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『門外不出のスペシャリテ 』
常木 黎ja0718


 二月上旬。
 暦の上では春だというが、まだまだ外は寒い。

 ――食べにくればいいさ

 そう、向こうは他意無く掛けた言葉だったのかもしれないけれど。
(たぶん、そう。だから、深い意味はない、ないんだってば)
 他愛ない世間話、自炊をしているというから想像できないと返してみれば、そんなことを言ってきたわけで。

 幾つかの戦場を共にした戦友…… というカテゴリで良いのかどうか。
 相手が学園生ではない分、気軽に会えるわけでもなく、できることといえば気まぐれで姿を見せるのを待つくらいで。
「黎さーん、風邪ひくよ。何時間立ってるつもり?」
「!!」
 マンション上階のベランダから、身を乗り出して赤毛の卒業生が笑っている。
 こうやって、事務所というか自宅というか、訪れる日が来るとは思わなかった。
 常木 黎は風に流される黒髪を押さえ、玄関へと入った。




 話には聞いていたが、まったく普通のマンションだ。
 インターフォンを鳴らす前に、ドアが開かれる。足音で気づいたか。
「今日はようこそ。ちゃんと、お腹空かせてきた?」
 少年のような笑みで、筧 鷹政が出迎える。
 黎はこくりと頷き返し、室内へと上がった。

(あ、鷹政さんの匂いだ)
 当たり前のことに、どこかソワソワする。
「真上がねー、事務所になってるの。改装、難儀したんだよ。DIYだから」
「自作なの?」
「結構、楽しかった。詳しい友達に話聞いたりさー」
「へえ……」
 ワンルームの片隅に、天井と密着したような小部屋があると思ったら、それが事務所に繋がっているのだそうだ。
 防犯のため扉を付けようとした結果、こういう形になったという。
「あ、上着はそこに掛けて、荷物は―― まだ、どうも来客は慣れないな」
「多いから、分けたって聞いたけど」
「客のような、客じゃないような、ね……」
(でも、私は『客』か……)
 遠い目をする鷹政の表情は、学園で後輩たちに揉みくちゃにされている時のそれだ。
 そういう時、黎はなかなか輪の中へ入らない。入っていけない。
 けど、それとは別に、鷹政はきちんとこちらを見てくれていたと―― 気づいたのは、いつだったろう。
 どういう意味かは、聞けずじまいでいるけれど。

 少なくとも、酒のみ話で出た誘いを、憶えていてくれる程度には。
 意識しているし、してくれて……いるのかは、やっぱり掴みにくいな、と思った。
 たまたま仕事帰りに居合わせたあの日から、何が変わったかといえば、鷹政が黎を下の名で呼ぶようになったこと。
 小さいような、大きいような変化。
 ただ、自分が鷹政を下の名で呼び掛けたときは非常に驚いたなどと言っていたから、彼にしてみれば大きなことなのかもしれない。

「好き嫌いないって言ってたから、俺の好みにしちゃったけど」
「おけおけ、肉?」
「肉」
 読まれたか、と苦く笑いながら、鷹政は焼きたての生姜焼きをローテーブルに並べる。
「……笑い震えるところ?」
「らしいな、って……」
 物思いにふけっている間に、眼前は非常に生活感あふれるものに彩られていた。
 白米、味噌汁、生姜焼きには野菜炒めも添えてある。
「栄養バランスとしては確かよね」
「だろ。無理しないのが継続のコツなんだってさ」
「それはまあ、たしかに……」
 だめだ。どうしても笑ってしまう。
 緊張して、身構えていた肩の力がストンと抜けた。
「あんまり量は食べない方だって言ってたから少なめにしてるけど、おかわりは自由だからねー」
「定食屋?」
 目尻に浮かんだ涙をぬぐう。
「気取らなくて、居心地良いかなって。想像してみろよ、ここで俺がソースから手作りのパスタとか出すの」
「……ごめん、想像できない」
「俺もできない」
 居酒屋とは全く違う、完全なプライベートスペース。
 こんなところで穏やかな食事を、なんて、それこそ想像したことも無かった。




 当たり障りのない世間話をしながら、ゆっくりと食事を終える。
「ごちそうさまでした」
「おそまつさまでした」
「思ってたより、美味しかった」
「生姜焼きを不味く作れる人は天才だとも思うけどな!」
 素直になりきれない黎の感想に、鷹政も冗談で返す。
「えーと。洗い物は手伝うよ。何だか悪いし」
「いいの? じゃ、俺は食後のお茶でも淹れよっか。コーヒーで良い? 紅茶や緑茶もあるけど」
「揃えが良いね……」
 男の一人暮らしとしては、意外かもしれない。
 事務所で来客があるのなら、基本は押さえている、ということだろうか。
「そうだな……。コーヒーが『合う』、かな……」
「おっけ」
 黎が言葉に含めた意味に気づかないまま、鷹政は腰を上げた。


