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『おかしな絵本 』
ファルス・ティレイラ3733)&(登場しない)



「ティレイラちゃん、良い物をあげるよ」
 配達先のおばあちゃんが一冊の本をくれた。
「中に入れる絵本だそうだよ。年寄りになっちゃうと、もう冒険心もなくってね。若い子に使ってもらった方が本も喜ぶでしょう」
「ありがとうございます!」
 冒険心のカタマリみたいな私にはすっごく嬉しいプレゼントだった。
 表紙には可愛いロゴでタイトルが書いてある。
『お菓子の花々、お菓子のひとびと』
 さっそく、家に帰って本を開くことにした。


 地面にふわりと降り立つと、まず土の弾力に驚いた。半透明のオレンジゼリーで出来ているのだ。ジャンプするとよく弾む。
「わぁ! こんなの初めて!」
 翼で飛んで探検しようと思っていたのをやめにして、歩くことにした。
 走っても、歩いても、スキップしても、下から跳ね返してくる感触が楽しい。グニグニと足の裏を押し返してくる弾力がある。
 あちこちにある大きな樹も、足元の小さな花々も、全てお菓子で出来ていた。一本の樹に抱きついて葉っぱを一枚噛むと、口の中で砂糖が溶けていった。
「あまぁぁぁい……!」
 もう一口、更にもう一口。
 あむあむ。もぐもぐ。
 ハムスターみたいにお菓子を頬いっぱいに詰め込んで……すっごく幸せ!
「あ〜こんな世界に住んでみたい!」
「……その願い、叶えてあげましょうか?」
「ふえ?」
 目の前には一人の少女。真っ白なワンピースに、フワフワの巻き髪、青い瞳。お人形みたいな顔をした子だ。随分小柄で、私のお腹の上までしか身長がない。
「あなたの願い通り、ずっとここにいられるようにしてあげますね」
 ぱちん!
 女の子が指を鳴らすと、突如としてお菓子で出来た魔犬が襲いかかってきた。
 尖った牙からはよだれが垂れていて、とても砂糖菓子には思えない。
 飴で出来た目はギンギンに光っていて気味が悪く、直視したくない程だった。
 だけど私だって竜族だもの、負けていられない!
(炎で対抗よ!)
 連弾を浴びせると、魔犬はダラリと溶けてゼリーの地面に落ちていった。
 ぱちん!
 今度はお菓子で出来たサイだ。
 突っ込んで来る猛獣を寸での所で交わして、大きな炎玉で一撃!
 サイは燃え盛る炎の中へ消えていった。
 ぱちん!
 ――現れたのは、私よりも大きなトラだった。
「わ。わわわわわ!」
 思わず私は後ずさり。ゼリーで出来た土の上を転がり落ちるように逃げ出した。
「ごめんなさい! ごめんなさい! ギブですギブ〜!」
 何を口走っているのかわからないまま、言葉もどんどん転がって行き。
 グニグニ弾むゼリーに足を取られ、前のめりにすっ転んだ。
 痛……くない。ゼリーの上だから。大丈夫!
 だけどこのままでは追いつかれてしまう。
(そうだ、私には翼があるんだった!)
 大急ぎで人型のまま翼を生やし、空へと逃げる。
 いくら何でもトラには追って来られないでしょう!
 ぱちん!
 ああ、もう、嫌なその音――、
 見るとお菓子で出来たペガサスがいるではないか!
「いやああああああああ! もう勘弁してよ〜!」
 泣きごとを叫びながらグルグル回る。ペガサスも回る。まるでメリーゴーランドのように、グルグルグルグル。
 追われて逃げて、逃げては追われて。
 絶体絶命に追い込まれて、ハタと気付く。
(……元の姿に戻れば勝てるんじゃない?)
 そこで私は大変身。空中で本来の竜族の姿に戻ると、炎を吐き、尖った爪で引き裂いた。

(あ、危なかったぁ……)

