『魔法のことば 』

ラヴィ・ダリエ（ia9738）

●
　神楽の都郊外に煉瓦通りと呼ばれる通りがある。実際道に敷き詰められているのは煉瓦ではなく自然石から切り出された石畳なのだが、その通りに並ぶ建物が天儀様式のものではなく石造りや煉瓦造りのジルベリア様式の建築が多いのでいつの間にやらそんな名となった。
　磨り硝子の幌が被せられた外灯が等間隔に並ぶ通りはそのまままっすぐ行けば街道に出る。異国情緒溢れるその通りは神楽の都の玄関口の一つと言っても良い。
　街は既に眠りに着いて久しい。そろそろ日付が変わろうかとしている頃だ。そうともなれば通りを行く人の姿もほとんどなく、一匹の野良猫が長い影を連れてのんびりと通りを横切っていった。
　空には満月には少しばかり足りない月が昇っている。冴え冴えとした青み帯びた光は外灯のぼんやりとした灯をかき消すほどに明るい。
　ラヴィ（ia9738）が『旦那さま』と呼ぶ婚約者と営む『カフェドヴォール』は煉瓦通りの街道近くにある。
　石造りのジルベリア建築で二階建ての建物だ。一階が店舗で、二階がラヴィ達の住居となっている。蔦の這う壁、磨かれ艶やかな飴色の樫の扉。通りからは見えないが季節の花が咲く日当たりの良い中庭が自慢である。
　『ＣＬＯＳＥ』の看板が下げられた扉の向こうでは、店内の掃除も明日の仕込みも終えたラヴィがカウンターの向こう一人ぼんやりと座っていた。
　視線は窓の外、中庭を眺めている。ただ左右色の違う瞳は庭の景色を映してはいなかった。
　掃除の時に開け放したままの窓から忍び込む月明かりが店内を浮かびあがらせる。看板娘兼料理長のラヴィが一人で切り盛りしている店は、カウンター席と中庭に面した窓際のテーブル席など座席数はそう多くは無い。
　だというのに…。ラヴィは視線を庭から外してぐるっと店内を見渡して溜息を吐いた。
　だというのに一人だけだと妙に広く見える。
　客がいるときはそこまで感じないのだが、その広さに不意に寂しさが襲ってくる。それを誤魔化すようにホットチョコレートを一口飲んだ。口の中に広がる甘さとほのかな苦味、それに香ばしさ。我ながら美味しい……と満足そうに大きく頷きかけた表情はすぐに浮かないものへ。
「……」
　ラヴィは壁に架かったからくり時計を見た。振り子の下で踊り子がくるくる回るその時計は旦那様が旅の途中で買ってきてくれたものだ。店のあちこちに旦那様が旅で集めてきた骨董品や土産が飾られている。
　明日も早い。そろそろ寝なくては…と思うのだがどうにもこんな日に限って意地悪な眠気はまだやって来そうな気配がない。
　無理矢理零そうとした欠伸も途中でほぅ、と溜息に近い吐息に代わる。白い息はあっという間に闇に溶けて消えてしまう。暦の上では春だというのに、空気は冷たい。カップにそっと頬を押し付け、暫しぬくもりを楽しんだ。
　窓から見える中庭は青み帯びた月明かりに照らされひそりと静まり返っている。水仙や蝋梅、椿に福寿草、綻び始めた山茱萸の小さな黄色い蕾も昼間に比べ少しばかり寂しげに見えた―のは自分の気持ちのせいだろうか。
