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『日々を重ねる 』
ジョハル(ib9784)


 キッチンの明り取りの窓からはまだ明るい日差しが差し込んでいる。
 そろそろ夕食の食材を買い求める人々で市場が賑わう時間帯であろうか。準備にはまだ少し早い。だがジョハル(ib9784)は「暗くなる前に」と竈に火を入れた。火の爆ぜる音が聞こえ始めたと思えば、火種は瞬く間に大きな炎になる。
「あ…お父さん。何か作るの?私も手伝っていい?」
 娘の朧車 輪(ib7875)が可愛らしい足音を響かせやって来てジョハルに並ぶ。最近輪が料理を教えて欲しいというので一緒にキッチンに立つことが増えた。
 元々料理を作る事は嫌いではない。もっとも片方の目を失ってからあまり手の込んだ料理は作れなくなってしまったのだが。だからこうして娘と料理を作るのは楽しかった。
 娘とはいうが、彼女はジョハルの実子ではなく義理の娘である。
 両親を亡くし、たった一人で生きている輪の姿に、かけがえのない大切な者を失ってしまった自分と似たものを感じたのか気付けば親子になろう、と声をかけていたのだ。幸い彼女も打ち解けてくれて自分のことをごく自然に「お父さん」と呼び慕ってくれるようになった。それがとても嬉しかった。
「包丁の使い方とか調味料の量り方とか、前より上手にできるようになったよ」
 並んで野菜を洗っていると輪が少し得意そうにそう報告してくる。見下ろした顔はどこか期待に満ちた表情を浮かべていた。
「じゃあ、野菜を切るのをお願いしてもいいかな?」
 何となく言いたいことを察したジョハルの提案に、輪が笑顔を浮かべて大きく頷く。
「一人で大丈夫かい?」
「お父さんがやっているところちゃんと見てたから」
 洗った野菜を乗せた籠を差し出すと輪が「任せて」と胸を張る。

 材料を切るのは輪に任せ自分は煮込み料理に取り掛かる予定だったのだが、ついつい気になって後ろから覗き込んでしまう。
(そう添える手は猫の手……)
 子供を見守る親の心境とはこのようなものであろうか。心の中で輪に応援の言葉を送る。野菜を切る手つきはまだまだぎこちない。小さな声が上がれば、指でも切ったかと心配になってしまう。だが初めて料理を教えて欲しいと言ったきた頃に比べると慣れてきているのが分かる。
 後どれくらい娘のこうした姿を見ていられるだろう…その小さな背中を見ながら思う。
 輪と一緒に暮らし始めたのは、彼女に因縁のあるアヤカシが彼女を襲う可能性があるという話を聞いたから。せめても近くにいて彼女を守れるように…と。
(いいや…)
 静かに頭を振る。
 それは建前だ。本当は僅かばかりでも輪を、可愛い一人娘を独占したかっただけ。二人だけの時間を持ちたかったのだ。
 輪ももう年頃の娘である。好きな男も……そこまで考えてふと浮かんだ顔に知らず眉間に皺を寄せた。あの男のどこが良いんだ、とつい思ってしまう。いや輪が選んだのだから悪い男ではないのだろう。それに認めたくはないが好きな人と一緒にいるのが輪にとっても幸せだろうということも理解はしている。だが「信用ならん」と所謂世の娘を持つ父のような心境になってしまうのは仕方がないことであろう。
 どんなに素敵な人を連れてきても父親は反対するなどと笑い話のように言われているが、多分それは本当だろうと妙な確信を持って頷ける。いやそれにしてもあの相手は納得がいかないのだが…。
 包丁片手に真剣な面持ちで野菜に対峙する可愛い可愛い自分の娘。
(きっとすぐにお嫁に行ってしまうだろうな)
 具体的な話は出ていないというのに父の思いは遠くへと飛んで行く。自分は輪の花嫁姿を見る事ができるのだろうか、彼女を送り出してやることができるのだろうか…そっと包帯の巻かれた右手を見る。
 太陽が翳り暗くなってきた外、薄暗い室内で右手の輪郭がぼやけた。最近とみに視界が霞むようになってきている。
「お父さん、灯つけるね」
 輪が台所のランプに火を灯す。淡いオレンジの灯に浮かび上がる右手の陰影。
 故郷で起きた事件で負った火傷。そのためにジョハルは右目から永久に光を失った。そして今残った左目も光を失いつつある。
(来年も一緒に見に行こう…と輪は言っていたな)
 風花が舞い散る中でみた梅を。その時、「あの人も一緒に」とも娘は言っていたがそこは敢えて意識の外に追いやった。
(やはり無理かもしれないよ…)
 でもあの時の風景は心の中に残っているから、と娘の背に告げる。近い内にジョハルの世界は暗闇に閉ざされる。
 自身の大切な者を失ってまで生き延びた自分……。その命の使い道としてせめても、と思い開拓者となってはみたが果たして後どれほど続けられるだろうか。
 そして赤く焼け爛れた皮膚や肉は完治することなくジョハルの体を蝕み時間すらも奪っていこうとする。少しずつ、だが確実にジョハルの時間は削られていく。己の体が、命が後いかほどか、医師である自分はすでに把握していた。決して長くないことを。
 迫り来る闇に、死に対する恐怖はない。ただそれがやってくるのを、静かに待つだけだ。
 すぐにではないが人の一生の長さを考えれば間もなくといって良い未来、確実に訪れる別離について娘には既に伝えてある。
 自分が死んでしまえば輪は父を二度失うことになる。だからその短い時間を娘と静かに穏やかに暮らしたい、そう願って止まない。
 大鍋に鶏肉や豆、香辛料を入れて煮込み始める。ふつふつと煮立ち始めたのを確認して輪の様子を確認した。
「輪。危ないよ」
 輪が包丁を持ったままジョハルを向いて止まっている。彼女はのんびり屋だった。家事の合間にもよくぼんやりとしている。
(何を考えてるのかな…)
 娘の瞳には何が映っているのだろう。目の前にいる自分だろうか、それとも別の…。
 輪、ともう一度呼ぶとはっと顔を上げた。
(何も考えてないのかな…)
 その様子に苦笑を零す。
「あ…うん、炒め物もやっていい?」
「野菜が上手に切れたらね」
 わかった、と元気な声が返ってくる。
「輪、添える手は?」
「「猫の手」」
 互いに手を招き猫のように丸めて見せ合う。

