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『フェイト、怒る 』
ダグラス・タッカー8677)&フェイト・−(8636)&(登場しない)


 ボンベイ・サファイアをロックかストレートで飲むと、まるで消毒液を飲まされているような味がする。
 つい最近、知り合ったIO2の先輩女性が、そんな事を言っていた。
 一口飲んで、フェイトは思った。これは消毒液どころか、毒薬であると。
「これ……本当に、飲み物なのか……?」
 カウンターに突っ伏したまま、フェイトは辛うじて声を発した。
 ダグラス・タッカーが、隣で笑っている。
「慣れるとね、癖になるのですよ。慣れるまで肝臓が保てばの話ですが」
「保たない。俺、絶対に保たないから」
 同じ液体が入ったグラスを、ダグは唇に付けて優雅に傾けている。
 毒物への耐性を持つ、この男くらいであろう。ボンベイ・サファイアをストレートで、こんなふうに優雅に楽しむ事が出来るのは。
 ムンバイ市内。絵に描いたような高級バーである。
 フェイトはちらりと顔を上げ、窓の外の夜景に視線を投げた。
 ライトアップされたインド門の、幻想的な偉容。確かに、酒が進む景色ではあるのかも知れない。
「このムンバイも……観光地として、いくらかマシにはなってきました」
「新聞に載ってたよ。あんたの商会、ずいぶん気前よく投資してるそうじゃないか。インドだけじゃなく、世界中いろんな国に」
 欧州経済界の若き重鎮として、ダグラス・タッカーの名前は最近テレビでも新聞でもネット上でも頻繁に見られるようになった。
「さぞかし敵も多かろう、と俺なんかは密かに思ってるけど」
「特に、この国ではね」
 褐色の秀麗な顔が、苦笑気味に歪んだ。
「元々インドで商売をしておられた方々が、まあ当然と言えば当然ですが、我が商会をあまり歓迎して下さらず……私も難儀しているところです」
「言っとくけど、商売の手伝いはしてやれないよ? 命狙われてるんなら、ボディーガードくらいなら出来ない事ないけど」
「フェイトさんに、そんな事はさせられませんよ。まずはバカンスを楽しんで下さい」
 ダグの笑顔が、明るくなった。
 この男の明るい笑顔は、あまり信用出来ない。
「ずいぶん御活躍だったと聞いています。お疲れでしょう? ゆっくり休んでいただこうと思って、こんな形での御招待となったわけですが」
「お気遣い、感謝するよ。けどまあ飛行機の中で、たんまり寝たんでね」
 毒薬のような酒を、フェイトはもう一口、無理矢理に喉へと流し込んだ。喉越しが、痛かった。
「……はっきり言えよダグ。俺に何をさせたい?」
「フェイトさん……」
「はっきりしない事があると、くつろげないんでね。バカンスを楽しむのは、いろいろ片付いてからにさせてもらうよ」


 貧民窟と言うほど、ひどい場所ではないようだが、ここに住んでいるのが低所得者ばかりであろう事は容易く想像がつく。
 そんな街並が、豪壮なインド門からさほど遠くない区域に広がっていた。
 案内する形にフェイトを連れて歩きながら、ダグが語る。
「このインドという国は、様々な意味で過渡期にあります。豊かさと貧しさが、あまり良くない形で同居しているのですよ」
 語りつつダグは、1軒の、辛うじて住宅の体を成している建物の前で立ち止まった。
 そして軽く、ドアをノックする。
 そのドアが開き、可憐な人影が飛び出して来てダグに抱きついた。
「ダグ兄さま……!」
 12歳くらいの、インド人少女である。
「見捨てられたかと思ってた……もう、来てくれないんじゃないかって……」
「不安な思いをさせましたね。許して下さい……片付けなければならない用事が、あったものですから」
「ダグラス様、ここも危険でございます。長老方は、すでにこの場所を掴んでいるものかと」
 少女を保護していると思われる初老の人物が、家の中から声をかけてきた。ダグの執事である。
「この国で、あの方々から逃げ回るのは不可能……という事ですか」
 泣きじゃくる少女の頭を優しく撫でながら、ダグは苦笑した。
「フェイトさん、紹介しましょう。私の、いくらか遠いですが母方の従妹です」
「あ……どうも、フェイトって呼んで下さい」
「……日本人の、方ですか?」
 涙目で、少女はフェイトを見上げた。
「あたしも、日本へ行きたい……日本の人たちって、みんな優しいんでしょ? 女だからって……ひどい事したり、しないんでしょ?」
「……そういう事する奴、全然いないわけじゃないよ」
 答えながら、フェイトは思い返した。
 自分の父親は、母に暴力ばかり振るっていた。弱い女性に対してしか強くなれない、最低の男だった。
「この子はね、望まぬ結婚を強いられているのですよ」
 執事に導かれるまま家に入りつつ、ダグが語る。
「一族の、男たちの意向でね……そういう国なのですよ、ここは」


