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『錦秋の邂逅 』
九重 除夜(ia0756)




 蒼穹は突き抜けるように高く、目も眩まんばかりに明るかった。
 何処までも続くかと見えた瑠璃色は、視線を落とした先、秋の女神の纏う衣の袖に遮られる。
 深紅、鮮紅、橙、黄金、薄茶、そして常緑。
 見渡す限りの山肌が色彩に溢れ、時折吹きぬける乾いた風にその切れ端を託す。

 乾した朱塗りの杯に、真紅の紅葉が一枚、ふわりと舞い降りた。
 九重 除夜は杯を掲げる。
 それは山の主の美に対する賞賛か、場を借りたことへの礼だったか。
 九重の素顔は、人ならぬ物を模した仮面に覆われ窺い知れない。

(――静かだ)
 吹き抜ける風の音、微かに届く清流の水音。
 聞こえるのはそれだけだ。
 芳しい香りの液体を口に含むと、静寂が一層深くなるように思えた。

 そのときだった。
 突如、ごう、と音をたて、強い風が吹き抜けた。
 九重の杯を持たぬ方の指先が得物を求め、音もなく空を滑りゆく。
 鋭い耳は、木々のざわめきに雑じる、落ち葉を踏む微かな足音を聞きわける――。




「おわっ……ぷ!」
 突然の強い風に煽られ、無数の紅葉が宙を舞う。
 行く手を遮る程の紅葉の乱舞に、七曜 除夜は思わず手をかざした。
 細めた目に映る赤と金。まるで身体の内にまで染み入るように。
「それにしても、ここはどこなんだろう……?」
 ふと気付いた時には、柔らかな落ち葉を踏みしめながら歩いていた。
 一体何故ここにいるのか、何をしようとしているのか。七曜には全く心当たりがない。
 それでも何故か恐れも警戒心もなかった。
 ただ目の前に広がる艶やかな光景に心奪われ、見知らぬ山道を行く。

 無警戒に、ただ無心に、木々に視界を遮られた山間を進んで行くことなど、普段の七曜ならばあり得ないことだったろう。
 だがそれが幸いしたのかもしれない。
 舞い散る落ち葉が途切れた先に佇むのは、奇妙な面をつけた人影。
 身に纏う衣服は、七曜から見れば仮装大会か時代劇のように思えた。
 長い黒髪のすべらかさを見ると、女、それも若い女だろうか。
 その人影は秋の日を浴びて悠然と倒木に腰掛け、朱塗りの杯を手にしていた。




 九重が大きな徳利を傾けると、心地よい音と共にあふれ出る滑らかな液体が杯を満たす。
 まだ静まらぬ水紋に日の光が弾けたかと思う間に、杯は空になった。
(徳利ごと煽った方が早いよーな……)
 幾度も飽きることなく繰り返されるその動作に、七曜は半ば呆れ、半ば感心しつつ思った。
 自分はといえば杯を手にしたまま温ませ、ときたま縁を舐めるように唇に当てる程度だ。
「それで。汝はここへ何用で参られた」
 声を掛けられ、七曜は返答に詰まる。そんなのこちらが知りたいぐらいだ。
「まあ紅葉狩りってとこかな? そういうあんたは、こんな所でひとりで何してるの」
「……景色を愛で、酒を愉しむに理由など要らぬだろう」
 そう言うとまたも九重は盃を乾す。


 七曜はその何気ない仕草の中に、一分の隙もないことを見て取った。
 戦国の時代から続く退魔の一族に生まれ、厳しい修行によって培われた感覚が、仮面の相手がただならぬ存在だと告げている。
(相当の使い手……しかも迷いがない。いい意味でも、悪い意味でも)
 もしも七曜が周囲に敵意を撒き散らしながらこの場に足を踏み入れていれば、いきなり斬り付けられていたかもしれない。
 相手が女だろうと子供だろうと、獣だろうと。
 何の躊躇もなく斬る、鋭い刃そのもの。
(剣鬼、か……居る処には居るものだな)
 七曜は乾きかけた唇を杯につけ、そっと湿す。

