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『吸血鬼を捕縛せよ 』
セレシュ・ウィーラー8538)&(登場しない)



「うー。さむさむ。天気予報に騙されたわ。どこが初夏並みの暖かさやねん!」
 深夜の××市郊外。セレシュ・ウィーラーは震えていた。薄手のコートだけを羽織って颯爽と家を出たものの、時間が経つにつれ寒さが身に染みる。近くにコンビニはない。
 こんな時は自動販売機を探すのが正しい。セレシュは無事ホットコーヒーを買うと、嬉しそうにそれを飲みつつ、坂道を下りていた。
 午前二時半。長い坂道の両脇には林、坂道を下った先にあるのは遊具の少ない寂れた公園である。
 深夜に人気のない道を、見た目年齢十五歳の少女が独りで歩いている。これがどのような意味を持つのか、セレシュは勿論理解している。
 ――後ろで物音がした。
 セレシュが振り返ると十代の少女がいた。黒髪に黒い瞳、細身の身体。容姿は普通の少女だった。だが猫の目のように瞳孔を大きく開き、歯を見せて笑う姿は尋常でなかった。
「………………!」
 セレシュは持っていた空き缶を落とすと、両手を口に当てて後ずさった。
「大声を出さないなんてイイ子ね。可愛がってあげる……」
 セレシュは逃げた。転がるように坂を下り、公園まで走ったが、相手の方が速かった。
 宙に浮いた少女はセレシュの前に回りこむと、舌舐めずりをして嬉しそうに笑っていた。
「鬼ごっこは終わり。逃げられないわよ」
「せやな。逃がさへんわ、吸血鬼のお嬢ちゃん」
 セレシュは宙に浮いた少女――吸血鬼を上目遣いに見ていた。ニマニマと悪戯っ子のような笑いを堪えつつ、だ。そこに怯えた少女の面影はなかった。
 異変に気付いた吸血鬼は身を翻して逃走を図ったが、どうしても公園から出ることが出来ない。
 最初からセレシュの罠だったのだ。IO2から吸血鬼捕縛の依頼を受けたセレシュは、自ら囮となって結界を張った公園にターゲットを誘い出したという訳だ。
「IO2の調査じゃここ一月、週に二回のペースで襲っとる。それも少年少女ばかりや。ターゲット層が明確で、証拠もざっくざく。自分、目立ち過ぎやで。捕まえてくれ言うてるもんや」
「…………ふん」
「おとなしゅう、お縄につくことや。もうここから出られへん」
「イヤよ。逃げてみせるわ」
「出られへんよ。うちの結界は破れへん」
「アナタが生きているうちは……でしょ?」
 吸血鬼は哄笑した。黒かった髪は紅く色を変え、瞳は火のように燃える色をしていた。唇の端から牙が見えていた。彼女が喋る度に、ニイ、ニイと牙が動き、それだけで独立した動物のように思えた。
「私が人間を襲うのは血が欲しいからじゃない。愉しいからよ。人間が恐怖して、苦痛に歪んでいくのを、ただただ見たい…………。だから、アナタでも……!」
 言い終わらない内に、吸血鬼の牙がセレシュを襲った。
 ギリギリのところでセレシュは身を反らせると、ため息交じりに呟いた。
「……アホらし」

 IO2の情報通り、この吸血鬼は霧化する能力を持っていた。霧相手では剣でも魔法でも捕縛に必要なダメージを与えることが出来ない。
「きゃはははは! そうそう! もっと抵抗してよ!」
 ビウ、ビウ、と風を鳴らす吸血鬼。実体がなければ無敵である。
(……けど、常に霧のままって訳にもいかんようやな)
 適度に応戦するフリをしながら、頭の中で考えを巡らすセレシュ。攻撃する瞬間に吸血鬼は実体化するようである。霧化したままでは吸血も出来ないからだろう。
(となれば……ま、アレしかないわな)
 吸血鬼がセレシュに襲いかかる。長い爪がセレシュの脇腹を掠め、コートの裾を引き裂いた。
「…………ッ」
「動きが鈍くなってきたんじゃない?! なぶり殺しにしてあげるわよ! 最後の血の一滴まで舐めつくして……」
「ちゃうちゃう。もう終わりや」
 セレシュはゆっくりとかぶりを振った。指先が黄金色に光っていた。
「は?! ここからが……きゃあああああ!」
 吸血鬼は前のめりになって転んだ。あたふたしながら起き上り、立ち上がろうとした。
 が、動きを止めた。膝を伸ばすことが出来ないのだ。吸血鬼は土の上で膝をついたまま、それ以上立つための動作を行うことが出来なかった。
「どうしてよ! どこかに怪我を……」
 自身の足に手を伸ばし――、吸血鬼は悲鳴を上げた。
 足が硬く冷たかったからだ。指を押し返さず、弾力のない、ツルリと滑る肌をしていた。
 否、もうそれは肌ではなかった。石だった。
「石化魔法……!」
「ま、そういうこっちゃ。諦めて、心の中でもいいからごめんなさいしとき」
 裂けてしまったコートの裾をポンポンと叩きつつ、セレシュは淡々と言った。
 反して、吸血鬼は悪意に満ちた形相でセレシュを見上げた。体勢だけで言えば、吸血鬼はセレシュに向かって土下座をしているように見えた。だが瞳は憤怒に満ち、瞳孔は紅く開ききっていた。唇の端から出ている牙が震えていた。ギリギリ、ギリギリと歯ぎしりの音が響いていた。
「……殺してやる! 絶対に!」
「キサマの血を飲み尽くして! 臓物を貪って! 胸骨を踏み砕いて! 蛆が涌くまでの間、キサマの死体を玩具にしてやる!」
「私にこのような屈辱を与えたことを、あの世まで懺悔させてやるから!」
「――口達者やなあ、自分。昔ある人が言うてたで。山より高いプライドは持つだけ損やて」
「煩い! 足が石になるくらい何よ……私は飛べるんだから……!」
 吸血鬼は飛んだ。
 否、飛ぼうとした。
 一瞬だけ膝が地面から僅かに浮いたが、すぐに土の上に落下した。吸血鬼は土の上を転がり、体勢を戻すのに時間を要した。
 前日の雨のせいで湿っていた土が、吸血鬼の膝にくっついていた。それを払うプライドが吸血鬼には残っていなかった。
 水気を含んだ土の匂いをさせながら、それでも、吸血鬼は飛ぼうとしていた。
 だが今度は宙に浮くことさえ出来なかった。膝を立てて、祈りのような体勢のまま、吸血鬼は呆然とそこにいるだけだった。
「身体が重うて飛べへんよ。無理に飛ぼうとしても落ちるだけや」
「そんなことない! 私は飛べるのよ!」
「気持ちだけで飛べたら世話ないわ。イカロスがどうなったか知っとるやろ」
「…………」
「それから、これ以上暴れるとヒビが入って折れるで。……自分の足、細くて脆そうやわ」
 ビクン。吸血鬼が肩を大きく震わせた。そして、もう一度、セレシュを見上げた。
 瞳の奥で恐怖心が息をしていた。
 ――……………………パキパキ。
 不揃いな音を立てて。吸血鬼の太ももが石に変わっていた。

