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『英国紳士の戦い 』
ダグラス・タッカー8677)&(登場しない)


 害虫は、どの国にもいる。それは紛れもない事実である。
「一般に害虫とされている生き物たちの中にはね、扱い方次第では人間の役に立つものも多いのですよ……まあ扱うだの役立てるだのと傲慢な言い方になってしまうのは仕方ありません。人間と虫が仲良くしようとするならば、まずはそこから入る事になってしまいます」
 語りながら、1人の若者が、ゆっくりと路地裏を歩いている。
 仕立ての良いスーツに身を包んだ、細身の青年。肌は小麦色、顔立ちは整っており、欧米人かアジア人か判然としない。
 知的な眼鏡の内側では、鋭く不敵な眼光が、静かに冷たく輝いている。
「貴方たちは、どう扱っても……何かに役立てる事など出来そうにありませんねえ」
 路地裏のあちこちで横たわる男たちに、青年は哀れむような声をかけた。
 かつてイギリスの植民地であった、某発展途上国。
 その首都の、最も治安の悪い一角に今、彼はいた。
 ダグラス・タッカー。
 イギリス経済界の重鎮・タッカー商会の、御曹司である。
「虫以下、と申し上げてよろしいでしょうか?」
「うっ……ぐ……貴様ぁ……」
 20名近い男たちが、倒れている。
 ただ1人、立っている男が、後退りをしながら言った。
「IO2の犬か……それともタッカー商会の手先か……」
「両方ですよ。日本では『二足の草鞋』などと言って、あまり誉めていただけない場合が多いのですがね」
 間違いなく懐に拳銃を隠し持っているであろう男に、ダグは足取り軽く、歩み寄って行った。
「まあIO2エージェントとしても、タッカー商会の正社員としても……貴方がた『虚無の境界』を放置しておくわけにはいかないのですよ。
 まるで害虫の如く、この組織の者たちは世界各国あらゆる場所にいる。
「ふ……この国は、貧しい……」
 男の呟きが、笑いに、そして叫びに変わってゆく。
「民は、滅びを望んでいる……絶望そのものの、生からの脱却を! そして新たなる霊的進化を、この国の民は望んでいるのだ! それほどの貧困、絶望! 全て貴様ら欧米人が元凶なのだぞ!」
 叫びと共に、男の手に拳銃が握られた。
 向けられてくる銃口を見据えたまま、ダグは軽く、左手を動かした。
 引き金が引かれる寸前で、拳銃は男の手からこぼれ落ちた。
 それを拾おうともせず、虚無の境界の男は硬直している。固まったまま、小刻みに震えている。
「なっ……何だ、これは……貴様……ッッ」
「私の親友たちからの、プレゼントですよ」
 左手を掲げたまま、ダグは答えた。
 優美な五指の先端から、辛うじて目視出来るものが伸び、男の全身を縛り上げている。
「その強度は、同じ太さの鋼鉄の5倍……ですが、これを人間の道具として実用化するのは至難の業です。何しろ彼らは肉食ですからねえ。大量に飼っておくと、共食いを始めてしまうのですよ」
 だからダグが、説得と言うか懇願をしなければならなかった。
「渋々ながら、彼らは私の個人的な研究施設で、人間の道具として生きる事を了承してくれました。結果、私はこうして彼らの武器を譲り受ける事に成功したのです……蜘蛛の糸という、自然界最強の物質をね。まあ最強は言い過ぎかも知れませんが、こうして貴方がたの動きを止めるくらいの事は出来ます」
 蜘蛛の糸から作り上げた、特殊繊維。
 それによって縛り上げられた男たちが、路地裏のあちこちに転がって、苦しげに呻いている。まさに、蜘蛛に捕われた虫の如く。
「……お見事でございます、ダグラス坊ちゃま」
 声がした。
 初老の英国紳士が、そこに立っていた。タッカー商会本家の使用人で、ダグ個人の腹心とも言える人物である。
「その呼び方……そろそろ、やめていただきたいものですが」
「これは失礼をいたしました。アフタヌーンティーの準備が整っております、が……その前に御報告を」
 英国紳士が一礼し、声を潜めた。
「政府要人の方々とも繋がりがある、だけではありませんな。民間のあらゆる分野に入り込み、密着しております……この国はほとんど、虚無の境界に乗っ取られていると申し上げてよろしいかと」
「国そのものが、虚無の境界を受け入れてしまったと。そういう事ですか」
 植民地時代、大英帝国に搾取され尽くし、貧しいまま独立してしまった国である。
 その貧困に、人々の絶望に、虚無の境界は巧みにつけ込んで来た。
 このままでは国そのものが、かの組織の前線基地と化す。
 その事態を防ぐ手段を、ダグは1つしか見つけられなかった。
「この国にタッカー商会の支社を建てるのは至難の業……ですが、やらなければ」
 支社を作り、雇用を生み、経済を活性化させる。そして国を豊かにする。人々の心から、虚無の境界を受け入れてしまうような絶望を取り除く。
 ダグは思う。
 この国を貧困に追い込んだ英国人の1人として、それにIO2職員として、自分がやらなければならない事だ、と。


