▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『鮮血の波に抗う魂(前編) 』
ヴィルヘルム・ハスロ8555)&(登場しない)


 革命の血生臭さは、十数年を経た今もまだ、首都ブカレスト近辺に漂っている。
 人々にそう強く認識させる事件であった。
「すげえ、すげえよヴィル兄貴! このすぐ近くじゃん!」
 かつてヴィルの弟分であった少年が、興奮している。
「あー、俺も見に行ってりゃ良かったなあ。警察の連中が来る前にさあ」
「……見たって、面白いもんじゃないだろう。人間の死体なんて」
「あのクソ野郎どもが死んじまったんだぜ! 気分いいに決まってんだろうがよぉ」
 この教会の、すぐ近く。
 ブカレスト郊外の森で、男の死体が多数、発見されたのである。
 全員、地面に立てられた長い杭で、串刺しにされていたという。
 この国で有名な歴史上人物を模倣した猟奇殺人事件として、報道は大いに賑わった。
 警察の調べによると、犠牲者は全員、とある犯罪組織のメンバーであるらしい。
 顔写真が新聞に載った。昨日、教会に押し入って来た連中だった。
 組織間の抗争がもたらした、見せしめの殺人。それが警察の見解である。
「あいつら死んじまった。お前ら、これで一安心だぜ?」
 あの男たちに狙われていた幼い姉弟が、そんな事を言われて安心するはずもなく、身を寄せ合って怯えている。
 当然だ、とヴィルは思った。こんな事件を起こすような殺人鬼が、この教会の近くをうろついているのである。
 串刺しの屍。そう聞いて思い出してしまうものが、ヴィルにはある。
 敵兵や民衆を串刺しにして林の如く周囲に立てた、血まみれの暴君。
 あの夢は、もう何年も見ていない。
 何年も前に見た夢が、しかし脳裏に焼き付いて消えてくれない。そして、現実に見た光景と重なってしまう。
 村人たちの屍に囲まれて佇む、父の姿と。
「あー、悪い奴らが死んだ死んだ。神罰だな、神のオボシメシってやつだ」
「不謹慎な事を言うものではありませんよ」
 シスターが、いつの間にか、そこにいた。
「神に召される事の安らぎは、善き者にも悪しき者にも等しく訪れるもの。貴方たちもいずれは、あの方々と同じ所へ行くのですからね」
「あいつらなんか地獄へ落ちるに決まってんじゃん。俺、いい事いっぱいやって天国へ行くもーん」
「ではまず、お便所のお掃除をなさい。貴方、この間さぼったでしょう?」
 シスターのたおやかな手が、少年の首根っこを容赦なく掴んだ。
「わわわ、助けてヴィル兄貴!」
「ヴィルには、お買い物を頼もうかしら」
 シスターが、財布を手渡してきた。
 中には、買う物の書き出された紙が入っている。当然、金も入っている。
 ヴィルは、思わずシスターを睨みつけた。
「僕が、この金を……自分のポケットに、入れちまわないとでも?」
「貴方は、そういう事はしない子よ」
 シスターが、そう言って微笑んだ。
 本当に気に入らない笑顔だ、とヴィルは思った。気に入らない笑顔を、殴ってやりたかった。
 なのに、手が出ない。
 このシスターに、こんなふうに微笑みかけられるだけで、腹は立っても手が出なくなってしまう。初めて会った時から、そうだった。
「僕は、他人の金や物を奪いながら生きてきたんだぞ……!」
「この子たちのためにね」
 掴んだ少年を軽く揺さぶりながら、シスターは言う。
「自分の懐だけを潤すような盗みは、一切しない。貴方はそういう子よ、ヴィルヘルム・ハスロ」
「そ、そうだぜシスター。ヴィルの兄貴は、俺たちのために、いっつも危ない橋ばっかり渡ってくれたんだ」
 首根っこを掴まれながら少年が、何故か自身の事の如く誇らしげにしている。
「最高の兄貴なんだぜ。すげえだろう」
「お前な……いい加減に黙らないと、本当に殴るぞ」
「はいはい。貴方はお掃除、ヴィルはお買い物」
 シスターが、気に入らぬ笑顔のまま言った。
「……寄り道せずに、帰って来るのよ?」


 シスターの言う「寄り道」の意味が、ヴィルにはわかっていた。
 預かった金で遊び呆ける、という意味ではない。
「よう……久しぶりじゃねえか」
 こういう連中と関わり合って無駄に血を流す、という意味である。
「教会に引き取られたんだってなあ? 誰彼構わず噛み付いてやがった狂犬がよう、飼い犬になっちまったってわけか」
「だからってよ、この辺りにのこのこ面ぁ出しやがるたあな」
「俺たちがよ、テメエにどんだけ痛え目に遭わされたか……まさか忘れやがったわけじゃねえよなあ?」
 ブカレスト市内の、いささか人通りの少ない場所である。
 近道をするため足を踏み入れた途端、この連中が絡んで来たのだ。
 ヴィルとほぼ同年代の少年が、5人。
 全員の顔を、ヴィルは覚えている。最低でも1度は、叩きのめした事がある。
