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『風に紡ぐ、妖なる夢の。 』
フェンリエッタ(ib0018)&ファリルローゼ(ib0401)&ウルシュテッド(ib5445)

 そこは、深い森の中だった。春になれば輝く緑が萌え出で、やがてむせ返るほどの濃密な緑に満たされる場所――だが冬の終わりを迎えた今は、長い冬の間に積もった深い雪に閉ざされ、見渡す限りの白に満たされている。
 純白の森。――虚ろなほどに、ただ真白な、森。
 その白の中にあって、彼女はただ無邪気な笑みを浮かべていた。だが端から見ればその笑みは、この真白の森と同様に虚ろに見えたことだろう。
 それに、彼女は気付いていなかった。否、もしかしたら己が笑んでいるという事にすら、気付いていなかったのかも知れない。
 特別な事じゃないのだと、真白の中でフェンリエッタ(ib0018)は謡うように呟いた。それは端から音律となり、虚しく森の雪に砕けて散る。
 そう――何も、何1つとしてきっと、特別な事ではなくて。ただ、誰にでもあり得る明日の可能性の1つに過ぎなくて。
 けれど誰もが残酷な程それに無自覚で、火の粉が降りかからぬ限り、その事実に気付こうともしない。否、その可能性が存在する事すら、そもそも知りもしないのだ。
 だから無自覚なまま、それがどんな意味を持つのか考えすらせずに、人は人の心に刃を突き立て、それに痛みも覚えない。相手が痛んでいると言うことに、そもそも気付きもしない。
 それは、傲慢なのだろうか。それとも、人として誰もが持って産まれた性なのだろうか。
 どちらとも、彼女には判らなかった。もはやそれを考える事も諦め、放棄してしまった。
 けれども、知っている事は、判っている事は、ある。
 たった一言。崖の縁に立つ人間を突き落とすには、ただそれで充分なのだ――例えばそう、謡いながら森の奥へと歩み続ける、今のフェンリエッタのように。
 だから彼女は、謡いながら森を歩く。雪の降り積む音に耳傾けて微笑み、微笑みながらまた歩むフェンリエッタが、白の上に残す足跡は鮮やかな紅。

(これは私が生きた証)

 だからこの胸の恨みも憎しみも、傷や涙すらもすべて呑み込んで。元より吐き出す場所もないそれだから、よりいっそう大切に、誰にも知られぬようにこの胸に抱いたまま。
 笑って行こう。――ただ、笑って逝こう。

「ごめんね」

 白い森の中を吹き抜ける、身も凍るような風にそっと囁いた。今は目の前に居ない、フェンリエッタの大切な人達に、果たしてこの風が届くかどうかも知れなかったけれども。
 愛してくれた家族や友を、フェンリエッタはこうして裏切って、苦しめて。これからもきっと、その事で苦しめ続けてしまうのに、違いなくて。
 だが――あぁ、と落としたため息は、ひどく恍惚としている。現に今フェンリエッタは、自分がこの上なく幸せだと感じていた。
 胸の中が、この上ない幸せで満たされている。だって、と呟く音律は甘く、うっとりと此処ではないどこか遠くを見つめる眼差しは虚ろで、優しい。

(痛みの春が来る前に雪と消えて‥‥冬将軍の花嫁になるのだもの)

 あぁ、とまた恍惚の息を吐き、夢見るように瞳を閉じた。その瞬間がただ待ち遠しくてしかたがないと、浮かべた微笑はけれどももはや、欠片ほどにしか正気と言うものを感じさせない。
 真白の森の中、見渡せばいつもならフェンリエッタを慕うように寄ってくる動物達が、怯えて逃げていくのが見えた。それを不審とは露ほども感じないまま、フェンリエッタは柔らかな雪を踏み締めそちらへと向かう。
 いつの間にか雪の中に現れた蝶が、彼女を先導するように動物達を追いかけ、唐突に爆ぜて行く手を塞いだ。怯えて立ち竦んだ動物を、そうしてフェンリエッタは手に提げた抜き身の刀で、愛おしく抱き締めるように切り裂いて。
 悲鳴のような鳴き声と、辺りに飛び散る血飛沫。頬にかかったそれはとても暖かくて、なんだか酷く心地良い。
 あぁ、と息を吐いた。――さぁ、行かなくては、あの方の元に。フェンリエッタを待っている、冬将軍の元へと。
 ビリジアンメイズの深い雪の中を、ただ彼と見えるその瞬間だけを夢見て、だからフェンリエッタは再び歩き始める。身を切るような寒さを、彼女はもはや感じない。





