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『『アイス・バーグ』 』
張 李威(ic0903)&エドガー・バーリルンド(ic0471)
 乾いている。
 張 李威は現在の己の感覚を端的にその一言を以ってあらわした。それが何に起因したものかは判然としない。ただジルベリアの風に晒された体皮のひりつくような感覚が、際限なく増してゆくという錯覚。
 今更、と李威は鎧から露出した己の首筋に手を添えた。母と共に秦国からこの地に流れてからというもの、体はとうにこの風に慣らされている。水気をさらわれた首筋は締まった皮膚と骨の硬質な感触ばかりを、添えた手に必要以上にかえしてくる。乾き、冷えた風の中、李威は景色を眺めた。
「隊長」
 背から掛けられた部下の声。隊長。そう呼ばれていると、やはり今更ながらに思う。
「隊の準備は整いました。いつでも行けます」
「準備、か」
 李威は呟くように言った。
「目に見えるものより、兵達の胸の内が気がかりだ。数で勝る敵の本隊に奇襲を掛ける……聞こえはいいがな。一瞬の契機がすべてを左右する。無残なものだぞ、機を逸した奇襲の崩れる様というのは。死にに行くと、兵達は分かっているか」
「無論です。自分をはじめ皆、隊長を信頼しています。命を賭す覚悟は出来ている……この奇襲は成功するでしょう」
 李威はふり返って、若き部下の真摯な目を見て微笑してやった。そして胸の内で自嘲した。信頼。それこそ、己がこの体皮という表面上に培ったものに違いない。その己が、他者の胸の内などを問うのが滑稽だった。
 再び景色を眺めた。戦場の景色。常と変らぬ風にまじる異臭。
「よかろう。……行くぞ」
 纏った鎧と腰に下げた剣が、甲高い音を打ち鳴らす。すべてが己の表面上の産物であることなど元より知れている。己の生の歩みがすなわちそれであった。顧みたこともその余裕もなかった。だがここに至りそれを知覚するという事は、己の胸の内までも、或いは乾きというものが達しているということなのか。
 硝煙の香り。戦いの予兆。それらが果たして自身の内を潤してくれるものかどうか、未だに判じかねている。
 李威は外套を翻した。

 ヴァイツァウの乱。
 ジルベリアの南部においてヴァイツァウ家の残党が決起したこの戦いは、反乱軍と帝国軍に加え、開拓者ギルドの介入する激しいものとなった。
 思想、信念、禍根。この戦いにおけるそれらのいずれもエドガー・バーリルンドにとっては興味を持てる対象ではなかった。エドガーは傭兵であり、それらの衝突によって引き起こさせる戦いそのものが、彼にとっては唯一の主題であった。
「……この傷は、ちと不味いな」
 見誤った、と認めざるを得ない。天儀本島の開拓者達は、技も戦い方もエドガーの経験したことのないものだった。彼等と初めて対峙したその時、それまでエドガーがジルベリアの中で培ってきた傭兵としての知識、経験がむしろ仇となり、相手との距離を一瞬見失わせたゆえに受けた傷。予想以上に、深い。
 どうにか戦いから離脱したエドガーは、重い体を引きずってたどり着いた本隊を目にして、どうやら今日はとことん厄日らしいと悪態をついた。壊滅し、敵に降伏した本隊。
「これじゃ雇い主からの払いは期待できねぇ、か……この傷といい、高くついたもんだな」
 やかましく武装解除を命じる帝国側の兵たちの声に大人しく従いながら、やるせなく見回したエドガーの視線のなかに一人の男が映りこんだ。男がこの小隊の頭であることは見れば分かる。だがそうした上辺の様子よりも、なによりエドガーの嗅覚が、この男に反応した。
「随分、思い切った奇襲だったな。どこか、割り切った所がないと出来ねぇ芸当だ」
 割って入ろうとする兵達を、男は腕で制止した。
「……騎士が、戦いに全てを賭すのは当然のこと。たとえそれが命であろうと」
「へえ、命ねぇ。だとしたら、俺とアンタは折り合わねえな。もっともアンタが本心を口にしてるなら、だが」
 エドガーと男の視線はしばし交差した。風の音ばかりがやかましい。
「ヴァイツァウの人間では無いようだ」
「察しの通り傭兵だ。金で雇われただけの、な。ま、この傷じゃあこのまま廃業かもな。アンタ、よかったらウチに来ないかい。そうすりゃ俺も楽が出来そうだがな」
 男は思いのほか気楽に微笑した。
「この身は主君に捧げておりますので…」
「命まで捧げるだけの価値がある他人なんざ、居るか怪しいがな。まあいいさ。気が変わったらいつでもたずねてくれ」
 エドガーと男はそれきり別れた。

