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『決戦前夜 』
ウルシュテッド(ib5445)


 窓の外では雪がちらほらと降り始めている。天儀の暦上では既に春だ。だが葉が落ち裸のままの枝、寒そうに手を擦り合わせる道行く人々、鈍色の雲に覆われた空、いささか春到来と浮かれるのは気の早い話であろう。
 この時期になるとジルベリアは、どことなく浮ついた雰囲気に包まれる。特に若い男女にそわそわと心此処にあらずいった者が多くなる。それはバレンタインという大切な人、愛する人に菓子を贈ると共に想いを告げるという風習があるからだ。元々はもっと崇高な意味を持った行事だったということだが今となっては、そんな意味など残ってはいない。

 暖かい室内に漂う甘い香りと軽やかな鼻歌。ウルシュテッド(ib5445)は少々浮かれた様子で湯につけたボウルの中に刻んだチョコレートをざらっと流し入れた。チョコを入れたボウルに布巾を被せ待つこと二分。再び布巾を取り上げれば、輪郭を失い始めたチョコレートの姿。それを覗き込んで満足そうに頷く。
 ついでに鼻歌も一段と陽気になる。ウルシュテッドの周囲だけ一足早く春が来た、そんな様子だ。
 彼は現在、故郷ジルベリアの風習に倣いチョコレートを作っているところであった。何故チョコレートかといえばバレンタインで贈る菓子で一番スタンダードなものだからだ。
 溶けかけのチョコレートにヘラを入れ、ゆっくり下から上へと掻き混ぜてやる。
 ボウルの中で次第に蕩けていくチョコレートの艶やかな美しさといったら。わざわざジルベリアから取り寄せたかいがある、とウルシュテッドは唇に笑みを浮かべた。
 湯の温度は一定に、水分は厳禁。中々溶けなくとも焦りは禁物。丁寧に、時間をかけてじっくりと、一混ぜごとに心を込めてチョコレートを溶かしていく。
 口溶けは雪のように滑らかに、そして見目は宝石のように美しく。目指すは自分が知っている一番の甘味。
 繊細で気を使う、言うなれば面倒な作業だ。だがそれを面倒だと感じることはなかった。寧ろ完成を思うと心躍る。ともすればそのせいで掻き混ざるヘラがつい躍ってしまいそうになるのを押さえるのに苦労をした。
 菓子作りが楽しい、確かに元々家事は嫌いではない。だがこうも心躍るには他に理由があった。

「そなたが知る一番の甘味処でならまた会うてもよい」

 鮮やかに耳に蘇る声。一緒にその声の主の姿も瞼の裏に浮かぶ。美しい金色の髪に翡翠の双眸を持つ一見少女にしか見えない女性の姿が。
 そう彼女のために作る、だから尚の事楽しいのだ。鼻歌も漏れるというわけである。
 彼女とは友人が警備として参加したとある催しにて出逢った。その催事の客であった彼女に抱いた第一印象は「変な女」である。初対面ということも忘れて、心の底からしみじみとそう思った。その時、よもや友人や恋人などそんな自分にとってかけがいのない相手になるかもしれないなどという予感すらなかったといって良い。
 彼女は何もかも規格外であり、自分の知っているどんな女とも違った。なんというか彼女は人生で初めて遭遇した人種であり、瞬間最大風速で唐突にぶつかってきた未知の人物だったのだ。繰り返しになるが『変な女』、それしか表現のしようがない相手であった。
 そしてその変な女はウルシュテッドの冗談に、予想外の言葉を返してくれた。
 そんな彼女のお陰でウルシュテッドは久々に心の底から笑うことができたのだ。本気で笑うと腹筋が痛くなる、そんな簡単な事も忘れていた自分にそれを思い出させてくれたのが彼女である。
 今にして思えば多分腹の底から笑った時、自分の中で彼女に対する思いが生まれたのだと思う。

 彼女と一緒に歩む未来が欲しい、と。

 好きだの愛してるだの当分言うつもりはない。果たしてこれはそういう想いか…名言できない。だが、未来を共有したい、これだけは確かな想いであった。
 ヘラの動きが止まる。漣を描く表面に彼女の顔が浮かんだように思えた。
 出会いの場であった催事が終わったあと、祭りに彼女を誘った。そこで出逢ってさして時間も経っていないというのに自分の思いを伝えた。その時に第一印象変な女だった彼女にウルシュテッドのほうこそ変だといわれたのは記憶に新しい。その時、自分の思いに対して返された言葉が先程の「そなたが知る一番の甘味処でならまた会うてもよい」だったのだ。
 ぎゅっとヘラを握りなおすと再びゆるりと掻き混ぜ始める。
 甘味が好きならばきっとチョコレートも食べてくれるだろう。ただ男の手作りをどう思うかは分からないが。
「まあ…」
 呟く声も柔らかく弾んでいる。とろりと溶けたチョコレートに注ぐ視線は甘く優しい。
(ただ渡すのでは面白くないし…な)
 その辺りの趣向も考えていた。それを考えるのも楽しかった。誰かのために何かをする、それを考えるだけでこんなにも心弾む事があるのか、と我ながら驚くほどに。
(あぁ…きっとこれが……)
 お前の言っていた事だろうか、と友へ心の中で語り掛ける。彼がウルシュテッドの誕生日の贈り物に添えてくれた『たまには自分の事も考えて、体も心も大事にしてや』という言葉。贈られて以来その言葉が言わんとすることをずっと考えていた。自分のことを考える、自分を大事にするとはどういうことかを。
(俺は答えを見つけたよ)
 窓の外へ視線を向ける。
 ちらついていた雪は次第に強さを増していた。景色が白に染まっていく。白に沈んだ世界は故郷のジルベリアを思い出せた。