 ひどい胸騒ぎが、したのだ。
 姿の見えなくなったフェンリエッタに、気付いたのはどちらが先だったのだろう。最初は心配はしたけれども、きっと1人になりたいのだろうと部屋には近付かないように、そっとしておいたのだけれども。
 あまりにも気配を感じさせず、部屋に引き篭もったきり僅かも姿を見せない事に、さすがに大きな不安を覚えた。だから、一緒にお茶でもどうかと誘う名目で、フェンリエッタの様子を伺いに行っても、ちっとも返事がなかったから。
 眠っているだけかもしれないと、思いながらもある種の予感に、部屋に入ったウルシュテッド(ib5445)とファリルローゼ(ib0401)は、ようやくフェンリエッタが姿を消してしまった事を知った。滅多な事をするような娘ではないと、思ったけれども同時にここしばらくの様子を見ていれば、それ以上に何か不吉な事でも起こったのではないか、と思えてしまって。
 焦り、半ばは祈るような気持ちで家中を探し回った2人は、庭に見つけた少女のものらしき足跡に、その祈りが叶わなかった事を知る。なぜならその足跡は、真っ直ぐに森へと続いていたのだから。
 まさか、という思いが同時に胸に湧き起こり、思わず顔を見合わせた。そうして、使わずに済むことを祈りながらも最善の準備を手早く整え、急いで足跡を追って森へと飛び込む。
 庭から点々と、だが途切れることなく続いていた足跡は、すぐに緋色に染まり始めた。そうしてその歩みの傍らには、無惨に、だが鮮やかに切り裂かれた動物たちの骸が幾つも、幾つも雪に沈んでいる。
 それに更なる不安を掻き立てられながら、雪に足を取られぬよう、叶う限りの急ぎ足で必死に足跡を追い続けたウルシュテッドとファリルローゼは、ふいに現れた光景に足を止めて息を飲んだ。――何となれば、そこはこれまでの比ではないほどの夥しい血で、雪の白が無残に染め上げられていて。
 その真ん中に、捜し求めていたフェンリエッタは、やはり血の赤に彩られて佇んでいた。追いかけてきた2人へと眼差しを向け、どこか虚ろに微笑みを浮かべた様は美しく、それで居て禍々しく――泣きたいほどに痛々しい。
 もはや彼女が、自分達の良く知っているフェンリエッタではないのだと、その微笑に本能で悟った。辺りには、本来なら人の目にはあまり映らない筈の瘴気がうっすらと、だが確かに薄暗く森を包んでいる。
 ――瘴気に、憑かれてしまったのだろう事は、予想するに難くなかった。元より負の感情より生まれ出でると言われる瘴気は、同じく負の感情を好む傾向にある。このところ色々と悩み、苦しみ、思い悩んでいたフェンリエッタは――恐らく、その心に着け込まれてしまったのに違いない。
 瘴気を纏い、真冬だというのに美しく輝きながら舞う蝶に巻かれて立つフェンリエッタの姿に、ウルシュテッドとファリルローゼの胸に苦い、苦い後悔が込み上げてきた。一体なぜ、あの子から目を離してしまったのだろう――なぜ離しても大丈夫などと、僅かでも思ってしまったのだろう。
 フェンリエッタがどれほど悩み、苦しみ、絶望し、すべてを諦めて偽りの笑みを浮かべるようになってしまったのか、傍で見ていた自分達が誰よりもよく知っているはずだった。危うい所で均衡を保ち『此方』に踏み止まり続けていたあの子が、いつ『彼方』に堕ちてしまってもおかしくないと、誰より解っていたはずだったのに。
 だが現に彼女は瘴気に憑かれ、『彼方』へと踏み込んでしまった。その現実を、認める事はひどく困難で、認めたくないと抗う気持ちが強い。
 けれども。どんなに認めたくないと願っても、自分達の愛しい娘は闇へと足を踏み入れてしまったのだ――
 あぁ、とファリルローゼはその事実に痛む胸をぎゅっと押さえ、ふらりと一歩、フェンリエッタの方へと足を踏み出した。

