『桜の牢獄 』

青霧・ノゾミ（8553）＆伊武木・リョウ（8411）＆（登場しない）

　引き裂かれ、叩き潰された人体が、大量にぶちまけられている。
　ちぎれた白衣をこびりつかせた、肉の残骸。
　某県の山間地。とある製薬会社の研究施設、その一角である。
　これだけ大勢の人間が死んでも警察沙汰にはならず、内々で処理されてしまうような場所だ。
「な……何でえ、こんなモンかよ人間ってのぁよお……」
　殺戮の光景の真っただ中で、その怪物は言葉を発した。言語中枢は、辛うじて機能しているようだ。
「よよよ弱っちぃークセに、でけえツラしやがって……ゆゆゆゆ許せねえなあ、皆殺しにするっきゃねーなァアアアア！」
　何時間か前までは、人間の姿をしていた。
　だが今や、ヒトの体型を保てず、全身から凶器を生やしている。
　ノコギリのような牙を備えた、触手。
　無数のそれらが、絶叫に合わせて凶暴に蠢き、痙攣する。
「殺す、どいつもコイツもブッチ殺す！　何故？　俺が強ぇえからだ！　強え奴は何やってもいい、自由なんだよォおー！」
「リョウ先生が言ってた……自由は、残酷だって」
　声がした。透明感のある、少年の声。
　霧が、出始めていた。
　死屍累々と言うべき凄惨な光景が、うっすらと白く冷たく霞んでゆく。
「何やってもいいって事は、何やっても守ってもらえないって事……リョウ先生が、そう言ってた」
　霧の中で２つ、小さな青い光が点った。
　眼光だった。
　ほっそりとした人影が、いつの間にか、そこに佇んでいる。
「何だぁ？　てめえ……」
　怪物が、そちらへ声を投げた。
「俺に偉そうなクチきいた奴がどうなんのか、周り見てわかんねーのかオイ」
「Ｂ６研究室の連中だね」
　ぶちまけられた人体の残骸を、青い両眼がちらりと見回す。
「自分たちが何を作ってるのか、全然理解してない馬鹿な奴ら……リョウ先生が、そう言ってた」
　言葉と共に、霧の中からユラリと姿を現したのは、１人の少年である。
　小粋に襟の開いた白いシャツ、黒のジャケット。すらりと伸びた両脚を包む、同じく黒色のパンツ。白く秀麗な顔と、黒い髪。
　白と黒の色合わせの中にあって、両の瞳だけが鮮やかに青い。
　その眼光が、じっと怪物に向けられている。
「あなたは失敗作……だから処分しろって、リョウ先生が言ってた」
「そうか……てめえだな？　Ａ７研の秘蔵っ子ってのぁ」
　怪物が、ニタリと牙を剥いた。
「あそこの腐れ変態ドクターが大事に大事に可愛がってる、お人形ちゃんがよォ。最近、妙にでけえ面してんらしーじゃねえか」
「それ……って、悪口？」
　少年の青い瞳が、静かに燃え上がった。
　赤い炎よりも高温の、青い炎の煌めきだった。
「あなた今……リョウ先生の悪口、言った？　言ったよね……」
「あァん？　お人形しか相手に出来ねえ、夢見がちな童貞オヤジがどーしたってええ！？」
　罵声と共に、怪物は少年に襲いかかった。
　牙を生やした触手の群れが、一斉に凶暴に蠢き伸びる。少年に向かってだ。
「俺が遊んでやるぜぇお人形ちゃんよオ！　生きたまんま皮ァ剥がして手足ちょん切ってハラワタぐっちゅぐっちゅ」
　世迷い言が、そこで止まった。
　怪物が、硬直していた。
　その異形の全身も、少年に向かって伸びかけた触手の群れも、凍り付いたように動きを止めてしまっている。
　本当に、凍結していた。
　周囲に満ちた霧の粒子が、凝集して水滴となり、冷え固まって氷の粒となり、全方向から怪物を襲ったのだ。
　鋭利な、氷の針であった。
　無数のそれらが、怪物の全身に突き刺さっている。
　異形の肉体が、内外から強烈に冷却されてゆく。
　怪物は、完全に凍り付いていた。おぞましい氷像と化していた。
　その氷像がビキビキッ……とひび割れ、砕け散る。
　真っ白に凍結した肉片が、キラキラと散った。
「どんなに醜くて汚らしいバケモノも、こうやって綺麗に死なせてやれる……」
　白い破片が美しく飛散する様を、じっと見つめながら、少年は呟いた。
「それがボクの力……リョウ先生が、そう言ってた」