 ウルシュテッドの故郷はジルベリア北東部にあり、決して豊かとはいえない土地であった。冬ともなると家も土地も木々も雪に埋まる、そんな場所だ。
 彼はそこの領主の末弟であった。末弟として、シュストの名と狼の心を継ぐ者の一人として、家族と領民を愛し彼らに貢献することこそが己の道だと決め、その道に適うように生きてきた。

 自分の前に伸びるのは一族の未来のみである。小川が大河に流れ込むように、自分の人生も家族や領民とともに…。

 それが己の望みであり決めた道だと信じていた。家族と民のために我が身を捧げることが自分の選択だ、と。だから己自身の未来に望みを持ったことはない。
 自分の腕はさして大きくなく、家族と民を支えるだけで精一杯。他の事へ割く余裕などない。そう思っていたからまして結婚など考えもしなかった。寧ろいらぬものを抱え込まぬよう、情を移すまいと常に自分を戒めていたほどだ。
 女は面倒だ、そう思っていたのも事実。人肌が恋しくなれば馴染みの娼婦も居り、溜まった熱を吐き出すにはそれで事足りる。そのような現状になんの不満も感じることはなかった。
 そして自分に突き刺さる一つの後悔。姪の、信念のもと、命を、心を削り懸命に進み続けた小さな背中。崩れていく心を悟らせぬように浮かべた笑顔。苦しみも嘆きも全て抱え、でも懸命にまっすぐ前を見つめようとする彼女の。心が発する悲鳴に気付いてやれなかった。
 いや…気付いてなお救うことができなかったのだ。
 そんな己の無力さを嘆き、打ちひしがれた。
 大切な者一人救うこともできない自分が誰かのために生きることなどできようか。己に降り注ぐのは絶望にも似た無力感。

 家族、領民への献身と愛。救ってやることのできなかった姪への後悔。それらに雁字搦めに縛られている自分に友人がくれたあの言葉。その時はその言葉の意味が分からなかった。
(俺の生き方に…現状に…何の不満がある?)
 それは自分の望んだ道のはずだ。でも友の言葉は心のどこかに引っかかり事あるごとに思い出していた。

 カツンと手にした温度計がボウルの底に当たる。

 慌てて温度を確認する。加工に適した温度にするために今度はボウルの底に水をあて、温度を下げていく。ここでも焦ってはいけない。美しい見目にするには温度管理は重要だ。
 一部スプーンに掬って固め、出来具合を確かめる。滑らかな表面、おかしな模様も入っていない。
「……ん、成功だな」
 己の生き方に不満などどこにもなかった……筈だった。だが今自分は家族でも領民でもない者の事を考え、その者のために動こうとしている。
(友よ…)
 菓子一つ、贈るのにあれこれ考え、頭を悩ます。その領民の幸せには繋がらないであろう時間が愛しいと思える。
(これがお前が俺にくれた言葉の意味だな)
 自分のために…自分を大事に…。果たしてこれが正解かはわからない。でも自分は『彼女』こそがその言葉の解答だと理解した。
 全ての柵から解き放たれた先にいたのは彼女だ。そして彼女と共にいたいと願う自分だ。彼女の存在は自分の中に小さな革命を起したのかもしれない。

 出来上がったチョコレート。自分の思いを込めたそれは最高の出来栄えだ。自分が知っている一番の甘味と言って良いだろう。
 チョコレートを飾るための包装は子供達が選んでくれた。とても可愛らしいそれは男の自分が使うには少々気恥ずかしくもある。しかもこれは自分のために子供らが一生懸命選んだくれた…そう思うとどこかくすぐったい。
 チョコレートを包みながらウルシュテッドは気付く。子供達はシュストの名と狼の心を継ぐ者の一人のためではなく、父である彼個人のために選んでくれたのだ、と。自分もこうして誰かに思われて生きていたのだ、と。
 自分はウルシュテッド個人として子や姪を愛し、彼女を想う。

 共に歩きたい相手。何故彼女なのか、それすらまだ伝えていない。だがそれもいずれ伝えよう。
 逢った回数、過ごした時間の長さなど関係ない。重要なのは自分が見つけた答えが彼女だということだ。

 好きだとか愛してるとかそのような言葉はまだ唇に乗せることはできない。
 ただ自分はこれから先、彼女と歩む時間を重ねていきたいと思う。何より彼女が欲しい。心の底から彼女を求めている。それは他の誰のものでもなく己の欲だ。誰に譲るつもりもない自分だけの感情。
(そうか……)
 不意に納得した。すとん、と心の中に一つの感情は降りてくる。

 俺は、現にもう、彼女を愛し始めている――。

 さあ、想いを彼女に。最高の甘味と共に捧げにいこう。
 包み終えたチョコレート、そこに彼女を想い口付けを一つ落とした。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 / PC名     / 性別 / 年齢 / 職業】
【ib5445  / ウルシュテッド / 男  / 27 / シノビ 】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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この度は発注頂きまして本当にありがとうございます。桐崎ふみおです。

ウルシュテッド様のお菓子作りいかがだったでしょうか?
発注文にあったお言葉をかなり膨らませて執筆させて頂きました。
彼が好きだ、愛してるという言葉を告げない、その解釈は大丈夫か心配です。
ウルシュテッド様にとっては大切な転機ともなる物語の一部だと思います。
イメージ、話し方、内容等気になる点がございましたらお気軽にリテイクを申し付け下さい。
ウルシュテッド様とお相手様に幸せで甘い時が来ることを祈っております。

それでは失礼させて頂きます(礼)。
不思議なノベル -
桐崎ふみお クリエイターズルームへ
舵天照 -DTS-
2014年02月04日

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