(早く抱きしめなくちゃ)

 強く思う。早く、一刻も早く。今すぐにでも駆け寄って、あんなに悲しい笑顔で泣いている私の愛しいフェンを抱きしめてあげなくちゃ――強く抱きしめて、髪を撫でて――そうして。
 そう、手を伸ばそうとしたファリルローゼはけれども、伸ばした指先に走った予感に、慌てて身を引き飛び退った。瞬間、彼女の指先を掠めて行った蝶が激しい爆発音を響かせ、辺りの雪を撒き散らす。
 ぎくり、身を強張らせて眼差しを叔父へと向けた、ファリルローゼをウルシュテッドも案じるように見つめていた。それに『自分は無事だ』と小さく首を振って伝えた彼女に、安堵してウルシュテッドは全身に警戒と後悔を漲らせて、フェンリエッタへと向き直る。
 美しく、ただ美しいだけの微笑みを浮かべて、まるで他人を見るような眼差しでこちらを見る愛しい姪。明らかに自然のものではない、美しく輝く蝶を引き連れた彼女が纏う雰囲気は重苦しい、気を抜けば切り裂かれそうなそれ――アヤカシと対峙した時特有の、禍々しい空気で。
 瘴気に憑かれてしまった人間は、時にアヤカシと化してしまう事がある。恐らくはフェンリエッタもまた、その稀な事例の如くアヤカシと化してしまったのだろう。
 それはもはや、疑う余地もないように思えた。そうして、堕ちてしまった彼女を救う術がもはや、死以外にはあり得ないことも。
 その意味するところを理解しているからこそ、ウルシュテッドは苦い思いで唇を噛みしめた。胸の中に、フェンリエッタへの言いようのない思いが込み上げてくる。

(ずっと見ていたよ)

 もはや言葉も届かぬであろう姪へと、胸の中でそっと囁いた。お前を、お前の姿を俺は、ずっと見ていたよ、と。
 小さな一歩を、必死に積み重ねるフェンリエッタを。小さく、小さく――だが深い絶望を抱えながらも確実に、心をすり減らしながら前に歩み続けていた姿を。
 そんな風に苦しみ、悲しみ、潰れそうになりながら必死に歩んで来たフェンリエッタに、ウルシュテッドはきっと敵わないだろう。どれほどの絶望を飲みこんできたか、知らないわけではない。
 その心のままにアヤカシと化してしまったフェンリエッタは、恐らくは並みのアヤカシ以上の力を持っているのに相違なかった。ああして爆発する蝶を生み出し、操るだけでもアヤカシとしては強い部類に入るだろう。
 きっと敵わないだろうと、また強く思う。だが――

「約束だ」

 生きる事がどうしようもなく苦しくなったら、命を背負ってやると。この手でフェンリエッタの命を刈り取り、その苦しみも罪もすべて、自分が背負ってやるからと。
 彼女にそう約束した、それが彼の誠実。苦しみから救ってやれなかった、何とかしてやりたくとも出来ずに居た彼が愛しい姪を救える、たった1つだけの方法。
 他の誰にだって、ファリルローゼにすらウルシュテッドは決して、それを許しはしない。あの子の命を絶ってやるのは、その命の重みを背負い続けるのは、ただ自分だけの役目だと思っている。
 その時が来なければ良いと、いつも、それでも願っていたのは。それはもしかしたら、いつか必ずこの時が来てしまうと、予感していたからなのだろうか。
 どちらとも、判らなかった。その答えを、判る必要も感じなかった。
 これは避けられない戦いなのだと、今がその時なのだと、絶望的な気持ちで強く目を閉じた。そうして、何かに向かって祈りを捧げ――次の瞬間、最後に残る躊躇を振り切るために、腹の底からの咆哮を上げる。

