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『懐かしき風に吹かれて。 』
丈 平次郎(ib5866)&ヴァレリー・クルーゼ(ib6023)

 ジルベリアに春が訪れるのは、天儀よりも遥かに後になる。広大な儀を持つジルベリアの地にあっては、国内ですらその訪れの時期はまちまちになるけれども、かつてヴァレリー・クルーゼ(ib6023)が暮らしていた辺りでは、ちょうど今時分が春の盛りだった。
 天儀よりも遅く訪れて、それでいて天儀の季節を追いかけるようにあっという間に過ぎ去って行く、春。記憶の中ではそれと解っていたはずだけれども、現にその光景を目の当たりにしてヴァレリーは、少なからず驚きを覚えた自分にまた、驚いた。
 とはいえ、それも無理からぬ事だった。ヴァレリーはこの地を、そしてジルベリアそのものを離れてから随分長い間、故郷たるこの地に戻ってくる事はなかったのだから。

(――久し振りすぎると、君は笑うだろうか?)

 記憶のそれよりも古びた風合いを持つ墓標へと、胸の中で問いかける。そうしてから、本来なら怒るべきところだろうと思ったが、どうやっても『彼女』がヴァレリーにそんな風に怒るところは、想像が出来なかった。
 いつだってヴァレリーを案じ、当然のように支え、笑ってくれていた『彼女』だから。時には心配に泣かせもし、時折はきっと悲しませもした自分をそれでもずっと、最期の最期まで想っていてくれた――だから。
 今は墓標の下に眠る最愛の妻に、悪かった、と胸の中だけで謝りながら、ヴァレリーはその前にミモザを静かに供えた。こんな時ですら口に出せない自分が情けないと思い、けれども妻はきっと全てを解ってくれているはずだと思う。
 だからヴァレリーが口にしたのは、それとはまったく別の言葉だった。

「この男は記憶が戻ったらしい。君も祝ってやってくれ」

 そうしてちら、と眼差しを向けた先に立っているのは、共にここまでやって来た丈 平次郎(ib5866)である。半身を覆う醜い火傷のあとを隠すため、常は身に着けている兜と面覆いは、今日ばかりは外しているから神妙な面持ちが見て取れた。
 墓標の前に膝を折るヴァレリーの傍らに、同じく膝を折って平次郎もまた、ミモザを墓標へと供える。――彼がジルベリアへと足を運んだのもまた、こうして友人の妻の墓参りをするためだったから。
 友人の妻であり、それ以上に怪我を負って雪の中で行き倒れていた平次郎を助けてくれた、命の恩人である女性。その笑顔を思い出しながら、平次郎は無骨に、そして真摯に墓標へと頭を下げた。

