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『鮮血の夢 』
ヴィルヘルム・ハスロ8555)&(登場しない)


 路傍や河原に打ち捨てられていた、貧しい人々である。
 痩せ衰えた子供たち、乳の出ない母親、若者なのに杖にすがりついて歩く病人。
 皆、幸せそうにしていた。
 広く暖かい建物の中に集められ、豪勢な食事を振る舞われている。
 この地方の、君主の計らいであった。
 心優しい君主様なのだ、とヴィルは思った。
 その君主が今、建物の外で、兵士たちに何やら指示を下している。
 扉が閉ざされ、外側から鍵がかけられた。
 貧しい人々が、幸福の絶頂にありながら、建物の中に閉じ込められた。
 その建物を、兵士たちが取り囲む。各々、燃え盛る松明を掲げながら。
 やめろ、とヴィルは叫んだ。叫んだつもりだが、その声は届かない。
 建物に、火が放たれた。
 閉じ込められた人々の悲鳴が、燃え上がる炎の轟音と混ざり合いながら、天空へと昇って行く。
 その炎を眺めながら、君主は言った。
 彼らはもう、この世で苦しむ事はない。天国へと行けるのだ。
「やめて……やめてくれよ……」
 ヴィルは、声を詰まらせながら叫んでいた。
「どうして……どうして、こんな事するんだよ……ひどいよ、やめてくれよぉ……」
 その声が届いた、のであろうか。暴君が、こちらを振り向いた。
 血と炎の色をした眼光が、ヴィルを射すくめた。


 涙を流しながら、ヴィルヘルム・ハスロは目を覚ました。
 深夜である。隣のベッドでは弟が、今にも消えてしまいそうな寝息をたてている。
 今夜は、弟を起こさずに済んだ。
 あれから連日、かの暴君が夢の中に現れる。そして敵兵を、領民を、敵対する貴族の子弟を、身の毛もよだつようなやり方で処刑する。
 やめろ、とヴィルは毎回、叫ぶ。暴君は振り向き、血と炎の色をした両眼でヴィルを睨む。
 そこで、いつも目が覚めてしまうのだ。
(だれ……誰なんだよ、あんたは……)
 弟を起こしてしまわぬよう、ヴィルは心の中から問いかけた。
(どうして、あんな……ひどい事を……どうしてそれを、僕に見せるんだよ……?)
 答えてはくれない相手の、顔を思い出してみる。
 血と炎の色をした眼光しか、思い出せなかった。


「ヴィルちゃ〜ん。最近、恐い夢見てるんだって?」
 母が、ニヤニヤと笑っている。
「お母さんが一緒に寝てあげようか。おねしょしないように見張っててあげる」
「い、いいよ。そんな事してくれなくて……って、何でお母さんがそれ知ってるのさ」
 ヴィルはそう言ってソーセージをかじり、ママリガをかき込み、一まとめに荒々しく咀嚼した。
 朝食である。
 身体の弱い弟も、今のところ食事は普通に出来る。
 少量のママリガを慎ましく口に運びながら、弟は俯いた。
「……ごめんね、おにいちゃん。ぼくが、おかあさんに言っちゃったんだ。おにいちゃんを、たすけてって」
「まったく。あんなの、ただの夢だって言ったろ」
 いくら恐くとも、単なる夢。朝になったら消え失せるもの。
 ヴィルは己に、そう言い聞かせた。
 父・ハスロ博士も、にこにこと笑っている。
 その笑顔の下にある、重く暗い苦悩のようなものを、ヴィルは見逃さなかった。
 あの暴君に関して、この父は恐らく、様々な事を知っている。
 1度、訊いてみた。
 昔、この国を治めていて、大勢の人を殺した君主。そうとしか父は教えてくれなかった。
 それ以上の事を、しつこく訊けば教えてくれるであろうか。だが、知ってどうすると言うのか。
「さ、しっかり食べとくんだよ。今日も働いてもらうからね。大丈夫、畑で身体動かせば、恐い夢なんて見ないくらいぐっすり眠れるから」
「勘弁してよ、お母さん! 学校の宿題があるんだよぉ」
「ああ、もちろん宿題もやらなきゃね」
 容赦なく、母は微笑んだ。
「お父さんに教えてもらえば、すぐ出来るでしょ……お父さんも。こないだみたいに、代わりに宿題やってあげたりしちゃ駄目よ?」
「何だ、バレていたのか」
 頭を掻きながら、父は笑った。
 お母さんのような、良い人と結婚するんだぞ。父は、そう言っていた。
 この母と結婚出来て、父は幸せなのだろう。
 だから自分たちも生まれ、こうして幸せに暮らす事が出来る。
(そうさ……僕は、幸せなんだ)
 夢の中にしかいない相手に、ヴィルは語りかけていた。
(あんたが、いくら僕を恐がらせたって……無駄だからな)