「おぉぉぉぉ‥‥ッ!」

 同時に両手で短刀を握り締め、雪を蹴って走り出したウルシュテッドに向かって、フェンリエッタがすッ、と手を伸ばした。その途端、彼女を取り巻いていた無数の輝く蝶が、ウルシュテッドへと向かってくる。
 それを、身を低くして辛くも避けたウルシュテッドだが、次の瞬間にはその場から大きく跳び退った。刹那、触れてしまった蝶の何匹かが爆発し、彼の立っていた場所を煌めく白刃が閃いていく。
 蝶に紛れて放った秋水を、かわされたフェンリエッタはけれども、狂気を孕む微笑みを浮かべたまま気にした様子もなく、次の刀を構えにかかる。それをさせじと、一瞬の判断でウルシュテッドは爆発も厭わず懐に飛び込み、短刀を最小の動きで切り上げた。
 フェンリエッタは動かない。避けられる事を予想して放った刃が、想像以上に深く彼女の肉を切り裂き、腕から大量の血を滴らせる。
 だが微笑みを僅かたりとも揺るがせず、フェンリエッタはそのままの姿勢から刀を抜き放った。その刃に宿った煌めく稲妻が、切っ先から雷光となって迸り、まっすぐにウルシュテッドへと向かっていく。
 容赦のない一撃。それを避けられるはずもなく、稲妻に貫かれたウルシュテッドはその衝撃にたたらを踏み、集まって来た無数の蝶に取り巻かれて爆風に吹き飛ばされる。
 そんな叔父の元に駆け寄ろうと、動こうとするファリルローゼの耳に届く歌は、フェンリエッタが紡ぐ旋律。まったく痛みを感じる様子もなく、揺らがない狂気の微笑みのまま口ずさんでいるそれは、その微笑みの如く美しく、無邪気で虚ろに響く。
 ぎり、と唇を噛み締めた。愛する妹がこうなってしまった、原因の一端は自分にもあるのだと感じる。苦しんでいる事を知りながら、どう手を差し伸べれば受け入れて貰えるのか、この手を取って貰えるのか、――あの子の傷つき苦しみ震える魂を抱きしめてやれたのか、解らずにいたのだから。
 必死に蝶を避けながら、だからファリルローゼは何とか、ウルシュテッドに近付こうとする。叔父の事が心配でもあったし、何より、フェンリエッタは自らの手でウルシュテッドを傷つけてしまった事を、きっと悲しむのではないかと思ったから。
 とはいえ、これほどに蝶が乱れ飛んでいては、触れずに進む事はひどく困難だった。一瞬でも気を抜けば、あっという間に蝶はすぐそこにまで迫ってきて、可憐な姿で死をもたらそうとする。
 最小のダメージで押さえるように、それでも苦心しながら必死に進むファリルローゼの死角から、ひらりと蝶が眼前に飛び込んできた。回避が、とっさに間に合わない。

「‥‥‥ッ!」

 慌てて身を引こうとしたファリルローゼの背中を、ぎゅッ、と誰かが抱き締めた。これほど容易く背中を取られるとは、ファリルローゼの全身に緊張が走る。
 蝶が、そんなファリルローゼの周りをひらりと舞って。

「独りは寂しいの。一緒に逝きましょう‥‥?」
「‥‥‥ッ!?」

 耳元で謡うように囁かれた言葉に、その声色に、別の意味で緊張が走り、全身が強張った。信じられない思いで、たった今囁かれた言葉を脳内で繰り返す。
 その声は、言葉は、確かにフェンリエッタのものに相違ない。けれどもファリルローゼの愛しい妹なら決して、寂しいから一緒に、なんて言いはしない‥‥!
 頭の芯を強く殴られたような衝撃を覚えてファリルローゼは、思わずフェンリエッタを、その姿をしたモノを力の限りに突き飛ばした。

(これはフェンじゃない!)