 存命者を家系図で繋ぐだけで、とんでもない広さになってしまうほど、巨大な一族であるらしい。
「カースト制というものをご存じですか、フェイトさん」
「スクールカーストなんてものが、日本にもアメリカにもないわけじゃないからな」
「あんなお遊びとは違いますよ。本場のカーストというものは……人々の遺伝子に、刻み込まれていますからね」
 眼鏡の奥で、眼光が暗く燃え盛っている。
 こういう時のダグラス・タッカーは、明るい笑顔の時より信用出来る、とフェイトは思う。
「短い時間で説明出来るようなものではないのですが……今この場では、とある上位カーストの一族に関して、ざっとお話をしておきましょうか。その一族は、ヒンドゥー教がこの地に根付いた時代から、ずっと権力を持ち続けてきました。植民地時代も隠然たる勢力を保って英国政府と渡り合い、独立にも深く関わったようです。その過程で近代インドの政治・経済・軍事・警察、あらゆる分野に根を下ろし、今なお国政に影響を及ぼすほどの力を持っているのです」
「この国の偉い人たちが、カースト身分の高い連中で占められてるって話は、聞いた事あるよ」
「実際どれほど占められているのかは、私も正確に把握しているわけではありませんが……この一族が今申し上げた通りの勢力を有している事は間違いありません。そして一族の内部にも、馬鹿げているほど厳格な階級規律が存在するのです。最高位におられるのは長老と呼ばれる方々。彼らが、一族の全てを決定します。議員として政府へ送り込む者の選定、傘下にある各企業の人事、それに一族の男女の婚姻に至るまで」
「あたし……あんな男と結婚するの嫌……」
 ダグの従妹……適齢期にはいささか遠い少女が、泣きじゃくっている。
「ダグ兄さまだって、知ってるでしょ……あたしの、お姉ちゃんが……お姉ちゃんが……」
「この子の姉は、長老の命令でその男に嫁ぐ事となり……婚礼を終えたその夜に、死にました」
 ダグが言った。
 フェイトは一瞬、気が遠くなった。
 何かが一瞬、自分の中で目覚めかけた。そんな気がした。
「一族の、そこそこ上位にいる男です。新たなる花嫁に選ばれたのが、妹である彼女……この国では、そのような事が普通に起こっていると。フェイトさんには、その点のみ認識しておいていただければ」
 同じような感覚に、かつて自分は何度か陥った事がある。フェイトは思い出していた。
 父を、殺しかけた時。あの研究所にいた男たちを、皆殺しにした時。アメリカで、とある連続殺人犯を破壊した時。
「……胸くそ悪い話は、もういいよ」
 フェイトは呻いた。
「要は、この子の身の安全を確保すればいいんだな?」
 身の安全を確保しなければならない少女が、倒れていた。
 悲痛な声を漏らしながら身を折り、のたうち回っている。か細い身体が、破裂しそうな痙攣をしている。
 突然の病気、などではない。
 外部からの、目に見えぬ凶悪な干渉を、フェイトは感じ取っていた。
「この場所が、特定された……」
 ダグが、息を呑んでいる。
「フェイトさん……!」
「わかってる!」
 フェイトは叫び、念じた。翡翠色の両眼が、燃え上がるように輝いた。
 目覚めかけていたものが完全に目覚め、見えざる力と化して迸る。そして、少女を襲う何かとぶつかり合う。
 凄まじい力、としかフェイトは認識出来なかった。
 自分と同質の超能力か。いや、少し異なる。アメリカで何度か戦った事のある、黒魔術系の禍々しい呪力。そちらに近いものが感じられる。
 何にせよ、これほどの力を持つ者が、何の力もない少女に危害を加えんとしている。
 酒に酔っては暴力を振るっていた、あの男のようにだ。
「何なんだよ……この国は……」
 フェイトの中で目覚めたものが、荒れ狂っている。
「俺の親父みたいな奴しかいないのか! この国はあああああああッ!」
 目に見えないものが、砕け散った。
 少女は、息を荒くしながら意識を失っていた。命に別状はないが、かなり衰弱している。
 その小さな身体を、初老の執事がそっと抱き上げた。
「別荘でお休みいただくのが、本当は一番良いのですが……」
「別荘は、場所が特定されやすい。やめた方がいいでしょうね」
 言いながら、ダグがこちらを見た。
「念のため、申し上げておきましょうかフェイトさん。インドの人々全てが」
「こんなふうじゃないってのは、わかってる。救いようない連中ってのは、日本にだってアメリカにだっているからな」
 フェイトは呼吸を整え、落ち着く努力をした。
「あんたが俺に、何をさせたいのかはわかった……頼むよ英国紳士、俺をしっかり誘導してくれ。自分の中のバケモノを、ちゃんと飼い馴らしてるつもりでいたけどさ……今回は、あんまり自信ないんだ」