「無事に記憶が戻り、娘にも会えた。あの時、俺を助けてくれた貴女達のおかげだ。‥‥生きている間に報告がしたかった」

 自分の記憶がない事を、怪我が治り天儀へと渡るべくクルーゼ夫妻の家を旅立ったその日まで心配し、ずっとここに居てくださっても良いんですよと、何かあったらいつでも帰ってきてくださいねと言ってくれた奥方は、知ればきっと我が事のように喜んでくれたに違いない。そうして「良かったこと! まあ、ぜひ娘さんにもお会いしてみたいわ」と微笑んでくれたのに違いなく。
 それを見れなかったことを――奥方をそうして喜ばせてやれなかった事を、心から残念に思った。彼女とヴァレリーのことを平次郎は、恩人と深く感謝すると同時に、心のどこかではもう一つの自分の家族でもあるように感じていたのだから。
 残念だと、口中で呟き頭を垂れて黙祷する。そうして、ヴァレリーに『平次郎』と呼ばれたのに顔を上げる。
 すでに記憶を取り戻した彼は、もちろん本当の名前も思い出してはいた。けれども、開拓者としての名前は『丈 平次郎』で登録してあるし、何より記憶を失った自分にヴァレリーがくれたその名前を、彼はとても気に入っていたから。
 今でも彼は、丈 平次郎と名乗り続けている。そうして、この名もまたもう一つの自分の本当の名前だと、心のどこかでは思っている。
 平次郎と名乗る男はだから、当たり前の顔をして自身を呼んだヴァレリーの方へと向き直った。それから2人で軽く辺りを掃除して、萌え始めた柔らかな新緑を敷布の代わりに、墓標の前に腰を下ろして。
 持ってきた荷物の中から取り出したのは、ヴァレリーの妻が生前に漬けた果実酒だった。文字通り彼女の最期の思い出であるそれを、ヴァレリーは同じく持参した3つの器に注いで行く。
 長い年月を経て熟成した果実酒の、馥郁とした香りが辺りに広がった。それに少し目を細めながら器の1つを墓前のミモザの傍らに供えると、2人はそれぞれの器を軽く持ち上げ口を付ける。
 口の中いっぱいに広がる、懐かしい味。丁寧に果実を洗い、下処理を施して漬け込んだのだろう彼女の人柄が伺える、柔らかな香り。
 どうかね、とヴァレリーは無愛想に、だがどこか誇らしげに平次郎に声をかけた。ああ、とそれに平次郎は頷きを返す。

「旨いな。確か――傷が治ってから、飲ませてもらった事があったか。懐かしい味がするな」
「ああ、そういえば……1度か、2度だったか。――君も久しぶりに飲むだろう。相変わらず、君の果実酒は悪くない」

 一度として素直に言ったことはもちろん、何らかの感謝を素直に妻に告げたこともないヴァレリーは、彼女が新しく漬けた果実酒を飲むたびに口にしていた言葉を、あの頃と同じように無愛想に告げた。それがヴァレリーなりの感謝なのだと、知っていたに違いない妻はいつだってその言葉に、『良かったわ』と嬉しそうに微笑んだものだ。
 今もきっと同じように、良かったわ、と微笑んで居ることだろう。そうして自分の分の器を両手に包み込んで、ヴァレリーと平次郎をにこにこ見つめて話を聞いているのに違いない。
 それがたやすく想像出来て、君は相変わらずだな、と胸の中だけで呟いた。よく考えてみればおかしな発言だけれども、目を細めて果実酒を味わう平次郎は、何も言わない。
 そんな友人の気配を感じながら、ヴァレリーは器の中で揺れる果実酒を見つめて、言った。

「――こうして墓参りができたのは、平次郎のおかげだ」
「そうだな。1人で行く勇気も無かっただろうしな」

 その言葉に、平次郎がにやりと笑って茶化すとヴァレリーは、むすッ、と口をへの字に曲げて果実酒を飲み干す。それが事実だと解っては居ても、他人から言われると面白くはないのだろう。
 はは、と笑って平次郎もまた、果実酒を飲み干し、新たに注いだ。そうして奥方の墓標に向けて、ヴァレリーは相変わらずだろう、と声をかける。
 それはまるであの、初めて出会った冬の日々に、クルーゼ夫婦の暮らしていた小さな家の暖炉の傍で過ごした時間とどこか、似ていた。雪に文字通り閉ざされたあの場所にあって、この春のように穏やかで暖かな時間――それは間違いなく、今は亡き奥方が作り出していたもので。
 墓標の下で眠る今でも、それはちっとも変わらないらしい。それに密かな敬意を示して、平次郎はかつ、と小さく奥方の分の果実酒に己の器をぶつけた。





 持ってきた果実酒がすっかりなくなってしまう頃には、夕暮れもほど近くなり、暖かだった風もさすがに冷たくなってきた。ようやく春が訪れたとは言え、ジルベリアの
それは確かに天儀とは異なるのだと、こんな所でも気づかされる。
 最後の果実酒を飲み干して、そろそろ帰ろうかと、どちらからともなく立ち上がった。墓標の前に置いた果実酒だけは、もちろん空になることはないけれども。

