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『傭兵と御曹司 』
ヴィルヘルム・ハスロ8555)&ダグラス・タッカー(8677)&(登場しない)


 日光に弱い。十字架に弱い。ニンニクに弱い。
 吸血鬼とは本当に、弱点だらけの怪物である。世の人々が必死になって、様々な弱点を後付けで想定したのだ。
 吸血鬼という種族が、それだけ人々に恐れられていた、という事である。
 そのような後付け設定の中に「吸血鬼は流れる水を渡る事が出来ない」というものがある。
 それが本当ならば自分は、この船から落ちたら死んでしまうのだろうか。
 ヴィルヘルム・ハスロは、ふとそんな事を思った。
 スエズ運河を往く、大型貨物船。
 所有者は、欧州経済界の重鎮・タッカー商会である。
 船1つを犠牲にする覚悟で、あの商会は、海賊をおびき出そうとしているのだ。
 その海賊の殲滅が、今回の仕事である。ヴィルの所属する軍事会社に、タッカー商会から依頼が来たのだ。
 幽霊海賊、と呼ばれている。
 いつ接舷されたのかわからぬうちに、いつの間にか船に乗り込まれている。気が付いたら、殺戮と略奪が始まっている。
 そんな事件が、スエズ運河では続発していた。タッカー商会の船も襲われ、被害が出ている。
 運河を避けて遠回りをすると、ソマリア沖で本物の海賊に襲われるという有り様であった。
 その幽霊海賊が、どれほどの敵であるのかは、戦ってみなければわからない。
 直接の戦い、以外の厄介事が1つあった。
 タッカー商会・総社長の子息が、周囲の反対を押し切って、この船に乗り込んでいるのだ。
 16歳。飛び級で大学に入った天才少年であるらしいが、そんな学歴が海賊との戦いで役立つとは思えない。
 お荷物を背負いながらの、厄介な戦いとなる。
 それでも、死ぬわけにはいかなかった。
 かつては、死ぬためにだけ戦っていた。死ぬ事を恐れない、どころか渇望さえしていた。
 今は違う。
「私は……臆病になってしまった、のだろうか?」
 甲板上でヴィルは、写真に語りかけていた。
 妻が、生まれたばかりの息子が、写真の中で微笑んでいる。
「私がいなくなったら、誰が君たちを守る……などと考えてしまうのは、思い上がりだろうか?」
「……守れるのですか。貴方は」
 いきなり、声をかけられた。
「失礼。声を出して写真と会話をする人が珍しく、つい話しかけてしまいました」
「それは、こちらこそ失礼。薄気味悪い思いをさせてしまったかな」
 ちらり、とヴィルは相手を確認した。
 褐色の肌をした、身なりの良い少年である。欧米人とアジア人の混血、であろうか。
 利発な少年である事は、その顔立ちを見ればわかる。
 利発さの下に、激しいものがある。それをヴィルは見て取った。いくらか暗い激情を、眼鏡で覆い隠している。そんな感じである。
 何者であるのか、ヴィルは何となくわかった。
「タッカー商会の、御曹司というのは?」
「私ですよ。貴方がた現場の人たちに厄介者として扱われるのは、承知の上です」
 御曹司が、にやりと笑った。不敵で、どこか陰惨な笑み。
「ダグラス・タッカーと申します。厄介者のダグ、とでも呼んでいただきましょうか」
「ヴィルヘルム・ハスロです。私も、死神のヴィルなどと呼ばれた事がありますよ。私の所属する部隊は必ず全滅し、私1人が生き残ってしまうのです」
「貴方1人だけが頭抜けて強かったという事でしょう。期待させて、いただきますよ」
 ダグの眼鏡の奥で、眼光がギラリと輝いた。
「何としても、海賊どもを殲滅して下さい。私の指揮下で、という形でね……海賊退治は私の実績、という事にさせていただきます」
「もちろん我々としては、正当な報酬さえいただければ何も文句はないが」
 ヴィルは言った。この正直過ぎる御曹司に、いささか興味が湧いた。
「……欧州経済界のプリンスとして将来を約束された身でありながら、そこまで貪欲に実績を欲しがるとは?」
「そのような約束、あって無いようなもの。私はね、1日も早く、己の地位を確固たるものにしなければならないのですよ」