　着物の袷に手を置く。
　大好きな旦那様と暮らす我が家、そしてカフェドヴォール…大好きなこの空間が寂しく感じる原因をラヴィは本当は分かっている。ただ深く考えないようにしていたのだ。
「だって…」
　唇が少しだけ尖った。足をぶらんと揺らす。
　大好きな旦那様がいないのだ。旦那様の不在を考えれば考えるほどに寂しくなってきてしまう。それでもまだ昼間は良い。お客様も沢山来て、料理を作ったりお話したり、気が紛れる。
　一番寂しくなるのは一日の終わり…ベッドに入って眠るまでのこの時間だ。
　置いた手の下には一週間程前にふらりと旅に出た旦那様からの手紙がある。
（いつもそう…）
　浮かぶのはラヴィよりだいぶ年上の旦那様の少年のような笑み。男は幾つになっても少年の心を持っている―だなんて誰かが言っていたがまさしく少年の心を持ったまま大人になった彼は、その旺盛な好奇心の赴くままふらりと旅に出てしまう。そしてラヴィはいつもお留守番である。
　旅に出た旦那様からはいつも数日後手紙が届けられる。そこにはラヴィに告げず旅に出てしまったことへの謝罪や、彼女を気遣う言葉、そして自分は元気だから心配するな、という事が少し慌てたような内容と字で書かれている。それを見るたびに「まったくもう旦那様ときたら…！」と苦笑が零れた。少年のような好奇心も、空の高いところを吹く風のような自由さも旦那様の魅力だということは百も承知している。
　窓際に置かれた金の唐草模様が描かれた青い硝子の水煙草はアル＝カマル、銀の盆に乗ったとろりとした光沢の翡翠の金魚は泰国…と店内に飾られている彼が旅先で買ってきてくれた土産を一つずつ確認していく。
　罪滅ぼしのためか彼は旅に出るといつも沢山の綺麗で珍しい土産を買ってきてくれる。どれもこれも彼が自分のために選び買ってきてくれたもの。一つ一つがラヴィにとっての宝物…そう言っても良い。
「だけどラヴィが欲しいのはそんなものじゃないのです」
　声に非難が混じる。一人ぼっちで家に残される寂しさや、無事な姿を見るまで心配で心配で堪らない苦しさがそれで消えてなくなるわけではない。
「ラヴィは旦那様と一緒が…」
　いいんです、と溜息がホットチョコレートの表面に漣を起した。カップを持ったまま窓際に寄る。窓から身を乗り出して空を眺めれば青白い月が見えた。
「今はどの辺りにいらっしゃいます？」
　天儀にいますか？　それともまだまだ遠い異国の地ですか？　神楽の都に向かっていますか？　そんな問い掛けが頭の中で浮かんでは消える。
　旦那様も同じ月を見ているだろうか。何処にいても見上げた空は繋がっているだから寂しくないなんて物語などで見かける台詞、ラヴィはそれは嘘だと思っている。
　だって…。月の光が眩しいと自分に嘘を吐いて俯いた。鼻の奥がツンとする。
（旦那様がいないだけでこんなにも胸が痛いんです…）
　両手がカップをきゅっと握り締めた。隣にいて同じ風景を見て、互いの感情を共有したい…。

