに、洒落たデザインのペーパーナプキンにくるんでリボンをかけたカトラリーが並んでいた。
 一生懸命考えたのだろう、皿の下に敷かれたプレースマットの色合いとも良く合っている。
 一輪挿しには優しい色合いのアスターが、控えめに揺れていた。
「お待たせしましたー!」
 厨房からひなこが出てきた。その指が絆創膏だらけなのに、敦志は気付かないふりをする。
 その代わりに、笑いながらひなこの頭を撫でた。
「うん、頑張ったじゃないか。有難うな」
「えへへ。さ、座って座って!」
 ひなこは満面の笑みを浮かべると、テーブルの真ん中に置いてあった箱を開けた。
 中にはクリームたっぷりのデコレーションケーキ。
「見た目はちょっとアレだけど……味は大丈夫だと思うよ?」
 ひなこの言う通りところどころ崩れているのも、手作り故のご愛敬というものだろう。
 だが敦志の眼は、ケーキそのものより真ん中に据えられたマジパンの人形をまじまじと見つめていた。
 人形はふたつ。ポニーテールの女の子が、青い髪の男の子の頬にキスしていた。
「えっと、このお人形は、妹ちゃんに作って貰ったの」
 ひなこの頬がほんのり紅色に染まる。
「へえ、良くできてるな。感謝しないとな! で……」
 敦志が悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「こっちにはないのか?」
 自分の頬を指さして見せる敦志に、ひなこの顔が今度は真っ赤になった。
「もうっ、何言ってんの! 早く食べないと冷めちゃうよっ」
「へいへい」
 ひなこが振りかぶる銀のトレイを笑いながら避け、敦志は席に着く。

「さて、改めて。敦志くん、お誕生日おめでとう!」
「おーありがとうな!」
 ティーソーダを満たしたグラスをあわせて乾杯。涼やかな音が響く。
 早速スプーンを取り上げ、敦志がカレーを口に運ぶ。
「……うん、美味いね!」
「ほんと!?」
「本当だって。これなら店のにも負けないぜ」
 敦志が笑うと、ひなこの顔に安堵の笑みが広がった。
 その笑顔と、想いの籠った手料理が、どんな豪華なご馳走よりも心を満たす。
 敦志はその想いを味わうように、またスプーンを口に運ぶ。
 そこでふと、ひなこがじっと自分の口元を見続けているのに気付いた。
「……ひなこも食べろよ」
「う、うん、そうだね」
 自分の作った物を、大切な人が美味しそうに食べてくれる。
 それをいつまでもずっと見ていたい。
 ひなこはそんな風に思えることが何だか不思議で、同時にとても嬉しかった。




 楽しいひとときはすぐに過ぎてしまう。
 ひなこが名残惜しそうに腰を上げると、敦志も上着を手にする。
「もう遅いから送って行くよ」
「え、大丈夫だよ」
「いいから。ほら、行くぞ」
 本当に大丈夫なのに。そう思いつつも、やっぱり少しでも長く一緒にいられるのは嬉しい。
「ありがとうね、敦志くん」 
 ひなこの顔がぱっと明るくなる。

 店の扉を開けて外に出ると、涼しい夜風が頬を撫でて行った。
 西の空には、薄い三日月が何処か頼りなげに浮かんでいる。
「あの月が満月になったら、綺麗だろうな」
 ひなこと並んで歩きながら、敦志が呟いた。
「着物で月見なんかもいいな」
「うん、お月見しようね。約束」
 ひなこも月に顔を向けた。
 満月も、紅葉も、雪も。これからも二人で一緒に、綺麗な物をたくさん見ていきたい。
 出逢った最初の頃よりもずっとずっと、今は強くそう思う。
 街灯に照らされた敦志の横顔が視界に入ると、ひなこは何故か突然泣き出しそうになった。
「敦志くん」
「何?」
 いつも通りの笑顔。
 いつも通りであることが、どれほど素敵なのかを教えてくれる笑顔。
「敦志くん、生まれてきてくれてありがとう」
 吸いこまれそうな大きな瞳が、ひたと敦志を見つめていた。

 その真摯な想いに、敦志は一瞬言葉を失う。
 続いて行く日々の中の、たった一日。他の人にとっては、なんでもない今日。
 終わろうとするこの一日を、こんなにも大事にしてくれる人がいる。
「うん」
 溢れ出す思いは、上手く言葉になってくれない。
 だからただ黙って、敦志は手を伸ばす。
 触れたひなこの指先が、ほんの一瞬だけ強張ったような気がしたが、構わず引き寄せた。
 掌の中で、小さな手の緊張がすぐにほぐれて行く。
「うん、そうだな」
 敦志が確認するかのように呟く。
「まだまだ楽しみたい事が沢山あるもんな。これからもよろしく、ひなこ」
 いつもと変わらない、だけど特別な敦志の笑顔。
 この笑顔に逢えたことが幸せ。
 手を繋いで一緒に歩けるのはもっと幸せ。
 嬉しさが胸にこみあげて来るようで、ひなこは息苦しくなる。
「うん。こちらこそよろしくね、敦志くん」
 言葉で伝えきれない想いを籠めて、暖かい手をきゅっと握り締めた。


 これからも、こうして手をつないで歩いて行こう。
 今日から新たに始まる一年を、その先を、ずっとずっと一緒に――。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ja0941 / 如月 敦志 / 男 / 20 / ダアト】
【ja3001 / 栗原 ひなこ / 女 / 14 / アストラルヴァンガード】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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この度は素敵な誕生日の思い出をお任せいただきまして、どうも有難うございます。
今回は展開上、コメント以外はお二人とも同一内容となっております。
先日、とても可愛らしいお誕生日イラストを拝見しましたので、今回の執筆にあたり参考にさせていただきました。
日常の中で、急がずゆっくりと共通の思い出を積み重ねて、互いにかけがえのない存在になって行く。そんなお二人の大事な思い出を綴る機会をいただけたこと、とても光栄です。
この度のご依頼、誠にありがとうございました。
流星の夏ノベル -
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エリュシオン
2013年09月24日

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