 かつての自分が、ここにいる。ふとヴィルは、そんな事を思った。
「1日も早く、私は……商会の実権を、握らなければならないのです」
 全てを失い、ブカレストの裏通りで獣同然の生き方をしていた頃のヴィルヘルム・ハスロが、目の前にいる。
 このダグラス・タッカーという少年も、何かを失ったのだ。
 そうして生じた空隙が今、憎しみで満たされている。
 彼は今、復讐のためだけに、タッカー商会を掌握しようとしているのだ。
 復讐を否定する資格が自分にはない、とヴィルは思う。
 あの時、父親が現れなければ。自分は間違いなく、村人たちを皆殺しにしていただろう。
「ヴィルヘルム・ハスロ氏、先程の質問を繰り返させていただきます。貴方は御家族を守れるのですか? 御家族の傍にいてあげられない、傭兵などという仕事を……何故、始めたのです」
「私には、戦う事しか出来ない」
 答えながらヴィルは、空を見つめた。今は、この空だけが、日本にいる妻子と繋がっている。
「家族を守るために、養うために、この仕事をしている……はっきり言葉で言ってしまうと、何やら安っぽくなってしまうな。何か違う、という気もする」
「はっきりと言葉で、家族のため、などと言われていたら……私は貴方を、軽蔑していたかも知れません」
 呪詛のように、ダグは言った。
「私の父は……家族のために仕事をしている、などと言いながら結局……母を、守ってはくれなかった……」
「…………」
 何か応えるべきか、無言でいるべきか。
 そんな事で迷っている場合ではなくなった。
 不穏な気配が、周囲に生じたからだ。
「……伏せて!」
 ダグの頭を、左手で掴んで甲板に叩き付けるような、いささか乱暴な形になってしまった。
 そうしながらヴィルは右手で、大型の拳銃を振り回し、引き金を引いていた。
 嵐のようなフルオート射撃が、甲板上を激しく薙ぎ払う。そして、群がりつつあったものたちを粉砕する。
 骸骨、であった。
 一揃いの人骨が、迷彩柄の軍服を着用して動き回り、小銃を構え、こちらに銃口を向けている。
 そして骨のみの指で引き金を引こうとしながら、砕け散ってゆく。
 ヴィルに押さえ付けられた格好で伏せながら、ダグが呻く。
「これが、幽霊海賊……」
「御曹司、貴方を護衛する余裕はない……この船に乗り込んだ以上、自分の身は自分で守っていただく」
 ヴィルは言い放ち、少年を伏せさせたまま立ち上がり、状況を確認した。
 甲板上のあちこちで、戦闘が始まっていた。
 ヴィルの同僚たちが、幽霊海賊の不意打ちに上手く対応し、銃撃を行っている。
 軍服をまとう骸骨たちが、小銃をぶっ放しながら砕け散る。
 その数は、しかし一向に、減ったようには見えない。
 運河上に、霧が出ていた。
 貨物船を包む、その霧の中から、幽霊海賊が際限なく生み出されて来る。そのようにしか見えない。
「……死霊術の類か」
 ヴィルは呟いた。死者の類を、無限に召喚し続ける黒魔術。妻から聞いた事がある。
 その召喚者が、霧の中のどこかにいる。
 探し出し、倒さぬ限り、軍服を着た骸骨たちが際限なく補充され続けるのだ。
 探し出す余裕などないままに、ヴィルは跳び退り、甲板に転がり込んだ。
 その動きを、幽霊海賊たちの銃撃が追う。火花が爆ぜ、甲板に無数の銃痕が穿たれてゆく。
 それに追い付かれる寸前、ヴィルは起き上がりながら引き金を引いていた。
 ハンマーのようでもある大型拳銃が、火を噴いた。
 ヴィルに向かって乱射を行っていた骸骨たちが、ことごとく砕け、吹っ飛んで散る。
 その時には、間合いを詰められていた。
 至近距離。軍服姿の骸骨が4体、足音もなく襲いかかって来ている。全員、銃器ではなく大型のナイフを手にしている。
 4本の刃が、ヴィルに向かって一閃した。
 その1本を、ヴィルは左手で掴み止めた。ナイフの刀身ではなく、柄を握る骸骨の手を。
 そのまま強引に身を翻し、骸骨の身体を振り回す。
 振り回された幽霊海賊が、別の1体に激突した。
 一方ヴィルの右手は、鈍器のような大型拳銃を振るい、別のナイフを叩き落としていた。