 二年が過ぎた。
 李威は一人、墓の前に立っている。石碑には彼が長年仕えてきた主の名があった。名の下には生い立ちと、生前に残した功績が綴られている。そして最後には簡潔にこう結ばれている。
 病の為に死す。
 病。その一文を見つめ、李威は瞼を下した。誰もがそれが虚偽の一文であることを知っている。主は実の息子に謀殺された。葬儀の日、護衛団長として参列した李威は主の亡骸を前に一筋の涙を流した。おそらくはそれすらも李威の表層が流させた涙であり、事実、それを見た周囲の人間は、どこまでも主に忠実な騎士の典型として、己の姿を捉えただろう。それすらも、李威にとっては染みついた処世の術に過ぎなかった。しかし。
 病の為に死す。取り繕われた一文。
 この主が無ければ、今の己は無いという事実。奴隷にすぎなかった己の力を正しく見出し、護衛団長の任を負わせるに至った。時には身分を超え友のように言葉を交わすことさえあった。よい、主だった。
 病の為に死す。その主の生が、このつまらない虚偽によって結ばれたという帰結に、一種の虚しさを覚えているのは確からしいと、李威は膝を折った。
 墓の前に膝を折り、頭を垂れる。護衛団長として、騎士としての最後の振る舞い。おそらく、葬儀の日に流した涙よりは、己の深い部分から起こったものであると、李威は信じた。
 護衛団長を辞し、周辺整理を行っていたある日、顔見知り達に別れを告げるのも兼ねて酒場に足を運ぶと、覚えのある男が一人いた。旨そうに酒を飲んでいた男も、すぐに李威に気づいた。
「ヴァイツァウ以来か。そういや名乗ってなかったな。エドガー・バーリルンドだ」
「張 李威」
「ジルベリアの生まれじゃないとあの時も思ったが」
 李威は己の経歴をかいつまんで話してやった。そして先日、主が亡くなり、護衛団長を辞すことになったことも。
「そうかね。泣けてくるじゃねぇか。騎士道精神ここに極まれりだ」
「騎士」
 エドガーのどこか白々しい物言いに、むしろ平素淡泊であるはずの己に与えられた呼称に、李威はこのとき不思議と敏感に反応した。
「騎士などと。私は主君を…大切な友を救えなかった。私に騎士を名乗る資格はありません」
「資格ときたか。そんなもんがあんたの本心かねぇ」
 李威はエドガーの眼を見た。髪の色こそ天儀や秦国の者に近いこの男の瞳は、しかし濃い緑色をしていることに気づいた。薄暗い酒場のなかでその緑色が、二人の距離の間に強い静寂を生んだ。
「……まあいい。あんたとは一々そんな詰まらない話をする必要ない気がすんのさ。そんな事より、俺は開拓者をやる」
「開拓者、か」
「ああ。この傷もようやく癒えたが、さすがにこれまで通りともいかなくてな。ぼちぼち慣らすには悪くない。それで、だ。お前さんも失業したんだろう。なら、あの時の返事を、また聞こうか。安穏と過ごすよか余程楽しめるぜ?」
 この男の声音には常にどこかくだけた響きがある。しかし緑色の眼が語っている。己の胸の内を、隠そうとすることもなく。
「…考えておこう」
「じっくり考えてくんな。その気になったら神楽の都の酒場へ来るさ」
 それ以上エドガーは多くを語らず、他愛も無い話をしながら酒を飲んでいた。
「それにしてもお前さん、もう少し美味そうに酒をのんだらどうだ。まるで砂でも飲み下してるような面してるぜ」
 李威はヴォトカの杯を傾けるエドガーを眺めた。この男は確かに旨そうに酒を飲むと、そう思った。

 あれから何度か酒を飲んだ。そのたび李威はこれまでの己の半生を顧みた。それはこれまでの李威からすればおよそ縁遠い内的作業だった。
 母はすでに亡く、主も失った。
 ここに至りて己を見る。極めて希薄となった己を。騎士であるという己。護衛団長という己。生きるための術、演じてきたそれらの自己。しかし。
 演じていたそれらの他に、自分はどれほどのものを、持っているというのか。
 李威は己の首筋に添えた手に、喉元を鷲掴みにするように力を込めた。
 乾き。渇き。
 私にとって、内から起こる渇きというものは、外からの痛みよりも耐え難いものらしい。顧みた李威は、手に入れたその感覚に、久しく忘れた純粋な自己というものを知覚した。

 翌年。神楽地に降り立った李威は、迷うことなく酒場に足を踏み入れた。
 あの時と少しも変わらぬ様子で、エドガーが酒を飲んでいる。笑みを浮かべ、あの眼でこちらを見据え、手にした杯を軽く掲げた。
「中々面白い所だ、この神楽の都ってのは。各地から色んな人間が集まっている。ジルベリアに、お前さんの生まれ故郷からもな。秦国の、優れた人間を繰り返し勧誘するっていう故事も聞いたな。奇しくも、これが三度目だ。返事を聞こうか」
 隊長。そう呼ばれていたことが自分にもあった。その呼称を、この男に預けてみるのも面白いかと、交わした視線のなかで李威は不敵に微笑して見せた。
「枷は外れた。縛られた安寧よりも刺激のある自由がいい。これからよろしく頼むよ、隊長殿」
「結構」
 エドガーは愉快そうに手を打った。並々と酒の注がれた杯を、李威の前に差し出した。
「俺の奢りだ。あれから、少しは美味そうに飲めるようになったかい」
 李威は、迷うことなくその杯を受け取った。
 杯を傾け一気に飲み干す。直後起こった焼けるような感覚が、染み入るように李威の喉の渇きを潤おしていた。
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舵天照 -DTS-
2013年11月11日

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