 その途端に、ファリルローゼに抱きついていたフェンリエッタの姿は、無数の蝶の煌めきとなって散る。その光景にようやくファリルローゼは正気を取り戻し――己がいつの間にか幻覚に落ちてしまっていた事を知った。
 あの蝶は爆発するだけではなく、幻覚まで見せるのか。或いは、あの蝶はファリルローゼに触れていても、幻覚を見せるだけで爆発はしなかったのだから、そもそも2種類居たのだろう。
 ともすれば蝶の幻覚に捕われたまま、爆発に巻き込まれたり、フェンリエッタの刃に切り裂かれ、命を落としかねない。ファリルローゼよりも遥かに至近距離で対峙している叔父はすでに、その事実に気付いているかもしれないが、万が一ということもある。
 伝えなければと、慌てて視線を巡らせたファリルローゼは、だが目に飛び込んできた光景に大きく息を飲んだ。一体、自分はどれほどの間、幻覚を見せられていたというのだろう。
 全身血塗れで、普通なら痛みに顔を歪めずにはいられないような傷を負いながら、相変わらず微笑み続けるフェンリエッタ。そんな姪を真っ直ぐな眼光で捕らえるウルシュテッドは、フェンリエッタ以上の傷を全身に負い、もはや立っているのがやっとだ。
 血で滑りそうになる短刀を何度も握り直しながら、敗北の予感を濃厚にウルシュテッドは感じていた。だが――それでも、負ける訳にはいかない。約束を果たす事もなく、フェンリエッタを苦しみの最中に置き去りにしたまま、倒れる訳にはいかないのだ。

「それが‥‥ッ、お前との約束、だ‥‥ッ!)

 最後の死力を振り絞って、謡い続けるフェンリエッタに肉薄した。それを無感動に見つめたフェンリエッタが、とっておきに研ぎ澄まされた秋水を無慈悲に、この上なく正確に繰り出す。
 誰かの悲鳴が聞こえた気がした。或いは自分が、知らずのうちに上げたのかもしれない。
 どこか頭の隅で冷静にそう考えながらファリルローゼは、実際にはただ一瞬のうちに起ったその結末を、指の一本すら動かせないまま大きく目を見開いて見つめた。

「叔父様‥‥! フェン‥‥ッ!」

 ――自分は遅過ぎたのだと、その光景に否応なしに思い知らされた。





 決着は、ほんの一瞬だった。
 ウルシュテッドが両手に握った短刀が、フェンリエッタの細い首筋を正確に捕らえて閃き、少女の首を刎ね落とす。その衝撃に、大きく弧を描いて宙に舞った首がどさっと真白の雪の上に落ち、辺りに血の赤と瘴気の黒を撒き散らした。
 その表情は――狂気の微笑みを浮かべていた時とは裏腹に、とても安らかで。やっと楽になれたと嬉しそうに見えて――苦しみなど欠片も見えなくて。
 次いで首を失った体が倒れ、雪を大きく撒き散らした。辺りを飛び交っていた輝く蝶が、途端に瘴気へと還り姿を消す。
 息を飲んでその光景を見守るファリルローゼの前で、ウルシュテッドもまた首の傍に崩れ落ちた。瞬間、雪に滲み始めた血に「手当てを!」と叫んだもう1人の愛しい姪に、良いんだ、と告げる。

「おまえ、も‥‥ッ、判ってる、だろ、う‥‥?」
「それは‥‥」

 これが致命傷だと、ファリルローゼにも判っているのだろう、と。荒い息の下で告げられた言葉に思わず唇を噛んだ、それが彼女がその事実を何より理解している証拠だ。
 それでもと、思っているのが表情からもありありと伝わってきて、そんなファリルローゼにウルシュテッドは微かに笑んだ。それから残る力を振り絞って、傍らに転がる、もはや物言わぬフェンリエッタの頬に触れる。
 苦しい息の中、紡ぎ出した言葉は悲痛に満ちていた。

「ごめん、な、救っ‥‥て、やれなくて‥」

 ずっと見ていた、見ている事しか出来なかった愛おしい姪。案じて、どうにかしてやりたくて、けれどもいつだって綺麗な笑顔でそれを拒絶していたフェンリエッタ。
 どうすれば、彼女に手を差し伸べる事が出来たのだろう。――どうしてやれば、彼女に差し伸べた手を取って貰う事が出来たのだろう。
 今となってはこれが最善だったのだと、思ってはいるけれども。それでも他に道はなかったのかと、もっと早くフェンリエッタを苦しみから救ってやる事は出来なかったのかと、後悔だけはこの期に及んでも尽きる事がない。
 触れた、フェンリエッタの頬は冷たい。アヤカシと化した瞬間、人としての生を終えた少女の身体は、元より熱を失っていたのだろう。
 その苦しみを思い、堕ちざるを得なかった彼女の心を想った。涙が、溢れた。

