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『終わらない童話 』
紫ノ宮莉音ja6473


 ハロウィーンの夜、何処かの森の奥深く。魔女が大鍋を掻きまわす。
 秘密の材料を、秘密の作法で、煮込んで煮込んで。
 後は、お前さんの見たい物、そして見たくない物を入れるだけ。
 年老いた魔女が嗤って皺だらけの手を差し出した。
 さあ、お前さんの心の中の、残酷で綺麗な物語をこちらにおよこし……。




 最初の記憶は、視界いっぱいの明るく眩しいアクアブルー。
 前へ、前へ。
 腕を差し伸べ、引き寄せ、後ろに流す。
 その度に身体は、何かに引き寄せられるように、暖かい水の中を力強く前へと進む。

 ああ、今日はとても調子がいい。
 余りに自然に息が入るので、自分がどうやって息継ぎしたかも分からない程だ。

 時に水はこちらを冷たく拒絶し、行く手を阻む。
 だが今日はまるで、見えない何かが優しく僕に寄り添って、抱き締めて、導くように。
 速い、速い。
 白い泡が、床に並ぶ等間隔のラインが、煌めく光が、後ろへ飛んでいくようだ。

 やがて眼前に、白い壁がぐんぐん迫り来る。
 腕を伸ばし、水を蹴って反動をつける。
 胎児のように身体を縮めて、捻る。
 壁が視界から消えたところで身体を開き、壁際で足に力を籠めて思い切り――!


 そこでようやく気がついた。
 ぱしゃん。
 水面を打つ音。
 半透明の美しい扇が、スローモーションで滴を撒き散らしながら空を切る。
 違う、扇なんかじゃない。魚の尾鰭だ!
(どういうこと……?)
 銀色の鱗に覆われた大きな尾鰭が、僕の足の代わりについていた。

 それに気付いた瞬間。
 アクアブルーに輝くプールは消え失せ、底知れない暗さを湛えた水面となった。
(そうか……僕は夢を見てるんだ……)
 ついさっきまであんなに温かった水は、冷え冷えとしてひたすら静かにたゆたっている。
(プールじゃない……ここは……湖?)
 うっそうと茂る木々の影が、水面に映っていた。
 腕を伸ばし、暗い水を掻き分ける。
 さっきまでと同じように、身体は何の抵抗もなくすいっと前に進んだ。
 どうだ、早いだろう。
 思うままにに泳げるだろう。
 くぐもった声が、水底から悪意の泡のように湧き上がる。

 そう、僕はずっと、少しでも速く泳ぎたいと思っていたんだ。
 だけど、水を蹴るのは人の足がいい。
 息をするのは人の肺がいい。
 僕が望んだのは、こんな速さじゃない――!
 その気持ちの強さを、心の叫びを、銀の鱗に包まれた尾鰭が嘲笑うように軽々と打ち砕いて行く。

 小さな湖は、やがて岸に遮られる。
 そこで思い知るのだ。
 どんなに速く泳げても、どうせ僕はプールと湖しか知らない。
 何処までも広い海に焦がれても、どっちへ行けばいいのかも判らない。
 だったらこんな尾鰭、やっぱり要らない!
 岸辺の草を握りしめて、引き千切る。


 シャラン。

 耳元に響くタンバリンの音。
 顔を上げると、握りしめていたのは草ではなくて白い指。驚いて力を抜く。
 誰の指だろうと思う間もなく、柔らかな長い髪が頬に触れた。
「待って……!」
 白い指がするりとすり抜け、温もりだけが虚しく手に残る。
 慌てて伸ばした手は虚しく宙を彷徨った。

 そのとき突然、身体が水底に引き込まれる。

 いつの間にか水草に絡め取られた足。
 ばたつかせる程、爪先は冷たい水に吸い込まれて行く。
(あれ、おかしいな……さっき足はなかったはずなのに……)
 言葉は音ではなく、無数の水の泡になって上がってゆく。
 そうか、王子に焦がれた人魚姫は泡になって消えたんだった。
 
