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『ゆきうさぎ 』
嘉瑞(ic1167)


 くらいくらい、闇の底。
 白い手が、たくましい手が、頼りなげな手が、ちらちらと揺れている。
 招いているのか、拒絶しているのか。
 其処は、とても冷んやりとしていて、けれど寒さを認めては負けだと、心のどこかで感じていた。

 寒くなどない。
 暗くなどない。
 自分は―― 此処は――……




 どさり


 雪が落ちたのだ。
 目を開き、見慣れた天井板を見上げ、俺は我に返った。
(夢……)
 身を起こす頃には、直前まで瞼の裏に描いていた映像の事は思い出せなくなっていた。
 シンとした早朝独特の寒さに肩を抱き、布団から抜け出る。
(人は…… いないね)
 ようやく明け始めた冬の朝は、空気を紫色に染めている。
 こんな時間から徘徊するような物好きなどいないだろうとは思うが、備わってしまった強い警戒心は簡単に解けるものでもない。
 周囲の気配に耳をそばだて、それからスッと離れの障子を引いた。
 冷たく清浄な空気が吹き込んできて、反射的に銀の瞳を細めた。

 紫色の空気の中、地表は白い輝きを放つ雪に覆われている。

 薄く開けた隙間から覗くだけでも、目に眩しかった。
(……まっしろだ)
 震える唇から漏れる呼吸が、半透明の球体を作っては消えてゆく。

 白い。
 寒い。
 冷たい……

 美しいと評して良いだろう光景を前に、心が冷え込んでいくのを自覚していた。


『いつか迎えに来る』


 耳にこびりついて離れない声が、蓋をした心の奥底から顔をのぞかせ、こちらを見ていることに気づいたから。




 一度目の約束の相手は、母だった。
 美しい、兎の神威人。

「嘉瑞」

 鈴を転がすような声だったと思う。
 その声で、優しく俺の名前を呼ぶ。
「いつか、迎えに来るわ。約束よ」
 その時の母が、どんな表情をしていたのか――泣いていたのか、笑っていたのか。
 三つの齢のその時にはわからなかったことが、今なら理解できるような気がした。ただ、認めたくないだけで。
 渡されたのは約束の言葉と、一つの数珠。
 
 迎えに来るということは、その場所を離れるということ。
 その日を境に、母は姿を消した。

 残された言葉と数珠だけを頼りに、思慕の情を募らせたこともあった。
 何度も何度も、記憶の中の母を呼び起こすうちに、その顔がわからなくなり始めてきた時のこと。

 自身の面差しが、母によく似てきたと。
 母は、居なくなったあの日、あの時、使用人の一人と一緒であったと。

 親戚の噂話を耳にして、それでも幼いあの頃は、やはり意味はよくわからなかった。
 ただ、『約束』は果たされないのであろうことだけ、薄っすらと察した。




 二度目は、父から。
 五歳になった辺りだ。
 手を引かれ、大きな歩幅の父に一生懸命ついてゆく。
 父の手の冷たさ、大きさ、その感触は今も時折、ふっと蘇ることがある。

「いつか迎えに来る。それまで、励みなさい」

 そうして、俺は寺へ預けられたのだ。
(いつかって…… いつですか?)
 思っても、口にすることはできなかった。
 実母が男を作り失踪したのだという事実は、その頃にはようやく理解できていて。
 自分の容姿が、そんな母に似てきたのだということは周囲の反応から伺えた。
 父は後妻を迎えていたが、彼女にも疎まれていることは視線でわかる。

 修行に励む日々を送り、三年の月日が流れた頃。
 後妻が、男子を出産したとの文が届いた。
 弟ができた喜び? ――湧き上がる感情は、そんなものではない。
(あの家を…… 継ぐのは)
 自分ではない、と冷えた心で考えた。
 帰る場所はない。
 帰ったところで、居場所はない。