「それは君の分だ。あとでゆっくり飲むと良い」

 夕暮れに染まり始めた墓標にそう告げて、ヴァレリーは空になった果実酒の瓶を持ち上げた。ひょいと軽い手応えに、不思議なほど心が安らぎ、満たされているのを我ながら不思議に思う。
 妻が亡くなってからずっと、この果実酒を大切に取っておいていたのは、これが彼女の形見であり、自分と彼女を繋ぐ数少ない品だと思っていたからだ。これが失われてしまえば、彼女が二度と手に届かない場所に行ってしまったのだと思い知らされる気がして――永遠にその喪失感に、耐えられる気がしなくて。
 けれども今のヴァレリーは、酒がなくなっても妻との繋がりはなくならないのだと、心の底から信じられた。彼女の思い出はいつだって、確かに自分の中にあるのだから。

(そうだろう?)

 尋ねるようにちらり、墓標を眺めればそこに、ヴァレリーを見上げて微笑む彼女が居る気がした。彼女はヴァレリーの言葉に、「そうよ」と頷いているのだろうか――?
 そんな彼女の見えない笑顔に、また来る、と小さく呟いてヴァレリーは、静かな墓標に背を向けた。そのまま名残を惜しむ様子もなく歩き始めた男に、らしいな、と苦笑しながら平次郎は後を追い、傍らに並んで共に歩く。
 夕暮れに染まる道は、それでもやはり春の歓びに溢れて、瑞々しく美しかった。奥方が楽しみにしていた春は、こんな季節だったのだとその光景に目を細める。
 実質、平次郎がクルーゼ夫婦と過ごしたのはあの雪の中の季節だけだから、この季節を迎えた奥方がどんな風に過ごすのか、過ごしていたのか平次郎は知らない。けれども、暖炉の前で3人で過ごした日々の中で、やがて訪れる春への希望を嬉しそうに語る奥方の笑顔は、今でも眩しく思い出すことが出来る。
 眩しく――微笑ましく。己自身が春のようであり、暖かな暖炉のようであった、友の最愛の人。

「奥方は」

 その笑顔を思いながら、夕暮れに染まる春の道の上で、平次郎は問いを紡ごうとした。けれども少し言葉を切って、本当に良いのだろうかと己自身に問いかける。
 ずっと気になっていて、けれどもずっと聞けずに居たこと。きっと今までのヴァレリーにだって、聞けば答えてくれただろうけれども、そうすれば彼はいつも通りに、いつも以上に無愛想に、そっけなく――そうしながら間違いなく、胸の中にこの上ない悲しみを、痛みを抱えたに違いないから。
 長い間平次郎は、それをヴァレリーに聞けずにいた。けれども今のヴァレリーならきっと、不必要に胸を痛ませることもなく、苦しませることもないだろうと、感じられて平次郎は途切れた言葉の続きを紡ぐ。