「苦しかった、ろ‥‥? いいんだ、無理に笑わずとも。ありのままのお前を、愛してるよ‥‥フェンリエッタ‥‥」

 その涙が一体、どんな意味を持つのか正確な所は、ウルシュテッドにも解らなかった。姪が味わってきた苦しみは、抱き続けていた絶望は、涙一つの同情で癒されるようなものじゃない事を、誰よりウルシュテッド自身が知っている。
 それでも。愛する姪がこの世から永遠に失われてしまった事を――悼むくらいは良いだろう? そのための涙なら、おまえは許してくれるだろう、フェンリエッタ――?
 心の中で、問いかけた。その答えが永遠に返ってこない事もまた、誰よりも解っていたけれども。
 あぁ、と息が漏れる。そこに籠もる想いは――恐らくは、失望。

「報われない‥‥こんな、世界など‥‥」

 それきり言葉は雪に途切れ、ウルシュテッドもまた永遠に動かなくなった。傍らに堕ちた首がゆっくりと、椿のごとき美しさを保ったまま瘴気へと還りゆく。
 その後に遺された、血塗れの銀の短剣と蝶ブローチを見つめて、あぁ、とファリルローゼは震える息を吐き出した。がくりと赤に染まった雪の上に崩れ落ち、それらを大切に大切に両手に捧げ持つ。
 妹の形見。――あの子が確かに此処に居たのだという、確かにあれは妹だったのだという証左。

「ごめんなさい‥‥!!」

 それらに頬ずりをするように、ファリルローゼは悲痛な叫び声をあげた。ごめんなさいと、何度も何度も繰り返す。
 フェンリエッタから、ほんの僅かでも目を離してしまった事に。彼女を1人にしてしまった事に。止められなかった事に。――救えなかった事に。
 後悔は後から後から、とめどもなく湧いてきて、留まる所を知らなかった。一体どうすれば、どうしていればこんな悲しい事態を防げたのだろう――愛しいあの子を苦しみから救ってやることが出来たのだろう。
 自分は何も出来なかったという想いが、刃のようにファリルローゼの胸に突き刺さる。手の中の銀の短剣が、冷たい感触でそんなファリルローゼの心に1つの道を示す。
 愛する叔父も、最愛の妹も悲しい最期を遂げてしまったこの世界で。果たして、自分ただ1人が永らえた所で、一体何になるというのだろう‥‥?
 そんな絶望が、ファリルローゼの心を満たした。その衝動のままに形見の短剣を逆手に握り締め、切っ先を喉へと向けて力を込め、そのまま突き立てようとして――

(待って)

 ふと気付く。永遠の眠りに就いた叔父を見て、妹の形見のブローチを見る。
 一体彼女までもが居なくなってしまったら、この森はどうなってしまうのだろう。最愛の妹と叔父――大切な2人が悲しい最期を迎えたこの場所が、ファリルローゼすらも居なくなってしまったらそんな事実があった事すら誰にも伝わらず、やがて誰の記憶からも忘れ去られて、何も知らない誰かに無慈悲に踏みにじられてしまうのだろうか。
 あぁ、と吐息を漏らした。そんな事、想像しただけでもとても、ファリルローゼには耐え難い。この森が踏みにじられてしまうという事は、愛する2人が踏みにじられてしまうという事と同義に思える。
 ならば――

(私が、この森を守らなくては)

 それがファリルローゼに出来る、たった1つの贖罪なのだと、ようやく気付いて彼女は銀の短剣を取り落とした。取り落とし、今だけだからと心の中で詫びて、泣いた。
 生き続けなければならない。何があっても生き続けて、この森を守り続けるのだ――何も出来なかった彼女に出来るのは、もはや、ただそれだけしかないのだから。
 そんなファリルローゼの上に、名残を惜しむ雪が静かに、静かに降り続けた。





 それから、時が流れた。
 一体あれからどの位の時が過ぎたのか、正確なところを彼女は覚えていない。あの日の事は今でも、何よりも鮮明に思い出せるのに。
 真白の森、散った赤。永遠に動かなくなった愛しい人達――

