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『蠢く悪意 』
穂積・忍8730)&(登場しない)


 緑色の瞳は、何も見ていない。
 と言うより、ここにはない何かを見据えている。睨んでいる。
 憎しみの眼光だった。
 何をそんなに憎んでいるのかは、しかし少年自身にもわかってはいないだろう。
 5歳か、6歳か。まだ少年とすら呼べない年齢、とも言える。
 その小さな身体を満たす憎悪の炎が、エメラルドグリーンの眼光となって、左右の瞳から溢れ出しているのだ。
 憎しみを直接叩き付けるべき相手はしかし、もうこの世にはいない。穂積忍が率いるNINJA部隊によって、あらかた殺し尽くされた。
 行き場のない憎しみを、瞳の中で渦巻かせ燃え上がらせている、小さな男の子。
 今は、叔父である青年と一緒に暮らしている。
 その青年が、言った。
「何かしてくれようという意思があるなら……気持ちだけもらっておくよ、穂積君」
「お前……本当に、これでいいのか」
 無駄な問いかけであるという事は穂積自身、理解はしている。
「自分で言う事じゃあないが、こう見えてもNINJA部隊の指揮官だ。俺が口を利けば……解雇処分の1つや2つ、取り消せない事もないと思うぜ」
「そこまでして残りたい職場じゃないからね」
 微笑みながら青年は、甥の頭を撫でた。
 撫でられても、男の子は表情を動かさない。
 行き場のない憎悪の念を緑色の眼光に変え、瞳の中でくすぶらせたまま、押し黙っている。
 青年によると、家で会話をする事も、ほとんどないという。
「そんな職場でも、給料だけは悪くなかった。おかげで、いくらか貯えも出来た。次の仕事は、焦らず探す事にするよ。コンビニのバイトでもしながら、ね」
 彼は、仕事を辞めた。
 一言も口を利かない甥と、一緒に過ごす時間が増える、という事でもある。
 青年は身を屈め、小さな甥と目の高さを合わせた。
「僕は、馬鹿をやらかして仕事を辞める羽目になった。だけど心配は要らない。甥っ子の面倒を見るくらいの貯えはある……お前はただ、僕を嘲笑っていればいいんだ」
 言葉が通じているのかどうかは、わからない。
 構わず、青年は言った。
「僕のように、なってはいけない。それだけを、お前には学んで欲しい」
「…………」
 男の子は相変わらず、何も言わない。
 ただ緑の瞳がようやく、ここにはない何かではなく、目の前にいる叔父の顔を映した。
 穂積は、そう感じた。
(お前の叔父貴はな、お前のためにIO2を辞める事になっちまったんだぞ……)
 その言葉が、穂積の喉の辺りまで出かかっていた。