 胸を撫で下ろして着地する。そこは最初に魔犬を倒した場所で、私の足が魔犬の溶けた残骸の上に降り立つと――、
 そこから琥珀色のスライムが出てきた。
「いやああああああああああああ!!!」
 抵抗する間もなくスライムに呑みこまれ、私は辺りが震える程の大声で悲鳴を上げた。
 だけど誰も助けになんて来ない。
 目の前にいるのはあの女の子だけだった。
 その女の子ときたら――、スライムを指でつつきながら、私を見上げて笑っていた。

「紫のカラダなんですね。へ〜え?」
「もしかしてこれが本性だったりするんですか? 強そうですものね」
「最後に変身って言うのがいいですよね。満を持してってやつですね」
「それがこんなに簡単に捕まっちゃうなんて、ちょっと恥ずかしいですね?」

 私を捕えた余裕からか、女の子は言いたい放題に私をからかってくる。
 悔しいけど、返す言葉がない。
 私は人の形を残さない姿で顔を赤らめ、牙を立てた。爪を喰い込ませ、尾で弾き、太くなった足で踏ん張った。全身でぶつかりさえした。
 けれど、スライムはびくともしない。
 それどころか、爪の中にスライムの断片が入り込み、その不快な存在を強く残した。生温かい感触が舌に残り、気持ちが悪かった。
 だんだんとスライムは萎んでいった。丸い琥珀色の球体になり、ゆっくりと私の紫の身体と一つになっていく。
 竜族の硬い皮膚の上を、気味の悪い粘膜がバターのように蕩けていくのだった。
「や、やややややだ!」
 慌てて暴れ回るけど、どんどん球体の中央に押し込められていく。
「助けて! 助け……ふああああ?!」
 口の中にまで粘膜が入り込んできていた。
 私は、女の子曰く「強そうな」竜族の姿から、何も喋れない「何か」へと変わるのだ。
 ――「何か」が何なのかはすぐに分かった。

「あなたはこれから飴玉になるんです。もう抵抗しない方が良いですよ。さもないと……」
 女の子は粘膜越しに私のお腹に自分の頬を押し当てた。
 そして私のお腹の辺りをぺろりと舐めた。粘膜を隔てているので、何の感触も感じなかった。それが逆に奇妙に思えた。
「わかりますか? 私が言ってる意味……」
 そう言って、女の子はスッと私から離れた。
 一輪の花を摘んで、私に見えるようひらひらとチラつかせるとそれを口に含んだ。
 一秒、二秒、三秒……。
 女の子が口から茎を抜くと、花びらの殆どが消えていた。砂糖で出来たお菓子の花は、舐めたらなくなってしまうのだ。
「だから大人しくしていてくださいね。そしたら食べませんから」
 私が飴玉になる間、女の子は目の前で花をいくつも平らげた。頬を膨らませて砂糖菓子を頬張る姿を眺めながら、私は静かに飴玉の材料に包まれていった。
 私は動かないでいた。
 既に爪先を動かすことも出来なくなっていたからだ。
 爪の中に入り込んだ異物の感覚はもうなくなっていた。

(ただ絵本の世界を楽しみたかっただけなのに……)
 私の心の中に吹き荒れる嵐など、誰にも伝わりはしない。
 私はもうただの飴玉なのだから。話せないのだから。
 だから、目の前にいるこの女の子は知りもしない。私の心の中の泣きごとなんて。

 女の子は私に抱きついて、腰を撫でていた。
 青い瞳は上目遣いに私を捉えていた。僅かに開けた唇から覗く歯を、私のお腹に押しあてていた。
 そして女の子は悪戯気味に歯を軽く立ててくる。
 ――ちょっと怖いような気がする。食べられるかもしれないって。
 ――でも笑いだしたいような気がする。おかしいよって。
 とてもとても愉快な気がしてくる。
 だって、こんなの。こんなの。こんなの。
 私の、まだ辛うじて動く目がルーペのように女の子の唇を大きく映し、まだ残っている意識の中で何度も再生させる。
 それはワンピースと同じ、真っ白な歯だった。雪のようにまばゆかった。
 なんておかしな絵本の世界。



終。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
佐野麻雪 クリエイターズルームへ
東京怪談
2013年11月07日

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