 自分はあのシスターに引き取られ、悪い冗談のように平穏な暮らしを手に入れた。
 この5人は、相変わらず首都の裏通りで、獣のような暮らしをしている。明日にでも命を落とすかも知れない日々を送っている。
「てめえ……何がおかしい?」
 1人が、ヴィルの胸ぐらを掴んだ。自分が笑っている事に、ヴィルは今気付いた。
「別に……ただ2、30発くらいなら殴られてやってもいいかな、って思っただけさ」
「てめえのな、そーゆうとこが気に入らねえんだよ昔っからああ!」
 殴られた。倒れた。そこへ、ガスガスと蹴りが降って来る。罵声と一緒にだ。
「俺らと同じ、野良犬のクセしやがってよお! すました面ぁしてやがったよなあ!」
「俺らの事、どっかで見下してやがったよなああ!」
 シスターから預かった金だけは、守り通さなければならない。
 踏み付けられ、蹴り転がされながら、ヴィルはそれだけを思った。
 奪われたとしても、あのシスターは許してくれるだろう。ヴィルを気遣ってくれるに違いない。
 それが、気に入らなかった。
「やめなさい」
 声がした。穏やかで、だが有無を言わさぬ威圧感を秘めた、男の声。
 30代と思われる、がっしりとした男が、そこに立っていた。
 女の子を1人、連れている。ヴィルと同じ年頃の少女。男の背中に半ば隠れながら、こちらを見つめている。
 どこかで見たような女の子だ、とヴィルは感じた。
「君たちのような者は、見下されても仕方あるまい……自分がどれだけ惨めな事をしているか、たまには振り返ってみてはどうかな」
「何だ、てめえ!」
「かわいー娘連れてんじゃねえか、いただいちまうぞ? おう!」
 喚いた少年の顔面が、激しく歪んだ。
 男の分厚い掌が、叩き込まれていた。
「……そういう言動はな、後々とんでもない恥の記憶となって、自分自身を苛む事になる」
 男が言い放つ。張り飛ばされた少年が、鼻血と涙を流している。
 他の4名が激昂し、男に殴りかかった。掴みかかった。ナイフを取り出し、突きかかった。
 その直後には、全員が叩きのめされていた。
 男の拳が、手刀が、蹴りが、少年たちを打ち倒し、吹っ飛ばす。ヴィルの動体視力で、辛うじて把握出来た。
「革命が終わっても、この国の人々が豊かになったとは言えない。それは事実で、我々にも責任はある……が、だからと言って君たちを甘やかす事は出来ないのでね」
「……やり過ぎよ、叔父さん」
 倒れたまま泣きじゃくっている少年たちを、痛ましげに見回しながら、少女が言った。
「仕方ないだろう。この彼が、自分の身を守ろうとしないのだから」
 男が、ヴィルの身体を馴れ馴れしく助け起こそうとする。
「戦う力があるのなら、いくらかは戦った方がいい。それとも自分の力が恐いのかい? ヴィルヘルム・ハスロ君」
 その手を、ヴィルは振り払った。
「誰だよ、あんたは……!」
「失礼、軍の者だ。5年前、あの村で起こった事件を調べている。君には不愉快な事であろうが」
「……ごめんね、ヴィル。貴方の事、いろいろ話しちゃったの」
 どうやら男の姪であるらしい少女が、俯き加減に言った。
 ヴィルは、ようやく思い出した。
「君は……」
「久しぶり……本当にごめんね、ヴィル」
「……君が謝る事ないだろう。僕の親父は、君の父さんを……殺したんだぞ」
「あれは、あたしのお父さんが悪いわ」
「この子の父親は、私の兄でね。ああ、だからと言ってハスロ博士を恨むつもりは毛頭ない」
 少女の叔父であるルーマニア軍人が、訊いてもいない事を語り始めた。
「ハスロ博士には、監視を兼ねた護衛を付けておくべきだったと思っている。何しろ前大統領派の大物だからね……共産主義勢力が接触を図る事は、充分に考えられたのだが」
「僕の親父が、大勢の人を殺して自殺した。あの事件は、それが全てだよ」
 血にまみれた口元を、ヴィルは冷笑の形に歪めた。
「ここにいるのは犯人の息子さ。しょっぴいて銃殺でもするかい?」
「銃殺しなければならない、かも知れない者は他にいる。もっとも銃殺出来る相手かどうかは、疑わしいのだが」
 軍人が、謎めいた事を言っている。
「郊外の森で、串刺しの死体が大量に発見されただろう。5年前の事件と関連があるかどうかは不明だが……恐らく人間の仕業ではあるまい、という点においては共通している」
 語る口調が、ヴィルを見据える眼差しが、軍事行動中のような真剣さを帯びた。
「現場近くの教会で、君たちの世話をしているシスター……彼女に関して、知る限りの事を聞かせて欲しい」 
PCシチュエーションノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2014年01月06日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.