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『メモリーズ・スノウ 』
白銀 抗jb8385)&平賀 クロムjb6178

 雪を顔に、塗りつけられた。

 雪というのは比喩だ。無駄に飾り立ててみた。だって、普通に白い絵の具ではとこに顔に落書きされただけだったから。
 あれは未だ両親が居て、極普通の日常を送っていた真冬の日だったと思う。
 何らかの行事で、雪原で写生大会をすることになった。此程に寒いのに、正気の沙汰かとも思ったが、仕方無いのでスケッチブックを広げた。

「ね、白って雪みたいだよね」
「違うよ。雪を切り取って詰め込んだのが白色の絵の具なのよ」
「じゃあ、この絵の具チューブに詰まった白い絵の具は雪なんだね。どーりで絵の具の白ってすぐに無くなっちゃうんだー」

 少し離れた場所で、幼い風貌の少女達がそんなことを話していた。
 いや、それは関係無いんじゃ――そんなツッコミも心の中で、自分はひとり広げたスケッチブックに鉛筆を踊らせる。
 さっさと描いて仕舞おう。そうして、部屋に戻ったら暖かいおしるこでも飲んで暖まろう。真っ白な雪と同じ紙に黒鉛の軌跡が描かれてゆく。

「ロム君、暇? てか、暇だよね? なに? 真面目に絵描こうとしてるの? 良い子だねー」
「抗兄こそ、スケッチブックも絵の具セットも持たず何やってるっすか……」

 はとこは、自分のじとりとした視線も構わず涼しい顔を浮かべている。
 それどころか、面白がっている様子。いつだってはとこはこうだ。彼は自分のことを可愛がってるだなんて言うけど、実際はただのいじめなのでは?
 そう自分が訴えたとしてもさらに倍になって返ってくるだけ。いつからかそれを指摘することすら諦めてしまった。正直、少し苦手だった。

「芸術作品ってさ、何も紙だけって限らないよね、石像に銅像に……あと何があったっけ、まぁいいや。とにかく、現代芸術とか凄いよねー。前衛的。だから、僕はその前衛的精神に殉じてみようと思う」
「?」
 きょとりと首を傾げた自分。彼はニヤニヤと笑いながら、置かれていた自分の絵の具セットから筆と白い絵の具を取り出す。
 無造作にパレットにぶちまけた白い絵の具を少し水で溶かして筆で掬い――。

 そして、自分はとこに白い絵の具で顔に思いっきり落書きされた。

「ロム君のこと可愛がってるから、大切に思ってるから――だから、僕の最高傑作」
「これがその仕打ちっすか!」

 この髭が現実なら、何とか大臣くらいの偉いポストにでも就けるのではないかというくらいに、立派な髭だった。




 冷たいものが頬に触れた。
 それは、白いけれど絵の具ではない。
「……雪、っすか」
 平賀 クロムは少しゆっくりとした動作で顔を上げる。少しくすんだ空から、ちらちらと白い粉が舞っている。
 吹き抜ける風も冷たく、凛と澄んでいるよう。吸い込めば、身体の底から冷え込むような真冬の日暮れ。
(もう、そんな季節っすか)
 久遠ヶ原に転入して、随分と経った。そんな、クロムの日々は何だか慌ただしいようで穏やかだった。
 撃退士としての生活は決して穏やかなものではないと誰かは言うかもしれないけれど、クロムにとっては穏やかな日々。少なくても、かつての過去の辛かった日々に比べては随分と落ち着いた毎日だった。
 そんな日々の中の、学園の授業が終わった放課後。クロムはあてもなく彷徨うように商店街を歩いている。
 赤と緑の飾り付け。忙しなく踊るように鳴り響く軽快なメロディは、クリスマスだなんていうどっかの教祖さんの誕生日を祝う日の訪れを喧しく告げていた。
 もう、年の瀬。サンタクロースが来るだなんて無邪気に信じていた頃もあったなんて――そんな遠い日々を少し思いだして、振り払うように首を振った時だった。
「やあ」
 降り掛かった声に、クロムは慌てて振り返る。
 へらへら笑う、昔と変わらない少し偉そうな表情。間違いなくはとこの姿が其処に居た。思わずクロムの表情が引きつる。
「抗兄……どうしてここ」
「元気だった? ああ、僕は変わらず元気だったよ。この前タンスの角に小指ぶつけて、ちょっと痛かったけどさ」
 クロムの言葉を遮る彼。すらすらと流れるように発せられる声は涼やか。はとこ――白銀 抗は、ちっとも変わらない。
「丁度いいや」
 抗は一息。
「ロム君、久遠ヶ原案内してくんない? いやー、広くってさー」
「久しぶりでその態度っすか……」
 クロムはじっとりとした視線を送るが、抗は変わらず涼しげに笑っている。仕方無い。クロムは諦めたように息を吐く。
「諸々は後で聞くっす……何処行きたいんすか」
 思わず笑いが零れてしまいそうな程に、彼は変わっていなかった。






