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『今日も良い日だ! 』
セレシュ・ウィーラー8538)&(登場しない)

 セレシュ・ウィーラーの朝は早い。
「いただきますっ!」
 まだ朝日も昇りきらないうちに起き出して、朝食を作る。一汁三菜を守った健康的なメニューだ。味噌汁の出汁は、昆布とかつおぶしで毎回丁寧にとる。青い瞳、金色の髪という姿で、慣れた手つきで箸を操る。
 正直いって、食事などとらずとも、セレシュは生きていける。人間に見える姿に擬態してはいるが、正体は、ゴルゴーンなのだ。一日に三度もごそごそと冷蔵庫をのぞき込み、ちまちまと台所で作業をし、ようやくできあがった食物を口に詰め込んで、もそもそと咀嚼しては飲み込む、などという動物じみたみっともない真似など、聖域の守護者たる高貴な存在であるゴルゴーンには、無縁である。無縁なのだ、本来ならば。しかし。
「あぁ〜っ、今日もええ出汁でとるわぁ。やっぱり、朝一番には、ワカメの味噌汁やなぁ〜」
 朱塗りの腕を両手で抱えて、セレシュはとろけそうなほどの笑みを浮かべる。
 食事など、必要ない。必要ないのだから、くだらない。かつて、セレシュはそう考えていた。だから、人間の、特に日本人という種族が持つ、食に対する異常とも思えるこだわりを初めて目の当たりにしたとき、人生観すら変わるほどの衝撃を受けたのだ。今にして思えば、とセレシュは回想する。あれは、神殿を守るっちゅー、本能に刷り込まれた使命を果たすことしか知らんかったうちが、生まれて初めて、文化っちゅーもんに触れた瞬間やったんや。
 生存には必要のないものに、とてつもない労力を注ぎ、見て、触れて、味わって、楽しむ。なんて贅沢で、すてきなんだろう。かつてセレシュが受けた衝撃を言語化するならば、そういうことだ。そして、この想いは、今もセレシュの胸に宿り続けている。だからセレシュは、毎日の食事作りを怠らない。丁寧に凝った調理をし、ゆっくりと存分に味わって食べる。しかし。
「……朝って、なんや知らんうちに時間が経ってまうのは、なんでやのー!?」
 そうなのだ。熱心に食事を楽しむあまり、気づいた頃には、時計はいつも、八時十五分を過ぎている。おかげでNHKの朝ドラ視聴は皆勤賞だが、喜んではいられない。ばたばたと食卓を片づければ、表のシャッターを上げて、仕事の準備だ。入り口の掃き掃除もしたい。九時の開院に間に合わせなくてはならない。
「おっ、セレシュちゃんおはよう! 今日も朝ドラ良かったなぁ」
 ほうきとちりとりを持って表に出ると、正面の八百屋の親父さんが声をかけてくれる。親父さんとは朝ドラ仲間で、毎朝、今日の放送分の感想と、今後の展開への考察を語り合うのが日課だ。
「おはよーおやっさん! 今日すごかったなー! 明日どうなってまうんやろ? ……って、うおぉぉっ!?」
「隙だらけじゃセレシュ!」
 突然、わき腹に強烈なキックを受けて、セレシュはほうきとちりとりごと、真横に吹っ飛ばされた。誰や! と叫ぶまでもなく、わかっている。これも、ほとんど日課だ。地面に転がったセレシュの背後に、黒いランドセルを背負った少年が、しゅたっと着地する。両手と両膝をついたままのセレシュは、うらめしげに少年を振り返る。
「やりよったな小僧……」
「隙を見せるほうが悪い。今日は俺の勝ちやな!」
「おーそうかいな。そういや、昨日は結局、雨振らんかったでぇ? あんたの予知能力とやらも大したことないなぁ?」
「う、うっさい! たまには外れることもあるんじゃ!」
 白いダウンベストに、鮮やかな黄色の長袖カットソーと、ブルージーンズ。いかにもやんちゃ盛りといったその少年は、セレシュに向かって、両の拳を握ったファイティングポーズを向けたまま、崩さない。齢十歳の彼の現在のマイブームはヒーローごっこで、「俺は予知能力を持つ正義の味方じゃ! 悪のセレシュをぶったぎる!」と叫んでは、こうして毎朝の通学途中に、セレシュに戦いを挑んでくる。しかし、その実態は、近所の自転車屋の息子である。「今夜は雨が振る!」と叫んだ昨日の予言も、もちろん当たっていない。
「見とけよ、今日は絶対当たるからな。俺の予知能力のすごさを思い知れ!」
「ほほー。今日の予言は何や、言うてみぃ」
 愛すべき悪ガキをにやにやと眺めながら立ち上がったセレシュに、少年は、ビシッと人差し指を突き立てて、高らかに宣告する。
「おまえの今日の晩ご飯は、イチゴや!」
 思わずずっこけそうになる。
「い、イチゴ!? そんなん、ごはんやなくて、デザートやん?」
「うっさい、俺の予知は絶対や! 思い知れあほセレシュ!」
 少年は自信満々にそう叫ぶと、サッカー部で鍛えているという脚力で、風のように走り去ってしまう。あっという間に小さくなっていく白いダウンジャケットを、セレシュはほうきを握ったまま、あぜんと見送るしかない。
「セレシュちゃん、時間、時間!」
 八百屋のおやっさんに声をかけられ、はっと我に返る。うわーもうこんな時間かー! と、セレシュの絶叫が青空に響く。午前九時。ウィラー鍼灸院の、毎朝の光景だ。