「――奥方の最期は、安らかだったか?」
「全く苦しまなかった」
「‥‥そうか」

 その予想に違わず、素っ気ない口調で応えたヴァレリーの表情は、無愛想ながらもどこか穏やかだった。僅かに目を細めて遠くを見つめる、その表情は思えばかつて彼らの世話になった頃、時折ヴァレリーが奥方を見る時に見せていたものだ。
 良かったと、その事実に安堵する。そうしてあの優しく親切だった女性が、最期まで穏やかであった事にまた、心から安堵した。
 だからほっと頬を緩ませた、平次郎の横顔をちらりと見つめて、ヴァレリーは口にはしない感謝を友へと向ける。それはこの友だけではなく、この場には居ない弟子達へと向けるものと同じだ。
 平次郎と弟子達のおかげで、ヴァレリーはこうして悲しみと虚無を胸に後にした故郷の地を、再び踏むことが出来た。1人では行く勇気がなかっただろうと言う、平次郎の言葉はだから、全く正しいのだ。
 彼が、彼らが居たからこそ、ヴァレリーはこうして戻ってくることが出来た。記憶を取り戻し、娘と父としての再会を果たし、人生を取り戻した平次郎と同じように、彼自身もまた大切な物を取り戻すことが出来たのだ。
 それを、素直に嬉しくありがたいと思う。生前、一度も感謝の言葉を告げたことがなかった妻と同じように、きっと絶対に口にすることはないだろうけれども、変わらず自身を平次郎と呼ばせる友や、こんな自分にずっと従い、傍に居続けてくれた弟子の優しさに、心から感謝していた。
 きっと、平次郎を平次郎と呼べなくなってしまっていたら自分は、妻を失ったあの日と同じように、友を永遠に失ったのだと惑っていたに違いない。妻とは違って確かにそこにいて、同じように笑ってくれているにも関わらず、自分は友を失ったのだと――二度と会うことは出来ないのだと、喪失感に苛まれたことだろう。
 けれども、彼はそうはしなかった。記憶を取り戻してもなお『平次郎』で在り続けていてくれたから、ヴァレリーはそれに支えられて、こうして立ち続けていることが出来、オボツカナいながらも前に進むことが出来ている。
 だからきっと、妻は今の自分を見て安堵していることだろう。もちろんそれを確かめる術は、もうどこにも残されては居ないのだけれども、胸の中に想う妻はいつだって、そんなヴァレリーを見て、良かったと微笑んでくれているから。

(‥‥最近はどうにも、君の笑顔ばかりを思い出す)

 それに気づいて、ヴァレリーは小さく苦笑した。これが忘れるということだろうか――あの日、握った手から永遠に力が失われた、妻を見送った時の姿ばかりがもう随分と長い間、澱のようにヴァレリーの心の中に沈み続けていたというのに。
 今、思い出す彼女の笑顔は安らかで、穏やかで、あの頃と何一つ変わらない。何一つ変わらないと言うことを、最近になってようやく気がついた。
 人はこうやって悲しみを忘れ、優しい思い出だけを胸に抱きしめ、進んでいく生き物なのだろうか。それは救いのようでもあって、どこか耐え難いような寂しさも感じる。
 不思議なものだと思って、けれども心からの、細く長い安堵の息を吐いた。それから平次郎へと眼差しを向け、そうだ、と声をかける。

「君と君の奥方の話も聞きたいものだな」
「止めとけ、長くなるぞ」

 ヴァレリーのある意味ではもっともな言葉に、平次郎はそうにやりと笑った。けれどもそうして笑いながら、どこか遠くを愛おしげに見つめる眼差しで、平次郎がゆっくりと言葉を紡ぎ出す。
 出会ったあの頃には記憶から失われていて、聞こうにも聞くことの出来なかった物語。見るからに無骨な巨漢から語られるそれに、耳を傾けながら少し冷たい春の夕暮の風に、身を任せて歩き続ける。

 ――春の夕暮れには珍しい、柔らかで暖かな風が彼らを包み込むように吹き抜けて、高い空へと消えていった。





━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 /     PC名    / 性別 / 年齢 /  職業 】
  ib5866 /   丈 平次郎    /  男  /  48  / サムライ
  ib6023 / ヴァレリー・クルーゼ /  男  /  48  /  志士

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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いつもお世話になっております、蓮華・水無月でございます。
この度はご発注頂きましてありがとうございました。

お二人での思い出を振り返る物語、如何でしたでしょうか?
何と申しますか、故人なのに微妙に存在感がありすぎるような奥様が、本当にやりすぎてないのかと心から心配です(遠い目
ええと‥‥テーマが奥様のお墓参りですから、良いですよね‥‥良いですよね‥‥ッ!?(必死←

お二人のイメージ通りの、優しくも懐かしい穏やかなひとときのノベルであれば良いのですけれども。

それでは、これにて失礼致します(深々と
■WTアナザーストーリーノベル(特別編)■ -
蓮華・水無月 クリエイターズルームへ
舵天照 -DTS-
2014年05月19日

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