「どうかな?」
「……む」
 顎に指を当てわざとらしく難しい顔をして差し出された皿を覗き込む。皿の上に乗せられた野菜もキノコも今までで一番綺麗に切れている。
「合格」
 ぽふっと頭の上に手を置いた。輪が早速鍋を用意始める。
「油の扱いには気をつけるんだよ」
「うん、大丈夫。火傷しないように気をつける」
 美味しいのを作るからね、と向けられた笑顔は自信がありそうだ。やはり野菜を綺麗に切れたことが影響しているのだろうか。
 熱した浅めの鍋に油を敷きみじん切りにした玉葱を炒める手つきもなかなか堂に入っている。
「大匙一杯、大匙一杯…」
 呪文のように繰り返す声が聞こえる。輪が酒の軽量中だった。瓶から流れる酒を見つめる双眸はとても真剣だ。一度勢い良く酒の瓶を傾けすぎて匙から溢れてしまったことがあるので、とても慎重にちょろちょろと酒を注いでいく。力が入りすぎて強張った肩に釣られてジョハルも息を止める。
 計量は無事成功。酒を満遍なく鍋にふりかけた輪が満足そうに頷いている。ジョハルの肩の力も抜けた。
「あ…トマト……」
 輪が二人で作った裏ごしトマトの瓶を取りに棚に向かっていく。手順も材料もちゃんと覚えているようであった。これなら大丈夫そうだ、とジョハルも煮込みの鍋に向きなおす。

 不意に鼻先を掠める焦げ臭さ。驚いて鍋の中を確認するが違う。煮込みはくつくつと音を立てて順調だ。となれば残りは……。
 輪は瓶と格闘中であった。
「鍋、鍋っ」
「え…?! わ、わわ…!」
 慌てた輪が咄嗟に鍋を掻き混ぜるための箸に手を伸ばす。慌てすぎたのだろう瓶を置く事を忘れていた。手から離れた瓶は床に……ぶつかる前にジョハルの救出が無事間に合った。
「気をつけるんだよ」
「ありがとう、お父さん」
 蓋を開けた瓶を台の上に置いてやる。輪は鍋の底に張り付いた焦げを箸で剥がそうと一生懸命だ。
「ちょっと焦がしちゃった…」
 上げた顔が八の字眉の少し情けない顔になっている。
「大丈夫、鍋は水に浸けて置けば綺麗になるよ。まずは完成させよう?」
 それに今無理矢理剥がしたら折角の野菜炒めと混ざってしまうよ、と言えばまだ焦げが気になるようだが一応納得してくれたようだ。


