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『夜桜一献 』
セレシュ・ウィーラー8538)&ふじひめ(NPC5051)

 月の明るい春の夜だった。空気は寒すぎず熱すぎず、風も凪いでいて、思わず散歩をしたくなる夜だ。月に誘われるようにして深夜の街並みをふらりと歩く金髪の女性は、足取りも軽く、薄闇の中を楽しげに歩いていく。
 ちゃぷんと、その腕の中で水音が聞こえた。
 淡く滲む月明りの下にするり、と影が差し、女性――セレシュは顔を上げた。
「こんばんは、ええ月明りやな」
 笑いかければ、視線の先。月明りの下を泳ぐようにすい、と人影が踊る。藤色の鮮やかな女物の着物が熱帯魚の鰭のように舞った。
<良い夜ね。そして良い匂いがするわ、お前>
 笑み含んだ楽しげな声は、空気を震わせる類のものではなかった。しかしその声を聞くことの可能なセレシュにしてみれば、夜の散歩中に知人に出会った以上のものではない。
「鼻の利く神さんやねぇ、神社で渡そうかと思うてたんやけど。良い酒が入ったんや」
 告げながら腕の中の酒瓶を示す。
「いわゆる生原酒っつーやつや。蔵から出てきたばかりやさかい、早う飲まんと味が落ちてまうで?」
<あーら。それはそれは、急いで飲まないと酒神様にも失礼にあたるわねぇ>
 舌なめずりをしそうな声は空の上でふわふわと笑う。その顔は月の逆光になって見えないが、恐らく猫のように笑っているに違いない、そういう声だ。つられるように笑みを浮かべてセレシュは宙を泳ぐ女を見上げる。
「今から神社に行くさかい、肴でもあれば用意してて待っててくれると助かるで、ふじひめ」
 名を呼べば、この町の守り神を称する気紛れな女神はふぅわりと一度宙返りをして見せた。黒髪を艶やかに煌めかせ、応えて曰く、
<うちの見習い巫女にでも用意させましょう。すぐに来ないと酷い目に遭うわよ?>
「祟るのは勘弁な」
<わたくしは祟り神ですもの>
 言いたいだけ言い捨てて、その姿がふっと途切れる。鈴を転がすような笑い声ばかりが、夜の空気に微かに残っていた。苦笑してそれを見送り、セレシュは息をつく。
 一人酒も詰まらないと歩いていたのだが、思いもよらぬ酒の席になりそうではあった。