 父は、迎えに来ないだろう。
 約束は、此度も果たされることはないだろう。
 それは、確信だった。




 紫の色が、淡い黄を帯び始める。
 冷たい太陽が、のっそりと頭をもたげてきた。
 そんな中、静かに静かに、雪が降る。降り積もる。
 それは、積み重ねるとしつきのように着実と。
 着実と、冷たく、重く、降り積もる。




 三度目は――

「信じられないから、迎えに来たよ」

 約束を口にした幼馴染こそ、『信じられない』を顔に貼りつかせていたことを覚えている。
(待っているだけの子供ではない、と…… 思っていたんだよね)
 幼い心へ深く切りつけた二筋の『約束』は、俺という存在が無用だと同義のものだったから。

 父と母。
 自身へ血肉を分け与えた、誰よりも近しい存在から不要だとされたなら、それ以上に欲してくれる存在などどこにあろう?
 望むことが出来よう?

(……今度こそ、違ったかもしれないのに)
 『信じられない』だなんて言葉をぶつけた自分へ、幼馴染は何と答えたか。
(あそこで拒絶されたなら、俺は――……)
 どうなっていただろう。
 向かう道では、不安で胸が張り裂けそうだった気もする。
 信じられないと言いながら、信じていたかった。
 約束を確かなものにしたいと願っていた?
 どれだけ、幼い日のことに縛られていたのだろう。

「……はは」

 語り掛ける相手もいないのに、つい、笑いが漏れた。
 気恥ずかしくて、咄嗟に口元を押さえ、上げた視線の先に雪うさぎ。
 どこから紛れ込んだのか野生のそれは、雪原に溶け込みながら赤い瞳だけで存在を主張し、軽快に跳ねては何処ぞへと消えていった。
 ちいさなちいさなあの生き物には、帰りを約束した相手がいるのだろうか。




 完全に体が冷えてしまい、障子を閉めて室内へ戻る。
(……ああ)
 雪うさぎの姿を機に、起きがけに見ていた夢を思い出した。
 あの手は、母の、父の、幼馴染の。
 欲しくて、でも自分からは伸ばすことのできない―― 幼馴染は捕まえたが。
 まだ、あんな夢を見るのかと驚いた。
 それから、ひたと己の頬に触れる。淡い紫の髪が、サラリと落ちた。
 そのまま輪郭を辿り、母の子の証たる兎の耳へと伸ばす。

 顔が、耳が、嫌いだ。
 俺を捨てた母に似ているから。受け継いだから。それ故に、父にも棄てられた。

「……女々しい奴だね。本当に」

 苦々しく、溜息を吐く。
 寺で、何を修業してきたのやら。


『嘉瑞』


 幼い記憶を手繰り寄せ、名を呼ぶ声を思い出す。
 自身の名の、その意味を思い出す。
 どんな思いを込めて付けたか。呼んでいたか。

(それでも)

 果たせなければ、その約束は反古と同義だ。

(今更どうの、とも言わないけれど)

 帰る場所があり、待つものがいるのなら、きっとあの野生の雪うさぎは幸せものだろう。
 たとえ、その生が短いものだとしても。

「――、――……」

 ぴくり。
 遠く遠くの音を聞きつけ、反射的に耳が動いた。
 こんな早朝から、誰だ?
 思い当たる顔を、幾つか浮かべ――
「はは、ははは……」
 語り掛ける相手もいないのに、俺は笑い声をあげていた。
 腹の底がむず痒く、感情を言葉にすることが難しかった。




 静かに静かに、雪が降る。降り積もる。
 それは、積み重ねるとしつきのように着実と。
 着実と層を重ね、やがては溶け、春が来る。
 そうして、季節は巡る。

 語り掛けるべき相手へと、呼び声に応じるべく、俺はゆっくり歩き始めた。
 



【ゆきうさぎ 了】


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ic1167 / 嘉瑞 / 男 / 21歳 / 武僧】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ご依頼ありがとうございました。
ご自身の心と向き合うお話、お届けいたします。
独白ということで、一人称で仕上げました。
楽しんでいただけましたら幸いです。
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佐嶋 ちよみ クリエイターズルームへ
舵天照 -DTS-
2014年02月06日

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