 少年の残した予言の謎は、その日の午後に判明した。
「えっ、ほんまに? ええんですか?」
 午後三時。慌ただしい午前と午後イチの治療が一段落した頃、いつも予約を入れて通ってきてくれるご婦人に、セレシュは歓喜の声を上げていた。
「もちろんよぉ。セレシュさんにはいつもお世話になってるから、ほんの気持ちよ」
「うわ〜! ありがとうございます〜!」
 差し出された白いポリ袋を受け取る。「セレシュさんに施術してもらうと、持病の腰痛が楽になるわぁ」といつもいってくれるこのご婦人は、齢六十五歳を過ぎてなお、ハイキング等を趣味とするアクティブシニアだ。何を隠そう、今朝の悪ガキの祖母にあたる人である。
「あれ? これって……」
 受け取った袋をのぞき込んで、セレシュはつぶやく。中に入っていたのは……。
「イチゴよ。昨日ね、孫と一緒にイチゴ狩りに行ったの。そのお土産。実は孫がね、セレシュさんに持っていってやれって、大騒ぎで」
 うふふ、と微笑むご婦人の顔と、袋の中のイチゴとを交互に見つめて、セレシュも思わず、笑ってしまう。なんや、あの小僧、そういうことかいな。
 少年の予言通り、この日のセレシュの晩の食卓には、イチゴが並んだ。朝食同様、一汁三菜を守った献立に、みずみずしい宝石のようなイチゴが添えられる。今朝の少年の得意げな顔がイチゴにだぶって、たまらず吹き出してしまう。
 デザートにと最後までとってあるイチゴを眺めながら食事をしているうちに、ふと、あることがひらめいた。それは、いかにもすてきな思いつきで、箸を握りしめたまま、くっくっくっと笑ってしまう。
 しかし、食事が終われば、もうひとつの日課が待っている。食卓と台所を片づけて、地下の工房へと向かう。冷たい石づくりの階段は、セレシュがかつて守っていた、石造りの神殿を連想させる。この階段を降りるとき、セレシュは顔つきすら変わる。気の良い大阪弁のおねーちゃんから、冷徹で静謐な研究者の顔へ。
 毎夜、地下に籠もって行っているのは、幻装学の研究だ。昼間に比べて費やせる時間が短い分、セレシュは毎夜、極限まで意識を集中してこの仕事に取り組む。あんまり集中しすぎて、うっかり人の姿に化ける魔術が解けてしまったことも、一度や二度ではない。この研究は、日課などという気軽なレベルではなく、もはやライフワークとも呼べるものだ。研究に終わりはない。だから、毎夜0時までと明確に時間を区切り、短時間で効率的な研究を積み重ねられるよう、心がけている。
 ――別に、二十四時間、研究だけに時間を費やしても、問題はないんやけどな。
 就寝前にゆっくりと風呂につかるとき、セレシュはふと、そんなことを考える。食べなくても、寝なくても、ましてやこんなふうに、ラベンダーの香りのする入浴剤で紫色に染まったお風呂であったまらなくても、生存は可能だ。かつてのセレシュなら――食事や、風呂や、そんなものを教えてくれた、あの人に出会う前のセレシュなら――毎日、ひとりで地下に籠もり続けることを選んだだろう。
 今でも、当時から好んでいるものへの愛着はある。たとえば、冷たい石の感触。誰にも邪魔されないひとりきりの空間。思う存分、自分の目的のために時間を費やせること……。
 けれど、今、こうして湯に浸かることを楽しめるようになったセレシュには、以前のように、あの冷たい石の空間さえあれば生存可能なのだからそれだけで十分、とは、とても思えないのだ。だって、それでは、
「ほんまの意味で、生きてるとは、言われへんもんな……」
 湯気にけむる浴室の天井を見上げて、つぶやく。それは、腹の底から漏れ出たため息のような、今のセレシュの偽らざる実感だ。
 風呂から上がって、就寝の準備が整う頃には、午前一時を過ぎている。ベッドに入る前に、セレシュは台所に立ち寄った。
「よーしよし、ちゃんと冷めてるし、頃合いやな」
 実は、夕食のあとに、お菓子を焼いておいたのだ。オーブンから取り出し、ケーキクーラーに並べておいたものが、荒熱もとれて食べ頃になっている。うっすらと甘い香りの漂うそれは、昼間もらったイチゴを混ぜて作った、カップケーキだった。
 セレシュはそれを三つ取り、油の染みないワックスペーパーでラッピングしていく。わざと、ざっくりとした紙袋のような、そっけない包み方に仕上げた。あんまり可愛い包み方にしたら、恥ずかしがるかもしらんからな、と想像して、思わずニヤニヤと笑ってしまう。
 できあがった包みをテーブルに置いて、台所の明かりを消す。今度こそ、寝室に向かう。
 ――明日の朝は、蹴っ飛ばされへんよう、要注意やな。そんで、あのクソガキに、さっきの包みを押しつけたら、ビシッと指さして、こう予言したろ。「おまえの今日のおやつは、カップケーキや!」ってな。
 寝室の暗闇の中、ふふっと笑いが漏れてしまう。笑いをこらえる代わりに、布団を口元まで引き上げて、セレシュは瞳を閉じた。
 明日も、良い日になりそうや。

[了]


【ライター通信】
 このたびは、ご発注ありがとうございます。梟マホコです。
 前回から間を置かず、またセレシュさんを書くことができて嬉しいです! しかも、気になっていた彼女の過去も知ることができてしまって……!
 早速、本編に盛り込みながら書かせていただきました。楽しんでいただければ幸いです!
PCシチュエーションノベル(シングル) -
梟マホコ クリエイターズルームへ
東京怪談
2014年02月28日

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