 流行りを追い掛けたように賑やかな商店街を抜けたら、いきなり静かな神社へと出た。
 久遠ヶ原では別に珍しい光景ではない。驚きもせず、道を一本間違えたかなと冷静に思うクロムの隣で抗は少し感心したような表情を浮かべていた。
「へぇ、学園というかもう都市だねぇ。話には聞いてたけどここまでとは思わなかったよ」
 なんかマンガの世界みたいだ、なんてぼやく抗。クロムもそれには同意して。
「俺も最初来た時はそう思ったっす。けど、案外慣れると何とも思わないようになるもんっす」
 自由だからこそ、広いからこそ、決して飽きることがなさそうな学園を密かにクロムは気に入っていた。
 クロムは引き返そうと促す。しかし、抗はお構いなしで突き進んでいく。
 案内してと言ったのはそっちだろうなんて内心で文句垂れつつも、クロムは仕方がないので小走りで追い掛けながら、切り出した。
「で、どうして抗兄まで久遠ヶ原まで来たんすか。ここに来られたってことは抗兄もアウル適正があったんすか?」
 聞くまでも無い質問だ。この久遠ヶ原学園は撃退士の養成学校。
 此処に来たということは、つまり彼もアウルの力を持った撃退士ということになるのだろう。
 しまった、からかわれるかな――覚悟したクロム。でも、全く予想外のものだった。
「僕さ、半分悪魔だったらしいよ」
「へ?!」
 唐突の告白、衝撃の事実。それを、そんなに軽くあっさり言ってしまうはとこに
 クロムは、思わず変な声をあげた。思わずぽかんと、まるで鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべている。
 両親は人間だったけれど、何処かの隔世遺伝だったらしい。
「うちの親もああだったしさー、だからもう一生黙っておこうと思って」
 変わらず軽いままの抗の口調。だから。
「何も言わず撃退士になるってだけ言っちゃって出てきちゃったよ」
 相変わらず涼しい顔で笑う抗を、クロムはただ黙って見つめていることしか出来なかった。
 だけれど、眼鏡の奥にある抗の瞳の揺れ動き。抗の背中を追い掛けるように歩いているクロムからは、何も見えなかった。




 我ながら、仲の良いハトコ同士だとは思っていた。
 自由奔放、傍若無人。当てはめるならそんな言葉が似合う抗に振り回されつつも、悪く無いと思っていたのクロムの気持ちも事実だ。
 口で何だかんだ言いつつ、いつも付き合ってくれるクロムを。多少人に扱いが酷いと言われようと抗が可愛がっていた事実にも変わりはない。

