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『なんてことはない、大事な日常 』
陸・誠司5096)&(登場しない)
 陸誠司(くが・せいじ)、それが彼の名前である。
 大型犬を思わせる茶色の髪。
 意志の強そうな黒い瞳。
 しかし今は、大あくびとともに薄目になり、涙もにじんでいる。
 また一つ、大あくび。
 あくびの原因は夕べの電話だ。
 友人の一人が彼女と喧嘩をし、愚痴を言いに電話をしてきた。
 長電話は好きではないが、泣きついてくる相手を無下にはできない。
 友人達からは、『一言余分なおひとよし』と呼ばれている。
 ……不本意であるが。

 しかし、電話が予想以上に長引いた原因は誠司にもある。
 なので、友人達の言葉に、否を唱えることは出来ない。
 最初は普通に、適度に同意しつつ聞いていたのだが、段々同じ事の繰り返しや言い訳に、

「それって、お前も悪いんじゃ?」

 ポツリ、言った瞬間。
 電話の向こうから聞こえたのは、言葉にならないうめきに似た声と、先ほど以上の言い訳の嵐。
 その後、そんなやりとりを数回繰り返し、とうとう日付変更を迎える事になってしまった。
 結局、答えは誰も出せるわけがなく、最後は電話の相手の寝落ち、という最悪な事態で幕を閉じた。

 その日、何度目かの欠伸。
 誠司は目尻の涙を指先でぬぐうと、次に出た欠伸をかみ殺して微妙な顔になる。
「…天気いいなぁ」
 すっきりと晴れた青空。
 なのに目に染みる。
「陸くんおはよ〜」
 後ろからポン、と肩を叩かれ、女生徒が通り過ぎる。
 誠司が後ろ姿に挨拶をすると、軽く振り返って笑って手を振った。
「あ…」
 あの子は確か、昨日の電話の友人の彼女だ、と思い当たった。
 目元がほんのり赤かったのが見えて、誠司は立ち止まって小さく息を吐いた。
「…よっ」
 今度は寝落ちの主に肩を叩かれた。
 友人は遠く小さくなっていく後ろ姿を目で追いつつ、誠司の肩に手を回す。
「…なんか言ってた?」
 言われて一瞬きょとんとなるが、言われた意味を理解して、小さく首を振る。
「何も言ってなかったよ。ただ、おはよう、って言われただけ」
「そっか…。まぁさ、あれからオレも反省したんだよ。誠司に言われた通り、オレも悪かったな、って」
「それなら、追いかけて謝ってきた方がいいよ」
 至極正論な誠司の言葉に、友人はうなだれる。
「…それが出来たら苦労しない」
 確かにその通りだが。
 でも誠司は知っている。伝えたい言葉を、伝えたい瞬間を逃してしまったら、伝えられなくなる、という事を。
「でも、ちゃんと言っておいた方がいいよ。数秒後なんて、存在するかどうか、わからないんだから」
 小さく含んだ言葉。
 でもさぁ、と言いかけた友人の口が、誠司の表情を見てとまる。
 本人は意識していなかったが、泣き出す一歩手前、みたいな表情をしていた。
「ん…行ってくる。玉砕したらカラオケでも付き合ってくれ」
 もう一度誠司の肩を叩き、友人は駆けだした。
 友人の背中が、彼女と同じくらい小さくなると、誠司は小さく笑った。
「おーっす、おはよー」
 クラスメイト数人が眠そうに、そして誠司と同じように欠伸をかみ殺して挨拶をする。
「夕べ、愚痴電に付き合わされたんだって? 朝から誠司に悪い事したー! ってメッセで愚痴愚痴」
 言って笑う。
「なんと! 電話の途中で寝落ちしたよ」
「あはははは、オレ、前それやられたよ。さすがに電話代もったいないだろー、って大音量で音楽流してやった」
 全員がどっと笑う。
「俺もそうすれば良かったな」
「今度やってやれ」
 あははは、と笑いながら、誠司の歩調にあわせてゆっくりになる。
「ってか、誠司もまた余分な事言ったんだろ? だっから話長くなるんだよ」
「そんなつもりはないけどな」
 困ったように笑う誠司に、後ろから『一言余分なおひとよし』という合いの手が入る。
「まぁ、それが誠司のいいところでもあるんだけどな」
「それなら、その不本意な呼び方やめて欲しいなぁ」
「いやいやいやいや。それも愛情」
「男からの愛情はいりません」
「うん、オレも嫌だ」
 後ろで、オレも嫌だ、という声が複数上がり、笑い声にかわる。
 前方で、彼女と横に並んで歩く友人の姿見えた。
 自然と笑みがこぼれる。
「オレも、なんかあったら誠司に愚痴るけどな」
 ポンッと肩を弾かれ、前方の友人を「おーい」と呼んで手をふる。友人は照れたように笑って、手を振りかえした。
 そして話題は、昨日のテレビドラマから朝の提出物へと変化していく。

 なんて事はない、ありふれた日常。
 でも、泣きたいくらい、大事な日常。

 誠司は欠伸にまじった涙を、手の甲で拭き取った。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
夜来聖 クリエイターズルームへ
東京怪談
2014年05月19日

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