 術者の1人が絶命した。頭が、花火の如く破裂していた。
 他の術者たちが動揺し、念を乱している。もはや呪殺どころではない。
「な、何だ、何が起こったのだ」
 長老たちが、慌てふためいている。
 術者たちを統率する者……筋骨たくましい僧形の男が、呻いた。
「タッカー商会の御曹司……どうやら、とんでもない化け物を連れて来たようだ」
 ツルリと禿げた頭に、毒蛇の刺青を彫り込んだ僧侶。その凶悪な顔に、不敵な笑みが浮かぶ。
「……面白い、そう来なくてはな」
「何だ、失敗したのか貴様ら!」
 長老の1人が、詰め寄って来た。
「我が一族の尊厳を損ない規律を乱す者に、罰をもたらす! それが貴様らの役目であろうに、小娘1匹も始末出来ぬとは何事」
 喚く長老に、毒蛇の僧侶は錫杖を叩き付けた。長老はグシャリと倒れ、永遠に黙った。
 他の長老たちが、恐慌に陥った。
「な、ななな何をするか!」
「何もせんよ。貴様らが静かにしている限りはな」
 ただ伝統を誇るだけで、眼前の暴力に対しては何も出来ない。
 そんな無力で愚かな老人たちが、この国の陰の支配者という面をしていられるのは、『虚無の境界』という後ろ楯があってこそだ。
 この一族が権力を握っている限り、インドという国では大勢の人間が絶望に陥る。
 その絶望こそが『虚無の境界』の力となるのだ。
 この愚かな老人たちの既得権益は、だから守ってやらなければならない。
 それを脅かすタッカー商会こそが、現時点における最大の排除対象である。逃げた少女などを、ちまちまと呪殺している場合ではないのだ。
「1つ、訊きたい……」
 長老の1人が、怯えながら声を発した。
「そなたら何故、あのダグラス・タッカーを始末出来んのだ? 我が一族の血を引く者であれば、誰であろうと何処にいようと呪殺出来るのではなかったか。それが我らの、血の呪縛」
「そう、血の呪縛よ。純粋なアーリア人の血統を受け継ぐ者にのみ効果をもたらす呪法……欧米人の血が混ざってしまった者には効かぬ。何度も説明をしたはずだがな」
 アーリア人の純粋な血統を守るため、この一族は古の時代から近親婚を繰り返してきた。
 そのせいか、人格破綻者がとにかく多い。
「そのようなクズどもが支配する国こそ、我らの理想に最も近い……人民が絶望し、滅びを願うようになるからな」
 愚かな老人たちを、毒蛇の僧侶は微笑みで威圧した。
「我ら『虚無の境界』が守ってやるゆえ貴様ら、安心して弱い者いじめを続けるがいい……ひたすら、クズであり続けるのだぞ」
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2013年12月24日

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