「タッカー商会は慈善団体ではない。それは、おわかりでしょうな」
 叔父が、苛立ちを露わにしている。
「あのような貧しい国に、一体どれほどの投資をなさるおつもりか?」
「貧しい国を富ませるために行うのが投資というものですよ、叔父上」
 にこやかに、ダグは答えた。
「貧しい人々が豊かになる事で、自然に我々も豊かになってゆく。商売とは、経済とは、そうあるべきと、この若輩者は考えております。青臭い事を、と貴方がたはお思いでしょうね叔父上、それに父上」
 タッカー商会の総社長たる父親と、その片腕である叔父。そこに自分を加えた3名が、和やかなティータイムなど過ごせるわけがない。
 そう思いながらダグは、優雅にティーカップを傾けて見せた。
 父は、何も言わない。喋っているのは、叔父だけだ。
「まさしく青臭さの極みですな。貧しい者どもに富を分け与えたところで、我々が得るものなど何も」
「そこを、もう少し考えていただきたいのですよ。当商会の、重役の方々にはね」
 この叔父には、毒殺されかけた事もある。思い出しながらダグは言った。
「世界には、貧しい人たちの方が圧倒的に多いのです。そういった方々がお金持ちになって、タッカー商会で買い物をして下さるようになれば。少数の裕福なお客様だけを相手にするよりも、莫大な利益を見込めるとは思いませんか?」
「子供の理屈だ! そのようなもの!」
 叔父が激昂し、テーブルを叩くように立ち上がる。
 そこでようやく、父が声を発した。
「アジアにおける取引状況と流通が、何やらおかしな具合になりかけていたようだが回復し、正常な商売が出来るようになった。お前がチベットで良い仕事をしてくれたおかげだな、ダグラスよ」
 あれはIO2エージェントとしての仕事であってタッカー商会とは関係ない、とダグは言ってしまいそうになった。
 それに、自分は何も大した事はしていない。
 彼の力があってこそ、辛うじて成功という形で完遂する事の出来た任務である。
 翡翠色の瞳をした、日本人の若者。
 彼の実直さと行動力は、発展途上国における新たな市場の開拓には、大いに向いている。
(商人というものはね、私のように腹黒いだけでは務まらないのですよ……貴方ならきっと、大勢の新しいお客様を引っ張って来てくれるでしょうにねえ)
「お前はアジアで実績を示した、という事だ」
 この場にいない若者に、ダグが心の中で語りかけている間。父は、勝手に話を進めていた。
「もう少し、思うようにやってみると良い。結果さえ出せば誰も文句は言わん。そうだろう?」
「……せっかくの実績が台無しにならぬよう、気をつける事ですな!」
 捨て台詞を残し、叔父は去って行った。
 その背中を見送りながら、父が言う。
「……あれは、まだマシな方だ。お前に協力的な態度を見せている者たちの中にこそ、本当の敵がいる。私はそう思う」
「叔父上は、正直な方ですからね」
 貴方よりも、という言葉をダグは呑み込んだ。
 母を、守ってはくれなかった。
 この父に対しては、どうしても、その思いを拭う事が出来ずにいる。
 それをダグは、表情には出していないつもりではいる。が、父は言った。
「お前にとっては私も、母親の仇という事になってしまうのだろうな」
「……母上の話はやめましょう。何を語ったところで、生き返って下さるわけでもなし」
「たとえ、仇を討ったとしてもな」
 気付かれている、とダグは思った。
 自分が、密かに商会内部を調べ、母の死の真相を探ろうとしている。それに、この父は気付いている。
「復讐に意味はない、などというのは私個人の考えだ。お前はお前で……先程も言ったが、思うようにやってみると良い。繰り返しになるが、お前には七光に頼らぬ実績があるのだからな」
「父上……」
 ダグがそんな声を発している間、父は立ち上がり、叔父とは別方向に歩み去り始めていた。
「お前はチベットで、立派な仕事をやり遂げてくれた。親として、誇らしく思う……これは私の、偽りのない気持ちだ。こんな事を言える機会が、この先あるかどうかわからんからな。1度だけは、はっきりと言っておく」
 息子の返事を恐れるかの如く足早に、父は去って行く。一方的に、言葉を残しながら。
「お前は私の誇りだ、ダグラス」
PCシチュエーションノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2013年10月15日

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