「‥‥年のせいかしらね」

 小さく呟きを漏らして、ファリルローゼは老いた身体を労わるように、ゆっくりと墓前に膝をついた。大切に抱えてきた花を供え、祈りを捧げる。
 ――あれからの長い歳月を、ファリルローゼはただ贖罪のため、ビリジアンメイズの森を守るためだけに、たった1人で生きてきた。叔父の躯と、妹の形見を納めた墓をあの悲しい場所に築き、墓を含む森を守り――孤独に。
 それを辛いと、思った事はない。辛いと、思う資格が自分にあるのかも解らなかった。
 ただ、この頃は何だか妙に、あの頃の事を思い出す。もちろん片時も忘れた事などないけれども、それだけではないような気がしてファリルローゼは、「なぜかしらね」と微笑みを浮かべて墓標に語り掛けた――答えなど、返ってくるはずもないのに。
 そんな自分に、小さく苦笑した。そうして視界をよぎった白い雪に、もう帰らなければとゆっくりと腰を上げようとした彼女は、ふいに目に飛び込んできた姿にはっと息を飲み、動きを止める。
 それは、幻だったのだろうか。2人に逢いたいと願う思いの見せた、都合の良いただの幻に過ぎないのだろうか。
 ――なぜならそこに居たのは紛れもなく、あの頃と寸分変わらず同じ姿をした愛おしい妹と、愛する叔父だったのだから。

「フェン‥‥叔父様‥‥」

 震える声で呼んだファリルローゼに、2人は穏やかな微笑みを浮かべた。――そんな筈はないのに、それでも確かにそこに2人が居るのだと、解る。
 涙が、溢れた。あの頃のように――否、あの頃よりも遥かに穏やかで幸せそうな、その笑顔に心が満たされていくのを感じて、ファリルローゼはあぁ、と歓喜の吐息を漏らす。
 やっと、という想いが込み上げてきた。それは幾つもの意味を持っているけれども、正しくこの胸のうちを言い表せる言葉が、他には到底見つかりそうもない。
 2人が顔を見合わせて微笑み、それからファリルローゼへと手を差し伸べた。その手に、喜びで震える手を、伸ばした。
 幻かもしれない――ついに自分にも、最期の時が来たのかもしれない。

(それでも構わない)

 しっかりとその手を握りしめ、そのまま2人を強く抱きしめた。いつの間にか自分もまた、彼らと同じようにあの頃の若い姿になっているのを、感じた。
 そんなファリルローゼを2人は、同じようにしっかりと強く抱き締め返してくれる。それを感じてまた、嬉し涙が後から後から止めようもなく零れ落ちて、墓標に積もる雪を溶かす。
 ――孤独な生が今、ついに終わった。2人のお墓を幸せそうに抱いたまま、動かなくなった彼女の上に、優しく雪が降り積もり始めていた。





 それは、あまりにも大きな代償を払って心の自由を守った、とある小さくささやかな、かけがえのない物語。





━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…‥・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 /   PC名   / 性別 / 年齢 / 職業  】
 ib0018  / フェンリエッタ / 女  / 18  / 弓術師
 ib0401  / ファリルローゼ / 女  / 19  / 騎士
 ib5445  / ウルシュテッド / 男  / 27  / シノビ

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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いつもお世話になっております、蓮華・水無月でございます。
この度はご発注頂きましてありがとうございました。
‥‥あの、エスパーではないのデスヨ?(びくびく

文字通り『もしかしたら』の結末の物語、如何でしたでしょうか。
お言葉にすっかり甘えてしまいまして、自由に書かせて頂いてしまいましたが、本当に大丈夫でしたでしょうか‥‥(震える
殊にお姉さまは初めてお預かりさせて頂きますし、他にも色々と、イメージや呼び方、言葉遣いなど、何か違和感のあるところがございましたら、いつでもお気軽にリテイク下さいませ。

皆様のイメージ通りの、切なく悲しいノベルになっていれば良いのですけれども。

それでは、これにて失礼致します(深々と
■WTアナザーストーリーノベル(特別編)■ -
蓮華・水無月 クリエイターズルームへ
舵天照 -DTS-
2013年11月19日

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