 海外研修というのは、要するに左遷である。穂積忍は、そう思っている。
「さもなきゃ島流し……かな」
 ぽつり、と呟いてしまう。
 その言葉に、米国人女性は反応した。
「ほう。この日本という国が流刑地であると、日本人である貴様がそう思うのだな」
「おっと……日本語、話せるじゃないか。しかも上手い」
「貴様の英語は聞くに耐えん。日本語で会話してやる」
 IO2アメリカ本部から、研修という名目で日本支部にやって来た、と言うより飛ばされて来た女性である。
 かなり気を遣って若作りをしている。最初に彼女を見た時、穂積はそう思った。
「島流しにされるほどの一体何を、あんたがしでかしたのか、ちょいと興味はあるな」
「上司を殴った」
 あっさりと、彼女は応えた。
「飛ばされるだけで済んだのだから、まあ運が良いとは言える」
「……だろうな」
 穂積は思い返していた。あれから7、8年は経つ。
「上司をぶん殴ってクビになった奴なら、俺の知り合いにも1人いる。そいつは、まあ運が悪かったのかな」
 緑色の瞳をした、あの男の子も、今は中学生だ。
 学校で時折、他愛もない騒動を引き起こしている。
 問題があるとすればそのくらいで、まあ穂積が思っていたより、ずっと真っ当に育ってはくれた。
「……その、殴られた上司というのは?」
 米国人女性が、おかしな事に興味を抱いている。
「今頃、どこで何をしているのだろうか」
「さあな。嫌な野郎だったし、俺の知った事じゃあない」
「IO2ジャパンでも指折りの猛者が、半ば殺すつもりで暴行を加えたのだ。数ヶ月の入院で済んだのは、それこそ運が良かったと言える」
 女性が言った。
 穂積は、耳を疑った。
「あんた……調べたのか? そう簡単に調べられる事件じゃあ、ないはずなんだがな」
「私が調べたのはシノブ・ホヅミよ、お前のこれまでの実績だ。何しろ現場で動くお前たちに、後ろから色々と指示を下さなければならない立場だからな。どういう仕事をする者たちなのかは、知っておかねばならん」
 女性が、青く鋭い瞳を向けてくる。
 観察されている、と穂積は感じた。
「特に大きな実績は、8年ほど前……虚無の境界と関わりのある研究施設を1つ、潰しているようだな。そこで実験材料にされていた子供が無事、救出された」
「めでたしめでたし。それで終わりさ」
「お前の、その仕事はな。だが一方で、別の何かが始まってしまった……救出された子供に、IO2ジャパンの上層部にいる者たちが目をつけたのだ」
 あの子供は、叔父である青年が引き取って育てる事になった。
 その青年も当時はIO2日本支部の末端エージェントであったから、上層部の意向には逆らえなかった。逆らえない、はずだったのだ。
「特に乗り気であったのは、当時IO2ジャパンで科学技術課の長官を務めていた男だ。お前が救出した子供を、その男はいたく気に入った。強力な、生体兵器の材料としてな……有り体に言えば、虚無の境界の研究施設で行われていたのと同じ事を、その子供に施そうとしていたわけだ。IO2の設備を使って」
 結果、その長官は、最も怒らせてはならない男を怒らせてしまった。
「とある1人のIO2エージェントに、長官は命じた。預かっている子供を差し出せ、と……返答の代わりに、そのエージェントは拳を振るった。長官の片目は潰れ、眼窩から脳漿が溢れ出した。蹴りの一撃で、長官の身体はへし曲がり、背骨は折れ、口から臓物が」
「待て待て。あいつも、そこまではやってない」
 穂積は片手を上げた。
「まあ……手足の1本くらいは折っていたかな」
「お前は、それを黙って見ていたのか?」
「恐くて動けなかった。いやあ小便ちびりそうだったぜ、冗談抜きで」
 その長官は入院を強いられ、青年は査問にかけられた。
 結果が、解雇処分である。
 警察沙汰にはならなかった。何もかも内々で片付けようとするIO2ジャパンの隠蔽体質が、この場合は幸いした、と言うべきか。
 問題が1つあるとすれば、その長官が、入院先の病院から行方をくらませてしまった事くらいであろうか。
 失踪、そのまま退職という扱いになっている。
「それにしても、まあ脳漿とか臓物とかはともかく……よくも、そこまで正確に調べ上げたもんだ」
「調べ事は得意でな。それで成り上がってきたようなものだ。私には、お前たちのような戦闘能力もない」
「その割に、上司をぶん殴ったりもするわけだな」
 この女性が何故、そんな暴力事件を起こしたのか、本人に訊いても答えてはくれないだろう。
 もしかしたら、あの青年……今はもう穂積と同じく30代半ばの中年だが、とにかく彼と同じではないのか。
 誰かを守るために、庇うために、拳を振るってしまったのではないか。
 特に何の根拠も無く、穂積はそう思った。


 脳に痛みをもたらすだけだった人工視覚も、慣れれば心地良いものだ。
 殴られて失明した左眼球も、回復不可能なほど骨を砕かれた右腕も、人工物に取り替えた。
 かつて自力でIO2ジャパン科学技術長官の地位まで上り詰めた、自分の力をもってすれば、容易い事だ。
「逃がさんぞ……絶対に、逃がしはせん」
 完全に機械の義手となった右手をギュイィーンと鳴らしながら、彼は呻いた。
 今はこの場にいない相手に、語りかけた。
「お前は、私のものだ。私の手で……最強の、生ける究極兵器となるのだ」
 8年前、虚無の境界の研究施設から救出された子供。
 あのエメラルドグリーンの瞳の輝きは、忘れられない。禍々しいほどの、力の表れだった。
 生体兵器として、最高の素質を有する子供だった。
「貴方、IO2では随分と嫌われていたようですなあ」
 黒装束の男たちが、口々に言った。
「負傷そして入院……それを機に、貴方を長期療養という名目で第一線から退かせようとする力が働いた」
「だから貴方は、我々のもとに身を寄せるしかなかった」
「まあ我らとしても、IO2日本支部に関する様々な情報を、貴方から入手する事が出来た。こうして協力するのは、やぶさかではない」
「ただ1つだけ……あの子は我々『虚無の境界』の研究成果であって、貴方の私物ではない。それだけは、どうかお忘れなきように」
(愚かな狂信者どもが……まあいい、今は貴様らを利用してやる)
 かつて長官であった男は、心の中で呻いた。
(だが……あの子は、私のものだ……)
PCシチュエーションノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2014年05月22日

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