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『音のない声 』
銀鏡(ic0007)


 山から吹き降ろす空っ風が耳元でピュゥと一声鳴いて抜けていく。
 温暖な陽州にしては珍しく寒い冬の日。銀鏡(ic0007)は十四年ぶりに故郷の地に立った。
 去っていく風を追いかけるように見上げた空は鉛色。分厚い雲に覆われ今にも雪が降り出しそうだ。だが記憶の中で故郷に雪が降った覚えはない。
 久しぶりに見た故郷は本格的な冬を向かえ色彩を失い鈍色に沈んでいた。
(あの日は…)
 十四年前此処で過ごした最後の一日は恐ろしいまでに青い空だった。青い空に湧き立つ白い雲、垣根を彩る朝顔……その面影を此処に見出すことは難しい。
 そのせいか軒を並べる家、寒い中走り回る子供達、奥に見える巫女一族の屋敷、そのどれもがさして変化がないはずなのに果たして故郷とはこんな光景だったのだろうか、と疑問が浮かんでしまう。
 ただ、どこか重く苦しい空気、それだけは覚えがあった。その空気を払拭するかのように咥えた煙管を盛大にふかす。
「あぁ…そうじゃった」
 そして思い出す。代々女が当主となる女尊男卑の巫女の家系において不要の男児であった自分はほとんどを塀の内側で過ごし、外を歩き回ったことはないということを。村の風景など覚えてなくて当然だろう。
 銀鏡の視界を頭に駕籠を乗せた行商の娘が横切った。
「嬢ちゃん、ちぃっとばかり待ってくれんかのぅ」
「はい、なにがご入用ですか」
 呼び止められ、振り返った娘の年の頃は二十程だろうか。寒さで赤くなった鼻の頭が印象的だ。
(妹が生きていたら……これくらいの年齢だろうか)
 この娘と妹には性別以外の共通点はない。だが幼くして亡くなった妹の面影が重なった。それは今日ここに来た理由のせいかもしれない。
 妹は十四年前、自分の身代わりとなりその短い生涯を終えた。
「旅の方、どうかされましたか?」
 黙り込んでしまった銀鏡を心配そうに覗き込む娘の声にはっと我に返る。
「いや、大丈夫じゃ。ところでその白い花を売ってはくれんかね?」
 銀鏡は駕籠にある一輪の山茶花を指差した。

「案外気付かれんもんじゃのぅ…」
 吐き出す紫煙の向こう、遠くなる娘の背中を見送り銀鏡は呟いた。娘は銀鏡がかつて逃げ出した巫女の一族の子供だとは気付かなかったらしい。いや娘だけではない、すれ違う村人皆、銀鏡のことを偶然村に立ち寄った旅人だと思っている。
「尤も…」
 苦笑を零す。存在を認められていなかった男児なぞ、故郷の者は覚えていないだろうが。
 銀鏡は山茶花を手に歩き出した。向かうは墓…代々儀式の生贄となった者達が眠る場所、自分が入るはずだった場所、そして妹が眠る場所だ。


 その墓は集落の外れにある。墓以外なにもない殺風景な場所だ。
 本当は一生戻ってくる気はなかった。だが夢か現か妹に背を押された気がして再び此処を訪れようという気になった。
 銀鏡は墓前に先程の真白い花と美しい幾何学模様が牡丹のように広がった鞠を供える。
「…来るのが遅くなって、すまんかったの」
 しゃがみ込み妹にしてやったように墓石を撫でた。
 十四年前、自分は一族が執り行う祭で神に奉げる贄として選ばれた。いや選ばれたというより男と生まれた時点でその日のためだけに生かされ続けてきたのだろう、と思う。
 その事実を妹から聞いて知り、自分は己の生を掴むために故郷から逃げ出した。
 しかし自分が逃げ出した結果、新たな贄として妹が選ばれてしまったのだ。
 僅かに目を伏せる。
 自分が今こうしているのは贄になることを教えてくれた妹ともう一人、と思い出しかけて首を左右に振る。
 ともかく妹は、自分の身代わりとなって死んだのだ。
 奥歯を強く噛み締め土の上に拳を押し付ける。
 山茶花の花弁がさわりと揺れた。

「銀鏡」

 うたかた…浮かび上がっては消える泡のように。妹の声が耳の奥で蘇る。「遊びましょう?」そう言って自分が住む薄暗い場所に妹はいつも明るい日差しと共にやってきた。
「あぁ、遊ぼうかのぉ……」
 かさり、背後で踏まれた枯葉が崩れる音。振り返る。背後に花を手にした女の姿。
 互いの視線が重なった。
「…っ」
 女の手から花が滑り落ち足元に転がった。見開かれた双眸が銀鏡を捉え、そして揺れる。女が何か言いたげに唇を戦慄かせた。
 しばし互いの間の時間が止まる。
 銀鏡が一度だけ大きく瞬きをして再び時間が動き出す。背後にいた女、彼女はもう一人の十四年前、逃げ出す際に人知れず力を貸してくれた人…。

 そう、母であった。

 忘れたくとも忘れられない相手だ…果たして母と呼んでいいのかわからない。彼女は幼い自分にとって信仰の対象であり同時に恐怖の象徴であった。あの日まで反抗する事など考えたことがなかった自分の上に君臨する絶対的な存在。その女性が自分の目の前にいるのだ。