 セレシュが向かった先は先程見かけた気紛れな女神――ふじひめが根城にしている神社であった。町の中央、少し石段を上った場所にあるそこは、元々桜のご神木を祀っていた神社と言うだけのことはあって、既に葉混じりになっているものの桜が多く並んでいる。その奥には藤棚もあった。神社の本殿の裏手、かつて「鎮守の杜」だった場所には、今でも静かに、ご神木の老齢の藤が祀られているのだ。
 藤棚の下、まだ綻ぶ気配も見られぬ藤を見上げて、一人の女がそこに寝そべっている女を見て取り、その隣にセレシュは腰を下ろすことにする。が、すぐに違和感を覚えて彼女は眉根を寄せた。
 セレシュは元来、神域を守護する存在である。この神社は彼女の守護すべき対象と言う訳ではないが、それでも穢れや、それに類する現象に対して鋭敏だ。
「ふじひめ? 何か変な空気がするんやけど」
 問えば、神域の主のうちの一柱である女神は面白くもなさそうに鼻を鳴らしながら、袂を探っておもむろに、一枚の硬貨を取り出した。何の変哲もない十円玉、それ以外の何物にも見えないだろう――セレシュのように鋭敏な性質でもなければ。
<うちの見習い巫女がこれのせいで寝込む羽目になっていてね。折角良いお酒があるのだから肴を用意させようと思ったのに>
「…何なん? それ」
<人間の戯れよ。それも子供の、性質の悪い遊びだわ>
 いつから流行っているのかしら、こんなもの。
<コックリさん、と言ったかしらね。あの遊び>
「あー。今でもやっとる子、居るんやなぁ」
<定期的に居るみたいねぇ。おまけに子供は感受性が強いから、変なものを引き寄せてしまうし、…加えて言えば、これは悪意を持って行われたモノなのでしょうね。ふふ>
「笑いごととちゃうやろ」
<あら失礼、久々に気合の入った呪物を見たものだから。少し前にもあったわねぇ、ウチの境内で牛の刻参りをやらかした猛者が>
「酒の肴程度に聞いとくけど、どうなったん、その犯人は」
<ふふふ。他者を恨み、祟るということがどういうことか、きっちりと教えて差し上げたわよ?>
 そりゃえげつない、とセレシュは手酌で注いだ酒を口にしながら苦笑いをする。眼前でふわふわと浮かび、楽しげに笑いながら酒を飲む女は、女神と言っても祟り神の類だ。祟り神の呪いは、それは恐ろしかろう。
 しかしすぐに、恐ろしげな笑みを浮かべていた女神はふぅ、と細い息を吐きだした。それが良い感情ではないらしいことは、すぐに知れた。町の守り神である彼女の感情は、漣のように町の空気を揺らす。生ぬるい風は心地よいとは言い難いものであった。
「なぁ、その十円玉、どないするん?」
<…面白くも無いわね。何処に捨てても害を成すばかりだもの、わたくしならともかく、兄様には毒でしかない>
「自分の滋養にすりゃええやないの。酒の肴にでも食べてまえば?」
 冗談半分、セレシュは笑い告げるが、女神は面白くもなさそうに頬杖をついて猪口を傾ける。一息に杯を乾した彼女は十円玉を指で弾いて器用に投げ上げた。月明りの中、赤銅の色はどこか陰りを帯びて、ぬるりと光っている。
<お前、食べてみる、セレシュ?>
 次いで告げられた口調は揶揄とも、冗談とも取れない陰鬱そうなものであった。セレシュは顔を顰め、杯から口を放す。酒の味が落ちた訳ではない、放たれた言葉が嫌な内容だっただけだ。
「冗談にしても笑えへんな」
<では逆に。お前、これが浄化出来て?>
「ウチは『追い払う』が基本やからなぁ」
 魔除けそのものである彼女は、魔や邪に属するものを祓ったり、動きを鈍くしたりすることはそこに居るだけで可能なのだが、「浄化」となるとやや方向性が異なる。
「道具を使えば出来ひんこともあらへんけど」
<そういうものなの。確かに、ウチの狛犬達も、出来るのは『追い払う』ことが主ですものね。浄化が出来るのはウチの見習い巫女みたいな特殊な人間か、神だけということかしら>
「あるいは、そうやねぇ」
 セレシュは生憎と酒には酔わない。体質上、アルコールの類が効かない彼女は酩酊を知らないのだ。しかし、今日のような夜はそれでもふわりと、理性が緩むことがあるから、これはきっと夜に酔っているのだろう。
「ウチな、一応、まだ神域の守護者としての能力はあるんよ。試したことあらへんけど、…神域の主と一時的にでも契約するくらいは出来ると思うで。それやれば、一気に浄化できるんとちゃうやろか」
<あら、そうなの。…ちなみに、仮契約をすると、何かメリットがあるのかしら>
「そやなぁ、一時的なもんやけど、能力の底上げとかやろか。今はウチ、主が居らへんから、これでも全然本来の力は出せてへんのよ」
 ――そう、と、今度の相槌には幾らか間があって、セレシュははっとして顔を上げた。つい口を滑らせてしまったが、瀕死の兄神を抱えているこの姫神、気紛れで人に祟ることを厭わぬ性質を持っている女神が、その事実をどう捉えるのか。
<…兄様は、そうすれば少しでも、元気になっていただけるかしら>
 それからぽつりと紡がれた言葉に、セレシュは言葉に窮する。
 それを試したことがある訳ではない。神域の主と、例えひと時でも契約をする、というのは、軽々しく出来ることではない。
 だからこそ、効果のほども、予想するより他にはない。
 だが、しばしの沈黙の後で、ちゃぷりと水音がしてセレシュは顔を上げた。視線の先、ふじひめは一升瓶をひっくり返している。――いつの間にやら酒瓶はすっかり空になり、最後の一滴がふじひめの手にした杯を波打たせる。そこにはらはらと桜の花弁が舞い込むのを、セレシュはただじっと見ていた。
<ああ、もうお仕舞。美味しいものは無くなるのも早いわ>
「ふじひめ」
<…そんな顔するんじゃないわよ。いくら兄様の為と言え、お前のような存在に、容易に契約を迫るほどわたくしも莫迦ではないわ>
 言われてセレシュは思わず頬に手を当ててしまった。どんな顔をしていたのだろう、自分は。ふじひめは微かに笑うような声を漏らして、一升瓶をそこに置く。そして、十円玉をまた指先で弾き上げた。りーん、と空気を震わせる金属の、冷たくも涼やかな音が耳を撫ぜる。
 赤銅色の硬貨は、月下にくるくると回って、それから、
<あーん>
「あ」
 ふじひめの口の中に、消えて行った。
「…食べて腹壊さへんの、それ?」
 苦笑気味に問えば、ふじひめは鼻を鳴らす。面白くはなさそうだった。
<少なくとも酒の肴には、ならないわね>
 そか、とセレシュは苦笑を口の端に残したまま、立ち上がる。空になった一升瓶を持ち帰ろうかと思ったのだが、セレシュの手をかわすようにふじひめがそれを持ち上げた。
<これは奉納品として頂いておくわ。また持ってきなさい、次はわたくしの花が満開の頃だと嬉しいわね>
「…相変わらず我儘な姫さんやね」
 セレシュは顔を上げた。ふじひめが今浮かんでいる場所は、藤棚の上だ。まだ蕾は硬いけれども、もう少しすれば淡い紫の花がカーテンのように辺りを覆うだろう。どんな日本酒が合うだろうかとぼんやり思案していると、背後から高飛車で傲慢な姫神の声が追いうちのように放たれた。
<ちなみにわたくし、ワインがいいわ。白がいいわね>
「……ほんまに我儘な上に、ミーハーな神様やねぇ、自分」

PCシチュエーションノベル(シングル) -
夜狐 クリエイターズルームへ
東京怪談
2014年04月15日

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