　先日まで、満開のピンク色が視界を満たしていた。
　その中で今は、緑色がいささか目立ち始めている。
　桜は、咲くものと言うより散るものだ、と伊武木リョウは毎年思う。
　はらはらと花びらが舞う様は、桜吹雪というほどのものではない。
「桜粉雪……かな？　ね、リョウ先生」
　その桜粉雪の中、両腕を広げて軽やかに身を翻しながら、青霧ノゾミは微笑んだ。
　この少年は、今回も良い仕事をしてくれた。Ｂ６研究室が作り上げ、暴走させてしまった怪物を、見事に片付けてくれたのだ。
「御苦労さん、だったなノゾミ」
「全然。苦労なんか、する暇もなく終わっちゃったよー」
　少年の黒髪に、桜の花びらが何枚も付着している。
「Ｂ６研の連中なんかに、ボクと戦えるような奴を作れるわけがないって、リョウ先生が言ってたじゃんか」
「そう……君を超えるホムンクルスを作る事なんて、誰にも出来はしないさ」
　伊武木はノゾミの頭を撫で、花びらを払い落としてやった。そうしながら、心の中で付け加える。
（……俺以外には、ね）
　研究施設の一角に植えられた、桜並木。
　満開の時期を過ぎてしまった状態を、伊武木は見上げた。
「今年は、お花見……出来なかったな」
「忙しかったからね、リョウ先生もボクも」
　ノゾミが言った。
「お花見は来年やろうよ。桜は毎年、咲くんだからさ……人は年を取るけど、桜は変わらない。これもリョウ先生が言ってた事だよ」
「そうだな。人は、年を取る……」
　青霧ノゾミを、１６歳まで生存させる事が出来た。
　試験管の中で数分の寿命を終えた初期のホムンクルスたちを思えば、技術は格段に進歩したと言えるだろう。
　だが、この先どうなるかはわからない。１６歳の少年が、順調に２０代の青年へと成長してゆくのか。そして自分のように、やがて老いてゆくのか。
「なあノゾミ。俺……年、取ったと思うかい？」
「んー、と。リョウ先生って今、いくつだっけ。４０？　４１？」
「……３８だよ。どうあがいても、すぐに４０だけどね」
　伊武木は苦笑した。
　実年齢よりも若く見られる事は、確かに多い。２０代と思われる時もある。
　自分が、しかし確実に、若くはなくなってきているという事を、伊武木自身は日々、自覚していた。
　研究職という仕事は、老人になっても続けられるものではない。人間とは、老いと共に、体力のみならず頭脳や人格まで劣化してゆくものなのだ。
　この施設の所長や、その取り巻きである古参科学者たちを見ても、それは明らかである。
　あの愚かな老人たちのようになる前に、完璧なホムンクルス技術を、自分たちが確立させなければならないのだ。
　伊武木が、１人で出来る事ではない。同じ世代の研究者たちと、力を合わせる必要がある。
　研究成果を独り占めしておく事は、許されないのだ。
「３０歳でも４０歳でも、リョウ先生はリョウ先生さ」
　ノゾミが、にっこりと微笑んだ。穢れを知らぬ、天使の微笑。
「来年は絶対、お花見しよう？　リョウ先生と、ボクと……それに、あいつも呼んでさ」
　その笑顔が一瞬、翳りを帯びたのを、伊武木は見逃さなかった。
「……あの子はもう、Ａ２研究室へ行ってしまったんだ。俺の手を離れてしまったんだよ。呼べるわけ、ないだろう？」
「関係ないよ、そんなの！」
　ノゾミが、泣きそうな声を発した。
「ボクが、あいつを連れ戻す！　Ａ２研の奴ら、皆殺しにして」
「落ち着け、ノゾミ……そんな事をしたら、同じになってしまうぞ？　昨日、君が片付けたバケモノと」
　Ｂ６研究室の者たちは、本当に愚かであったとしか言いようがない。
　彼らはホムンクルスを、単なる生物兵器としか認識していなかった。だから、あのような怪物を作り上げてしまったのだ。
　そして殺された。自業自得である。
　生命を作り出す。それが一体どういう事であるのか、あの者たちは全く理解していなかったのだ。
　ホムンクルスは兵器ではない。生命なのである。純粋無垢にして、究極至高の生命。
　この青霧ノゾミという少年は、その理想に、かなり近いところまで達してくれた。
　霧と氷を操る能力は、彼の持つ特性の、ほんの一部に過ぎない。もっと計り知れない可能性を、この少年は秘めている。
　伊武木リョウの、２番目の傑作と言えるだろう。
「あいつが、いなくなってから……リョウ先生、元気なくなった」
　俯き加減に、ノゾミが言う。
「あいつも、それにＡ２研の奴らも、許せない……リョウ先生に、寂しい思いさせて」
「俺は、寂しくなんかないよ」
　俯く少年の顔を覗き込むように、伊武木は微笑みかけた。
「ノゾミが、いてくれるんだから……ね？」
「リョウ先生……」
　伊武木の最高傑作と言うべきホムンクルスは今、Ａ２研究室にいる。
　優れた研究成果は、開発者と言えども独占する事は許されない。研究者全員の、共有財産でなければならないのだ。
　あの少年は今、Ａ２研究室の主任と一緒に、本当に幸せそうにしている。
　それを見る度に伊武木が味わう思いを、自分はノゾミに、させてしまっている。
　頭でわかっていても、どうにか出来る事ではなかった。
（Ｂ６研の連中は……もしかしたら、正しかったのかも知れないな……）
　ふと伊武木は、そんな事を思った。
　あの者たちはホムンクルスに、心など持たせようとはしなかった。
　彼らが作り上げた怪物は、ひたすら自由だった。自由に振る舞った挙げ句、ノゾミによって処分され、死んだ。苦痛は、一瞬であったろう。
「……ボク、リョウ先生のために何でもするよ。頑張るよ。ああゆうバケモノ、いくらでもやっつけるよ」
　ノゾミは桜を見上げた。そうする事で、伊武木から目を逸らせた。
「そうすればリョウ先生、ここでもっと偉くなれるよね？　あいつをＡ２研から取り戻す事だって……出来るよね……」
「ノゾミ……」
　自分もノゾミも、あの怪物と比べて全く自由ではない、と伊武木は思った。
　心というものに、どうしようもなく束縛されている。

PCシチュエーションノベル（ツイン）

小湊拓也

東京怪談

2014年04月07日