 
 九重は杯を煽りながら、仮面の下で密かに相手を窺う。
 落ち葉を踏みしめる足の運び、時折閃くこちらへの警戒心。
 若いが、動きに無駄はない。腰の長物は単なる飾りという訳ではないらしい。
 そして物腰は決して卑屈でも、そして傲慢でもない。
 自己の存在に納得し受け入れた者の持つ、一種独特の自負のようなものが見て取れた。
 諦観ではなく、より前向きな肯定。
(成程、似て非なる者、か)
 あるかなきかの自嘲の笑みを口の端に乗せる。
 真っ直ぐに己の剣を信じることのできる、若き剣士。
 それは同じように剣を手にしながらも、九重自身とは異質な存在だと思えた。

 


 どれ程の時間をそうしていただろう。
 特に何を話したという訳でもない。
 ただ紅葉を眺め、空を眺め、二言三言、答えも期待せぬ取りとめのない言葉のやり取り。
 それでも九重も七曜も、沈黙に飽きることがなかった。
 まるで慣れ親しんだ古い友人との再会のように。
 いや、それよりももっと近しい何かのように――。


 しかし心地よい静謐は、突如途切れた。
 けたたましい山鳥の鳴き声が、すぐ傍の草藪から響き渡ったのだ。
 思わず身構えた七曜の前に、美しく長い尾を引いた鳥が羽ばたきながら飛び出した。
 怪我をしているのか、空を舞うことなく、ただ落ち葉の上を駆け抜ける。
 そこに一匹の狐が躍り出る。
 長い爪と牙が翡翠色の羽根を散らすと見えた瞬間、山鳥は再び羽音を立てて飛び上がり、襲撃をかわす。

「……ッ!」
 七曜は素早い動作で小石を拾うと、指先で弾いた。
 狙い過たず、礫は狐の横腹をしたたかに打つ。
 ――ギャイン!
 思わぬ方向からの痛打に、狐は一声啼くと、身を翻し藪へと駆けこんだ。
 やがて少し離れた木立の切れ間で立ち止まると、怨めしそうにこちらを振り向く。その脇には寄り添う子狐の姿。
 暫くして下草を踏む微かな音が、次第に遠ざかって行った。


 微かな戸惑いが七曜の胸に広がる。
 だが山鳥は上手く逃げおおせたようだ。一息つくと軽く頭を振り、倒木に腰掛ける。
「何故、狐を追い払った」
 九重が杯を手に、ぽつりと呟いた。
 余りに唐突だったのと、その視線が相変わらず紅葉を眺めていたのとで、問われたことに七曜が気付くまでにほんの数瞬の間を要した。
「……山鳥の巣が近いんじゃないかな。襲われたんだと思ってね」
 九重がくぐもった笑い声を漏らす。
 その笑い声からは、先刻までのどこか近しいような雰囲気は消え失せていた。
「何か可笑しかったかな?」
 隠しきれない若干の警戒心と共に、七曜が尋ねる。
「そして狐が飢える。狐の仔も飢える。飢え死にさせるぐらいなら礫ではなく、その得物で息の根を止めてやればよかったのだ」
 答えは、興が冷めたと言わんばかりの固い声音だった。




 七曜は相手の変化を、何故か至極当然のこととして受け入れていた。
 自分はこの仮面の人物を、よく知っている。
 そう、知り過ぎている程に。
「今日山鳥にありつけなくたって、死ぬときまった訳じゃないよね」
 場に流れる空気が、一言毎に冷えてゆく。
「茶番よな。汝はただ、己が見たくない物から目を逸らしておるだけだ」
 言葉が見えない刃となって、七曜に叩きつけられた。
「そうして逃げて、逃げた後に残る物も見ぬ振りをする。汝が置いて逃げた物はそこに残り続けるというに」

 その言葉に、七曜は確信した。
 おそらくあの仮面の下には、自分とそっくりの顔があるのだろうと。
 七曜を糾弾する声が、次第に熱を帯びる。
「思いきれぬなら、何故受け止めぬ。汝が放り出して逃げた物は、誰かが代わりに背負うのであろう。何故共に受け止めてやらぬのだ」

