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『里帰り 』
羽流矢(ib0428)&千代田清顕(ia9802)
 風が抜けた。
 それは夏を終えた秋の気配を確かに含んだ風であり、起伏の多い山道を行く千代田清顕の汗ばんだ頬を涼やかに撫でた。山を下る風が吹くたび、木々と、夏の間に十分に繁った足元の緑が波のように揺れた。
(我が里ながら、辺鄙なところにあるものだ)
 開拓者としての生活にも慣れた清顕は、平凡な都暮らしの青年の里帰りのように他愛も無く思ってみたりもしたが、むしろそれは己と里との間に存在する言い表せぬ確執を、否応なく認めているからでもあった。
 里と、シノビという己。
 シノビ。つまりはそれが全てだった。清顕は争いと謀事の絶えぬ里を嫌いこそすれ、己の生まれついたシノビというこの特殊を否定しているわけではなかった。だからこそ厳しい研鑽も積み、シノビの世界でもさらに汚れ仕事に類するものも多く手に掛けてきた。しかし。
(契機が訪れている)
 この夏。陰殻において繰り広げられた「叛」の一連。その結末は、これまでの陰殻の辿ってきた歴史とは一線を画するものとなった。そしてそれは、開拓者達の働きによる所が大きい。
 清顕は今回の叛の終結によって陰殻の暗部が全て刷新されるなどとは思っていない。それでも、これまで辿ることの無かった新たな道が示されたのは確かであり、そしてそれを成したのが開拓者の力であったという事実は、外の世界を知った清顕を勇気づけるところがあった。
 敵対氏族との対立。お家騒動。里の抱えた、それこそ己がこれまで遠ざけてきた問題を収束させるべき時が来ている。清顕は里へ続く地を踏む足に力を込めた。
 一筋の冷えた雫が落ちる。背に覚えたそのかすかな気配に、清顕は即座に跳んだ。
鋭く風を切る音が耳を掠める。体を捻った。短刀を抜いた。それらの全てが同時であった。一連の動作が清顕自身の意思よりも疾く、骨の髄に染みついた挙動として再現されたとき、振り上げた忍刀の刃が、甲高い鋼の音を打ち鳴らした。
 刃を交わし、己を襲った者の姿をはじめて見て取った。清顕は見知ったその襲撃者の名を、一連の動作に遅れるように己の意思で短く呼んだ。
「……羽流矢さん、か」
 視線を交わし、羽流矢と呼ばれた男はわずかに笑みを浮かべて見せた。

 相手の不意を突いた死角からの襲撃。
 彼我の実力に依らず、ただその隙を突いて必殺とする。おそらくは最もシノビらしいと呼ぶべき、一度限りのその初撃を防がれながらしかし、さすが、と羽流矢は笑みをこぼした。
「一応、理由を聞いておいた方がいいのかな。こういう時には」
 後方に跳びやや距離をとられた清顕の言葉に、羽流矢は今度こそ屈託なく笑った。
 互いに知己。それでもこの襲撃には言葉を費やす必要がない。双方がシノビであるこの時には。それでもその無駄を費やす気になるのは、やはり外の世界を知った二人であるからか。
 初撃は躱された。これで勝算はぐっと下がったことになるな、と思いながら羽流矢は口を開いた。
「うちの爺さま達が清顕さんに里長になられちゃ困るんだとさ」
「へえ」
「まあ、その辺りは俺の知った事じゃないが、清顕さんと戦えるんだ。喜んで受けたよ」
「今の一撃といい、仕事なら平気で知人に斬り付けるのか。シノビの鑑だね」
「……そりゃどうも」
 羽流矢は地を蹴り、一足で清顕との間合いを詰めた。格上を相手取る場合、時間を掛ければ掛けるほどに地力の差が出る。短期に勝負を決するのが鉄則だった。
 再び後方に跳ぶ清顕を上回る速度で羽流矢は追いすがり、二振りの短刀が乱れるような軌跡を描いた。
(疾い)
 並走しながら繰り出される奔刃術の速度と刃の手数を受けながら、清顕は羽流矢の意を察した。逃げることは叶わない。受けに回っていてはやられる。
 左右から迫る刃。中央の空間を貫くように放った忍刀「風也」に、羽流矢は咄嗟に体を捻る。重心の下方へ傾いたその体を、清顕の鋭い蹴りが捉えた。
 短い苦悶を漏らすも即座に反してきた羽流矢の刃に、清顕は頭を後方へ引いた。鼻先を横一文字に通過する短刀の刃を、清顕は不可思議なほどの冷静さで見据えていた。
「……里長候補に単独で差し向けられたってことは、君の里は君を高く買ってるってことか。…それとも」
「清顕さん」
 羽流矢は先を言わせず、視線を交わしながら己の呼吸を整えた。
 清顕の、紫の瞳。涼やかなその色は、戦いにおいても失われぬ冷静さをよく表していたが、発する言葉には、そうした冷たさは感じなかった。
 やはり、この人は嫌いにはなれないなと、羽流矢はため息交じりの息を吐き切った。
「俺は捨て駒さ。だけどそんな分かり切ったことはどうでもいいじゃないか。俺たちはシノビなんだ。今更そうした使われ方や生き方に文句を垂れようとも思わない」
「それを変えるべき時が来ていると思わないか。少なくとも、君のような人を使い捨てにする里や人間が、そのままでいいとは俺は思わない」
「……開拓者的な視点だね。清顕さんなら、或いは自分の里を変えるだけの事が出来るかもしれないけど」