「あ、……そうだ」
 後片付けも終え、室内にコーヒーの香りが漂い始めた頃。
「お土産あるの忘れてた」
「お土産? 俺から誘ったようなもんだし、気なんて遣わなくても」
「いいから。手、出して」
「はい」
 有無を言わせぬ何かを感じ、鷹政が座り直す。
 手荷物の中から取り出したのは――ワインレッドの包装紙の、シンプルな箱。
 黎が両手で渡したそれは、鷹政の手のひらより少し大きい程度。
(あ)
 こんなところで、『違い』を感じる。
(……男の人の手だ)
 少し荒れた肌、節くれだった指。温度は思っていたより高い。
(あの時は、必死、だったし)
 一番長く触れた時のことは、今でも黎にとって『負い目』になっている。
 場を濁すように、黎は慌てて口を開いた。
「もうちょっとしたら、甘いのばっかだろうからね」

 二月上旬。もうちょっとしたらやってくる甘いもの。

「え ……え?」
「という、わけでも、なかったりだけど、ほら、その、季節的な」
 明言は避け、しどろもどろに視線を泳がせつつ。
「今、ここで開けても良い?」
 もはや頷くしかできない。
(大丈夫、練習はたくさんしたし)
 試食もして、幾つかあるレシピから良いと思うものを選んだ。

 ビターな味わいに仕上げた、ザッハトルテ。
 チョコレートケーキの王様とも称されるそれが、箱の中から姿を見せた。

「ひとりぶん、だから」
「えっ、せっかくだし、分けて食べようよ」
「でも」
「ナイフナイフ、フォークフォーク」
「……鷹政さんって、甘いもの好きよね……」
 鼻歌交じりに食器棚へと向かう背へ、それ以上の言葉はかけられなかった。




「? 固い?」
「あ、それは」
「二層になってる」
「見ないで……!」
「え?」
「な、なんでも…… ない」
 言えない。
 最初、表面にホワイトチョコで文字を書いたはいいが、恥ずかしくなったので更に上掛けしたなど。

 ――My Dearest

 本当のところの意味が、伝わっても伝わらなくても、怖い。
(だって。鷹政さんから見たら、私なんて小娘だし)
 外見で騙されがちだが、実際の年は10も離れている。
(私の汚い部分を知られたら…… それは、やだな)
 そう思うのも、自分の精神面が幼いということなのだろうか。
 逆を言えば、彼だって表情の全てを見せているわけではないのだろう、とも思う、し。
(あ、笑った。美味しそうに食べてる)
 手を伸ばせば、簡単にその頬へ触れられる距離にいるのに、何故だか遠くに感じてしまう。
 見えるのに、見えない。
 言葉を掛けてくれるのに――……




 ことり

 小さな物音に、鷹政が顔を上げて目を見開いた。
「え、黎さん、え、ちょ……」
 ――寝ている。
「感想、聞いてよ……」
 よっぽど緊張したのか、頑張ってくれたのか。
 それは自分も同じだったのだけど。
 糸が切れたように寝息を立てる黎の姿を見守り、それから絶妙に微妙な心境となる。
(男の一人暮らしの部屋で寝落ちってどうなのさ! 対象外なの!? 無駄に分厚い信頼なの!!)
 パーテーション代わりにしているカラーボックスの向こうにはベッドがあるが、眠りが深そうだからといってそちらはアウトだろう。
 事務所のソファベッドなら気軽だったというのにこういう時に限って!!
 床を叩きたい衝動をこらえ、鷹政は深く深く溜息を吐き出した。


「ごちそうさま。美味しくいただきました」
 冷えないよう、その肩にブランケットを掛け、無防備な寝顔へ囁いてやる。
 せめて夢の中に、声が気持が届けば良いなと願って。




【門外不出のスペシャリテ 了】


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ja0718/ 常木 黎 / 女 / 24歳 / インフィルトレイター】
【jz0077/ 筧 鷹政 / 男 / 26歳 / 阿修羅】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ご依頼ありがとうございました。
冬のイベントちょっと手前のひとこま、お届けいたします。
色気のない提供で申し訳なく思いつつ、こちらは美味しいケーキをありがとうございました……!
楽しんでいただけましたら幸いです。
winF☆思い出と共にノベル -
佐嶋 ちよみ クリエイターズルームへ
エリュシオン
2014年02月10日

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