「ど…、して 此処に…」
 乾いた声は喉の奥でつまり上手く発することができない。多分発することができたとしても母の耳に届いたかは怪しいだろう。
 わずかに母が首を左右に振る。まるで眼前の出来事が信じられぬとでもいうように。
 銀鏡は悟られぬように一度息を深く吸い立ち上がる。そして母に向き直った。
「帰ってきたわけじゃないんじゃ、墓参りと…伝えたい事があっての」
 久しぶりとも、元気でいたかなど挨拶もなにもない。自分達は互いの再会を懐かしむような間柄ではないのだ。
 母はなにも答えない。
 銀鏡のことを誰だか分かっていないわけではないだろう。しかし何も言わない。ただ銀鏡を見つめている。その視線に銀鏡は覚えがあった。
 手を伸ばせば触れることのできる距離。銀鏡は不意に手を上げた。しかしその手は母に触れることは無く、地に落ちた花を拾い上げる。
 赤い椿だ。
 それを母が受け取った。やはり互いの間に言葉はない。
「…この村も、家も、アンタも、大嫌いだ」
 まるで独り言のように銀鏡は言葉を口にする。実際独り言なのかもしれない。母はただの一言も発しなければ頷きもしないのだから。
 ひょっとして自分は夢をみているのではないかと思った。故郷で母の夢を。それならそれで構わない、もし再び見えることがあれば伝えようと思っていたことがあるのだ。
 正面から母を見た。あんなにも怖かった人と今はこうして対峙することができる。
「…けど、産んでくれて有難う」
 静かな声音はそれが決して嫌味や上辺の言葉ではないことを告げていた。彼女が生んでくれたから自分がいる。
 一瞬だけ母の手の椿が揺れた気がした。しかし母の表情からは感情を読み取れない。だからそれは吹き抜けた空っ風の仕業かもしれなかった。
 元々母の言葉を期待していたわけではない。母のぬくもりが欲しいなどという想いはとっくの昔に失われている。だが自分にとって彼女は母であることにはかわりない。。
「…俺は……」
 僅かに口元を綻ばせる。それは自然と生まれた笑みであった。
「アンタの息子で良かった…」
 言いたいことを伝え終えると銀鏡はその場から立ち去ろうと足を踏み出した。
「旅の方…」
 始めて母が発した言葉。視線と同じく硬く冷たい声。
 足を止めた銀鏡へ一瞥すら投げかけない。
「………旅の方…」
 間を空けてもう一度母が銀鏡を呼ぶ。呼ぶ前に唇が僅かに何かを刻んだように見えた。
「今日はこの辺りでは珍しく雪が降るかもしれません。道中くれぐれもお気をつけて…」
 花を拾っていただきありがとう、と軽く会釈を寄越し銀鏡の横を通りぬけ墓前へと。
「俺…いや儂は開拓者だからのぅ、心配は無用じゃ」
 銀鏡も開拓者としての自分へと戻り口元に薄い笑みを浮かべて答える。
 結局視線を合わせて言葉を交わすことはなかった。

(あんなにも…)
 母は小さかっただろうか。かつては見上げることすら許されなかった母。久方ぶりに会った母は自分より遥かに小さくなっていた。
 己の記憶の深く暗いところにいつまでも居続ける人、親子らしい記憶なんて一欠けらさえない相手。それでもやはり記憶の中より小さくなってしまった母に一抹の寂しさを覚えないといえば嘘になる。
 此処を離れる前にもう一度母と妹の眠る墓の姿を目に焼き付けようと振り返った。
 銀鏡が目を瞠る。

 鮮やかに脳裏に蘇ったのは故郷を去ったあの夜の光景。

 やけに明るい月明かりに黒々と浮かび上がる己の影。ひそりと静まり返った庭。萎れた垣根の朝顔。
 開いていた木戸。不在の門番。
 そして縁側に立つ母の姿。その母の冷たい視線。あの時母はわかっていたはずだ、自分が逃げ出そうとしていたのを。しかし見逃してくれた。

 あの時と同じように母が墓の前で自分を見ていた。表情はわからない。だがきっとあの夜と同じように冷たい目をしているのだろう。
 母に名を呼ばれたこともまして頭を撫でられたことも無い。今日だって自分は母にとって通りすがりの旅の男、結局名前は呼ばれないままであった。
 母のぬくもりは知らない。覚えているのは冷たい眼差しと、俯いていた視線に映る床に伸びる影ばかり。
「それでも…」
 自分の見逃してくれた人だ。あの時母の胸裏にはどんな想いが過ぎったのであろう。
 鈍色の風景の中、母の抱く椿の赤ばかりが目に付く。
 母は何時まで自分を見つめているのだろうか。あの夜も姿が見えなくなるまで縁側に立っていのだろうか。
 母に向け何か言いかけて止めた。今更掛ける言葉を持っていない。伝えるべき事は先程全て伝えた。

 風に白いものが混じり始めた。
 陽州では珍しい雪だ。吐く息は真白く、指先が悴む。それでも母はただ静かにこちらを見ていた。

 胸の辺りに手を置く。
 やはりこの村も、家も、母も好きにはなれない。
(でも俺は思う…)
 再び母に背を向けた。

「有難う………」

 声には出さず唇の動きだけが言葉を刻んだ。

 甲高い風の鳴き声、それに混じり母の声が聞こえた気がした。
 己の名を呼ぶ声が……。

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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【ic0007  /  銀鏡 / 男  / 28  / 巫女】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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この度は発注頂きまして本当にありがとうございます。桐崎ふみおです。

銀鏡様の十四年ぶりの帰郷いかがだったでしょうか?
お母様と銀鏡様の不器用だけど互いを思う関係が表現できていたら嬉しい限りです。
ここからまた銀鏡様がその先の道を歩いていかれる事を祈っております。
イメージ、話し方、内容等気になる点がございましたらお気軽にリテイクを申し付け下さい。

それでは失礼させて頂きます(礼)。
winF☆思い出と共にノベル -
桐崎ふみお クリエイターズルームへ
舵天照 -DTS-
2013年12月30日

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