 穏やかな日々。だけれど、それが壊れたのはクロムの父親が起こした傷害事件が切欠だった。
 力を求めた父は使徒になるなんて言葉を残し、失踪。
 残されたクロムと母は、まるで腫れ物のような扱いを受けていた。自分達は何も悪くなどないはずなのに、世間から向けられるのはただ冷たい眼差し。
 当時高校生だった抗も天魔に関わった平賀家に関わるな、と両親に言いつけられていた。
 その環境の中、クロムの母が心労で倒れて帰らぬ人になってしまったのも無理はないかもしれない。
 葬式に親戚は来た。しかし、何処か義務感で仕方無く来てやったという雰囲気が滲み出ていてクロムはずっと顔を伏せていた。
 母の葬儀などが落ち着いたと同時に、いよいよ平賀家には誰も訪れなくなった。誰も来ず、外に出て誰かと話そうなんて出来るはずもないクロムは、仏壇の母の遺影をただ眺めていた。
 何かを思ったら辛いだけだから、出来れば何も思わないように。
 静寂だけが支配する、かつて家族が普通に暮らしていたはずの家を割ったのはチャイムの音だった。

 重い腰を上げて、玄関を開ければ制服姿の抗が居た。
「どうして、抗兄が……」
「おばさんに、挨拶してなかったからさ。お邪魔します」
 玄関で思わず固まってしまっているクロムを余所に、抗は勝手に上がり込み仏間を目指す。
 扉を閉めて、追い掛けると抗は仏壇に。母に手を合わせていた。

 結局、碌に言葉も交わさなかった。
 今日訪れたのだって、きっと周囲には内緒でのことだったのだろう。
 入ってきた時と同じように、抗は帰って行った。

 暫く玄関のドアを見つめ、仏壇の前に戻ると座布団の下に小さな紙切れが置かれていることに気付いた。
 開いてみると、書かれていたのは携帯電話のメールアドレスだった。

 それが、高校生だった抗の精一杯。

※※

 携帯電話の画面の中。デジタル時計は正午ちょっと過ぎくらいを告げていた。
 しかし、カーテンで固く閉ざされた自室の窓から差し込む光もない。勿論、灯りも付けられない。
 かつて、普通の日常を送っていたはずの部屋。だけれど、今は暗い闇に沈んだまま。ぼやんと浮かびあがる携帯電話のディスプレイライトがやけに眩しく思えた。
 何度も手打ち入力した彼のアドレスは、哀しいことに既に暗記してしまった。
 結局は送信出来ずに、キャンセルボタン。
 それでも削除も出来ずに未送信ボックスにまた1通溜まっていく。

 何度迷っただろう。何度も繰り返した。だけれど、結局は迷惑になってしまうかもしれない。
 そう思うと、如何しても送信ボタンは押せなかった。


 ※※



 ――久遠ヶ原に行くことになった。

 一度だけクロムから抗へと送られたメール。
 題名もなく、添付ファイルも絵文字も何もない。本文たったの14文字。



 ※※


 迷惑掛けてしまうとは思っていた。だけれど、それだけは伝えたかった。
 大切な兄のような存在だった。母の葬儀を最後に切れた親戚の縁。だけれど、最後まで繋がっているのは、彼だと信じたかった。
 彼が置いていった、たった一枚の紙切れ。それだけで、自分はあの日救われた。

 抗もその時のメールはロックフォルダーに仕舞っている。もう何年も前のメールを、失くさないように大切に。
 あの時、自分は其れだけしか出来なかった。其のメールはある意味咎だ。苦しむ彼に対して――そのことを、ずっと悔やんでいる。
 だけれど、その内心はずっと仕舞っておこう。硬く、堅く氷で閉ざしたその中に。

 歩き続けてれば、いつの間にか元居た商店街へと戻っていた。
 賑やかなクリスマスソング。変わらず騒がしく辺りを浮き足立たせている。
「もうすぐクリスマス、っすね。抗兄は何か予定あるっすか?」
「んー、強いて言えば」
 クロムの問いに抗はやや大げさに首を傾げて、そしてニヤリと笑う。
「白色の絵の具でも買ってこようかな。ロム君サンタになってよ」
 大丈夫、アクリル絵の具じゃないよ、なんて笑いながら。
 変わらない彼が、傍に居る。正直若干苦手だけれど、それでも悪くないとは思った。

 ――今日も、この顔は雪で塗れていた。
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エリュシオン
2014年05月26日

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