▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『餓鬼道ヶ淵ノ序 』
麗空(ic0129)


 何処か遠くで、鳥が梢から羽ばたいた。
 枝葉の揺れる音、影響を受ける獣の鳴き声が響きあう。
 シンとした夜が、にわかに色を帯びた。




 ぬばたまの闇の底、果てのない黒。その一色だけの世界に、綻びが見えた。
 それは、やさしい金色の。
 当てどなく裸足で歩く童子は、顔を上げる。
「……――」
 冷たく光る金色の向こうに、導く白い手が見えた。
 何本も、何本も。
 呼ばれるように、童子は――麗空は、目を開けた。


 行先はわからない、来た道もわからない。闇の中を彷徨う夢から覚めた現実もまた、闇だった。
 倒れた家屋の天井を見上げ、その床に四肢を放り出している。床は固く冷たく、家屋の隙間から夜風が吹きこんでは麗空の髪を揺らした。
 窓であった部分から月の光が差し込んでいて、そこだけが光の道のようだった。

『呼ぶまで此処に隠れて』

 身じろぎもせず淡い光を見詰めているうちに、麗空は漸く一つの言葉を、声を、思い出す。
(……ああ)
 ゆっくりと、橙色の眼を閉じ開きして、その声から先を引き摺り出そうと試みる。

 悲鳴
 破壊
 ぎんいろの煌めき
 血のにおい?
 割れる、壊れる、奪われる、
 悲鳴、
 悲鳴、
 わらいごえ

 そこで、途絶えた。
 気を失ったか眠ってしまったか、そこも定かではない。
(あのひの月は、こんなにまるかった?)
 明るい月の光―― 空高く昇ったそれにより目を覚ましたのだと、ようやく気付く。
 あれから、麗空は誰にも呼ばれることはなかった。呼ばれることがなかったから、此処にいるのだろう。そう考える。
(おなかがすいた)
 目を覚ましたのは月の光のせいか、或いは空腹によるものかもしれない。
(……どれくらい、経ったのかな)
 麗空は幾日の間、こうして倒れた家屋に転がっていたのだろうか。わからない。
 月の満ち欠けから時を読むことを、齢三つの麗空はしっかりと把握していない。教えてもらったような気も、するのだけれど。
 起き上がり、周囲を確認すれば他の手がかりを得られるのかもしれなかった。
 しかし、起き上がろうとする気力も、起き上がるだけの体力も、童子の身体には残されていなかった。
 小さな顔にはめこまれた大きな眼だけが、緩慢な動きで様子を探る。
 他に誰か。何か。居ないのだろうか。無いのだろうか。
(おなかがすいた)
 意識が、朦朧とする。それでも、少しだけ闇に慣れてきた。
 月の光も借りて、少しだけ、『何』が『何であった』のか、わかってきた。
(おなかがすいた)
 そして戻ってきた記憶は、途端に色あせて沈んでゆく。
 『生き物』としての本能が、『いま、必要なもの』を叫び始めた。
 鐘の音のようにそれは麗空の脳へと呼びかけ続け、思考を支配していく。
 だって。
 ここで、今、生きているのは麗空だけなのだ。
 この先も生きていくのは、麗空、ただひとり。
 それだけは、幾ら幼くとも理解していた。




 穏やかな村の生活。
 やさしい人々。
 温かな食事。
 澄んだ空気。自由な鳥たち。

 日々は美しく円を描き、昨日の続きに今日を、今日の続きの明日を運んでくると疑いもしなかった。
 枝葉の揺れる音、影響を受ける獣の鳴き声。
 その日。
 シンとした夜が、にわかに色を帯びた。

 遠くの地で乱が起き、その余波が、因果などお構いなしに暴力を纏い襲ってくる。

 小さな小さな麗空から、大切な何かを奪う。
 ひととして大切な何かを、削ぎ落す。


(……なん、だっけ)




 途切れかけた麗空の意識を引き戻したのは、鴉の鳴き声であった。
(あれは…… だれ、だったろ)
 闇の中、闇より黒い鳥たちが、麗空より幾分か離れた『誰か』へ群がっては啄んでいる。
 こちらに気づきもしないで、一心不乱に。
(あたたかいひと、だった気もする)
 そのひとの声を思い出そうと試みる。
 ……できなかった。
 目を開ける前。
 ここよりもっと暗い底にいて、ぼんやりと歩いていた麗空へ伸ばされた白い手の、そのひとつだったかもしれない。何となく、そう思った。
 温かく、柔らかな、白い手。ほっそりとした指先。
 闇にあって、それはほんのりと浮いて見えた。
 麗空を招いているようにも見えたし、遠ざけるようにも見えた。
 その先、付け根の部分に鴉が居る。

 ――鴉は たべられるだろうか

 ふ、と考えが麗空の脳裏を過った。
 見開いた目を、逸らすことが出来なくなっていた。
 鴉が頭を下げ、かつて『温かかった』それへ嘴を深く沈める。やわらかな部分を啄む。
 
 ――鴉がたべている あれ は たべられるだろうか

 だって
 だって

(おなかがすいた)
 たべないと
(おなかがすいた)
 うごけない
(おなかがすいた)
 ゆらり、残された執着心の表れのように、麗空の長い尾が立ち上がる。

 此処で、生きているのは麗空独り。
 此の先、生きていくのは麗空独り。

 どくり。やせ細った体の中心で、心の臓が今までになく熱く鳴る。


 オナカガ、スイタ


 もう少し。少しだけ。これが、もう、最後。
 残された力を振り絞り、麗空は『そこ』へ向かって、ゆっくりと這ってゆく。
 幾日も食べず飲まず痩せ細った腕へ、生きるために力を込める。




 日々は美しく円を描き、昨日の続きに今日を、今日の続きの明日を運んでくる。
 しかし、生きるための糧は、己が手で得なければならない。



 鳥が鳴く。
 呼応するように獣が鳴く。
 風が吹き、雲を運び、月を隠す。
 闇に閉ざされた場所で、童子はその日の糧へと震える手を伸ばした。





【餓鬼道ヶ淵ノ序 了】


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
【ic0129 / 麗空 / 男 / 10歳 / 志士 】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
ご依頼ありがとうございました。
『餓鬼道』がキーワードとのことで、関連するものを少しだけ散らしてみました。
はじまりのお話、お届けいたします。
お楽しみいただけましたら幸いです。
■WTアナザーストーリーノベル(特別編)■ -
佐嶋 ちよみ クリエイターズルームへ
舵天照 -DTS-
2013年11月22日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.