 暗い水の中、白い泡は幾つも幾つも浮かんでは消えてゆく。
 莉音はそれを看取るように、静かに目を閉じた。




 次に目にしたのは、何処までも遠く広がるスカイブルー。
 その澄んだ青は余りに眩しくて、目に痛い程。
「うっ……」
 暫く目を閉じて、息を整える。
 自分が少し湿った柔らかい土の上に横たわっているのだと気付くのに、少し時間がかかった。
 薄く目を開けると、自分の下半身が目に入る。
 銀の鱗に覆われていた尾鰭は消え失せ、見慣れた自分の二本の足がそこにあるらしかった。
 らしかった、というのは、何だか霞んで良く見えないからだ。

「あれ……?」
 思わず片手を顔の前に持って来たところで、驚きに身を固くした。
 手にしていたのは、禍々しく光る手斧。
 どうしてこんな物を持っているのか。身じろぎもせず考える。
 よく見ようと、空いている方の手で目の前を探り、ようやく視界を遮る物が何なのか判った。
 黒いレースでできたベールをすっぽりかぶっているのだ。
 まるで、お葬式に参列している人のように。

 一体『誰が』死んだのだろう?
 僕は『誰を』弔おうとしたのだろう?

 そっと身を起こし、恐る恐る立ち上がる。
 大丈夫だ。今度は底に吸い込まれたりしない。
 でもなんてちぐはぐな格好!
 黒いベールを被って、赤い靴を履いた僕。

 僕は赤い靴を履いた足で、大地を踏み締める。
 一歩、また一歩。
 何故かその一足ごとに、爪先から湧き上がった不思議な力が全身を駆け巡る。
(そういえば、赤い靴のお話があったっけ……)
 足を切るまで踊り続けなければならない、呪われた赤い靴の、とても怖いお話。
 だけど何故か、今はそれが怖くない。
 歩みはいつしか軽やかなステップに変わっていく。

 海に憧れ続けていた人魚は、泡になって消えてしまった。
 そして陸に上がった僕は、赤い靴を手に入れた。
 激しく、強く、優しく、甘く、差し出す爪先が音楽を奏でるかのように。
 疲れ果てても構わない。
 望むまま、いつまでも踊り続けよう。
 僕がいつか踊り疲れて倒れても、切り落とした僕の足は永遠に踊り続けるんだ。


 夢が消えた洞穴に、新しい夢が宿る。
 再び得たその夢を失うことはとても怖いけれど、消えることはないのだと思えば、不思議と心が軽くなる。
 赤い靴は僕の足を離れない。
 ずっとずっと、一緒に居てくれる。

 シャララン。

 鈴の音のような軽やかな声が僕を呼んだ。
 と思うと、長い髪、甘い香りがすぐ傍で翻る。
「誰……?」
 こちらに向いた明るい笑顔は、心の中まで照らすよう。
 陶然と指を伸ばす。
 だが目の前の誰かはその手をすり抜け、くるり、輪を描いて、離れてしまう。
「あっ、待って……!」
 くるり、くるり。
 もう少しで届きそうなその姿は、柔らかな風のように離れて行った。

 まるで、今はその時ではない、とでも言うように。
 だけど、いつか巡り合うのだ、とでも言うように。

 後ろ姿を見送りながら、赤い爪先は踵を返し、踊り続ける。




 生きることは、何かを得ること。
 そして、何かを失うこと。

 失った物はもう戻らない。
 それを認めるのは、死ぬほどつらいこと。
 けれど、きっと先には別の何かが待っているのだ。
 ――だからまだまだ、お前は踊りをやめてはいけないよ。
 疲れて倒れそうになっても、残酷で優しい赤い靴が導くから。
 僕は今日も、希望と共に踊り続ける。




 ハロウィーンの夜、何処かの森の奥深く。魔女が大鍋を掻きまわす。
 ……人というのは意外と脆くて、意外と強いものだからねえ。
 ひび割れた笑い声が、しんと静まり返った森にこだまする。
 その鍋の中、次は誰の赤い靴が生まれるのだろう――。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ja6473 / 紫ノ宮莉音 / 男 / 14 / 赤い靴の持ち主】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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この度のご依頼、誠に有難うございます。
不思議な夢現の物語、如何でしたでしょうか。
童話に託された心の変化を上手く言葉にできていればいいのですが。
諦めた方が楽なこともあるかもしれませんが、強く願わなければ手に入らない物もある。
立ち上がって前に出る莉音君の姿は、とても凛々しいと思います。
大事な物語をお任せいただいて、有難うございました。
魔法のハッピーノベル -
樹シロカ クリエイターズルームへ
エリュシオン
2013年10月22日

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