「もう旅なんか出来なくなってしまえばいいのに…」

　思わず零れた言葉に慌てて頭を左右に振ってホットチョコレートを一気に流し込む。
「っ…け、ほ…っ」
　勢い良く流し込み過ぎて噎せ返り、慌てて胸を叩く。
「吃驚しちゃいま…」
　した…は声にならなかった。両手で胸を押さえたままの格好で動きが止まる。
（大好きな旦那様のために素敵な女性でいたいのに…）
　ゆっくりとした動作で胸から手を退かすとそのまま両頬を軽くペチリと叩く。
「夜に一人で考え事をするから嫌な事ばかり思ってしまうんですわ」
　空になったカップを片付けると木製の雨戸を閉める。あっという間に真っ暗に。揺れるカンテラの頼りない灯にラヴィの影が躍った。
「もう寝ちゃいましょう。えぇ、広いおうちに一人でいても悲しいだけですもん」
　気持ちを切り替えるためにわざと明るい口調で宣言し、カンテラを手にカーブを描く階段を上っていく。

●
　もぞりと身じろぎしブランケットを口元まで引っ張り上げ、素足を擦り合わせた。一人きりのベッドは冷たくて中々温まらない。ただでさえ小柄なラヴィは体を丸めより一層小さくなる。
　寝付けなくて何度も繰り返す寝返り。次第に暗闇に目が慣れてきて室内の様子が見えてきた。閉じた雨戸の隙間から漏れ入る月明かり。
　きっと夢の中ならば旦那様に会えるはず…とぎゅうと目を閉じる。シンとした静寂が耳に痛い。
「早く帰ってきてください…な」
　口の中で呟く。かつては一人で寝るのが当たり前だったというのに今はこんなにも……。もう一度寝返りを打ち窓に背を向けた。
　ラヴィは１５歳になるまで外の世界を知らなかった。ジルベリアの地方領主の娘としてほとんど屋敷から出ることもなく、家族以外と話すことも無い閉ざされた世界に生きていた。そして１５歳の誕生日に小さいまま彼女の世界は終わるはずであった。だが誕生日前夜、突然彼女の前に現れた彼により世界は大きく開かれたのだ。
　彼は彼女の世界にいきなり吹き込んできた突風であり、世界を広げてくれた恩人であり、そして新しい世界そのものであった。彼がいてラヴィの今の世界がある。だから彼がいなくなると途端彼女の世界は色褪せたものに変わってしまう。
　旦那様が旅が好きなのは知っている。自分の我侭でそれを阻みたくは無い。

　無いけど――

　何度も繰り返す葛藤。
「ラヴィのこと置いてきぼりにするなんて承知しませんから」
　帰ってきたら覚えていて下さい、なんてベッドの中で肩を怒らせた。

　……ツン…カ…ッ　カッ…

「……？！」
　遠く石畳を行く蹄の音。耳を澄ませば、それが次第に近づいてくるのがわかった。
　ラヴィはブランケットを跳ね除けて起き上がる。既に耳を済ませなくとも判るほどに近づいた蹄の音、そして開かれる中庭の木戸。
　間違いない、彼女が待ち望んだ彼だ。だが飛び出して行きたい衝動を抑えて再び寝転がると、ブランケットを頭まで被った。
（寝たふりしちゃいますもん）
　おかえりの言葉はなしでちょっと寂しい思いすればいいんです、と頬を膨らませる。
　中庭からは言葉まで聞き取れないが馬を労う声と鞍を外すかすかな金属音が聞こえてきた。寝ているであろうラヴィに気を使っているのがわかる控え目な音だ。
「……」
　やはり寝たふりなんてできなかった。
　少しでも早く大好きな冬の空に似た瞳で見つめて欲しいし、耳元で囁かれると少しくすぐったい甘いビターチョコみたいな声で「ラヴィただいま」って言ってもらいたい。
　ベッドから抜け出すと階段を軽やかに駆け下りていく。
　そして中庭へと続く扉を開き、庭へ飛び出した。
「おかえりなさいませ」
　弾む声。駆け寄って驚く彼の冷えた体を抱きしめる。

「ただいま、ラヴィ…」

　その一言で、今まで自分の中に溜まっていた寂しいのも苦しいのも全て全て消えてなくなってしまう。まるで魔法の言葉だ。

「はい、旦那様」
　ラヴィは飛び切りの笑顔を向けた。

━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
【整理番号　／　ＰＣ名　　　／　性別　／　年齢　／　職業】
【ia9738　　／　ラヴィ　　　／　女　　／　15　　／　巫女】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
この度は発注頂きまして本当にありがとうございます。桐崎ふみおです。

旦那様を思うラヴィさまの可愛らしさにホクホクしながら執筆させて頂きました。
申し訳ございません話の流れによりシチュエーションを多少変更させて頂いたので気になる場合は遠慮なく仰ってくださいませ。
これからもそっとお二人の幸せを覗き見てエネルギーを補充させて頂こうと思います。

イメージ、話し方、内容、糖度等気になる点がございましたらお気軽にリテイクを申し付け下さい。

それでは失礼させて頂きます（礼）。

不思議なノベル

桐崎ふみお

舵天照 -DTS-

2014年03月03日