 ピシピシ……パキパキパキ!
 石化したスカートが砕けて地面に散らばった。
 瞬間、吸血鬼の悲鳴が広がった。
「先言うとくけど、霧化したら自分終わるで。身体がバラバラに砕けてどうにもならへんよ」
 怯える吸血鬼と対照的に、セレシュの声が冷静に響く。
「アナタ一体何者なの……?!」
「敵に正体教えるアホはおらん」
「…………何よ……何よぉ……」
 震える身体を抑え、吸血鬼はセレシュの魔法に抗っていた。しかし暴れる足も勇気もなく、怖々と、そっと手を動かしているだけだった。それはとても奇妙なダンスのようだった。
 パキパキ、パキリ!
 石化は進んでいく。太ももを通り過ぎて股関節が固まり、腰が石になり、ヘソの窪みもただ彫刻刀で削られたような飾りに変わった。脇腹も灰色のくすんだ色になり、腕も石になった。
 上半身の重みに耐えられず、吸血鬼は地面に転がった。湿った土は無遠慮に彼女の石となった身体にまとわりついた。プライドの塊であった吸血鬼は、土まみれのただの石像のナリカケでしかなかった。
「イヤ……助けて……」
 弱々しい声だった。か細く、震えている。
「うちかて、好きでやっとる訳やない。けど、自分の被害者かて同じような助けを求めたこともあったやろ。因果応報やで」
 服は完全に石化していた。薄い石となった服は、土の上で小刻みに震える胸に摩擦されて砕けていった。胸も石化した。
 パキパキ、パキリ!
 首も石化して、吸血鬼は唇と牙を震わせていた。動かせる所がもうそこしかなかった。肩も、手も、背中も、お尻も、足も。恐怖に震わせることすら出来ない、硬く冷たい静物と化していたからだ。
 ごく僅かに開いた唇は、血のように紅く、小さく柔らかな花びらのようだった。その二枚の花びらも、ゆっくりと色を失い、柔らかさを奪われ、くすんだ石になった。
 その最中、吸血鬼は悲鳴を上げようとしていた。だが声が出なかった。声帯はとうに石化していたからだ。
 パキパキパキパキパキ……。

 ひっそりと寂れた公園にいるのは、セレシュと、地面に転がっている石像である。
「さて、と」
 セレシュは石像の前で屈みこんだ。後は封印をすれば任務完了である。
(万が一石化しきってなかったら、大変やからな)
 コンコンと石像の丈夫な所を叩く。
 それから石像を触った。石化されているかどうかの確認である。
 吸血鬼の足の指から順に上へ撫でる。細い足首はセレシュの忠告通り脆そうだった。セレシュの指を押し返すような生々しい弾力はなく。ただツルツルした、冷えた塊である。
 少し前まで、吸血鬼の肌だった。そこを、セレシュの指先がなめらかに滑っていく。
 胸の谷間は細い小川のようだったが、滔々と流れる水がない。その小川を上って行くと、そっと突き出た鎖骨に出くわした。勿論それも石化している。そしてツンと盛り上がっているだけの塊でしかない胸……。灰色の牙を、セレシュはコツコツと指で弾いた。
 硬く、冷たく、体臭もない。ただ土の匂いがする。
「ま、これはサービスや」
 セレシュは吸血鬼にまとわりつく土を払ってやった。
 それから魔力を指に込めて、封印の模様を石像に印した。
「よっこらせっと。撤収、撤収! ……あ。途中でうちが捨てた空き缶、拾わないかん。ゴミはゴミ箱や」
 セレシュは石像を担ぐと、家路を急ぐのだった。



終。


PCシチュエーションノベル(シングル) -
佐野麻雪 クリエイターズルームへ
東京怪談
2014年04月03日

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