 それと同時に、長い右脚が後方にブンッと跳ね上がり、背後にいた骸骨の手からナイフを蹴り飛ばす。
 体勢を崩した幽霊海賊4体に、ヴィルは大型拳銃を叩き付けた。
 ハンマーの如く重い銃身が、4つの頭蓋骨をことごとく粉砕する。
 その手応えを握り締めながら、ヴィルは引き金を引いていた。
 小銃をこちらに向けようとしていた骸骨たちが、銃弾の嵐に薙ぎ払われて砕け舞う。
「やるではないか……くっくくく、佳き素材を見つけたぞ」
 祭服を身にまとう、一見するとカトリックの神父のような男が、いつの間にか甲板に立っていた。
「貴様は最強の死霊兵士となるであろう。虚無の境界の戦力として、私が大いに活用してやろうぞ」
「虚無の境界……聞いた事はある。人類の滅びだの霊的進化だのと、大層な題目を掲げているようだが」
 新しい弾倉をグリップに叩き込みながら、ヴィルは言った。
「している事は単なる海賊行為。資金繰りに苦労しているのは、どこも同じというわけか」
「ソマリア沖の海賊どもに力を貸してやっているだけだ。我が、無限の力をな」
 神父風の男が、手にした十字架を掲げた。
 霧が、深くなった。
 その濃霧の中から、幽霊海賊の群れが現れ、甲板上に満ちた。
 そして神父風の男をしっかり護衛しながら、小銃をぶっ放してくる。
「くっ……!」
 ヴィルは、近くのコンテナの陰に隠れるしかなかった。銃撃の嵐が、傍らを激しく通過して行く。
「我が兵力は無限! さあ無駄な抵抗をしてみるが良い、弾が尽きるまでなぁーフハハハハハハ!」
 虚無の境界の術者が、勝ち誇っている。
 その笑いが突然、詰まった。 
 祭服をまとった身体が、倒れた。
 表情が、おぞましい笑顔のまま固まっている。血色を失った、青白い笑顔。
 低い、唸るような羽音を、ヴィルは聞いた。
 1匹の蜂が、顔のすぐ近くを通り過ぎて行く。大型の、獰猛な毒蜂。
 それが、ダグラス・タッカーの肩に降りて止まった。
「どれほど強大な魔力を持っていようと、所詮は人間の肉体……私の親友たちにかかれば、こんなものですよ」
 幽霊海賊は、1体残らず消え失せていた。まるで最初から存在しなかったかのように。
 蜂毒に倒れた術者の屍が、残っているだけだ。
「虫使い……」
 ヴィルは呻いた。
 インドの古代王朝に、毒虫を使役する魔術が存在し、現代に至るまで秘伝されているという。
 いや、魔術とは少し異なるかも知れない。妻は、そう言っていた。
「何にしても見事……文句のつけようなく貴方の実績だ、御曹司」
「そう……いう事に、させていただきましょうか」
 ダグの声が、微かに震えている。怯え、いや興奮か。
 戦いの場に身を置くのは、初めてだったのだろう。
 ヴィルの足を引っ張る事なく逃げ回り、身の安全を自力で確保したのは、大したものである。
 良い兵士になれる。ふと、ヴィルはそんな事を思った。
「先程、連絡が入りました。ソマリア沖の海賊は、IO2の方々が拿捕して下さったようです」
 ダグが言った。
「虚無の境界などと名乗る方々が最近、世界各地の反社会的勢力に食い込んで、タッカー商会の収益を脅かしてくれているようです。商会専属の用心棒としてヴィルヘルム氏、貴方を雇いたいほどにね」
「私には、今の会社を辞める理由がない」
 この少年は、商会の実権を握るために、商会の利益を守ろうとしている。
 復讐のためとは言え、己の成すべき事を冷静に見据えている。
 何を見据える事も出来ず、ただ暴れていただけの自分とは雲泥の差だ、とヴィルは思った。
「貴方には、またいずれ力を貸していただきたいと思っていますよヴィルヘルム氏」
 小さな親友を肩に乗せたまま、ダグは背を向けた。
「貴方は今まで、充分に戦い傷付いてきたのでしょうが……いずれまた、私のために戦っていただきます。その時までどうか、お命を大切に」
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東京怪談
2014年02月13日

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