 宿命の重さに喘ぎ、抗い、血を吐く思いをしたことは同じ。
 まるで鏡を覗き込んだように、どこかで違った選択をした自分がそこにいる。

 七曜は継ぐべき家督を妹に譲り、家を出た。
 どうしても自分がそこに居るべきではないと思ったからだ。
 しかし仮面の人物はそのことを責めているのだ。
 受け入れてくれる、待っている家族を、何故顧みないのかと。

 だが七曜にとっては、最良の選択の結果が現状だ。
 故に、異なる選択には否、と告げるしかない。
 息をひとつ吸い込み、七曜は仮面の人物を見据えた。




「逃げたのはあんたよね」
 九重の耳に静かな声が届く。
「重い宿命から逃げる為に、全部を消した。あんたと違って、受け止めて立つ人がいたかもしれないのにね」
 九重の纏う気配が、目には見えない氷の鎧に変じる。
「そしてあんたは自分の逃げ道を塞ぐために、一族を滅ぼした。自分の手を汚すことを厭わない? そんなのはただの自己満足だよ!」

 自分で被った仮面は見えない。だが九重は、その容をよく知っている。
 忌まわしいその容こそ、九重が継ぐはずだったものの象徴なのだ。
 そう、九重は我が手で全てを絶った。
 己の他、誰にもこんな思いはさせまいと。

 そして今、似て非なる自分が、自分を糾弾している。
 ――成程、お前の言う通りなのだろう。
 他の手段もあったのかもしれない。そのことは自覚している。
 片時も、己の成した事を忘れることなどない。
 だからこそ仮面で全てを覆い隠し、帰る場所を持たぬ身となった。そして全てを断ち切ることで手に入れた自由という苦い果実を、只管貪り続けているのだ。
 
 九重が杯を置き、ゆらりと立ち上がった。
 非難は甘んじて受けよう。他ならぬ自分自身が、ずっと自分を許さず責め続けているのだから。
 だが、何が正しいのか。それをお前は示して見せられるのか?
 それができるならば――。

「ならば、どちらの道が正しいか。今此処で決めるのもよかろう」




 九重がすらりと刀を抜いた。紅い葉が一枚、静かに舞い落ちる。
 刃に赤を映しながら落ちかかり、触れた葉は忽ち断ち切られ、まるで二つに分かたれた心臓のように重く散って行った。
 山全体が息を呑み、立ち会う二人を見守るように、静まりかえる。


 どう。


 そこに突然の旋風が巻き起こった。
 強い風は枝にしがみ付く紅葉も、足元に散り敷かれた落葉も全て巻き上げ、何もかもを覆い隠す。
 深紅、鮮紅、橙、黄金、薄茶が渦巻く中に、二人は取り込まれた。

 秋の女神が、相争う二人を憐れんだのか。
 あるいは艶やかな錦の衣を、血で穢されることを厭うたのか。
 ――それは誰にもわからない。


 やがて風が吹き過ぎた時、そこには誰もいなかった。
 残されたのは、香り高い酒を満たした朱色の杯がひとつ。
 秋の夕暮の金色の光を浴び、鮮やかに照り映える。
 その水面には半分に断ち切られた紅葉が一枚、ただ静かに揺れているばかりだった。



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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ia0756 / 九重 除夜 / 女 / 21 / 仮面の剣鬼】
【jb1448 / 七曜 除夜 / 女 / 19 / 漂泊の剣士】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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お待たせいたしました、秋の日の幻想譚をお届けいたします。
おそらくはお二人にとってとても大事な内容をお任せいただき、私なりの解釈でいいのかと迷いつつも大変興味深く執筆致しました。
時間も空間も超えて巡り合った、重い宿命を背負った二人。
きっと誰よりも互いのことがわかるからこそ、出逢えば感情をぶつけずにはいられない。
そんな緊張感、物悲しさが表現できていれば幸いです。

この度のご依頼、誠に有難うございました。
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舵天照 -DTS-
2013年10月17日

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