 高熱が出た。
 そのせいかどうかは不明だが、夢がいつもと少し違う。
 ヴィルは、女だった。
 大人の女性。しかも妊娠している。まだ腹は膨らんでいないが、新たなる生命の鼓動は確かに感じられる。
 その子の父親が今、目の前にいる。
 血と炎の色をした瞳の、暴君。
 自分は彼の、何人もいる愛妾の1人に過ぎない。このような意見など許されない事も、わかっている。
「もう、おやめ下さい……どうか、これ以上ひどい事は……」
 意見をし終えた瞬間、自分にも串刺しの刑が執行されるだろう。
 それでも、言わなければならない。
「わかっております。貴方様が、この国と民を守るために、あえて厳しく過酷に振る舞っておられるという事は」
「ほう……私が、民衆に愛の鞭をくれているとでも?」
 暴君が、冷笑した。
「国を守る。そのためには規律を引き締めねばならぬ……最初はな、私もそんなつもりであった。国を守るべく私は、敵兵を、民衆を、大いに殺戮してきた。そうしているうちに、気付いたのだよ」
 血と炎の色が、暴君の瞳の中で燃え上がる。
「君主とは、民の生き血をすすって生きてゆくもの……そうせねば生きてゆけぬもの。それに私は気付いてしまったのだよ」
「貴方様は……」
「生き続ける限り、私は際限なく血に飢えるであろう。殺戮を、繰り返すであろうよ」
 胸を張り、堂々と語る暴君。
 その力強い胸板へと、愛妾は倒れ込んで行った。握り構えた短剣もろともだ。
「私……お腹の子供に、誇りたいのです」
 分厚い筋肉を刺し貫いた感触が、愛妾のたおやかな細身を震わせる。
「お前のお父様は、英雄だったと……この国の、民の希望だったと」
 暴君の左胸に、短剣が深々と刺さり埋まっていた。
 まるで溶岩の如く噴き出した熱い鮮血が、愛妾の全身を赤く汚す。
 熱い。熱過ぎる、とヴィルは感じた。
 身体が、心が、どうしようもなく渇いてくる。水では潤す事の出来ない渇き。
「血でなければ、その渇きを癒す事は出来んぞ」
 左胸から、心臓から、鮮血を迸らせながら、暴君は平然と言葉を発している。
「私はな、すでに人の道を踏み外しておる。神に見放され悪魔に魅入られた、この身……もはや人ではない。鉄の刃で、我が心臓を止める事は出来ぬ。神聖なる銀の刃でなければな」
 灼け付くように渇く喉を押さえながら、愛妾は声にならぬ悲鳴を漏らした。
 渇いている。飢えている。それでいて、とてつもない力が身体の奥底から隆起して来る。
 飢えを満たすための、力だ。
「その血を浴びたお前もまた、人ではいられぬ……人ならざる母親として、我が子を生め。悪魔に魅入られし血脈を、この世に残すのだ」
 暴君が、微笑んだ。
 血と炎の色を炯々と輝かせる、その容貌を、ヴィルは見つめた。
(お父……さん……?)
 渇き苦しむ愛妾と、半ば意識が溶け合った状態のまま、ヴィルは呆然と呻いた。
 確かに、父に似ている。だが、どこか違う。
 満たされぬ渇きと飢えに苦悶する愛妾の細身を、暴君が優しく、ぞっとするほど優しく、抱き締めた。そして己の子を宿した腹に、そっと片手を当て、囁く。
「聞こえているだろう……見ているのだろう? 我が子よ。貴様もまた、弱者の生き血をすすらねば生きてゆけぬ強者となる……それがすなわち、この世に生きるという事なのだからな」
 父ではなかった。
 30代、であろうか。大人になったヴィルヘルム・ハスロが、血と炎の色を、両眼で爛々と輝かせていた。
 
PCシチュエーションノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2013年11月19日

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