 鶏肉と豆の煮込み、ほうれん草とキノコの炒め物、スープに温めたパン、出来上がった料理がテーブルに並ぶ。二人向かい合わせに座ると「いただきます」と手を合わせた。
「やっぱり焦げてるとこ少し入ってる」
 炒め物の皿を見つめて肩を落とす輪。彼女が気にするほど見た目は悪くない。初めて作ったのだから、少しくらいの焦げなんて寧ろ愛嬌だ。いやちゃんと食卓に上る料理を作れたのだからたいしたものだ、とも思う。本当に最初の調味料を計ることすら危なっかしかった輪からすれば大進歩である。
 先程酒を計量した時の真剣な表情と、最初の頃「大匙一杯」の砂糖を「大匙いっぱい」と勘違いして山盛り鍋に入れた時の事を思い出し、込みみあがる笑いを抑えきれず肩を揺らす。
「…やっぱり焦げてるのだめ、だよね」
 その笑みを勘違いして、椅子の上に縮こまった輪に慌てて「違うよ」と訂正を入れる。そして大匙の話を思い出したんだ、とも。
「調味料の量り方はもうできるよ。今日だってちゃんと出来た…し」
 輪の顔が真っ赤なのは恥ずかしいからか怒っているからか。年頃の娘の気持ちは難しいよね、などと世間一般の父のようなことを思う。
「それに野菜を切るのもね」
 とても上手くなった、と言えば嬉しそうに笑う。
「じゃあ輪の作った料理を頂こうかな」
 輪が膝の上に両手を置いて、背筋をピンと伸ばし妙に畏まった姿勢をとった。まるで試験の答案を返される子供のようだ。
 ジョハルをじっと見つめる二つの丸くて赤い目。その眼差しの強さにジョハルの方が緊張しそうになる。
 野菜とキノコにソースを絡めて一口。
「味は悪くないよ」
「ほんと?!」
 輪が身を乗り出しかけて慌てて席に着きなおす。
「うん、調味料が焦げてしまっただけだよ。火加減は難しいよね」
 また頑張ればいいよ、と頭を撫でると曇っていた表情がぱっと明るくなる。
 輪の作る料理はアル=カマル風が多い、それはアル=カマル出身のジョハルが教えるのだから当然だ。初めて料理を教えて欲しいと輪に言われたときも「天儀の料理はあまり知らないから、アル=カマル料理でもいいなら」と言った覚えがある。
 炒め物をもう一口。ひとえにアル=カマル料理と言っても、それぞれ家庭ごとの味がある。輪が作るのは当たり前だがジョハルの味に似ていた。

「また頑張ればいいよ」

 先ほどの言葉が浮かぶ。『また』…これからも輪は自分が教えた料理を作っていくのだろう。

(……俺が教えた料理を輪が覚えて、そしてこれから先も作っていく)
 それはなんだかとても不思議なことに思えた。
 自分が何かを残していくことが不思議なのか、自分が消えても存在していた証拠のようなものが残るのが不思議なのか、それともまた別の不思議なのか……。ともかくこう漠然と不思議な気持ちになった。
 自分が死んでも、自分が彼女の傍にいることができなくなっても自分が教えた料理は彼女の中に残り作られていく……。
(本当に不思議だ…な)
 漸く食べ始めた輪に「ね、炒め物美味しいだろう」と笑いかける。
「うん、でもこの前お父さんが作ってくれた方が美味しいな。私もお父さんみたいに美味しく作れるようになるかな?」
「この調子ならすぐに俺の腕を追い抜くよ」
「本当?」
 輪がはしゃぐ。

「あのね今度作りたいものがあるの」
 食後のお茶の時間輪が切り出した。
「なにを作りたいの?」
 お菓子、という返事に女の子は甘いものが好きだね、と笑う。
「クッキーはこないだ上手にできたから、次はケーキ作りたいなあ」
 両手を顔の前で合わせて輪はジョハルを見上げる。反応をみているようでもあった。
「お父さん、ケーキ作れる?」
「……ケーキ?」
 作れるけど、と言葉を濁すジョハル。
「私にはまだ早い?」
 心配そうな輪に首を振る。
「飾りつけは上手に出来ないよ。それでもいいかな?」
「うん。なら教えてもらってもいい?」
 続く言葉に輪がほっとしたように胸を撫で下ろす。
「ああ、今度一緒に作ろう。美味しいケーキをね」
「約束だよ」
 ぐいっと体を伸ばして顔を覗きこまれた。
「約束するよ。でもケーキは計量が大変だから、輪には難しいかもね」
 少し意地悪を言ってみせれば……。
「飾りつけは私がやるね。だって女の子だから」
 お父さんよりそういうのは得意、とやり返された。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 / PC名  / 性別 / 年齢 / 職業】
【ib7875  / 朧車 輪 / 女  / 13  / 砂迅騎】
【ib9784  / ジョハル / 男  / 25  / 砂迅騎】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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この度は発注頂きましてありがとうございます。桐崎ふみおです。

親子のお料理教室いかがだったでしょうか?
ジョハルさんのお父さんぶりが素敵でした。やはり娘はそう簡単に嫁にやれませんよね。
これからやってくる未来のことを思うと少し切ない方向になってしまったような気がいたします。
イメージ、話し方、内容等気になる点がございましたらお気軽にリテイクを申し付け下さい。

それでは失礼させて頂きます(礼)。
不思議なノベル -
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舵天照 -DTS-
2014年03月27日

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