 羽流矢は黙った。これ以上言葉を交わしてもよいことにはならない。秘かに自分たちを監視している者の視線と、なにより、自身の決意が、揺らぎそうになる。
 揺らめきの中に己の感覚を確かめるように、羽流矢は短刀揃「水文字」の柄を握りしめていた。己の手の一部のように馴染む、その確かな重み。両の冷え冷えとした刃の切っ先に至るまで感覚の行き渡るのを覚え、羽流矢の精神は静まっていった。
 風のざわめく中、両者の間に横たわった静寂が十分に極まったとき、先に動いたのはやはり羽流矢だった。
 先までの疾走をも上回るその動きはいかなる速さか。地を蹴った塵と、技の名の通り影のみを置き去りにして、羽流矢は一瞬にして清顕の懐に現れた。
 繰り出された刃が清顕の胸を真っ直ぐに貫いたとき、清顕の体は霧のように消え去った。
(影分身)
 見て取ると同時に、背後の気配に羽流刃は即座に体を反転させた。
 頭上から、清顕の忍刀が降り落ちる。かろうじて己の体との間に差し入れた短刀が打ち合い、火花を散らす。しかし初撃のような刃の拮抗は訪れない。
 羽流矢は振り下ろされた刃に正面から打ち合わず、力を僅かに逸らすように刃を寝かせ、いなして見せた。姿勢の低い羽流矢と、頭上の清顕の視線が交差する。
 互いの刃が吸い付いたように交わった状態から、羽流刃の「水文字」が忍刀「風也」の短い刀身を伝い、さらに体を崩した清顕の腕をも遡ってその煌めきが、清顕の首筋に逆袈裟に迸った。
(捉えた)
 確信したとき、羽流矢は空白を覚えた。
 空白。
 戦いにおいて致命となるはずのそれは、意識と肉体との瞬間の断裂によって引き起こされる。意識は、完全に知覚の外から肉体に与えられた傷を空白に遅れてようやく認め、羽流矢は脇腹から激しく血を滴らせ、膝を着いていた。
「早く止血した方がいい」
 傍らに悠然と立った清顕の言葉に、羽流矢は苦しく笑った。
「須臾、か……ここまで、見事に決められたのは初めてかな」
 呼吸を荒げながら、羽流矢は呟く。勝てないことは分かっていた。だからこそ全力でこの人に当たることが出来た。それでも、この人はさらにその上を行った。
「そうでなきゃ、ね」
「……羽流矢さん。やはり俺には君が里で正当な評価と扱いを受けているとは思えない。その理由は知らないし、俺が口出しする筋合いでもない。或いはそれは陰殻の歴史に深く根付いた暗部と関わりがあるかもしれない。俺は、それを変えたいと思ってる。俺の力の及ぶ範囲で」
「変える、か」
「大したことは出来ないさ。それでも自分の里くらいは。せめて、人が分に合ったものを手に入れられるくらいには。羽流矢さん、君は――」
 突如、手裏剣が清顕を襲った。清顕の振るった忍刀が、連続する鋼の音を鳴らしてそれら手裏剣を撃ち落とした。
「銀河!」
 羽流矢が叫ぶと、清顕の側面から光る物体が高速で突進した。どうにか防ぎ、不意を突かれた攻撃に清顕は素早く体勢を整える。
 見れば羽流矢はすでに大きく距離を取り、その傍らに光る物体……忍犬の銀河は寄り添った。傷を負った主を案じるように、白い星十字のある額を羽流矢の膝にすり寄せている。
 さらに羽流矢の背後に、忍装束の男が立っている。手裏剣を放った、おそらく羽流矢の里のシノビ。手負いとはいえ羽流矢を含めこれだけ相手取るのはきついかと、清顕は油断なく忍刀を構えた。
「このまま……」
 清顕と羽流矢の視線が、再び交差した。苦しく、曖昧な笑みを浮かべた羽流矢の瞳は、語りつくせぬ何かを含んでいるようでもあり、しかし清顕はただそれを見つめるしかなかった。
「……いや。上がるぞ、あんたじゃ敵わない」
 背を向ける羽流矢達に、清顕は最後に言葉をかけた。
「羽流矢さん、そこは本当に君が居たい所なのかい」
 羽流矢は振り返ってやはり笑い、それきり木々の中へ消えていった。
(監視役がいたか)
 羽流矢の里が自分を敵視していることは知っている。仕事の上で彼らと敵対したことは一度や二度では無い。
(だとすれば、余計な事を言ってしまったかもしれない)
 里長候補である自分と羽流矢が親しいような様子を見せれば、彼の里での扱いがますます悪くなることもありうべき事だった。だとしても。
(……だとしても、やはりその程度の里に収まっているべきではないよ。羽流矢さん、君は)
 清顕は己の首筋に手を添えた。添えた指は、首から滴った血のために鮮やかに染まった。
(これだけの力。敵に回していたくないと、心から思っているよ)
 里の確執。ここへ来て、そうしたものに振り回されている羽流矢という他者を改めて認識し、清顕は何かを噛み締めるように眉根を寄せた。
 清顕は踵を返した。羽流矢の里が動いていることも分かった。急がなければ、何があるか分からない。
 里へ。
(里帰りなどと。本当に、ただの里帰りのような気持ちで、互いに里へ行ける日が来ればいいな)
 山を下る風を受け、清顕は歩き出した。
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舵天照 -DTS-
2013年11月25日

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